『遺 志』

ポツ、と頬に雨が当たって、キースはハッとした。
どこか適当な避難所をさがさなければ。傘も雨具もない。
あまり天気の変わりやすい地方だとすると、新しい基地候補地としてはよくないかもしれない。とはいえ単調な天候も問題がある。一日中雲が垂れ込めている湿気た土地に住む人々は往々にして閉鎖的で、なおかつ詮索好きだという。でかける気がおきないから、自分の家に閉じこもり、近所の噂話をするしかなくなると。そうでなくともモノトーンの日々は誰でも滅入らせてしまう。そういう土地は避けたい。
キースは平坦な道を歩き続ける。
雨の強くなってくる気配はない。ぽつん、ぽつん、と顔に当たるのでわかる程度だ。
ふだん生の実感がとぼしいキースにとっては、そのつど目が醒めるようで、そう不愉快ではない。
「そういえば……」
昔、小雨に濡れるのが好きだった時期があったな。
その頃、帰る場所があった。
寒ければ熱いコーヒーをいれてくれる友人がいた。
タオルと着替え、簡単な食事、シンプルな笑顔が待っていた。
今、彼はどこでどうしているのだろう。
僕が死んだという噂を信じてくれているだろうか。
それともどこか遠くで、まだ少しでも案じていてくれるだろうか。

打ち捨てられた倉庫のような場所を発見して、キースはそこへ入り込んだ。
雨露だけはしのげるが、ガランとして骨組みしかない。何に使っていたのだろう、車庫か、それとも廃工場の類か。干し草をストックする場所だったかもしれない。乾いた植物の匂いがする。
雨音以外は音もしない。座る場所があるかと探すと、作業台のようなものを見つけた。高い所にあってすでにガラスもない窓を見上げる。ふっと疲れがでてきて眠気をさそう。こんなところで寝られもしまいが、うっすらと甘い気持ちになって目をつぶった。
その瞬間。
キン、と鋭い音が響き、身動きができなくなった。
「!」
マグネットアンカー。電磁の鎖がキースを縛していた。
一度この鎖でからめ取られると、バリアをはることも防御もできない。相手の手元にたぐり寄せられ、その攻撃に甘んじることになる。雷撃系の超能力者の基本能力であり、現在人工的につくりだすことも可能な技だ。
だとすれば敵は軍、超能力研究所のものか。
相手はマスクで顔を隠している。
なんという油断。
過去など懐かしんでいる場合ではなかった!
さけられず四連打の攻撃をうける。たが直後キースは氷の龍をはなった。
潰されずヒットし、相手の口から高い悲鳴が洩れた。
体勢を整えて次の攻撃を加えようとした瞬間、

建物全体が崩落した。

★ ★ ★

ガラガラと走るストレッチャー。
「キース様!」
ぐったりと目をつぶったキースの頭部には包帯がぐるぐるとまかれ、その包帯はすでに血がにじんでいる。
ウォンはストレッチャーと共に走る。
「キース様、私の声が聞こえますか!」
手術室へ運び込まれる直前、キースの口唇から低い声が洩れた。
「聞こえる」
ウォンが安堵した瞬間、次の言葉が洩れた。
「……もし僕が死んだら、僕の遺志をついでくれるか?」
ウォンの返事を待たずドアは閉まり、手術中のランプがついた。
「キース・エヴァンズ」
ウォンはドアに拳を打ちつけた。
なぜ貴方は。
基地候補地の下見に黙って一人で行くなんて。
あげく敵に襲われるなんて。
瓦礫の下敷きになるなんて。
別の偵察隊が気付いて応援にかけつけなければ、その場で冷たくなっていたかもしれないのだ。
なぜ貴方はそんな無茶を。
しかもあの、愚かしい台詞はなんだ。
【死んだら僕の遺志をついでくれるか】
貴方がそんなことを口走るなんて。
「不可能です。私達は同じ人間ではありません」
ウォンとキースという両輪があってこそ動くものがある。キースの仕事すべてをウォンができるものなら、二人でいる必要などないではないか。
それとも、二人でいる意味など……もう無いと?
ウォンはいま自分がどんなにみっともない顔をしているか自覚していた。
泣いていた。堪えきれずに。

頭部に損傷が認められたものの、翌日にはキースは目を醒ました。
医師との会話も正常なようだ。
「キース様、お話が」
ウォンは人払いをし、ベッドの傍らへ腰を降ろした。
アイスブルーの瞳は、ぼんやりとホンコン・チャイニーズの上をさまよう。
「君は……誰だ?」
頭を殴られたようになってウォンが言葉を失っていると、
「冗談だ」
真顔でキースは続けた。
どうやら元気そうだ。
ほっとしてウォンはキースの頬に手を伸ばした。
「どうも、貴方らしくない油断をしましたね」
「そのようだ」
やはりキースはニコリともしない。
出会ったばかりの頃を、ウォンはふいに思い出した。決して心を開こうとしない若者。感じていても少しも声もあげなかった、かたくなな青年。
「理由をうかがってもよろしいですか」
「一人でできることがあるということを思いだしたかっただけだ。できなかったがな」
「それでいて、僕の遺志をついでくれるか、ですか」
「ふん」
キースは突然ウォンの掌をはらいのけた。
「君の身体に飽きた」
ウォンはドキリとした。
しかしキースの瞳に宿る強い光は、むしろウォンの愛撫を求めている時の輝きだ。乱暴にしていい、とすがりついてくる時の眼差し。
ウォンは静かに答えた。
「嫌われましたか。ですが、私の方には貴方をあきらめる理由がありません」
そういってキースの胸に掌を滑らせた。きゅっと硬い乳首を感じる。
「飽きたのなら、こんなことをされても感じませんね? でも私は貴方をまだ味わい尽くしていない。ですから、いただきます」
キースが感じる部分は熟知している。怪我をしていようと、そう負担もかけずにとろかせる。一気に絶頂へ導ける。ウォンは愛撫を急いだ。
キースは抵抗しなかった。
身をくねらせ、呻き声をあげ、そして何度も青い精をまきちらした。
ウォンはそれを飲みほし、嘗め尽くし、十二分に味わった。

後始末をすると、長い髪を垂らして、ウォンはキースの枕辺にひざまずく。
「そろそろ子どもでもつくりましょうか」
「僕らのか。どうこしらえてもロクなものにならんぞ」
身体こそ緩んだものの、キースの顔に微笑みは戻ってこない。
「気にするな。この不機嫌は君のせいじゃない」
「ではなんです」
「最初から不公平だということだ」
「なにがです」
「君は、僕がいなくても自分の目的が果たせるだろう」
「ああ」
なんだそんなこと――と思いつつ、ウォンは真顔になった。
この青年にとって、それがどれだけ屈辱的なことか知っている。ふたりの年齢差も力量も関係ない、自分の始末を自分でつけたいだけなのだ。それはウォンにも理解できる。
隠れ棲む生活が長くなればなるほど、この鬱屈は大きくなるだろう。
発作的な行動にでたのは、そのためか。
だがしかし。
「キース様に一つ質問をしてもいいですか」
「なんだ」
「もし、サイキッカーの理想郷が完成してしまったら、どうします?」
キースの表情が初めて動いた。
そんなことはありえない。
だが、それならなぜ自分はそのために奔走している。
命をかけてまで、こんな怪しい男に助力を乞うてまで。
キースは相手の瞳をじっと見つめ返しながら、
「私も君に聞こう。世界征服が終わったら、君はどうする」
ウォンは微笑んだ。
「物語の終わりは決まっていますよ。そして、好きな人といつまでも平和に暮らしました、でしょう」
「そんな柄か」
「ハハハ」
キースの顔に暖かみが戻ってきた。
「くだらないことを言った。遺志などと」
「はい?」
「たとえ理想郷ができても、長く続くものじゃない。どのみち僕にとって、いま見える世界が世界のすべてだ。死んだ後のことなどどうでもいい。君に何かを負わせるのは、それこそ傲慢だ。僕がどんな死に方をしても、君は何もする必要はないから」
「素敵な遺言ですが」
ウォンはキースの枕に頬を埋めた。
「敵討ちも、だめなんですか?」
「それこそ君の好きにしろ。死人に何かを止める力はない」
「他にご要望は?」
「後追いだけはしないでくれ」
「かしこまりました。貴方の死後は、せいぜい理想郷を繁栄させることにしましょう」
立ち上がってうやうやしく頭を下げるウォン。キースは眉を寄せた。
「やはりどう考えても不公平だな。僕は君の仕事ができないのに、君には僕の仕事ができる」
「本当にそうでしょうか」
「ああ」
「そうですかねぇ。とにかくすべて平等でなければ嫌?」
「嫌だ」
「そうですか」
ウォンはキースに背を向けた。
「私はあまりに恐ろしくて、【おまえは誰だ】とか【おまえに飽きた】なんて、絶対に言えませんよ。それでも、私たちは……平等なのでしょうか?」
キースは身体を起こした。
相手の腰に頬を寄せて、
「わかった。もし君が先に死んだら、僕が世界を征服してやろう。それでいいか」
ウォンは振り向き、そしてベッドの上に身体を倒した。
「それが普通の順番かと思いますが、いいんですか」
「それはどうかな」
キースの口唇がウォンの首筋に押される。
「とにかくその前に、君を味わい尽くさなければな……」
「あんまり無茶を、しないでくださいね」
「わかってる。世界征服は僕が元気になってからだ」
「違います、そうじゃなく」
頬を赤らめたウォンが何を言いたいのか気付いて、キースは相手の巨躯にのしかかった。
「言ったろう?」
「え」
低い囁き。
「……とにかく平等じゃなきゃ嫌なんだよ、僕は」

(2003.6脱稿)

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Written by Narihara Akira
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