雑誌『モーアシビ』


『モーアシビ』は白鳥信也さんが発行しているマガジンです。
写真、詩、散文、翻訳、評論、などなど。“表現”すること満載の楽しくて自由な冊子です。
4号から詩作品が登場して、私の詩も載せていただいているのでご紹介しまーす。
興味のある方は、白鳥さんへご連絡ください。

モーアシビ 4号
モーアシビ 5号
モーアシビ 6号
モーアシビ 7号
モーアシビ 8号
モーアシビ 9号
モーアシビ10号
モーアシビ11号
モーアシビ12号
モーアシビ13号
モーアシビ14号



モーアシビ 4号(2006年1月)

初めて私の詩が紙上に掲載されました。
・・感動です。(*^^*)

この号から詩作品が登場しました。
私の詩「傘を杖にすれば」
白鳥信也さん「夕焼けを泳ぐ豆腐」
デイドロ・ドロシーさん「悩めるとき」
西田潤一郎さん「おさかなのひとりごと」
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モーアシビ 5号(2006年4月)

詩作品より。
北爪喜満さんの「探し出す」(写真&詩)
川上亜紀さんの「三月兎の耳をつけてほんとの話を書くわたし」
ディドロ・ドロシーさんの「「新しい自分」」
白鳥信也さんの「さらわれる」
私の詩「たいやき友だち」
2年前くらいに書いた作品ですが、一番うけが良かったかな。。
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モーアシビ 6号(2006年7月)

詩作品より。
北爪喜満さんの「密集」(写真&詩) 
北爪さんはデジタルカメラで撮られた写真から、 
言葉が歩き出すように詩を書かれています。 
「密集」の詩は、葉の上に雫が集まっている写真から 
言葉が歩き出していました。 

過去の少女が見上げた、稲妻の恐ろしさと妖しいほどの美しさ。 
あの、稲光を見ている時の、体の奥のざわめくような不思議な感覚が 
とても鮮明に描かれていて、惹きつけられました。 
そしていま、雨の降る、夜の窓を見上げていてる私がいて‥、 
紺色に染まってしまったカーテンは、私の心を映しているようでした。 
物事がどうしても絡まってしまったり、抱えているものがあったり、 
それらを引き開けたくても引き開けられないような‥、 
もどかしさを感じました。 
この梅雨明けして夏が始まる季節にぴったりの詩でした。 

白鳥信也さんの「しっそうする蒲田」。 
もうこの詩は最高です。 
カマタから電話のかかってくるくだりは、すごくお気に入り。 
最高にいい!としか言えません。(笑) 

私の詩「ネーブル」
「ネーブル」は、私にとってはとても大切な詩の一つになりました。 
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モーアシビ 7号(2006年10月)

詩作品より。
北爪満喜さんの「うわの空へ」(写真&詩) 
扉の、道端に咲いた花の写真がとても鮮やかできれいです。 
そのフィルターから覗いた、気持ちの波、の揺れ、が反射しながら 
詩の世界へと入っていく。夫のうわの空、私のキリキリと張り詰めていく 
気持ちの揺れ、そして(あッ はははははッ)と砕け散った、笑いの波。 
揺れる波のまま、私のうわの空へ。(すうー)と張り詰めたのが抜けて。 
楽になっていく感じがしました。 

渡邊十絲子さんの「ホテル観潮楼」 
ホテル観潮楼で行われる盆のまつりのお話し。 
本当は怖い童話のような。。 
ホテルから出ようとしても出ることができない。逃げようとホテルの中を 
歩き回っていると、(もうひとつの足音がはるかうしろからくる。) 
冷や汗が出てくるような詩でした。何だか思い出したくない悪い記憶が 
意識の中で黒い影となり、はびこってくるような感じでした。 

沢木春成さんの「心の中に吊るされた外部」 
心の中に吊るされた外部、空洞、手首、生首。。内から外へ。 
心の内部と外部を言葉の力で斬って見せつけてくれたような詩でした。 
沢木さんの詩はいつもユーモアがあって、言葉に魅力があります。 
この詩はいいです。心の中がざわざわとするような詩です。 

泥3C(デイドロ・ドロシー)さんの「夜に棲む」 
生活の中の私と他者を意識しながら、人生についてや自分とは?という 
ところも意識されているような詩だなぁと思いました。 
(最近懐かしい感じのする夢を見なくなった/その分悲しくなくなった が)
これ共感した! 

私の詩「ココロとカラダ」
でもね。3回くらい書き直したものなのですが、間違いがありました。嗚呼。
デスクワークをディスクワークと書いてしまいました。 
ドロシーさんに指摘されて気がついた。 
小さなィが入っただけなんだけれど、大きな違いだ。 
いったいどんなワークなんだ! 
私は時々間抜けなことがある。おっきく抜ける。がっくし(笑)。 

散文より。
川上亜紀さんの「携帯電話を買い換えるまでの長くて短いお話」 
これは『モーアシビ』5号の「三月兎の耳をつけてほんとの話を書くわたし」 
という詩の連作。深刻なほんとの話なのに、とてもコミカルに展開していく。
川上さんにしか書けないですよね。。 
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モーアシビ 8号(2007年01月)

頁をめくると、黄緑色が明るい。
細い草の茎にぷっくらとした雫が並んでいます。
北爪満喜さんの『表面張力、並べて』(写真&詩)
(細い草の茎だった/きりりと雫/並べていた/表面張力)
写真から言葉が浮かび上がるようにして、詩の世界に
入っていきます。型くずれになっていたから、雫の
ぴんと張り詰めた表面張力に惹かれて、近づいて覗き込む。
(一粒の 水なかには/空も地も映し込まれて/
 覗き込む私も 映し込まれて/しっかりしてよと/
 耐えている雫の表面張力が言う)
読み手の私にも、「しっかりしてよ」という言葉が
聞こえてくるようでした。
そしてこの雫から、涙をこらえたときの、目の奥の雫へと
意識が移されていきます。
(目の奥で/目の奥のなにもかも映し込んでいるのかも知れない)
(やりきれないことをきりりと包んで/きりりと/表面張力で
 いま見上げた空なんかも 映して)
・・・いい詩だなぁと思いました。
思わず目の奥の雫がふくらんで、うっかり表面張力が崩れそうに
なってしまいました。

辻和人さんの詩『満足』
(今は十一月の日曜の午前で/
 朝寝坊のぼくはまだ布団の中にいるんだけどさ)
語り口調で詩の中に誘い込まれます。
この夏に亡くなった叔母を思い出している。見舞ったときの
叔母の話の中で印象的だったのが、隣の小児病棟から聞こえてくる
子供たちの声、子供たちの立てる音が救いとなっているという話。
突拍子のない、計画性のない、突発的な子供たちの声、動き。
末期ガンでベットに縛りつけられていた叔母の唯一の救い。
子供たちは自由に駆け回って満足だし、その音を聞いて、
(目には見えない手に引かれて/まんまとふらふら浮遊する叔母も
 満足)だし、
(でもって/眠くもないのにいまだ布団の中にいるぼくも/
 まあ満足かな)
今日のぼくはなにやら起き出す力が湧いてこないらしい。
何か心に重いものがあるのかもしれない。
でも今、外から子供たちの遊ぶ声が聞こえてきて、叔母のことを
思い出して、子供たちの声を聞きながら、何か満ち足りてくる
ものがある。そして詩のラストが良かったです。
(・・・男の子の甲高い声を足がかりに/叔母が待っている
 中空に駆け上がり/手をつないで/・・・)
叔母は自由になったんだな。突拍子もなく、中空を駆け回って
いるのかもしれないな。そう思ったら、とても「満足」で、
でもって泣けてしまいました。

私の詩『こわがりなみるく』も、どうぞよろしくです。
話し下手な自分のことで、恥ずかしい作品ですけれど。。
登場人物は私の友達がモデルです。


今回も心に沁みる素敵な作品揃いです。
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モーアシビ 9号(2007年4月)

9号はすごい充実号です。詩作品が10篇も揃っています。
(まだ感想が書ききれていないです。。m(_ _)m)

頁をめくると、一枚の写真。
つるつるした幹が何本も伸びている林。そこに葉影がゆらゆら揺れて、
その向こうに青い海の穏やかな波が打ち寄せている。
北爪満喜さんの『保護区』(写真&詩)
崖っぷちの林の中を歩いてゆくと、木に巻き付けられていたプレートに
「魚保護林」の文字。
(えぇっ 木々の間を魚が泳ぐの)と思い付いてしまったところから、
わたしの意識がずれて・・・。これは外面(日常)の私と、内面の私との
ズレなんだなぁと思う。詩の言葉を紡ぎだすのは、そんなズレ、隙間からなのだ。
(朝早く電車に乗って/ここまでやってきた)
(ガイドブックにのっている崖から崖へと掛かるつり橋までゆきたくて)
日常の私も、どこかギリギリのところを歩いているようです。
(誰とも言葉をかわしていない
 わたしの足元を群れなして魚が泳ぎ巡っている)
林の中を歩きながら、わたしの意識の中で音にならない言葉が溢れて、
魚になって泳ぎだしている。(見えない魚だって守られる)
わたしの意識の中では、どんな言葉であっても、守られているけれど。
(崖から崖へ/めまいのように裂け目に掛かる高い吊り橋)
を渡るのはきっと怖い。だけど。
(渡りきってしまったら/こんどは別の魚たちが/
 もっと険しく切り立った裂け目をみつけ/泳ぎだす)
私の内面の深いところを切り裂いていくようです。
外面には現れない、心の深い深い(はるか下の渦巻く波)を掬い取って
泳ぐ魚を私は抱えている。(崖っぷちの林が続く)
「保護区」という言葉がなんだか胸に痛い。

渡邊十絲子さんの詩『オキナワ興国ホテル』
7号に引き続き、ホテルシリーズです。

ディドロ・ドロシーさんの詩『不在』
待ち望んだ人との待ち望んだ再会。だけどその人は、約束の場所に時間になっても
現れず、私は雨の中を立ち続ける。終電もなくなってしまった。
それでも私は恨みには思わない。その人を待つという時間が、私の生活の中に出現
したことが私には刺激的で、その人が出現することに匹敵する時間だったと言う。
どんなにその人の存在が私にとって大切なものかが伝わってくる。
結局安いコーヒーショップで時間を潰して翌朝始発電車で帰宅し、仕事を休み、
堕落するように眠る。そして目覚めたら、今度は不安がやってくるんですよね。
(私はもしかしたら約束の時間を間違えていたのではないだろうか)
待ち人が現れないというのは、心にぽっかり穴を開けるものですね。
なんとも言えない不安。
それでこの詩のすごいのは、翌日もまたその翌日も毎日、仕事を休んで、
2時間半も電車を乗り継いで待ち合わせの場所に行く。あの人の痕跡をあの人の
不在を感じ取るために。ついには辞表まで出してしまう。
(晴れて気兼ねなくあの人を待つことができるようになった。)
あの人の存在というものが曖昧になっていく。あの人の輪郭がぼやけていく。
 (あなたは行ってしまった/いいえ 初めから此処にはいなかった)
 (あなたは行ってしまった/いいえ 此処にいないことは知っている)
 (あなたは行ってしまった/いいえ 此処にいたことなどなかった)
 (あなたは行ってしまったのか?/いいえ 存在したことすらない/
  存在したことすらない?/いいえ 存在しても気がつかない/
  行ってしまったとつぶやくことで/かろうじて気配のみ感じられる)
 (あなたは行ってしまった/あなたは行ってしまった/あなたは行ってしまった…)
いったいあなたは何者?あなたは何処にいるの?あなたの存在とは?
そして最後に(ただ、待つ。)と・・・、とても劇的な詩でした。


私の詩「ファンデーション」
女性ならよくありますよね?ファンデーションが粉々に砕けていること。
ある朝、出勤してぼーとしたまま、ファンデーションのケースのふたを開いたら
バラバラバラとこぼれ落ちて、うわぁ〜あ〜あ・・・、とビックリして、
しばし呆然。こぼれ落ちた残骸を拾い集めながら、言葉までするすると
こぼれ落ちたところから書き始めた詩でした。
新しくすると言うこと、使い捨てると言うこと、捨てきれないもののわだかまり
そんなものが心の中に渦巻きました。
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モーアシビ 10号(2007年7月)

もう10号まできましたね。すごいすごい。(^^)

道端に夕日を受けたシイの実一粒落ちている。(写真)
北爪満喜さんの写真&詩『それは道しるべですか?』
シイの実がところどころに落ちていて、ふと気付く。
しるべは、しらべになって、シイの実が落ちて音をたてる。(カチッ。パララ。)と。
それは(耳の奥の記憶の秋の 歩いている私の足元)からも音がして、つなげようと
している。追っていったら、(今日歩いていた夕日の舗道に/シイの実が落ちた瞬間)
で、実っていたものがあると気付く。ところどころに落ちていたシイの実は、
人生の道しるべみたいだと思いました。
一粒一粒拾って歩いたら、どこに辿り着けるだろうか。私はその時その時でちゃんと
実ってこれただろうか。これからも実るものがあるのだろうか。そう問いかけながら、
私も掌の中にシイの実を握ってみました。

松本真希さんの詩『浴室にて』
(はいつくばって 風呂をみが)きながら、(なにがたいせつなことなのか/
わからないまま/生きていてもよいものか)と自問している。
そう、思うがままには生きられないなぁ。人生はままならぬものだ・・なんて
納得したつもりでいるんだ。(←これは私の独り言)
風呂をみがいているわたし、ホントは熱い感情があるのに・・・・。
(人にはわからないことがある)そう、わからない。わからないことだらけです。
だけど(とほうに暮れたまま)でも、生きていけるのですね。
所々で胸に沁みる言葉がありました。

辻和人さんの詩『いたっていいじゃん』
幽霊が、いちゃうんですよ。
公園の鉄棒で逆上がりをしようと果敢にチャレンジしている70年代初めくらいの
子供たちの幽霊が。蘇らせちゃったのは、どんなちからだろう。目に見えない
何かだろうか。ぼくは心配している。(鉄棒が撤去されたらお前たち、どうするの?/
公園がなくなったらお前たち、どうするの?)どんどん変わってしまって、
いつの間にかなくなっているものがあるんだ。
私たちは気付かないうちに、失くしているものがあるのかもしれない。
(なるたけ頑張ってそこにいてね)って幽霊に話しかけている。幽霊は失くして
しまったものたちなのかもしれないなと思った。

沢木春成さんの詩『幽かな人たちの名前』
とてもユニーク。だけど味わい深い。人の世を思わせられます。
とても好きな作品です。(そのそれぞれの<人の名前>という現場)とは、
この社会のことのように感じられます。
詩の中に、いろんな人の名前がでてきます。みんなそれぞれ生きているんです。
(見えないような幽かな人たち)であっても。

デイドロ・ドロシーさんの詩『両面太鼓(ムリダンガム)の思い出に』
ムリダンガムとは、南インド古典音楽で使われる両面の太鼓のようです。
熱風、大地の色、異文化の刺激。私に流れ込んだ、リズム!
(確かに、あのとき新しくなった)そうだ、全身で感じよう。
躍動感のある詩でした。

白鳥信也さんの詩『朝、走る』
通勤ラッシュのレース中継。思わず笑ってしまうけれど、必死ですよね。
読みながら、走ってしまいます。汗汗汗。この詩は朗読して欲しいです。

渡邊十絲子さんの散文『十八年、働いてきました』
ある仕事の、黒衣であった話。実に興味深い話です。
(黒衣であることは、公表しない。)ということだから、読んだ人だけの胸に
ひっそりとしまいましょう。
ただ、若い担当になられた女性、第二と第三の人は、もう少し人の気持ちや
思いを感じて欲しいです。仕事だからと、事務的に割り切ってしまうのは、
最近の人たちなのでしょうか。

平井金司さんの散文『山菜接待裏事情』
この時、山菜接待に与ったのは私もです。。一週間前から準備をして
いただいていたとは・・。大変お世話になりました。
平井さんの山菜料理はとても美味しかったです。
その時の旅日記(ブログ)です。


私の詩は、『タイムカード』
朝の出来事から、何気なく書いた詩です。
そう地下鉄での出来事の後、バス停でバス待ちしながら言葉が浮かんできたのでした。
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モーアシビ 11号(2007年10月)
先日の10月8日に、モーアシビ10号発刊記念朗読会『秋の隠れ家 〜白い箱〜』を
催しました。たくさんの方にご来場いただきました。ありがとうございました。
私にとっては胸の高鳴る経験でした。とても楽しかった!
最近は朗読会に行くのが楽しみになりました。

さて、モーアシビ11号ができました。

頁をめくると。。工事現場を囲った有刺鉄線にとまった綿毛が白く光っている。
北爪満喜さんの写真&詩『気に掛かったこと』
オトウサンの夢。
(夢にみる人は生きているのが前提なのに /夢の中のオトウサンは死んでいた)
夢にみる人が死んでいるってどういう感じなのだろう、と思い巡らす。
私は殆ど夢をみない。(※後で北爪さんに聞いたところ、寝ている私の理性が
「お父さんはもう既に亡くなっている」と意識したのだそうです。)
この詩では、現実のオトウサンも死んでいるのだけれど、夢にみるなら生きている
オトウサンのはずなのに、夢の中でオトウサンは死んでいて、死んでいるのに
畳から起き上がろうとするオトウサンに、死んでいるのだから起きてはいけない、
と説得して困っている私。という夢。
詩の最初の1行に(そのことは 何を意味するのですか)と問いかけられている。
夢診断というのがあると思う。夢は何か潜在意識の表れなのだろうか?
だけどこの詩は、その夢が「気に掛かって」いるのだけれど、ぽろりとこぼれた
元気なひとことから、夢の意味を(なにか困ったことに囲まれたら/
囲まれてしまったら/困っていなくてはならないというわけではないかもしれない)
と前向きに受け止めて、朝起きてプランターの植木に水をあげながら、木の根も葉も
プランターの大きさ(囲む容器)などお構いなしに伸びようとしてゆくのに気付いた、
と朝の清々しさへと結ばれていく。


浅井拓也さんの詩『ウサギ狩り』
熊狩りに続き、胸に迫ってくる詩でした。
今日は青空で、昨晩の小雪により、本日はウサギ狩り日和なり、という朝のようだ。
(心の中には重いものがあるけれど/今日は誰がなんと言ったってウサギ狩りだ/
行くしかない)作者の心境が切々と伝わってくる。猟場に着いて、銃を下ろして、
(頼むぞ銃よ)と呟く。
狩猟の経験など全くない私に、その緊張感が厳しく感じられる。
(カンジキを付け雪に踏み入る/キラキラと雪がダストのように舞い綺麗だ)
雪山の朝の美しい風景が目に浮かぶ。
私も毎年スキーに行くので、あの美しさには感動です。
(厭なことはとりあえず何処かに仕舞って置こう)と思いながら雪山に踏み込んでいく。
山肌にウサギの足跡を見つける。あの辺りにいるかもしれないと狙いをつけて、
銃に装弾を込めて少しずつ近づいて、
(呼吸の意識もないまま意識だけが先を走り雪山に銃の音が響く)
緊迫感が伝わってくる。仕留めたウサギの後始末をして、背中にかつぐ。
元の静寂に戻る。
狩に出て、獲物を捕らえたら?ヨシ、シメタ、ヤッター、と思う?
作者は、殺されたウサギの死骸の温かさを背中に感じて、(自分は罪人)
(残虐なハンター)と自分を責めている。
(この白い無垢な世界の真ん中で雪山と同化出来たならどんなに良いか)と願う。
ウサギは白く雪と同化した無垢な生き物なのだと感じさせられる。
朝の気分とは一転して、体はだるく足取りも重い。だけど作者は、
(重い足取りを引きずる事をもっと楽しみたい)と言う。自分の罪の重さを
引きずっているように感じられる。
帰り着いて、ウサギは皮を剥がれ、ぶつ切りにされて、鍋に放り込まれる。
(死んでウサギ鍋になってしまったウサギをかじる/まるで自分を食っているようだ)
(雪山に自らの逃げ場を失った感情を放り出し/それをただ集めてまた体に戻している)
自然の中で生きる過酷さ、それに重なるようにして、人の心の矛盾や、やり場のない
感情を痛切に感じさせられた。


私の詩は、『オルゴールが泣いている』
これは自分にとっては救済の詩なのだけれど、もう自分のために書く詩はこれで
最後にしたいと思う。どんな風に読まれるかな。。
これも愛情の形の一つなのだと、そんな風に読んでいただけたら幸いです。

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モーアシビ 12号(2008年01月)

2008年、今年も詩を心の支えに・・。モーアシビ12号です。

テーブルの上に活けられたガーベラが鮮やかなオレンジのままで顔を伏せています。
北爪満喜さんの写真&詩『テーブルの上に手を伏せました』
テーブルに手を密着させる。その固さは掌をじっと支える。固さの感触から子供のころの
記憶へと、掌が覚えていたあの固さの感触へと繋がっていく。
あの時の両掌に載せて支えた固さ、冷たくなってしまった猫のくろ。支えたあの時の私。
テーブルに伏せた私の掌の固さに、あの時の私とくろが蘇って、今の私を支える。
心の奥深くにある支えを力強く感じました。

川上亜紀さんの詩『土星元年』
生年月日の数字をあてはめて計算するとあなたは○星人と割り出される占い。
土星人の私は食べられる植物をベランダに育てていて、転職しようと去年の夏から洋裁をはじめて、
さてさて土星人の今年の行方は?というところをコミカルに描かれていてとても楽しい詩です。
2008年が転機になるといいですね。なんでも「引っ越すなら2008年の年明けである」とのこと(笑)。

松本真希さんの詩『石っころ』
子供が拾ってくる石っころ。(すててもすてても/石っころがへらない)
いとしく子供の掌に包まれる石っころを思うと微笑ましくなります。
いろんな形の石。石にも(土のきおくをとどめていて)わたしにもただの石っころには
できなくなってしまうような感じ。石っころ石っころ、だけどいまはだんごむし。
温かい気持ちにさせられる詩でした。

沢木春成さんの詩『溢れこぼれる雪』
(深淵/二つ)に惹かれて読み進める。(自分をぼかして/底にある 雪降る深淵を/
瞬きもせず凝視しているうちに/自分が深淵と入れ代わったみたいになる)
(闇は外にあるのか内にあるのか)何か心の深いところへ、雪が底へ底へ舞い落ちていくように、
しずしずと沈んでいくような、緊張感のある詩で、だけど魅力があって、胸に沁みました。
二つの深淵は何を現しているのだろう?と思っていたのですが、先日ご本人にお聞きすることができて、
沢木さんにとっての心にある二つの故郷を現しているとのこと。
それを思って読むと、さらに深い味わいの詩でした。

白鳥信也さんの詩『降りたことのない駅で下車しなさい』
とても面白い詩です。(今まで、降りたことのない駅で下車しなさい)で始まります。
〜しなさい。〜すること。と、どんどん街中を歩かせて、迷子にさせます。
それがとっても面白い。十分に迷ったあたりで、迷った私を外側から見る。
迷ってもいいんだ。迷え迷え。十分に迷ったら、立ち止まって自分を見つめてみろ。
それだけでいい。そしてまた歩き出せ。と勇気づけてくれる詩です。

私の詩は、『ゆらゆらの日』です。
迷っている私の姿が見えてきますね(苦笑)ゆらゆらと。

そして散文では鈴木志郎康さんが、白鳥さんの詩集『ウォーター、ウォーカー』の
一篇ごとの詩の解題と書評をされています。
「一冊の詩集は何を語るか 一冊の詩集を何処まで読めるか」というテーマで
批評されていて、とても深く言葉を受け止められています。

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モーアシビ 13号(2008年04月)

【目次】

詩
 位置として、柔らかな風           鈴 木 志郎康
 のむ                    松 本 真 希
 軌跡の姿                  辻   和 人
 問いかけたい                五十嵐 倫 子
散文
 失われた言葉を求めて・その2        福 田 純 子
 ある調理場の事情              平 井 金 司
 風船乗りの汗汗歌日記 その12       大 橋   弘
 石屋巡りイン・ベルリン           呉 生 さとこ
詩
 扉を押して                 北 爪 満 喜
 山菜採り                  浅 井 拓 也
 前置きはいいから突き放して辺涯まで     沢 木 春 成
 カウントダウンしている      泥C(デイドロ・ドロシー)
 かの名高き者たちの旅            白 鳥 信 也
翻訳
 月 蝕 9   ヴラジーミル・テンドリャコーフ/内山昭一訳
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モーアシビ 14号(2008年07月)

【目次】

散文
 石売る人々、石買う物好き・・・仏サン・マリーミネラルショー
                       呉 生 さとこ
 テレビ爺さん                本 多 橋 二
 JRの火災について報告させて下さい     川 上 亜 紀
 風船乗りの汗汗歌日記 その13       大 橋   弘
 失われた言葉を求めて・その3        福 田 純 子
詩
 ひと粒の雨とブドウの実(写真&詩)     北 爪 満 喜
 振替乗車                  五十嵐 倫 子
 ハッカの味                 辻   和 人
 境界線                   ブ リ ン グ ル
 俺は叫び、そして結ぶ            浅 井 拓 也
 晒すなら今            泥C(デイドロ・ドロシー)
 かの名高き者たちの旅            白 鳥 信 也
翻訳
 月 蝕 10  ヴラジーミル・テンドリャコーフ/内山昭一訳
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