哀愁のヨーロッパ

1978年、バイトで稼いだ金を持って、一夏、ヨーロッパを一人でうろついてました。
夏合宿に参加しないバツとして、SDCをヨーロッパに知らしめろと
クラブジャンバーの着用を義務づけられました。
背中のロゴのおかげをもちまして、行く先々の国のユースで「スチューデントダイバー」と呼ばれてました。
また、11期の藤代君たちが、「これを持って写真を撮って来てください」と、ダイビングフラッグを作ってくれました。
「第一次ヨーロッパ調査隊」と書かれています。
とても先輩思いの後輩達でした。

      

スイス ユングフラウヨッホにダイビングフラッグは、はためくのであった。 
こんな旗もってるとこ、日本人観光客に頼めないので、なに人かわからない人にシャッターをたのんだ。




スペイン グラナダでは、暑さでダイビングフラッグもグッタリ。


「サタデイナイト・フィーバー」という映画が大ヒットで、どこの国の街角を歩いても
ナイトフィーバ、ナイトフィバアァ〜♪と流れていました。
また、ブルースリー人気のせいで「カンフーできるか?」と、よく聞かれました。
JALパックの団体さんに、「日本人みたい」と言われたので、「ア〜リィガァトゴザイマス」と答えました。
日本を出るとき、「勝手にシンドバッド」という曲を聞いて「なんだこれ」と思って出かけましたが、
帰国すると大ブレイクしててビックリしました。

この夏、9期永井はセイシェル諸島に潜りに行き
今村はケニヤに旅立ちました。
永井は夏が終ると帰ってきましたが、今村は半年たっても帰ってきませんでした。