『昔の名前』(36x30)

寝室に入ると、TVがついているのに刹那はベッドの上で新聞を広げ、その上で小型ラジオの修理に熱中していた。寝巻き姿のくせに、色気のないことおびただしい。ガデスの声はつい尖った。
「みてないなら消しとけ」
「あ、ごめん。音だけ聞いてたんだ」
刹那は悪びれることなくTVのスイッチを切り、ラジオの裏蓋をしめて新聞を畳んだ。
「よし、これで聞こえるよな」
「どれ、見せてみろ」
刹那の手からラジオを受け取り、つまみをあわせてみる。アンテナがいいのかかなり遠くのFM局まで入るようだ。ガデスはベッド脇のテーブルへラジオを置きながら、
「なかなか感度がいいな。夜のせいもあるだろうが」
「昼もよくないと困るんだ。畑仕事しながらききたいんだから」
「農作業がそんなにシンドいのか?」
「ん……そういう訳じゃない」
駈け落ち同然に二人が軍を抜けてから三年。
超能力実験に身体を蝕まれ、超能力を失うと同時に、成人男性としての基礎体力を維持することすら難しくなった刹那をかばいながら、ガデスはとある田舎町に流れつき、町外れに小さな家を構えた。刹那は家庭菜園の規模からはじめて徐々に自分の畑を広げていた。耕作はつまり刹那のリハビリがわりなので、ガデスはできるだけ協力してやっていた。
「ラジオでもかけねえとやってられねえってなら、もっと俺が手伝った方がいいのか?」
刹那は首を振った。
「そういうんじゃないって。田舎にとじこもってると情報が入ってこないだろ。ある程度、世間の動きを知っておかないと危険なんじゃないかと思って」
「サイキッカー狩りのことか? 俺なら心配ねえぜ。誰が襲ってこようが返り打ちにしてやる。それともおまえ、俺の強さを疑ってんのか?」
「疑ってなんかないよ」
「ま、別に構わねえがよ」
刹那は田舎で生まれ育ったせいか、都会生活への憧れがかなり強い。軍などに入り込んでしまったのはほとんど間違いのようなものだった。まあ都会好きでなくとも、田舎で二人きりでひっそり、という生活は寂しいものだ。少しでも人の声がききたいと思う気持ちもわかる。本当はガデス自身も、こんな所でくすぶっていられる柄ではないのだ。こんな地味な生活に甘んじていられるのは、ひとえに刹那が大事だからで。
とにかく、優しくしてやりたい。
その不安も疲れも抱きとって、ぜんぶ忘れさせてやりたい。
ラジオからは、遠い国の恋歌が低く流れ出している。
「……刹那」
「ん?」
ガデスは刹那を胸の中にさらいこみ、ぎゅうっと抱きしめた。
「あ」
刹那の身体に緊張が走った。
彼の体調がすぐれないことが多いため、二人で暮しはじめてから、一緒のベッドに寝ていてもしない晩が多い。それゆえ、久しぶりの行為から引き出されるのは快楽よりも痛みだった。たとえそれがどんなに愛する相手とであっても、身体はすぐには柔らかくならないのだ。
「ガデス……」
頼む、するならゆっくり、と言おうとした瞬間、ガデスの囁きが耳に吹き込まれた。
「刹那」
「ん」
吐息にうなじをくすぐられて、刹那は軽く身悶えた。
「刹那……」
そのままベッドへ押し伏されたが、ガデスはただ刹那を抱きしめているだけだった。
「ガデス?」
ガデスは、くりかえしくりかえし刹那の名だけを呼んだ。その都度、刹那の身体から少しずつ緊張が抜けていった。不思議だった。いつものガデスなら、指で、掌で、口唇で、ゆっくり身体を開いていくところなのに。
ガデスの温もりと半身にかかった重みと低い囁き声は、いつの間にか刹那をとろかしはじめた。
「刹那」
胸の奥が甘くうずく。
ガデス、俺のこと、本当に好きなんだ。
だって、こんなに真剣な声。
俺の名前以外、言葉を知らないみたいに繰り返すのは、言葉が出てこないから?
そんなに気持ちが高まってるなら、早く犯して。
強引でもいい。
だって俺も、なんだか、もう。
「刹那……おまえ、名前呼ばれるの、好きだよな」
「え」
「呼ばれるたびに、ビクッて震えるだろ。まだ俺が触ってもいねえのに、こんなに熱くしてよ」
布越しに前をさすられて、刹那はア、と喘いだ。
「俺が欲しいか?」
「ガデス」
恋人の眼差しの厳しさが気になったが、刹那はこくりとうなずいていた。
「うん。来て……」

深く差し貫いた刹那の腰を抱えて軽く揺すりながら、ガデスは相手の名を呼び続けた。
その度、刹那の中はきゅっと引き締まる。丁寧にほぐされ濡らされた後で、内壁はすっかり熱く溶けていたが、ガデスに囁かれる度に締めつけてしまうのだ。名を呼ばれるのはたしかに好きだが、さっきのガデスの言葉の暗示にかかっているともいえた。おかげで本当に身体が震えてしまう。
「刹那……」
絶頂寸前のところで、ガデスは刹那を焦らし続ける。
目をきつく閉じた刹那の視界は真っ白で、自分を犯し続けている恋人のこと以外なにも考えられない。少しでも長くこの快楽を味わっていたい。胸は切ないが、苦しさはなかった。怖いぐらい感じてる。ううん、怖い。達ったらこの喜びから降りなければいけないなんて、嫌だ。
でも、もう、我慢できない。
「っ……!」
刹那は口唇を噛んで声を殺した。熱い体液がほとばしる。
だが、ガデスはそのまま終わろうとしなかった。久しぶりで飢えているのか、刹那の名を呼びながら挑み続けてくる。
「刹那……」
「う」
驚いたことに、呼ばれると、一度萎えた熱情があっというまに蘇ってきた。
なんでだ。
俺、こんなに淫乱だったのか。
ガデスが一生懸命だから、引きずられてるのか。
嬉しいけど、なんだか駄目になっちゃいそうだ。
「ガデス……もう……」
「まだだ。まだ終わらせねえ」
しつこく責めたてられて、刹那は思考を失っていった。
ああ、もうなんでもいい。
だって、気持ちいい。
ガデス……もっと俺の名前、呼んで……。

刹那が目ざめた時、もう明け方が近かった。
身体はだるかったが、ガデスが綺麗に後始末をしてくれていたし、気持ちはさっぱりしていた。情熱的に愛されるのはやはり嬉しい。身も心も満たされる気がする。
ラジオは小さいボリュームで恋歌を流していた。少し前の、刹那がまだ軍にいた頃の流行歌だ。ガデスと一緒に飲みにいった時、酒場で流れていたっけ。
「懐かしいな」
呟いた瞬間、刹那に背を向けて眠っていたガデスが身じろいだ。
「……刹那、よ」
「何だ?」
「昔が懐かしいか? 軍にいた頃が」
「え」
ガデスの声に妙な険を感じて、刹那は口をつぐんだ。
いったい何を怒ってるんだろう。
まるで、懐かしいといけないみたいな口調だ。
どうして懐かしんじゃいけないんだ。ガデスと出会えたのも軍に入ったからなのに。軍時代の思い出が全部美しい訳じゃない。少佐に捨てられた時は、死ぬほど辛かった。でも、ガデスが俺を身体ごと心まで抱きしめてくれた。あの日から、俺の幸せは始まったんだ。
それなのに。
恋人が口ごもってしまったので、ガデスはあたらめて口を開いた。
「刹那」
「うん」
「おまえ、昔の名前、なんてんだ」
どういう意味だ。
刹那は眉を寄せた。
「知って、どうするんだ?」
ガデスは低い声をさらに低くして、
「本当の名前があるだろう。ウォンに記憶をいじられて、忘れちまった訳じゃねえだろ」
「覚えてはいるが」
「なら、教えろよ」
「何故だ」
ガデスはふと黙ってしまった。
「何故なんだ?」
刹那が重ねて問うと、ガデスの肩が少し揺れた。
「だっておめえ、名前を呼ぶと、あんなに乱れるじゃねえかよ」
「うん、だから?」
「だから、ウォンのつけた名前で呼びたくねえんだ」
「えっ」
嘘。
今さら焼き餅?
何年前のことだと思ってるんだ。そんなのもう、時効だよ。
刹那は、しばらく言葉が出ないでいた。
実は、嬉しかった。
昨日の夜、ガデスは最初はするつもりでなかったことに気付いたからだ。
あれは、ふっと気持ちだけ先に溢れて、それで言葉をなくしてただ抱きしめてたんだ。なのに、俺が反応しちゃったから。少し怖い顔をしていたのは嫉妬のせい。しかも、ものすごく可愛い嫉妬。
ガデス、そんなに俺のことが。
「教えろよ、刹那」
重ねて問うガデスの背に、刹那はそっと身を寄せた。
「俺の本当の名前は、刹那だ」
「なんだと」
「昔の名前は本当の名前じゃない。その頃俺は、生きてても人間じゃなかった。ただのクズだった。俺が本当に生まれたのは、ガデスの腕の中でだ。その時ガデスは俺を刹那って呼んだ。だから、俺の名前は刹那以外にないんだ……わかるだろ?」
ガデスはパッと身を起こした。
刹那の表情を確かめるために。
その言葉の真偽を読み取るために。
「ガデスに呼ばれる時だけ、震えるんだ」
菫いろの瞳は、これ以上ないほど澄み切っていた。
何の迷いもない、真摯な眼差し。
「刹那」
「あ」
抱きすくめられて甘い吐息をもらしながら、刹那は尋ね返していた。
「じゃ、ガデスは?」
「何がだ?」
「ガデスって傭兵になる時につけたコードネームだろう? 本当の名前は別にあるんじゃないのか」
「知りたいか」
「やっぱりあるのか?」
「おまえだけに教えてやる」
ガデスは口の端をニッ、とつりあげた。
「……おまえと同じだ。おまえの呼ぶ名が本物の名前さ」

(1999.10脱稿/初出・恋人と時限爆弾『ずっと/そばに/いるよ』2000.4)

『I believe in Miracle』(41x35+6)

1.

日が、暮れてきた。
「そろそろ帰るぞ、永遠」
畑の収穫が一段落して、たまには親子三人で遊びに出かけようということになった。牛の世話などは人に頼み、彼らは車を出して遠くの遊園地までやってきた。二泊三日の立派な旅行だ。ピクニックのようなことは何度もやってきたが、こういう旅行を家族揃ってするのは初めてで、子供の永遠(とわ)はいつになく興奮していた。
「父ちゃん。もういっかいだけ、メリーゴーランドにのりたい」
「わかった。あと一回だけだぞ」
「うん。あと、父ちゃんもセツナも、いっしょにのって」
「あの馬に、いっぺんに三人は乗れねえだろう」
「だから、べつべつのおうまさんでいいから。ねえ、のろうよ」
永遠はしきりにガデスと刹那の袖を引く。こんな風にこの子がねだるのは珍しいので、二人とも根負けしてメリーゴーランドに乗る。三頭並んでいる馬の一番外側が刹那、その内側が永遠、一番内側にガデスがのって、メリーゴーランドは回りだす。馬はゆっくり上下して、乗っている三人を揺らしだす。
高台にある遊園地で、さらにその高い場所に設置されたメリーゴーランドからは、周囲の景色がよく見えた。
沈みかけた夕陽のきんいろと薔薇いろ、地平線を染める薄青い闇のいろ。
刹那は、落日に見とれた。
日の傾きなど今まで何千回も見ている。美しい夕焼けを見たのは初めてではない。
それでも、胸にのこる景色に思えた。
ガデスは微苦笑を浮かべて乗っていたが、頬を染めた永遠のはしゃぎぶりと、静かに景色を追っている刹那の横顔を見ているうち、だんだん真顔になってきた。
刹那。
綺麗だ。
綺麗だが、どうしておまえはそんなに寂しそうな顔を、してる?
メリーゴーランドはゆるゆると回転を止めた。
ガデスは、永遠を馬から降ろしてやる。
「ああ、おもしろかった。ありがとう、父ちゃん」
永遠は満足したらしかった。子供向けのジェットコースターより何より、永遠はメリーゴーランドが好きなようだった。ただ飾りが華やかなだけ、ただぐるぐる回るだけの乗り物なのだが。幼い子というのは、刺激より穏やかさを望むものなのだろうか。
「じゃあ、もう、ここを出てもいいんだな?」
「うん。ちょっとおなか、すいちゃったけど」
「じゃあ、軽く腹をこしらえてから出るか。なあ刹那」
「そうだな」
刹那の返事は少し細くて、ガデスはまた不安にかられた。
それを打ち消すように、恋人の肩を抱き寄せる。
「なんだ、おめえまで腹のへった声を出してやがって。なら、ちゃんと飯くえる所に行くか」
「そうだな」
刹那は淡く微笑んだ。
「腹が減っては戦さができぬって言うしな」
「いくさ?」
永遠がけげんそうに見上げる。
「いくさってなあに?」
刹那は優しく見おろした。
「なんでもない。物のたとえさ。さあ、行こう、永遠」

「ねえ。きょうはどうしてお外にとまるの? きのうはホテルだったのに」
日がすっかり落ちると、大人二人は車を野外に止め、野原にテントをはった。永遠が不思議に思うのも無理はない。食事もすんだし、ホテルへ行かないなら、そのまま家に戻ると思っていたのだ。
刹那が先に説明する。
「永遠は、ホテルでお泊まりをしたことがないだろう。ああいう場所に慣れるために、昨日はホテルに泊まったんだよ。今日は、別のことをやるから」
「べつのこと?」
ガデスが言葉を添える。
「ああ。野外の実践訓練だ」
「じっせんくんれん?」
「ああ。ピクニックの時、よくやってるだろ?」
永遠は少し考え込んで、
「ええと、また、ちずをみないであるくの?」
「そう。あれだ」
ガデスは永遠に、戦闘のイロハを少しずつ教えていた。自分の身を守るすべを、この子にも教えた方がいいと感じていたからだ。例えば、知らない場所へ行っても、なるべく地図をみないで移動させ、土地勘を養わせる。その時、無駄な怪我をしない歩き方を教える。その他基本的なことも――むやみに食べ物や水を口にいれるな、誰かに囲まれたら開けていない場所へ逃げ込め、武器が何もない時でも最低限砂だけは集めておけ、足跡も消せるし目つぶしにも使えるからな、などなど。
永遠はのみこみが早かった。ガデスは教えがいがあった。
「匍匐前進、おぼえてるか? やってみろ」
「ほふくぜんしん? わかった」
永遠は草むらにつっぷして、膝と肘を動かして器用に進んだ。
「これでいい?」
「いや、まだ駄目だな。膝をできるだけ閉じて進め」
「そしたら、うごくのおそくなっちゃうよ?」
「敵から撃たれる時に弾をよける姿勢なんだ、なるべく身体を縮めて、弾のあたる面積を減らさねえとな。膝を閉じても早く進めねえと、意味がねえ」
「わかった」
永遠は一生懸命やる。ガデスは合格を出した。
「よし。今日はそんなもんでいいだろう。次は、攻撃の復習だ」
「うん」
「最低限、武器はナイフを持て。銃がなくとも、これでなんとかなる場合がある。ただし、一撃で決めないと駄目だ。永遠、人間の急所はどこだ?」
「からだのまんなか。上から下まで」
「そうだ。相手に打撃を加える時は、身体の中心線だ。で、ナイフの場合はな」
ガデスは刹那を立たせて、その身体を指し示しながら説明する。
「ナイフを使う時の急所は、上腕部の内側……ここだ。それから手首。頚動脈。わかるか、ここに大きな血管が走ってるんだ。うまく狙えなかったら喉全体でもいい。それから、ふとももの内側。心臓と胃もそうだ。腎臓もそうだ。ああ、腎臓ってのはだいたいここらへんだ、永遠の背ならここを狙うのもいい。あと、鎖骨のくぼみもそうだな」
「うん」
「ナイフもない時は紐を探せ。何にもなけりゃ、靴ひもでだって相手を殺れる。ロープがあったら、後ろから相手の首にかけて、相手を背負って軽く揺するんだ。永遠みたいに背が低くても、相手にぶらさがればいい。体重で相手の首がしまるからな」
「うん」
「ただ、なんでも相手を殺しゃいいってもんじゃねえ。気を失えば縛っちまえばすむこともある。で、縛り方だがな」
ガデスは適当なロープを出して、刹那を座らせる。
「相手を縛る時は、後ろ手に縛るのが基本だ。紐が足りない時は、親指だけ縛ってもいい。とにかく後ろ手だ」
刹那を軽く縛ってみせ、
「紐の長さが足りれば、余った端を首にもかけておくといい。こうだ」
「あ」
巧みに縛りあげられ、転がされる刹那。
「ガデス。苦しい」
「苦しくなきゃ意味ねえだろ」
ガデスはいったん解いてやり、それから永遠にロープを手渡した。
「おまえもやってみろ」
「うん」
永遠は、刹那の耳元でそっと囁く。
「ごめんね、セツナ」
ガデスの指導が入る。
「刹那相手でもちゃんと縛れよ。手加減すれば、相手は逃げちまうんだからな」
「はい」
刹那は永遠の小さな掌に捕らえられた。
「あ、痛、いたた」
「少しだけ我慢しろ。永遠、続けるんだ」

「永遠の奴、眠ったか?」
並んで横になりながら、二人は小声で囁きあう。
「ぐっすりだよ。遊園地の後にまた訓練じゃ、疲れるさ」
「ああ。俺も少し疲れた」
「ガデス、先に眠って。俺、起きてるから」
「そうか」
ガデスは、縄目のついてしまった刹那の手首をさすった。
「わるかったな。実験台にさせて」
「大丈夫さ。少しの間だったし、もうそんなに痛まないよ」
「そうか」
ガデスはすうっと刹那に身を寄せ、くびれたウェストを撫ではじめた。
「なあ。縛られて転がってるおまえ、ちょっと色っぽかったぜ」
「なんだよガデス、SM趣味があったのか」
「そんなもんはねえが」
それでも、後ろ手に縛られて無抵抗の姿に、ムラムラときたのは事実だった。
「昨日もやってねえだろう。だからな」
ホテルの部屋を分けるのは不用心なので、三人一緒の部屋に泊まった。いつもと違う場所が新鮮で、ガデスは刹那をぜひ抱きたかったのだが、《永遠にきこえちゃう、今晩は駄目》と断わられてしまったのである。
「欲しい、ガデス?」
ガデスは笑った。
「我慢するさ。ま、家に戻ったら、おめえが嫌ってえほどやるからな」
「うん。そしたら、たっぷりして……俺も欲しい」
「おい、断わってから誘惑するなよ」
そう言いながら、ガデスはそっと刹那を抱きしめてくる。
刹那は熱い体温を感じながら、申し訳ないと思う。
ガデスだって、まだ男ざかりだ。
抱きたい時に我慢するのはつらいはずだ。
でも、ガデスはこういう時、いつもほとんど我慢してきてくれた。
二人で暮し始めた頃、刹那の身体はなかなかいうことをきかず、ガデスを受け入れるどころではなかった。できない日があまり続くと、刹那は不安になった。ガデス、欲求不満になって別の相手に走らないだろうか。もし、このままセックスレスになっちゃったらどうしよう。俺、ガデスに抱かれるの、すごく好きなのに……と。
ガデスは待ってくれた。一度も浮気せず、刹那の回復にのみ心を傾けた。できる時にできることだけをして、優しく気長に刹那を愛した。永遠をひろい、二人の子供として育て可愛がるようになっても、ガデスの刹那への愛情は減ることはなく、むしろ増えたような気すらする。
こんな奇跡みたいな幸福が、現実にあるなんて。
ガデスに会えて、俺、本当に良かった。
「刹那。おまえが先に寝ろ。疲れてるだろ」
「大丈夫だよ。俺は平気」
「そうか?」
ガデスは回した掌で刹那の背を撫でながら、
「なあ。おまえ昼間、ちっと暗い顔してたろ。なんでだ。いい大人になってから遊園地なんて、嫌だったか」
刹那の口唇から微笑が洩れた。
「なんだ、ガデス、俺を気遣ってくれてたんだ」
実をいうと、少佐と遊園地で遊んだ時のことを思いだしていたのだった。まだ軍にいた頃――あの時は少佐を愛していた。少佐の優しさが好きで、自分も少佐に優しくしたい、あの人の寂しさに寄り添いたいと願っていた。かなわぬ願い、短い恋だったが――そんなことを考えると、表情は自然に翳った。今はガデスがいて、ガデスが身も心も満たしてくれて、可愛い子供もいて、何の不自由もないのに。
でも、なんとなく胸さわぎがするのだ。平穏な景色が不幸の前触れのような気がして。
「なんでもないよ。幸せすぎると、時々ふっと怖くなったりするだろ。ただそれだけで」
「そうか?」
「うん。だから、先に寝てくれ。後でちゃんと起こすから」
「そうか」
ガデスは名残りおしそうに刹那から身体を離し、眠りに落ちた。
テントの周囲に簡単なトラップは仕掛けてあるのだが、三人全員眠りこんでしまうのは無防備にすぎる。それでどちらかが起きていることにしたのだ。人が人を襲うのは真夜中よりも明け方が多いので、こういう時は自然、先にガデスが仮眠をとるようになっていた。刹那が先に寝ると、「おまえを起こしたくなかったからな」などと一晩中ずっと起きていてくれたりするので、刹那は無理にでもガデスを先に眠らせるのだった。
「それにしても……」
刹那の菫いろの瞳が闇の中でうっすら光る。
なんなんだろう。
この、胸さわぎは。

2.

家につく少し前から、三人が三人とも異臭に気付いていた。炭素と、タンパク質の焦げた独特の匂い。
ガデスは、留守を頼んでいた近所の家に寄ってみた。
「すまねえ、ガデスさん」
ふだんから気のいい隣人が、車から降りたガデスを見るなり謝ってきた。
「何があったんだ」
「昨日、夜中にならずもんが何人も来て、ガデスさんとこを荒してったんだ。えらい派手な物音たてててな。おっかなくて、おらは外へ出れなんだ。音がやんでも、怖くて様子も見にいけんかった」
「そうか。すまなかったな」
ガデスはいくらかを握らせたが、隣人は首を振った。
「なんもできんかったから、いらね」
「うちの牛の世話をしてもらったろ」
「んでも、その牛がもう、たぶん……」
「それでもだ」
ガデスはむりやり金を受けとらせ、車に戻った。
「なんだって?」
刹那が尋ねる。ガデスは難しい顔で、
「今んところ、近所に怪しい気配はねえ。家に戻る」
「その方が安全かもな。ここにもあまり迷惑はかけられないし」
「ああ」
黙ってしまった二親を見て、永遠も首をすくめて黙った。
車はゆっくり走って、彼らの敷地へ近づいた。
牛舎は半焼の状態だった。
再び先にガデスが降りて、牛舎に近づいた。
彼が飼っていた雌牛が、中で無惨に焦げていた。眉間を銃で撃ちぬかれ、その直後に火をかけられたようだった。繁殖用にガデスが丁寧に手をかけていたものだ。胸がきしむ。先日子牛を売ったばかりで、中に一頭しかいなかったのが唯一の救いだ。ガデスは表情を凍らせたまま、車に戻った。
それを見て永遠が呟く。
「レイチェル、しんじゃったんだね」
ガデスがうなずく。
「畑もあらされちゃったのかな」
「平気さ、永遠」
刹那が息子の頭を撫でた。
夏の主だった作物はほぼ収穫が終わっている。今なら被害はたいしたことはないはずだ。
「うん。でもおうちは?」
「そうだな。見てみよう」

家は無事なようだった。
外から見れば単なるほったて小屋に過ぎないが、実は最高級のセキュリティをほどこしてある家である。留守中、よそ者の侵入は受けつけないようになっているのだ。鍵を壊そうとしたり、窓ガラスを破ろうとした跡があったが、それは成功しなかったようだ。
だが。
「なんだこりゃ」
家の裏手に回った三人の目に、壁面に大きく殴り書きされた文章がとびこんできた。

《サイキッカーはすべて死ね》

緋色のペイントの歪んだ文字。
「誰だ、たちの悪いイタズラをしやがって」
ガデスが呟くと、刹那が首を振った。足元にあった小さなものを拾いあげ、ガデスに差し出す。
ガデスは眉をひそめた。
米空軍の階級章だった。軍曹の。
「……本物だな」
ガデスは首をひねった。
サイキッカー狩り、なのか。
軍にとって、サイキッカーは大きな利用価値がある。兵器として、クリーンで一番コストのかからないのは、特殊な力をもった生身の人間だからだ。今に始まったことではない、大昔から戦地では、誘拐され洗脳され強化された兵士が使われてきた。サイキッカーの利用という悲劇は、その歴史の一部分でしかない。
だが、なぜ今になって軍が俺達を。
ガデスは確かにサイキッカーだが元軍の傭兵であり、軍を抜けた後も軍に対して敵対行動はとっていない。刹那は二十代の一時期、軍の実験に参加して人工サイキッカーとして暮らしていたこともあったが、今は超能力などかけらもない。そんな二人に対して、今更軍が何をしようというのだ。
それに、サイキッカー狩りは、ひところに比べて目立って減っていた。世論の流れが、弾圧よりも協調へ傾いているからだ。
それなのに。
これは、一部の連中の暴走なのか。
それとも単なるおどしの類か。
駐留兵士の通りがかりの悪ふざけか。
もっと恐ろしい企みの発端か。
沈黙を破ったのは永遠だった。
「レイチェル、ころされたんだね。ぜんぜんかんけいないのに」
「永遠?」
二人の息子は、薄茶の瞳を大きく見開いて、細かく震えていた。
その瞳にあるのは、恐怖でなく、燃えるような怒りの感情だった。
口唇をかたく噛みしめて、じっと落書きを見つめ続けている。
「そうだよな。悔しいな、永遠」
刹那は息子の肩に手をおき、低く囁いた。
「いったん、家に入ろう。な」
永遠は物いいたげに口唇を開いたが、またすぐに閉じてしまった。
刹那に背を押され、大人しく歩き出す。
その瞳の底に、たぎるものを深く秘めて。

「情報が集まってこねえな……」
深夜、寝室に持ち込んだ小さな端末の前で、ガデスは舌うちした。
「もう少し時間が必要なんじゃないか?」
端末の画面をのぞきこみながら、刹那が呟く。
ガデスは、昔の傭兵仲間に頼んで情報収集をしていた。その中には、まだ軍に籍を置くものもいるし、軍の動向をうかがう勢力に入っているものもいる。彼らによれば、軍内部では大きな動きはないという。ただ、一部が暴走している可能性はあると。
「向こうの出方をまって、しばらく家に籠ってるしかないと思う」
そんな刹那の言葉に、ガデスはうなずくしかない。
動きようがないのだ、相手の正体も狙いもわからないのだから。次の襲撃もありえる訳で、用心しながら様子を見るしか方法はない。とりあえず、小さな要塞としての装備を整えたこの家の中で、待つしか。
「ちっと不自由になるな」
ガデスは刹那の頭を抱き、そっと引き寄せる。
「しかたないさ。俺は平気だよ。追われるのは覚悟してたんだから」
刹那は、少佐に書類を操作してもらって、表向きは軍内で死亡したことになっていた。だが、人体実験の証拠が軍から流出したのだ、いずれ気付いた誰かが追いかけてくることもあるだろう、と予想していた。だから、できるだけ身体を鍛えていた。せっかく磨いた体術の腕が鈍らぬよう、ガデスとひそかに訓練を続けていた。
だから、自分はいい。
「でも、永遠は……」
「ああ」
ガデスも重い声で応えた。
秋から学校へ通わせることにしていた。近くに子供が住んでいない永遠にとって、同世代の友人がつくれるのは学校だけだろう、と考えたからだ。二人は永遠に子供らしい喜びを与えてやりたかった。周囲に大人しかおらず、TVやラジオから入って来る大人向けの情報にのみさらされている永遠は、どこか大人びてしまっていた。それはそれで可愛いのだが、そろそろ新たな社会との接点が必要な年齢だろう。
だが、こんなことになってしまっては。
「もう、ここに住んでいられなくなるかもしれないし」
「そうだな」
彼らが何度も襲撃されるようになれば、近所がガデス達を見る眼差しはすっかり変わってしまうだろう。いくら自分達はサイキッカーでないと偽ったところで無駄だ。おまえらの存在自体が面倒の元なのだ、出ていけ、という展開になるだろう。
それならそれで構わない。二人だけのことなら。どんな隠遁生活でも放浪生活でも、大人の彼らには耐える自信と力がある。
でも永遠は。
たった六つの子が、俺達と暮らしているばっかりに、そんな目に遭うのだ。
危険から一番遠ざけてやりたい、愛し子が。
「ガデス」
「うん?」
「しよう」
ガデスの腰に腕を回して、刹那は囁いた。
「約束、忘れたのか。家に戻ったらたっぷりって」
「そうだったな」
口唇を重ね、相手の身体をまさぐりながら、ベッドへ倒れ込む。
「何もかも忘れさせてやる」
「うん。忘れさせて……」

目を開けると、いつも通り、傍らにガデスが眠っていた。
すでに日は高くのぼっている。いつもなら永遠も起こして、朝食をとっくにすませている時間だった。
それでも、起きる気がしない。
眠りは足りている。昨夜、ガデスにじっくり愛撫されて、身体だって満ち足りている。
でもまだ、何かが欠けてる。
ガデス。
そっと寄り添って、また目を閉じる。
なんでこんなに切ないんだろう。
現実から目を背けて、セックスに逃げこんだから?
俺達の運命に永遠にまきこんだのが、申し訳ないから?
ふいにガデスが身を起こした。
「なんだ、寝ちまったのか、俺は」
慌てて服に袖を通しだす。
「朝イチで永遠に話をしてやろうと思ってたのに、なにぐずぐず寝てんだ俺は」
刹那もいそいで服を着ながら、
「疲れてたんだよ。それに俺がせがんだから」
「そういう問題じゃねえだろ」
ガデスは部屋の鍵を開け、永遠の部屋に向かった。
「永遠!」
いなかった。
部屋だけでなく、家のどこにも永遠はいなかった。
食堂のテーブルの上に短い手紙があった。

《さがさないでください。とわ》

3.

「やだな。ちが、ついちゃった」
川に服の端をつけ、軽く洗ってから永遠はそれを絞った。この暑さだ、服が少しぐらい濡れていても、すぐに乾くだろう。
茂みの蔭にころがして置いた下級兵士に、永遠は再び近づいた。
ガデスに教わった通り、捕虜は後ろ手に縛ってある。手首と足首、首にまでロープをかけてある。火器の類は外して川に捨てた。通信機はポケットから抜き取った。腿に刺したアーミーナイフはまだ抜いていない。大量に失血すると死ぬかもしれないからだ。それはやたらに殺すなという父の教えを守っている訳ではない、単にまだ、死んでもらっては困るからだ。
尋ねておかなければならないことが、沢山ある。
「きがついたか」
「うう……」
永遠は、痛みにうめく兵士の額に指をあてた。
強く念をこめる。
こたえろ。
おまえたちのねらいは、ぼくか。
「はい」
ぼくをうんだひとは、さいきっかーか。
「はい」
おとうさんもか。
「はい」
ふたりとも、ぐんにころされたんだな。
「はい」
おまえたちは、ぼくをどうしようっていうんだ。
「それは……」
その時、通信機がビクビクと震えだした。
「応答せよ、ペンダートン。応答せよ」
永遠は兵士の猿ぐつわを外し、通信機を口元へ押し当てた。
「こちらペンダートンです。偵察中。異常なしです」
「わかった。だが、単独行動はひかえるんだ。そろそろ戻れ」
「わかりました」
短い通信が切れ、永遠はほっとした。
どうやら兵士は、こちらの暗示にちゃんとかかっているようだ。
永遠は、小さな指をもう一度兵士の額にあてた。
つづけるぞ。
おまえたちは、さいきっかーをぜんぶころすつもりなのか。
「いいえ」
じゃあなんで、あんなことばをぼくのいえにかいた。
「警告です。素直にサイキッカーの子供を出せばなにもする気はないと……」
うそをつけ。うちのめうしをころしたくせに。
「それはただ、狂信的なサイキック嫌いを装うためで」
うそだ。
おもしろはんぶんにやったんだろう。
ひとをおどかすためなら、なんでもするのか。
とうちゃんやせつなもころすのか。
「いやそれは」
永遠の片方の掌の中に、ぽうっと小さな水の球が浮かび上がった。
クルクルと回りきらめく水珠が、兵士の顔に近づけられる。
「やめてくれ」
ぼくはおまえをころせるんだぞ。これをかおにおしつければ、おまえはおぼれしぬんだ。
くるしいんだぞ。ちっともいきができなくなって、しぬんだぞ。
さあどうする。
「やめてくれ」
やめてくれとしかいえないだろう。それで、あいてをおどかしたって、ころしたって、なんにもならないってことが、なぜわからない。
ぼくはさいきっかーで、おまえよりちからがある。
それなのにおとなしくしてるのは、けんかをしたくないからだ。
でももしおまえたちが、ぼくのかぞくやなかまをきずつけるなら、ぜったいにゆるさない。
ゆるさないぞ。
「や……」
水球が兵士の顔を包み込んだ。必死でもがき、逃れようとするがかなわない。
「……!」
兵士が再び気を失ったところで、永遠は水球をパチンと消した。
殺すつもりはない。
こいつからは、もっと情報をえなければならないからだ。
隊はどちらから来るのか。規模はどのくらいか。家を襲撃する予定はあるのか。
永遠は兵士の額に掌をあて、中にあるものを探ろうとする。
そろそろこいつの仲間が異変に気付いて、ここへ来るかもしれない。
それならそれでもいい。
迎えうてば。
ここでなら、父ちゃん達に迷惑がかからないから、それでいいんだ。
永遠の額に汗が浮かぶ。必要な情報になかなかたどりつけない。下級兵士は詳細をしらされていないのかもしれない。焦る。
「ごめんね……父ちゃん、セツナ」

昨日、《サイキッカーはすべて死ね》の文字を目にした瞬間、永遠の中で一本のピンがはじけとんだ。それが封じ込めていたのは彼の過去――永遠が乳飲み子だった頃、産みの親が彼に残したメッセージだった。《おまえの両親はサイキッカー。おまえもたぶんそう。でも、その力を封じておくわ。力が必要になるその日まで》
記憶はどっと溢れ出した。
永遠の産みの親は、田舎で平穏な暮しを営んでいた。だが、暴走した軍の一部隊が彼らの元へやってきた。サイキッカーはすべて死ね、のメッセージと共にのどかな生活は破壊された。父が先に殺され、遺体は軍に回収された。母は逃げた。しかし逃亡中に傷つき、逃げることが難しくなった。このままでは母子共々殺されるか、死ぬよりひどい目に遭うかどちらかだ。母は息子を目立たぬ場所に捨てることに決め、深い暗示をかけた。自分の記憶を伝えて、息子の無事を祈った。
記憶はそこで途切れていた。
おそらくは、母もあの後。
よくも。
永遠の心に怒りの火柱がたった。
よくも、ぼくのおやをころして。
それでもたりずにまたやってきて、レイチェルをころして、セツナの畑をめちゃめちゃにして、家におんなじことばをかいて。
ゆるせない。
あいつら、ほっとけば、父ちゃんやセツナもころす気だ。
ゆるさない。
ぼくが、おまえらをやっつけてやる。
激情ですっかり目がくらんでいた。周りも何も見えなかった。ただひたすら怒りに押し流されていた。
永遠は置き手紙をしたため、翌朝早いうちに家を出た。ガデスに教えこまれた通りの装備を用意し、家の周囲にひそんでいる兵士を探した。そして運よく、一人でいる偵察兵を発見した。こんな子供が、と油断した兵士は、あっさり倒された。開花した彼のサイキックは、鍛えられた身体とよく調和した。
そこで自信をもった永遠は、尋問に入ったのだった。
そのセオリーはたたきこまれていた。必要なら拷問も辞さないつもりでいた。だが、サイキックならもっと多くを引き出せることに気付き、その方法をとった。
彼はあらゆる意味で優れていた。普通の六歳児ではなかった。
ただ、さすがに判断は甘かった。
一人で多勢と争うことは難しいということ、何かに熱中している時には誰でも背中が不用心になるということを知らなかった。
つまり、少年の背後に忍び寄る軍服の男と、ギラリと光る青い銃口。

「永遠ー!」
刹那は喉をからして歩き続けた。
ガデスと二手に別れて息子を探していた。
心が乱れる、の言葉そのままに心臓が激しく脈うつ。
どうして家出なんか。
どうして今、この時に。
永遠が連中にさらわれたら。
殺されたら。
いやだ。
俺はもう、何もなくしたくない。
母さんが出ていった時も、うちの畑がむしりとられていった時も、父さんが家から追い立てられた時も、俺は何もできなかった。
もう沢山だ。
永遠。
どこなんだおまえは。
森の端まで来た時、刹那はひらめいた。
最初に永遠が捨てられていた川辺。
あそこらへんは身を隠しやすい場所だ。もしかして。
刹那は急いだ。
胸騒ぎはおさまらない。
永遠……!

「ごめんね、父ちゃん、セツナ」
僕なんかひろったばっかりに。
呟きながら、永遠は必死で相手の思考を探る。
汗がしたたって捕虜の上に落ちる。
あと、あと少し。
その瞬間。
「川へ飛び込め!」
とっさに永遠は動いた。声の指示どおり、小さく身を丸めて浅瀬へ転がり込む。
鈍い銃声。人の倒れる重い音。
「セツナ!」
水面から顔をあげた永遠が見たのは、モスグリーンの軍服の背に短剣を三本つきたてられて倒れた兵士と、返り血も浴びずにすっくと立つ、きんいろの髪の男の姿。
「一人で動く時は、かならず後ろも注意しておくんだ、永遠」
菫いろの瞳は笑っていなかった。
「ごめん……なさい」
「謝らなくていい。ただな」
刹那は永遠に近づき、濡れるのも構わずにその身体を抱きしめた。
「どうして、家出なんか」
「ぼ、ぼく……」
永遠の心の振り子が揺れる。
サイキッカーだと告げなければ、何もなかったように二人と暮らせるかもしれない。
でも、また軍が襲ってくるとしたら、ちゃんと話しておいた方がいいんだ。
やっぱり言わなきゃ。
「ぼくが……」
「うん」
「二人にめいわくかけるから……」
「迷惑?」
「ぼく、ほんとはサイキッカーなんだ……だから……」
「うん、だから?」
「ぼくがいっしょにいると、二人とも、きっと、こまるから。あいつら、ぼくをさがしにきたんだ。ぼくのこと、しってて、だから……それに、ぼく、ひとりでもだいじょうぶだから……たぶん」
永遠の濡れた頬を、熱いものが流れて落ちる。
どうしよう。
やっぱり父ちゃん達と一緒にいたい。
離れたく、ない。
でも、サイキッカーの子なんて、きっと、いらない、よね……?
「永遠」
指で息子の涙をぬぐってやりながら、刹那は囁く。
「俺達に迷惑がかかると思ったから、一人で家を出たのか。一人で戦おうとしたのか」
永遠は小さくうなずく。
刹那の瞳の光がやわらいだ。
「あのな。もし、軍に追われてるのが俺だったら、永遠、どうする?」
「え?」
永遠は目を丸くする。濡れた髪をすいてやりながら、刹那は囁く。
「俺は昔サイキッカーだったことがある。そのせいで、永遠やガデスに迷惑かけるかもしれないんだ。だからって、俺が一人で家を出ていったら、一人で戦いにいったら、永遠、嬉しいか?」
「いやだ」
永遠は首をふった。
「いっしょにいく。ぼくもたたかう」
「そうだろう。俺も同じだ」
「あ」
刹那の瞳はうっすら潤んでいた。
「永遠。自分が迷惑かけるなんて思うな。俺達が何かを失うことがあっても、それはおまえのせいじゃない。どんな風に生まれても、どんな風に生きていても、くるものはくる。それは誰かのせいじゃない。もちろん自分のせいでもない。わかるか」
その声はなぜか弱々しかった。まるで、自分に言いきかせてでもいるような。
「……セツナ」
永遠は気付いた。彼の話がたとえ話でないことを。
セツナもサイキッカーだったんだ。
ひどい目にあったんだ。
悪いことなんにもしてないのに、ひどい目に。
「わかった。セツナはわるくない。ぼくも、わるくない」
「そうだ」
刹那はほっとため息をついた。
「服、すっかり濡れちゃったな」
「しかたないよ。あいて、じゅうもってたんだから」
火器をもつ相手がいる場合、逃げ場を失ったら水に入るのがセオリーだ。水中に新たな敵がいる、危険物があるとわかっている場合は別だが。潜ればそれだけで被弾率が低くなるし、水中では弾の勢いが落ちて殺傷力も下がる。永遠のように身体が小さくて泳ぎの得意な子で、しかも自分のホームグラウンドにいる場合、川へ、という指示は正しい。
「だが、夏でも体温を奪われるのはいいことじゃない。俺の上着、着とけ」
「それじゃセツナがよくないよ。それより、へいたいのうわぎ、ぬがしといたから」
「ああ、じゃあ、それにしよう」
刹那が濡れた服を絞り、永遠がペタンと座り込んで捕虜の上着に着替えていると、
「ここにいたか」
いつもの陽気な錆び声が響いた。
「悪いな、遅くなって。途中でちいっとひっかかっちまった。思ったより、向こうの数が多くてな」
「ガデス」
「父ちゃん」
だぶだぶの上着をかぶった息子を見、ガデスは微笑んだ。
「おう、なかなかいいカッコしてんじゃねえか、永遠。怪我はねえか」
「ないよ。それより父ちゃん」
「なんだ」
「てきのかず、ほんとにおおいよ。こんやまたくる。きのうより、もっとたくさん」
大人二人の顔がすうっと引き締まった。
永遠は、濡れた服を片手に立ち上がった。
「いったんもどろう。じゅんびしなきゃ」

4.

「畜生」
その日、探査機をチェックしたとたんにガデスは舌打ちした。
「いったいどこから湧いてくんだ。たかがガキ一人捕まえるのに、バンバン増援投入しやがって。馬鹿かあいつら」
「それは、俺達が完全に撃退してるからさ」
刹那がため息と共に呟く。
「だから連中は、こっちがたった三人だと思わないのさ。そのうちサイキッカーが二人しかいなくて、しかもその片方が学齢前の子どもだなんて、どうしても信じられないのさ。大きなバックか組織があると思って、どんどん攻めてくるんだ。プロのプライドもあるから、敵がそれっぽっちなんて信じたくないんだよ。実際は頭が悪いだけなんだけど」
「まったくよう」
永遠のおかげで、敵の駐屯地やおおよその数がわかった。準備を整えてそこを襲った。敵はちりぢりに逃げた。それで片がつく、とガデスは思った。しかし、彼らは数を増して戻ってきた。何度でも。
いくら彼らの家が小さな要塞であっても、物資には限度がある。
疲れも溜ってくる。
それでもガデスは、できるだけ援軍を呼びたくなかった。へたにこちらの人数を整えると、この村が戦場になってしまう。今でさえ、村人は何かが起こっているのに気付いて、おびえて暮らしている。昼も外に出ないので、荒されなかった畑も荒れはじめている。本当は、すぐこの村を出ていってくれと彼らに文句を言いたいはずだ。遠からずそうなるだろう。しかし、いま村を出ても意味はない。軍事行動を目撃した者のいる村として、全員が惨殺され焼き払われる可能性が高いからだ。
彼らは家にへばりつき、機をみては外で決戦を挑んだ。三人で挑み続けた。
「セツナ、後ろ!」
「わかった!」
刹那の体術と短剣を、永遠のテレパシーが補う。
「父ちゃん、右から五人!」
「ああ。ほらよ!」
ガデスが残りをフォローし、潰す。
それで毎回なんとかなった。なんとかした。
だが、そろそろ限界だ。
しかたない、数には数だ。
生きている通信機器を使い、ガデスは昔の仲間に声をかけた。
彼らは援軍を約束してくれた。すぐに来るという。
ガデス達は待った。
だが、援軍の到着は遅れた。途中ではばまれるのだ。数に。
その日、新たに近づく一個中隊を発見して、ガデスはうんざりしていた。
「しかたねえ。出るぞ」
「うん」
いつも通り、三人はうって出た。
しかし、その日は様子が違った。
「おかしいよ、父ちゃん」
「ああ」
確認できる敵の数が減っていた。その減り方が妙だった。
散開したとか、何処かへ身を潜めたというならわかる。
そうでなく、誰かに倒されているようなのだ。
援軍からの連絡は入っていない。
誰かの姿も確認できない。
なぜだ。
三人は用心しつつ、敵兵の目を避けるために森へ入った。
そのとたん。
「アッ」
とん、と背中を押されて永遠は転びそうになった。くるりと宙を蹴って身構える。
「だれだっ!」
「……ああ。この子ですか」
永遠は、自分の背に触れた大男をじっとにらみつけた。
何者。
この場にまったくそぐわない、白地に赤糸金糸の入った派手な服をまとった東洋人だった。すらりと伸びた背。ゆるく結ばれた長い黒髪。クリーム色の滑らかな頬。小さな眼鏡の底に、深い蒼をたたえた瞳。
「少佐!」
「ウォン、てめえ!」
刹那とガデスが同時に声を上げた。第二声を発したのはガデスが先だった。
「てめえか、永遠をねらってんのは。どういうつもりだ」
「ああ、この子はトワというんですか。可愛い子ですねえ」
リチャード・ウォンは、不思議な微笑で永遠を見おろした。昔と少しも変わらない、いや、壮年の落ち着きが加わった、深みのある笑み。
「面白い、どちらにも似ていますねえ。まるで刹那が、ガデスの子を産んだような。この子の能力は……水のようですね。まだ伸びるでしょうが、二代目にしては潜在能力はさほどでもないようですね。軍も愚かな」
「少佐」
刹那は首を傾げた。
「少佐が隊を差し向けたんじゃ、ないんですか」
「私が?」
ウォンはピシリと打ち返すように、
「刹那、私を誰だと思っているのです」
黒い瞳が鋭く光る。が、すぐにそれは和らいで、
「私はこんなつまらぬ行動を、部下に繰り返し命じたりはしません。それに、私はもう少佐ではない。軍籍を離脱したので、今はただの一実業家です」
「じゃあ、なんで都合よくここへ現れやがった」
ガデスが迫ろうとするとウォンは優雅に身をひいて、
「軍の一部で最近不穏な動きがあるというので、見にきてみたんですよ。優れたサイキッカーなら私も欲しいところですし、たまには前線で自分の力を出すのも面白いかと。まああんな連中、肩ならしにもなりませんがね」
悪戯っぽく微笑んで、
「しかし、このように無駄で無謀なサイキッカー狩りはまったく面白くない。上を潰してしまいましょう。この私が」
「少佐」
「指示を出すところと供給源さえ断てば、あなたたちだけでなんとかなるでしょう? そのうち援軍も来るようですしね」
何もかもすべてお見通し――大人二人がウォンの言葉をにわかに信じかねていると、永遠が先に口を開いた。
「おまえ、なにものだ。そんなことして、なんのとくになるんだ」
「何者、ですか」
薄い口唇が面白そうに開いて、
「私は世界の王です。力ある者です。あなたたちに協力するのは、私を敵に回すのは得策でないということを、軍に改めて知らしめるためです。わかりますか?」
「ほう。それで?」
ガデスはウォンをにらみつけた。
「おめえがそんなにいい奴の訳がねえ。俺達にここで貸しをつくっといて、後で何をさせようって腹だ?」
「ああ」
ウォンは片眉を上げた。
「そんなに借りを返したいなら、後でなく、今お願いします」
「なんだと。どういう意味だ」
如才ない微笑がガデスに向けられる。
「言葉どおりの意味ですよ。ここの雑魚共を片付けたら、すぐに上を叩きます。作戦にあなたも参加して下さい、ガデス」
「てめえ本気か」
「本気ですよ。あなたたちの味方が到着すれば、ここは刹那とトワの二人で大丈夫でしょう。あなた一人を借りていっても困らないはずですよ。その子を守り抜きたいのなら、これから私と来る方が賢い方法だと思いますがねえ」
「わかった。だが、あくまで雑魚共を叩いた後でだ」
「では、掃討作戦開始といきましょうか」
ウォンはフシュン、と姿を消した。
ガデスは舌打ちした。
「ち、またあいつのペースか。まあいい。それなら向こうで思いきり暴れてやるぜ」
言いながら、瞳が輝いている。
まだ、何も守るものがなかった頃の血のたぎりを思いだしているのだ。
そう、これがガデスの本来の姿。
「行くぜ、刹那、永遠。ウォンの動きには気をつけろ。あいつは時間が止められるんだ、あまり近づきすぎるな。最低限、足場の確保だけは忘れるなよ。必ず二人で行動しろ」
「わかった」
永遠がうなずき、刹那の手を引く。
「行こう、セツナ」
「……ああ」

翌朝。
ガデスの旧友達がついに村に到着した。
駐屯地の兵士達は一掃したので、ガデスは約束どおり、ウォンと行くことになった。
別れ際、刹那はウォンに頭を下げた。
そして小声で呟くように、
「少佐。作戦が終わったら、ガデス、ちゃんと、返して下さい……」
「わかっていますよ」
ウォンも小さく囁き返した。旧友と挨拶をかわすガデスにきこえないように。
「正直を言うと、今は少しでも戦力が欲しいのですよ。新たな計画のために、こちらでは人手が足りないのです」
「そうですか」
刹那の胸の奥がかすかにうずく。
時間を経た過去の恋は、何よりも甘い思い出になる。
年をとり、以前よりまろやかな空気をまとうリチャード・ウォンの姿は、間近でみても刹那の瞳に美しくうつった。
軍をやめたといっていた。新たな計画があるという。サイキッカーを集めている、とも。
それなら今は、あいつと一緒にいるのだろうか。
理想郷を夢みる、あの男と。
「少佐。お幸せ……ですか?」
「ええ」
ウォンは微笑みで返した。
「それでも、あなた達が少しうらやましいのですよ。お似合いで」
「少佐」
「いや、久しぶりにいいものを見ました。いつまでもそのままでいて下さい」
くるりと刹那に背を向けて、
「……あなたはいつも、一つの奇跡です。ですから、いつまでも、そのままで」

「父ちゃん」
ガデスは仕度を背負った瞬間、息子に袖をひかれて振り返った。
「ん、なんだ?」
「ほんとにいっちゃうの、あいつと?」
心配そうな顔。
「すぐに戻ってくる。大丈夫だ」
「うん」
しかし、永遠は袖を離さない。
「あのね。父ちゃん、ぼくがサイキッカーでもびっくりしなかったでしょ」
「ああ」
「なんで? しってたの?」
「いや」
「じゃあ、じぶんがサイキッカーだからびっくりしなかったの?」
「いや」
ガデスは笑って、
「六つのガキが兵隊一人ぶったおして捕虜にして、半日で尋問をすまして、もしそいつがサイキッカーでなかったら、そっちの方が驚くぜ」
「父ちゃん」
そうじゃなくて、とじれったがる永遠の頭に、ガデスは大きな掌を置いた。
「俺はおまえのいい親父か?」
「え」
ガデスは身を屈め、息子の瞳をのぞき込んだ。
「俺は人殺しなんかなんとも思わねえ。サイキッカーの中でも極悪人だ。親父としてもぐうたらで、あんまりいい親父じゃねえと思うぜ。それでも俺が好きか、永遠?」
「好きだよ!」
永遠は叫ぶように、
「父ちゃんはわるくない。父ちゃんはいい父ちゃんだよ。それに、ぼくのために、あいつといくんでしょ。ぼくとセツナをまもるためでしょ」
「そうだな」
ぽんぽんと頭を叩いて、
「じゃあ、そのいい父ちゃんを、いい子にして待っててくれ。な?」
「うん。わかった」
「よし」
ガデスは息子をかかえ上げ、ぎゅっと抱きしめた。
「……いつまでも、俺を父ちゃんと呼んでくれるか、永遠」
「うん。もちろん」
床に降ろされると、永遠は戸口までガデスを笑顔で見送った。
「いってらっしゃい。父ちゃん」

その瞬間、永遠の封印された記憶が再び閉ざされはじめた。
おぼろげだった産みの二親の顔も消えてしまった。
それ以降、彼のわずかな超能力は、すっかり表に現れなくなってしまった。
二度と。

(2000.3脱稿/初出・恋人と時限爆弾『ずっと/そばに/いるよ』2000.4/参考文献『傭兵マニュアル』柘植久慶・他)

『君といつまでも』(62x56+27+2)

1.

「ガ・デ・ス。……天国みさせてやろうか。俺の下で」
「馬鹿野郎。朝から何言ってんだおまえは」
「本気さ」
毛布の下、ゴソ、と刹那の手がガデスの下着の中へ這い込む。
「おい、やめろ、いきなりじゃ無理だ」
「なんだよ、俺は生涯現役だっていつも威張ってるくせに」
「そりゃそうだが」
「それにもうココ……」
軽く舌なめずりして、刹那は掴み出したものを撫でさすった。
「結構熱いぜ?」
刹那は身を屈め、ガデスのものをチロリと嘗めた。
ガデスが軽くうめいて、特に抵抗もしないのを見てとると、たっぷり丹念に濡らしはじめる。指と掌が妖しく動きだす。
「せ、刹那……」
「な、その気になってきたろ」
「馬鹿。ちゃんと責任とりやがれ」
「当たり前だろ」
刹那はガデスの準備のかたわら、自分のものも高めていた。膝を開いてガデスの胴をまたぐと、そそり立ったものの上に、そうっと腰を降ろしていく。
「あ、ガデス……」
ゆっくり受け入れながら、刹那は満足げなため息をついた。
たまらない。
どうして世の男女が、同じ相手とのセックスでだんだん燃えなくなるのか、刹那にはわからない。ガデスとする時、ほとんど確実に喜びがえられる。すればするほど互いの身体がしっくりとなじみ、離れがたくなる。それに、ガデスは優しい。欲しい時に、欲しいといっても絶対怒らないし断わらない。疲れていても、いつもこっちを先に喜ばせてくれる。感じる場所を的確に愛撫して。
まあ、そこまでされて何も感じないなら、別れた方がましかもしれないが。
「いいか、刹那?」
生涯現役を誇るガデスのものが、刹那を緩く揺すり出す。
「うん、凄く……ガデスももっとよくしてやるよ」
刹那は更に腰を落とし、深くくわえこんだものをきゅうっと締め付ける。ガデスの動きにあわせて腰を小さく回しながら、相手のものをさらに奮いたたせる。
ガデスの息が乱れはじめる。
「刹那……そろそろ……」
「うん、俺も出したい」
二人の動きが小刻みになり、激しくなる。
堪えきれずに洩れるうめき、甘い声。
お互いを、更に深い喜びを求めて、二人で駆け上がる。
「あ、あっ!」
「くっ」
ほとんど同時に達した。
刹那は深く貫かれたままでくずおれることができず、軽くのけぞって手をつき、息を懸命に整える。たっぷり濡らされて、中がヌルヌルになっているのがわかる。その感触と余韻をいつまでも味わっていたかったが、刹那はゆっくりと身体を離してゆく。
ふと見ると、勢いよくほとばしったらしく、刹那の体液がガデスの頬までとんでいた。
「ごめん」
刹那はガデスの頬にキスして、白いものを舌で拭いとった。ガデスのものも舌で綺麗にしようとして、制止された。
「やめとけ。今おまえが口でしたら、そのまま二度目が出ちまう」
「それでもいいよ、のむから」
「馬鹿。そしたら、いつまでたっても綺麗にならねえだろうが」
「じゃあ、一緒に風呂に行こう。俺が洗うよ」
ガデスはため息をついた。
「まったくおまえは朝から元気だな。とんだエロじじいだ」
刹那はちょっと赤くなりながら、
「エロじじいって……だって、永遠が来たら、夜、できないから……」
「まあ、そりゃそうだが」
「気持ち、よかったよな?」
「ああ。天国みたぜ。俺が死ぬ時は間違いなく腹上死だな」
「ガデス」
「おまえの上でなら、それでも本望だがよ」
ガデスは刹那を抱き寄せ、抱きしめる。刹那は嬉しそうに腕を回してくる。そのまま二度目をしたそうな表情だ。元気なことこの上ない。
元気な連中は七十を越えても元気だが、男性能力は平均的に五十代からガクンと衰えるものだという。ガデスも多少不安ではあった。しかし、刹那と触れ合う時、年齢は問題にならなかった。刹那のややキツイ美貌が年を経て落ち着いたものになり、すがすがしい美しさに変わってゆくのを見るのも楽しかった。惚れた欲目もあるのだろうが、ガデスは恋人としての刹那に何の不満もなかった。恋の魔法はとけることはなかった。三十年近くこの魔法にかかり続けていられるのは一種の奇跡なのだが、ガデスにはそれが当たり前のようにも思える――その相手が、刹那なら。
刹那は軽く腰をすりつけながら、
「死んじゃいやだけど、上と下、交替しないか?」
「そうだな、そうするか。……ち、俺もとんだ色ボケじじいだぜ」
「そんなことないよ。だって、俺だけだろ」
「おまえだってそうだろう」
「うん。だからガデス、もう一度」
再び交わって、新たな喜びに二人は浸った。
「気持ちいい……俺、死んじゃいそう……」
「死ぬ時は一緒だぜ。達く時もな」
「やだ、死んじゃいや……あっ、あん」
あられもない姿態で、あられもなく乱れて。
彼らが浅いまどろみに落ちるまで、甘い睦言は尽きることなく続いた。

「親父、ただいま」
「おう。よく来たな」
玄関先で待っていたガデスは、成長した息子と孫をみて破顔した。
「レンもだいぶ大きくなったな。まあ入れ」
永遠が自分の息子を連れて里帰りしてきたのだった。妻が二人目を出産することになって実家に戻ったので、永遠も実家に戻って来たのである。彼は二十七になっていた。
「ほら、レン、じいちゃだぞ」
永遠は、自分の息子をガデスの腕に抱かせた。
「じいちゃー」
はしゃいだレンが、ガデスの腕の中で暴れる。ガデスはそれを上手に抱えて、孫の頬にキスをする。レンのほっぺたはミルクの味がする。レンは二歳で、だいぶ前に乳離れしているのだが、子供の身体には独特の甘い匂いと味がある。そういえば永遠にもこんな頃があったな、と思うとガデスは感慨深い。刹那と交替で子供の面倒をみた記憶が蘇ってくる。
「親父、セツナは?」
「中だ。おまえらが泊まれるように、ベッドを直してる」
「なんだ、そんなの俺、自分でやるのに」
「客にそんなのさせられねえだろ」
「客って俺、息子じゃないか」
「それでもだ」
朝、二人で汚してしまったのでいろいろ取り替えているだなんて、口が裂けても言えない。さすがにそれは恥ずかしい。ちょっと腰にきてるだなんてことも、言えない。
ふと、レンがちいちゃな掌を伸ばして、ガデスの左目の傷に触れる。
「じいちゃ、イタいのー?」
「こら、レン、やめろ」
永遠が叱ってもレンはやめない。苦笑いしてガデスは家の中に入り、レンを肩車した。
「どうだ、じいちゃの背は高いだろう。高い高い」
レンはキャッキャと声をあげて喜ぶ。
奥の部屋から刹那が出てきた。
「遅かったな。食事はすませてきたのか?」
「ああ。途中で適当に」
「適当にって、レンに何を食べさせたんだ?」
「もう二歳なんだ、大人と同じものを食べるさ」
刹那は顔をしかめ、孫の様子をうかがった。レンが上機嫌なので少し頬をゆるめ、子供向けのジュースを出してきた。
ガデスは肩車をやめ、刹那に孫を手渡した。
「ほらレン、刹那だぞ」
「せちなー」
ひさしぶりにあった刹那の顔を憶えているかいないかわからないが、レンはにっこりして刹那に抱かれる。
「レン。これ飲んだら、少しお昼寝するんだぞ。ずっと車で、疲れたろ?」
「うー」
最初はいやがったが、ひとごこちつくと眠くなったらしい。大人しく刹那に手を引かれて、寝室に連れていかれた。子供用の簡易ベッドを刹那はこしらえていた。そこで寝かせようというのだ。
永遠がひとこと付け加えた。
「あ、寝かせるまえにオムツはかせないと」
「そうだな。もってきてるか?」
「荷物の中にある」
「じゃあ、出してくれ」
刹那がレンの仕度をして寝かしつけてしまうと、あとは大人三人の話になった。
ガデスが用意した軽食をつまみながら、近況を語り合う。
「奥さん、順調なのか?」
刹那が水をむけると、永遠はうなずいた。
「まあ二人目だし。実家でのんびりやってるさ」
ガデスが指を折りながら、
「予定日は来月だったか?」
「うん」
「じゃあ、その頃また、じいさん二人で見舞いにいくか」
「うん。そうしてくれると、あいつも喜ぶ」
永遠は、比較的早い結婚をした。相手は、ガデス達が移り住んだ村に流れてきた娘で、過去や素性が知れないので、親二人は最初、交際に強く反対した。サイキッカーと元サイキッカーで構成された家族である、うかつな相手とつきあうのは命とりだという教えは、永遠にもしっかりたたき込まれていたはずだった。それでも彼はその娘を選んだのである。ガデスと刹那は娘の家を調べだし、自分達と永遠のことを簡単に説明し、それでもいいのかと親たちに念を押した。永遠が選んだ娘の親だけあって、人柄には問題がなかった。資産もバックもそれなりにある家で、永遠と娘の交際にも好意的だった。結局、ガデスと刹那が折れることになった。
永遠は彼らの家を出て一戸を構え、妻と小さな雑貨屋をはじめた。二人は時々様子を見にいって、息子夫婦の無事を確かめた。初孫が産まれた時はかけつけた。平穏な日々が続いていた。
「せちなー」
よちよちとレンが部屋から出てきた。まだ眠そうな目をこすりこすり。
刹那がどれ、と腰を浮かせた。
「どうした、レン」
「あそぶの」
小さなレンはいろんなことをせがんだ。外を見たい、お話をききたい、歌を一緒に歌ってくれ、お馬さんになって等々、思いついたことを次々に二人の祖父に要求する。あちこちをパタパタと走り回る。度を越えると永遠が叱るのだが、二人は孫が可愛いので、いくらでもいうことをきいてやる。夕食が終わっても、レンは二人を離さなかった。
夜が更けてくる。ガデスがレンの頭を撫で、ベッドへうながす。
「そろそろねむねむだろ、レン」
「うー」
レンは刹那の方にしがみついた。
「おんぶしてー」
「わかった。おんぶするから、お部屋にいくんだぞ。ねんねだぞ」
「レン、せちなとねんねするー。おはなし、もいっかいー」
「よし。お話もう一回だな。じゃあおいで」
刹那はガデスに目配せした。寝かせたら戻ってくるから、という意味だ。
残された二人は、台所で向かい合った。
「なんか飲むか?」
「うん」
ガデスが水割りをつくって出してやると、永遠はそのグラスを両手の中に包み込む。
刹那が酒を出された時にするのと全く同じ仕草、同じタイミングなので、ガデスは思わずニヤリとした。長年一緒に暮らしてきたものは、血がつながっていなくとも、無意識にこれだけ似るものかと。
「なに笑ってるんだ、親父?」
「いや。妙に刹那と似てると思ってな。そういや俺が軍で刹那に会った時、ちょうど今のおまえと同じくらいの年だったんだ」
「へえ」
「その頃の刹那は生意気でな。たいして強くもねえくせに、俺にやたらに喧嘩売ってきやがって、いいかげん腹がたったもんだ」
「でも、それでも二人で暮らすほど仲良くなったんだろ。なんでなんだ?」
「どうしてだろうな。どういう訳か、つっかかってくるアイツを可愛いと思っちまったんだ。それが全ての始まりさ」
「可愛い?」
「ああ。俺が守ってやらねえとコイツは駄目になっちまう、そう思ったら無性に可愛く見えてきてな。あいつは甘えるのがうまいのさ。おかげで、俺の人生もだいぶ狂っちまったがな」
ガデスはグラスを傾けながら思い出話を始めた。若い頃の刹那の美貌。そのよるべない身の上。二人の恋がはじまって、身も心もかたく結ばれるまでのこと。
永遠は苦笑しながら親のノロケ話をきいていたが、ふと時計をみて眉を寄せた。
「親父、まだ刹那、戻ってこないけど……レンが困らせてなきゃいいんだが」
「ああ。ちょっと様子を見てくるか」
二人はレンが寝に行った部屋をこっそりのぞいた。
静かだった。
刹那もレンも、一つベッドの中に丸まって寝息をたてていた。大人用の方でだ。
話をしているうちに眠くなって、刹那も寝てしまったらしい。毛布をかけなおしても起きる気配がないので、そのままにすることにした。
部屋の外に出ると、ガデスは頭を掻いた。
「しかたねえな。ま、俺達の部屋のベッドは広いから、おまえはそっちで寝てくれ」
「親父はどうするんだ」
「床で寝るさ」
「それより、こっちも親子水いらずで一緒に寝ようぜ」
「ゾッとしねえな」
ガデスは肩をすくめた。
「それに、ねぼけておまえに手を出すとまずいしな」
永遠は目を丸くした。
「まさか親父、まだ刹那と?」
してるのか、という言葉をのみこんだ息子の前で、ガデスは頬を赤らめた。
「助平ジジイと思うだろうが、今でも毎晩が普通でな……あいつ相手だと、いくらでも平気なのさ、これが」
「そんなに……」
永遠はふと真顔になった。
「親父」
「うん?」
「親父、刹那に会ってから、ずっと刹那だけなんだよな」
「ああ、そうだな」
「そんなに刹那がいいんだ。浮気しようと思ったことなんて、一度も?」
「ねえな」
第一、浮気なんかしたらあいつを永久に失っちまう、とガデスは心の中で呟いた。
永遠は知らない。刹那とウォンのいきさつを。刹那は、好きになった相手に対してはけなげに尽くすが、裏切られたら飛び出して二度と戻ってはこない。そういう性格なのだ。ガデスだって健康な男だ、刹那となかなかできない時、好みのタイプに出くわして血が騒ぐこともあった。だが、そう思った次の瞬間、泣きそうな刹那の顔が脳裏に浮かぶのだ。「ガデス、その女が好きになったんなら、俺はもういいよ。その人と幸せになってくれれば。俺のことは忘れてくれ、さようなら」と囁く声が聞こえてくるのだ。ガデスは慌てて家に戻り、刹那を抱きしめる。「おまえだけだ、俺が一番大事なのはおまえだ。おまえだけは失くしたくない」とかきくどく。刹那は「俺も」と恥ずかしそうに甘えてきて、それだけでガデスは胸の奥が痛くなる。俺は絶対におまえを泣かせない、とそのたび誓う。最後までおまえを守りぬく、と。
「すっかり刹那の尻に敷かれちまってるからな。あきれたろう」
「いや」
永遠が言葉を濁したので、ガデスは反対に茶化した。
「ま、おまえだってそうだろ。そう思えないような女を二度もはらましたのか? 違うだろ」
「うん」
永遠の様子がどうもおかしいので、ガデスは真顔に戻った。
「どうした? なんかあったのか」
「親父の部屋で話していいか?」
「ああ。構わねえぜ」
寝室に入り、ベッドに並んで腰掛けると、永遠はおもむろに切り出した。
「どうやったら、いつまでも仲良くしてられるんだ?」
「なんだ、おまえ嫁さんとうまくいってねえのか? 喧嘩でもしたか」
「いや。そういうんじゃないんだ」
永遠は口唇をとがらせて、
「ただ、子供ができたろ。そうすると、女って子供が一番になるだろ。しかも、二人目もすぐにできちまってさ。そうなると、嫁さんがすっかり女でなくなってくるんだ。毎晩どころか、忙しいと月にいっぺんもできない時だってある。そうやって離れてるうちに、なんだか物足りなくなってきてさ。嫌いになった訳じゃない、でも女って感じがしなくてつまらないんだ。普通はそういうもんだってみんな言うけど、でも、親父と刹那は、いつもめちゃめちゃ仲良しだろ。うらやましくてさ。やっぱり出産のブランクがなかったからなのかな、と思ってさ」
ガデスは思わず声をあげて笑いだした。
「そうか、そういう話か、なるほどな」
「親父」
笑いごとじゃない、と永遠がむっとすると、ガデスはやっと笑いやんだ。
「いや、俺と刹那も、できない時期はあったさ。それでも、できるようになってから、前よりもっと仲良くなったぜ。だから、あんまり心配するこたあねえ」
「でも、どうやって前よりも?」
「そうだなあ」
ガデスは少し考え込んだ。
「もし、おまえが毎晩やりたいなら、嫁さんの身体が少し楽になった時に、はっきりそう言うんだな。おまえが好きでおまえが毎日欲しいんだってな。それから、嫁さんがおまえと毎晩欲しいと思えるぐらい、優しくしてやれ。夜だけじゃねえ、昼間もだ。心配事や辛い事を、聞き流さないで一緒に悩んでやれ。できることはなるたけ手伝ってやれ。メシの仕度だろうが掃除だろうが赤ん坊の世話だろうが、家の中の事で男にできねえことはねえんだ。そうだろう?」
「……うん」
「おまえ、嫁さんの身体をちゃあんと知ってるか? どこが好きで、どうされるのが好きで、どういうペースが好きか知ってるか? どうやったら相手の身体が柔らかくなるか、なにをしたら必ず達くか知ってるか? 女の身体はな、責めるとこが一ミリずれただけで感じなくなるもんだ。キッチリやっとけ。まして相手が嫁さんなら、指だけで毎回達かせられるくらい知り尽くしてなきゃな。知らなきゃ必ずきいて、全部確かめるんだ」
「きくって、俺、そんなこと」
「なんだ、男のおまえが恥ずかしがってどうする。嫁さんはもっと恥ずかしいんだぜ。好きならしっかり喜ばしてやれ。そうだな、するのは夜中より前の時間がいい。薄っ暗くして、ちっとロマンチックにしてな。する前に、一緒に風呂に入るのもいいぜ。いざするとなったら、子供に邪魔されねえように、部屋の鍵はしっかりおろしとけ。相手のことだけ考えて、全身で一生懸命愛してやれ。でも、女にゃなるたけ優しくな。それからどんなに眠くても、後始末までが男の仕事だ。きれいにしてやって、できれば朝まで抱いててやれ。それから、嫁さんがちゃんと達ったらおまえも自分の好きなとこを教えて、嫁さんにも時々やってもらえ。……ま、それだけやっても駄目だったら、そん時きゃ仕方ねえから別れちまえ。残念だが、相性が悪すぎるってことだからな」
「親父」
永遠はびっくりしていた。
「それを刹那と……そこまで?」
「ああ。見返りはたっぷりあるぜ。あいつは今でも最高だ。おかげでこっちも衰えねえ」
ガデスはニッと笑って、
「ま、男なら、惚れた相手にゃそれぐらいしてやれ。俺達の反対をおしのけてまでおまえが選んだ女だ、そう間違いはねえだろう。じっくり時間をかけて愛してやるんだな。辛抱にゃ、必ず報いがあるもんだ。それに俺達は、おまえを嫁の一人も満足させられねえような甲斐性なしに育てた覚えはねえんだが」
「……」
永遠は考え込んでしまった。
ああ、若い永遠にわからせるのはまだ無理か、とガデスは思う。自分だって、若い頃は、刹那とこんなに長く続くとは思っていなかった訳で。
でも、刹那を選んだことに間違いはなかった。他の相手など今更考えられない。長い年月と信頼と快楽で結ばれた絆を、他と取り替えることは不可能だ。二人で育てあげた子供が、こうして立派な大人になっている。俺達は、大事な仕事をこうして一つやりとげたんだ。そのことだけは、誰にも指をささせない。
「永遠」
「うん」
「ま、あんまり思い詰めるな」
「うん」
「寝るか?」
「うん」
ガデスは永遠と並んでベッドに入りながら、
「まあ俺だって、親父ってのはつまらねえ仕事だと思う時もあるのさ。レンだって結局、刹那の方にいったろう。結局ガキってのは、ゴツイ男より、そうでない相手の方が安心できるんだろうな」
「……」
永遠は、くるりとガデスに背をむけてしまった。
「俺、親父が刹那を愛するみたいに、できるかな」
「できるだろ、おまえなら」
「俺、親父に甘えたい時、ちょっと刹那に気を使ってたんだ。二人があんまり仲がいいからさ、俺が割り込んで大丈夫かなって」
「知ってたさ。寂しかったろ」
「親父」
「おまえは立派な子供だった。俺達に迷惑かけないように、いつも一生懸命だったろう。ずいぶん無理させて悪かったと思ってる。あんなに幼いうちからそこまで気をつかわせるとは、俺達も相当うかつだったぜ。くったくのない孫を見るまで、それに気付かなかったんだからな。レンもたいしてヤンチャじゃねえが、おまえは最初から小さな大人だった。今じゃ反省してる、俺達はおまえがどんな子供でも決して見捨てない、愛してるんだからなって、毎日毎日言ってやりゃあよかったってな。ちょっとでも親として信用されるように、一生懸命やらなきゃいけねえのは俺達の方だったんだ。なあ?」
「そんなことないよ」
「永遠」
「親父も刹那も、立派な親だよ。俺、信用してる」
「そうか?」
ガデスは腕を開いた。
「じゃあ、甘えてみろ。二十六年分、おもいっきりな」
「……父ちゃん」
永遠はそっとガデスに身を寄せてきて、逞しい腕の中で、静かに泣きだした。

2.

翌朝、永遠がいきなり帰ると言い出したので、刹那はびっくりした。
「十日か、できれば一ヶ月ぐらい世話になりたいって言ってなかったか?」
「最初はそのつもりだったんだけど」
彼女の顔が急に見たくなって、と永遠は呟いた。
「ああ」
刹那はニッコリした。そういう気持ちならわかる。
本当はレンともう少し楽しんでいたかったが、仕方がない。
「じゃあ、そのうちじいさん二人で遊びに行くから」
「うん。ダブルベッド用意して、待ってるよ」
刹那は真っ赤になった。
「いや、それは別々にしてくれ。頼む。恥ずかしい」

「じいちゃ」
いざお別れという段になって、レンはガデスの方にやってきた。刹那と永遠がずっと話しているので、つまらなくなったらしい。
「あのね、じいちゃ」
レンの掌が、ガデスの太い指をぎゅうっと握る。
「あのね、あのね」
「どうした?」
ガデスは屈みこんで、目線の高さをあわせる。
「ん、どうした? だっこか、おんぶか、肩車か?」
「おひざー」
「そうか」
ガデスは床の上であぐらをかく。
レンは祖父の膝にのると、その目の傷に掌を伸ばした。
「あのね、イタイの、なでなでするとイタくないの」
そうっと撫でさすりはじめた。
そうか。
やたらに傷に触ろうとするのは、そういうつもりで。
レン。
俺の育てたものの、その先の命。
可愛い俺の孫。
「ありがとうよ、レン。おかげで、もう、痛くない」
「イタないの?」
よかった、とレンは傷から掌を離した。
ガデスの指を痛いほどぎゅっと握ったまま、膝の上で甘える。
ふと、レンはガデスの耳に口唇をよせた。
「あのね、レンはね、じいちゃもせちなもすきなの」
「そうか。刹那と俺と、どっちが好きだ?」
「じいちゃ」
ニコッと笑ってから、
「それでね、じいちゃもせちなも、レンといつもいっしょなの、いいなあ」
「レン」
その時、永遠がレンを呼びにきた。
「行くぞ」
「はあい」
するり、と小さな身体がガデスの腕の中から抜け出した。
振り返りもせず、親の元へ一心に駈けていくのだった。

「ガデス」
その夜、刹那は先にベッドに入ってガデスを手まねいた。
ガデスが脇に滑り込むと、刹那は腕を広げ、ガデスを包み込むように抱いた。
「レンがさっさと帰っちゃって、寂しくなっちゃったろ」
「ん、まあな」
ガデスは、そっと刹那の胸に体重をかけた。甘えるように頬をこすりつけながら、
「いいさ。俺にはおまえがいるからな」
「ガデス」
二人はそのまま、互いのぬくもりを静かに味わっていた。
刹那が小さく呟いた。
「ずっと……ずっと、このままでいたいな」
「ああ」
ガデスも小さく、そしてゆっくり囁きかえした。
「……そうだな。いつまでも一緒に、な」

(2000.1脱稿/初出・恋人と時限爆弾『ずっと/そばに/いるよ』2000.4)

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