『世界かけまわり番外編』スペシャルゲスト投稿旅行記2

 あおばさんのトルコ旅行記 

<編集:女王様1号>

 「フランス旅行記」に続き、掲示板常連・あおばさんが体験されたトルコ旅行に関するカキコをまとめさせていただきました。
 女王様1号の「エジプト・トルコ旅行記」ではイスタンブールしか行っていないので、それ以外の土地やハマムの話題など興味深いネタが満載です。

ナザールボンジュ・ライン

夏のトルコ(1) 投稿者:あおば  投稿日: 8月23日(土)16時54分50秒

◆ツァー名:決定版トルコ8日間 阪急交通社

◆費用:本体 \169,800、
     成田空港施設使用料 \2,040、
     旅行保険(9日分←成田前泊のため) \9,760、
     その他にトルコの空港施設使用料 \,1800、
     自宅から成田までの交通費および前泊費など。

◆スケジュール:
    ※(休)とあるのはトイレ休憩の所です。後は通過した所になります。

8日:
成田(ウズベキスタン航空528便) → 関西空港(トランジット) → タシケント(ウズベキスタン) → イスタンブール(泊)

9日:
イスタンブール観光(ヒポドローム[古代競馬場]、スルタンアフメットジャミィ[通称ブルーモスク]、アヤソフィア[外側のみ]、トプカプ宮殿) → クムカプ地区で昼食 → 第一ボスフォラス大橋を渡ってアジア側へ。
エスキーサからフェリーでトプチュラへ → ヤロヴァ(休) → オルハンガズィ → ゲムリック → ブルサ(泊)

10日:
ブルサ観光(ウルジャミィ) → ススルック(休) → バリクシル → アクヒサール(休) → ギョルマルマラ → サーリヒリ(昼食) → アラシェヒル → サリギョル → ブルダン → サライキョイ → パムッカレ(ヒエラポリスおよび石灰棚観光、泊)

11日:
パムッカレ → チャルダック → ダズキリ → ディナール(休) → チャイ(休) → コンヤ(昼食、メブラーナ博物館観光、カラタイ神学校[外側のみ]) → スルタンハヌ(隊商宿観光、休) → アクサライ → ネヴシェヒル(泊:カッパドキア観光の拠点)

12日:
終日カッパドキア観光(鳩の谷、パシャバー、オルタヒサール、ウチヒサール、ユルギュップ、ギョレメ、カイマクル地下都市など。アヴァノスの洞窟レストランで昼食。絨毯の店と宝石店に立ち寄り。) → ネヴシェヒルに連泊

13日:
ネヴシェヒル → アクサライ → トゥズ湖(塩湖観光。休) → アンカラ(アタチュルク廟[外側のみ]、昼食。) → ボル(休) → ドゥズジェ → イスタンブール(クムカプ地区で夕食、市内を車窓観光、泊)

14~15日:
イスタンブール → タシケント(ウズベキスタン航空527便・機中泊) → 成田
◆ツァー参加人数:31名(注1) 

◆為替レート:1ユーロ≒\144
         1US$≒\123
         \1≒TL 11,100(聞きしに勝るトルコのインフレ!)

○トルコに親日家が多い理由

旅に出る前にガイドブックや百科事典を読んでみたところ、日露戦争で日本がトルコの宿敵ロシアを破ったからとか、共和国建国の父ケマル=アタチュルクが国造りにあたって明治維新を参考にしたからなどの記述がありましたが、それだけでは根拠として弱いなと思っていました。
ところが、帰国後にたまたまテレビで「奇跡体験アンビリバボー」を見て初めて知ったのですが、1890年に和歌山沖で嵐に遭って沈没したトルコの軍艦エルトゥールル号の乗組員たちを和歌山県大島村(現:串本町)の人たちが救助したことをトルコの人たちはずっと忘れないでいたからだそうです。
その返礼として、1985年のイラン・イラク戦争のとき、イラン国内に取り残され本国から救援機を飛ばしてもらうこともできずに途方に暮れていた日本人をトルコの人たちが飛行機を飛ばして脱出させてくれた、ということがありました。

この話をネット検索したらかなりヒットしました。興味のある方はご一読をお勧めいたします。
ex.) 奇跡体験!アンビリバボー>BACKNUMBER>2003年8月21日>「95年目の友情 彼らが日本を愛する理由」

注1:
今年はSARSに戦争と、危ない条件が重なったので海外旅行はほとんど諦めていたのですが(不景気で給料もカットされてるし^^;)阪急さんから届いたパンフレットの中でもっとも魅力的な条件だったのが上記のツァーだったので友人と共に思い切って参加を決めました。
で、当日成田に行ったら同じツァーがなんと3組も!各組とも人数はほぼ同じだったので全体としては90名あまりが参加したことになります。
このグループをスーツケースのタグや身につけるワッペンの色に因んで「緑組、青組、小豆組」とひそかに呼ぶことにしました。私は友人と共に緑組に入っていました。


補足<夏のトルコ(1)へのレス> 投稿者:あおば  投稿日: 8月28日(木)08時37分12秒

>結構移動がハードそうですね~。

実質5日でトルコの中西部をひとまわりし、さらに連泊があるスケジュールだったのでバス移動が600~800km/日なんてことはざらでした。
いちばん大変だったのはドライバー氏でしょう。
なお、トルコ国内の長距離移動手段はバスか飛行機で、鉄道は近郊を走るもの以外はあまり発達していないように見受けられました。

>ウズベキスタン航空ってツアーで使われたりするほどメジャーだったんですね。

メジャーかどうかはわかりませんが、日本からは週に2~3便ほど出ています。
関空と成田でお客を拾いながら就航しています。
この会社、気の利いたことをするかと思えばサービスがいまいちだったりして往復ともかなり翻弄されました。(詳しくはコチラ)

>大体ソープのことを「トルコ風呂」と読んでいたのだからひどい。

この話は現地ガイドのYさん(男性)も知っていました。
改称前には在日トルコ大使館に明らかに勘違いしていると思われる電話がじゃんじゃんかかってきたそうで、「電話を受けたときの大使館員の顔を想像すると笑える」とYさんは言っていましたが、本当は笑い事では済まされませんよね。


夏のトルコ(2) 投稿者:あおば  投稿日: 9月 2日(火)08時21分47秒

○ウズベキスタン航空とタシケント国際空港
行き:
出発当時日本に近づきつつあった台風の影響か、ウズベキスタン航空528便はいきなり成田到着が遅れました。
こんなに時間があるのだったら出かける前に職場の後輩に教えてもらった美味しいパン屋さんでパンを楽々調達できたのにと思いながら待つこと1時間、やっと乗り込みました。
郷里の上空を通過したと思われる頃、乱気流に遭ってひやりとしましたがなんとか関西空港に到着。トランジット後のフライトは比較的順調でした。
タシケントでは本来は乗り換えですが、遅れていることもあって(?)乗り換えなしに便名だけ変更して定刻にイスタンブールに到着しました。

帰り:
今回も1時間近く遅れてイスタンブールを出発、はじめてタシケント国際空港に足を運ぶことになりました。
空港の建物内部は内装がやや格調高い雰囲気ではありましたが、チェックインの機器は旧式、免税店は駅のキオスク程度の大きさしかなく、トイレも汚くてこれが国際空港かと言いたくなるほどでした。
成田行きの便はダブルブッキングが発生して2時間近くも出発が遅れたうえ、(乗客に何の説明もなかった(-_-#))私の座席は食事のときに使うテーブルが使用不能状態になっていたにもかかわらず何も対応してくれなかったので踏んだり蹴ったりでした。
国自体にはシルクロード時代の文化遺産がたくさんあるというのに、航空会社や空港がこんな状態では観光客の数は増えないなと思いました。

教訓:
・今度トルコに行くことがあったら直行便にしよう。(当然過ぎる?)
・ウズベキスタン航空のおやつタイムに出るピーナッツはとても塩辛いので合わせる飲み物を考えたほうがよい。

○ハマム体験記

事前に某社のガイドブックを見たところ、ホテルのハマムにはケセジと呼ばれるマッサージ師はいないと記載されていたので、「仕方ない、垢すりは自前でやるか」と普段使っている垢すり手袋を荷物の中に忍ばせました。
しかし、現地に行ってみると嬉しいことにマッサージ師がいるという情報が!
勇躍ハマムに向かいました。
ただし、マッサージはものの本によるとプロレスの関節技並みに強烈だということなので垢すりだけやってもらうことにしました。

①ブルサのキャラバンサライホテルにて
料金 入場:TL 1,300万(ただし宿泊者はTL 900万)
    垢すり:TL 1,000万
    マッサージ:TL 1,000万

ここのハマムは男女別に1つずつありました。
(ひとつの浴室を時間制で区切るところもあります。)
で、番台(?)で料金を払うとバスタオルよりは薄手の腰巻(なぜかチェック柄が多い)を渡され、更衣室で服を脱いで腰巻を身に付けます。
入ると大理石の台は暖められていなくてテーブル状でした。その代わり浴室の真ん中に浴槽があり、その周りに洗い場があります。
このあたりは日本の銭湯と同じ要領だと思って、まず洗い場でお湯を浴びて埃などを落としてから浴槽に浸かります。
そのあと大理石の台の上で垢すりなりマッサージなりを受けてからもう一度お湯を浴びておしまいです。
垢すり&マッサージをしてくれたのは屈強な(?)お姉様でした。  

②ネヴシェヒルのアルティノーズホテルにて
料金 入場:US$10
    垢すり:US$10
    マッサージ:US$10
    ※マッサージ師に料金の10%相当のチップ

ここは時間制なので、あらかじめフロントで予約しておいて、そのとき料金を払って伝票をもらっておきます。
で、予約時間になったら伝票と着替えとチップを持って出かけます。
更衣室で係の人に伝票を渡し、腰巻を身に付けて浴室へ向かいます。
ここのハマムは大理石が暖められているので、まずその上に横たわってたっぷり汗をかきます。
だいぶ汗が出たなというところで垢すりなりマッサージなりを受けてから洗い場でお湯を浴びておしまいです。(ここでチップを忘れずに!)
ここでも垢すり&マッサージをしてくれたのは屈強な(?)お姉様でした。

※垢すり自体は普段自分でやっているのに比べるとあまり力が入っているような感じはしませんでしたが、自分では手が届きにくい背中の部分のそれは快適でした。
 あと、暖められた大理石の上に横たわるのは血行が良くなるので冷え性気味の方にはお薦めです。
 今回泊まったホテルの中でもうひとつ、ヒルトン・イスタンブールにもハマムがありましたがここのハマムには行かなかったので料金やサービス具合は不明です。


夏のトルコ(3) 投稿者:あおば  投稿日: 9月11日(木)18時05分27秒

○観光編

・イスタンブール

入場観光したのはスルタンアフメット・ジャミィ(ブルーモスク)とトプカプ宮殿のみでした。
こちらはトルコを訪れる方々がよく行かれるところなので詳細は省きますが、トプカプ宮殿で見学時間の配分を間違えてハレムを見られなかったのが心残りです。
その代わり(?)もと台所だったという建物では「開運!なんでも鑑定団」で「いい仕事してますね~」と言われそうな陶磁器を鑑賞してまいりました。

・パムッカレとヒエラポリス

山腹に突如現れる白い石灰棚は写真などでも有名ですが、ひところは温泉の汲み上げすぎでその白さが損なわれたことがあったそうです。
そこで保護のために温泉の汲み上げを制限し、石灰棚での全身入浴も禁止してだいぶ復活したそうです。
現在は足湯のみOKなので、入りたい方は靴を入れる袋とタオルを忘れないようにしましょう。
入ってみたらお湯はあまり熱くなくて、できれば足を長時間浸けてみたいなと思いました。
#石灰棚をバックに記念写真を撮っている新婚さんがいた。(^^)
この温泉は古代から知られていたせいか、近くにギリシャ時代の遺跡もあります。
行ったのはポンペイを小さくしたようなヒエラポリスとネクロポリス(墓地)でした。

・コンヤ

トルコもエーゲ海沿岸から中央アナトリアに入ると緑が少なくなります。
コンヤは荒地の真ん中に突如都市が、という感じでした。
特に新市街はその傾向が強く、巨大ホテルや大学のキャンパス、マンションが林立しています。
マンションは建設ラッシュで、ガイドのYさんですら「何故コンヤにマンションがたくさん?」といぶかるほどでした。
ここでの観光はメヴラーナ博物館(入場)とカラタイ神学校(写真撮影のみ)でした。
メヴラーナ博物館は元はイスラム教の一派であった旋舞教団の寺院だったのですが、政教分離政策により博物館となりました。
展示物は祭祀用の調度品、マホメットのヒゲ(本当かな?)、コーラン、教団の創始者や弟子たちの棺などでした。
棺の上にターバンを乗せてあるのが面白いと思いました。

・カッパドキア

ギョレメ、ウチヒサール、オルタヒサール、カイマクル地下都市など、奇妙な形の岩とそれを利用した住居跡を心ゆくまで見ました。
岩山の隙間のわずかな平地には葡萄が植えられていました。(カッパドキアはワインの産地)地下都市はたまたま5月に行った長野の松代大本営跡と比べると、かなり地下深く掘ってあるにもかかわらず陰鬱な感じはしませんでした。
やはり戦争のために造られたのと住むために造られたのでは雰囲気がちがってくるのでしょうか。
ここでは昼食は洞窟レストランで取り(メインは鱒のグリル)、絨毯や宝石のショッピングも楽しみました。

・トゥズ湖

名前のとおりここは4月から10月まで塩に覆われます。
もちろん岸辺に製塩工場などもあったりしますが、トイレ休憩のために寄った売店にも塩のサンプルが置いてありました。
たくさんその辺にあるからといって漬物に使えるくらい大量に塩を取っていくのはマナー違反だと思うので、取るならサンプル程度の量にするのが無難でしょう。


夏のトルコ(4) 投稿者:あおば  投稿日: 9月19日(金)10時01分36秒

○イスラムの戒律編

「コーラン」はじっくり読んだことはないのでガイドさんの話の受け売りがほとんどです。

・寺院でのお祈り

1日5回のお祈りがあるのはよく知られるところですが、いつも寺院に行っていられる訳ではなく、金曜日には行くけれどあとはその場で、というパターンが多いそうです。
ドレスコードをかいくぐって(ノースリーブ、短パン、ミニスカートは禁止)寺院に入ると内部には絨毯が敷き詰められ、随所に下駄箱があります。
絨毯は半畳より少し狭いくらいのパターンの連続、という場合が多いですが、模様の1パターンが一人分の席に相当します。
席順は男性が前で女性が後ろですが、これは差別ではなくてセクハラ防止のためだとガイドさんが冗談交じりに説明してくれました。(^o^)
#暑い季節に寺院でのドレスコードにひっかかるのはアメリカ人が多いように感じてしまうのは偏見でしょうか。

・イスラムの朝はエザーンで始まる。

信者たちにお祈りの時刻を告げるエザーンは寺院のミナレット(塔)からお坊さんがライブで流します。 昔は塔にお坊さんがわざわざ登ってエザーンを流していたそうですが今は塔の上部にスピーカーが設置されているのでその必要はなくなりました。
「だからお坊さんが太るんだ」とはガイドさんの冗談です。
なお、一日のお祈りの時刻は太陽の動きに左右されるそうで、夜明け、太陽の南中、午後(この基準は不明)、日没、夜半となります。
したがって場所によりお祈りの時刻は少しずつ異なり、新聞に掲載されるほどだそうです。
旅行中はスケジュールの都合上早朝の起床が何回かありましたが、夜明けのエザーンでそれより1時間以上早く起こされることもざらでした。

○「トイレの歩き方」トルコ編

前項とも関連がありますが、イスラムの戒律で「水のあるところでは水で用足しの始末をしなければならない」そうなので、伝統的なしゃがみ式トイレでは、しゃがんだときの目線の高さに水道の蛇口と水桶があって、それがトイレットペーパーに相当するそうです。
(この種のトイレでは入口方向を見てしゃがみます。念のため。)
公衆トイレではそういうところがざらにありますが、ホテルのトイレは腰掛け式でした。
しかし、よく見るとタンクの脇に水道のコックがあって、水がスツールの中に出るようになっています。(これはフラッシュ用のコックとは別)
つまり、手動のウォッシュレット(←TOTOさんの商標)なわけで、「これならハイテク日本のとちがって故障の確率が低いからかなりいいかも知れない」と思いました。
トイレのチップは20万~30万TLでした。


夏のトルコ(5) 投稿者:あおば  投稿日: 9月25日(木)12時39分52秒

○飲食編

出発する前に気候の激変&寝冷えにより胃腸の調子を崩しかけていたのでひそかに危惧していたのですが、不幸にも予想が的中してしまい、4日目から正露丸が手放せない状態に陥ってしまいました。
そのため、かなりの種類の料理を食べ損ねるはめになりました。(>_<)

今回のツァーでは昼食や夕食でもバイキング形式を採用しているところが多かったように思いました。
やはり、私共のツァーだけで90人も参加しているし、他の国からのツァー客もかなりいたので、ひとりひとりに料理をサーブしている余裕がなかったのでしょう。

・メゼ

野菜や肉、魚などをタルタルソース状のもので和えたものと考えればまちがいないと思います。
色とりどりのメゼがあってどれにしようか迷うほどでして、見かけと味のギャップに意表を就かれることもしばしばでした。

・スープ

魚の入ったスープ、トマトスープ、豆の入ったスープが多く出されました。
豆入りスープは食べてみるとなんとなくざらついた食感で、ツァーのメンバーの方々と「これは何だろう?」と話しながら食べました。
店によっては紫蘇のような味がするスパイスを入れていたようで、酸味が効いていました。
トマトスープはトマトの自然な味がして、疲れた胃腸にはやさしく思えました。 

・魚料理

イスタンブール郊外のクムカプ地区で近海の魚、カッパドキアの洞窟レストランで鱒を食べましたが、いずれもグリル(ようするに焼き魚)でした。
レモンをかけて食べましたが、あらかじめ事情がわかっていれば醤油を持参してもいけると思います。
 
・肉料理

有名なドネルケバブは食べませんでしたが、キョフテや牛肉or羊肉の煮込み、チキングリルを食べました。
煮込み料理はコンヤのレストランで食べましたが、トマトソース仕立てで余計な味がついていなかったのがgood!と思いました。

・お菓子

お菓子は別腹!と言いたいところですが、種類が多すぎて全部食べるのはさすがに無理でした。
ビュッフェ台を眺めたところでは揚げ菓子が多く見られましたが、上記↑の理由でパスしました。
主に食べたのはシュトラッチ(ライスミルクプリン)でした。
以前、都内のトルコ料理店で食べたのと比較するとかなりこってりした食感でした。
※ドンドゥルマはクムカプ地区の屋台で見かけましたが、そのときに限って小銭がなかったり腹具合がおかしかったりして結局食べ損ねました。

・果物

美味しい果物が多くて楽しめました。
出されたのは、西瓜、メロン、葡萄、プラム、洋梨、桃、杏などでした。
あちこちのホテルのレストランでは西瓜の飾り切りが見られました。

・軽食

休憩のために立ち寄ったディナールという町は、蜂蜜とヨーグルトの産地です。
ドライブインに行くと、蜂蜜ヨーグルトを売っていました。
売り子さんが、皿に盛られたヨーグルトめがけてスプーンに巻き取った蜂蜜を放り投げるパフォーマンスを見せてくれます。
蜂蜜もヨーグルトも濃厚な味でした。一皿TL250万。

・酒類

カッパドキアでTurasanという銘柄の赤ワインを飲みました。
行く先々で奇岩の間に植えられた赤葡萄を見ていましたのでさぞや濃厚な味かと思いましたが、意外にも軽くて飲みやすいワインでした。ハーフでTL1300万。
イスタンブール最後の夕食時にラク(トルコ焼酎)を飲みました。
水で割ると透明だったのが白濁する様子もしかと確認しました。
アニスで風味をつけてあるので好みは割れるかも知れません。

・ソフトドリンク

チャイもトルココーヒーも各種ジュースも味わいましたが、いいなと思ったのはりんご茶でした。
少し時間をかけて淹れるとりんごの風味がよく出ると思います。
お土産に数箱購入しました。


夏のトルコ(6) 投稿者:あおば  投稿日:10月 3日(金)17時36分09秒

ショッピング編
 ○:買ったもの ●:買わなかったもの
○ナザール・ボンジュ

目玉の大きさや飾り紐の細工により価格は異なってきますが、カッパドキアはカイマクル地下都市近くの売店で10個入り一袋TL1000万のを購入。
仕様は女王様の旅行記の写真に載っているものとほぼ同じです。
※ヒルトンイスタンブール内のアクセサリー店で、友人がナザール・ボンジュをあしらったブレスレットを買っていました。こちらは\1000くらいだったと思います。
豆粒大の大きさのものは、買い物をするとおまけに貰える場合もあるようです。

●絨毯

トルコ名物といえば絨毯!ですが、買う気は毛頭なかったのでお店では工程見学(織り、シルクの糸取り、糸撚り、染色)と目の保養に専念しました。
店内には現在売られているものの他、アンティーク物(起毛が既に失われていて壁飾りと化している。国外への持ち出し禁止)やアタチュルクの肖像を織ったものなどが飾られていました。
織り子さんは10代~20代で、歳を取ると視力や指先が衰えてくるのであまり長くは仕事ができないそうです。

○トルコ石のアクセサリー

絨毯は買う気はありませんでしたが、こちらは買う気満々でした(価格によっては自分のだけでなく、家族のも)。
で、ショーケースを覗くと目的のトルコ石の他に、オニキス、マラカイト、ラピスラズリ、海泡石製のパイプなどが並んでいました。
まず、金台にトルコ石が嵌った指輪が目に留まったので値段を聞いたらカードを使えば払えなくはない金額でしたが、旅先ではじけるには躊躇するほどだったので止めにして(この段階で家族用のを買う気喪失)、目の保養に他の石のアクセサリーを眺めたあと、銀台にトルコ石が嵌った指輪を見つけたのでいろいろ試した結果、米粒大の石が嵌ったシンプルなデザインの指輪を購入。価格は切りの良い額にしてもらって90ユーロでした。 
※たまに身に付けて出勤しています。(デスクワークのみの日のとき。)

購入はしませんでしたが、「アンティークカラーのトルコ石」と称して一見オパールみたいな感じの石も売っていました。

○トルコ料理本

ヒルトンイスタンブール内の書店で日本語版のを購入。US$10。
読んでみたら、レシピが10人前という豪快さに驚くとともに、日本ではあまり馴染みでない食材も載っていて、再現できるかどうかやや不安になりました。

●トルココーヒー鍋

イスタンブール近郊の、高速道路のSAで見かけました。
コーヒー2~3杯分と思われる銅製の手鍋がTL800万だった記憶が。
メニューから外れていなければ三越デパート内の「カフェ・ウィーン」で実物は見られると思います。
 
○絵葉書

トルコの絵葉書の価格はかなり良心的でした。トプカプ宮殿そばのPTT(郵便局)で売っていたのが12枚セットでTL150万という安さ!
他でも1枚TL20万程度でした。
図柄はその土地ごとの風景というのは少なくて、国全体の名所の写真を集めたのが多く見られました。
購入はしませんでしたが、動物や土偶(遺跡からの出土品)の写真で、真面目に表現するなら「五穀豊穣・子孫繁栄」ものの図柄もあって笑えました。

○卓上カレンダー

トプカプ宮殿内の売店で購入。TL700万。
絵葉書と並んで海外土産の定番になりつつあります。

○トルコ紅茶とりんご茶(エルマ・チャイ)

絨毯屋さんで出されたエルマ・チャイが美味しかったので、空港の免税店で迷わず購入。普通の紅茶1パックとエルマ・チャイ2バック合わせてUS$10。

○ロクム(トルコ菓子のひとつ)

一見「求肥」に似た感じのお菓子に粉砂糖がまぶされていました。
自宅用と職場用に5箱購入。合計TL2850万。
このロクムというお菓子、かなり昔に大流行したという「ウスキュダル」(原題は"Katip"[秘書])という歌にも登場しています。
男女の愛情交換の小道具なのだとか。


夏のトルコ(7) 投稿者:あおば  投稿日:10月16日(木)08時20分42秒

トピックス

・ライセンスガイドの仕組み

観光業が主要産業である国では、ツァー客にはライセンスガイドを付けることが義務付けられているのはよく知られているところです。
そのガイドの営業区分は、イタリアでは州毎に与えられるそうですが、トルコでは担当できる言語毎に与えられるようでした。
私たち緑組の担当だったYさんは'87年からフランス語、'95年から日本語を担当しているそうです。
今日本でも「YOKOSO! JAPAN」というキャンペーンで外国からの観光客を誘致しようとしていますが、ライセンスガイドを付けるとしたら区域毎と言語毎とどちらがいいかな…と思っていたら既に「通訳案内業」という国家資格が存在していました。(これは言語毎)

・逞しき物売りたち

観光地ではよく物売りたちを見かけますが、トルコで目についたのは民族衣装を着た飲み物売り、土産物売り、パン売りでした。
#土産物売りは高速道路のゲートにまでやって来る!
パン売りはお盆にパンをうず高く積み上げ、それを頭に載せて売り歩きます。
何かあったらパンの山が崩れてしまうのではないかと見ていて冷や冷やしますが、器用にあちこちを歩いてはパンを売っていました。
私は買いませんでしたが、パンは1個TL30万くらいで、ドーナッツ状の形をしていて上にゴマがふってありました。

・トルコの結婚披露宴

ブルサのキャラバンサライホテルで、テラス席がしつらえてあったので何かと思ったら結婚披露宴でした。
テラス席を囲むようにして客室がありましたので、宴の賑やかな様子が手に取るようにわかりました。
なお、トルコでは結婚式で新郎新婦が乗るクルマはレースやリボンで飾りつけられるようです。

・帰国間際のアクシデント

トルコ最終日にホテルから空港へ向かっているとき、その事件は発生しました。
バスの下方にあるスーツケース入れの扉の閉めが甘かったのか、カーブを曲がるときにスーツケースが5個、対向車線に飛び出してしまいました。
幸いにして怪我人などは出ませんでしたが、飛び出したスーツケースがひどく変形したのは言うまでもありません。
で、それらは空港に着いたあと、ビニールでぐるぐる巻きにされて帰国することになりました。

・謎のテープぐるぐる巻き集団

イスタンブール空港でセキュリティーチェックを待っているときに見かけたのですが、荷物という荷物にすべてテープをびっしり巻きつけているグループがいました。
いったい彼らの正体は何だったのだろう?

ナザールボンジュ・ライン

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