『な ぜ』

貴方はいつもこういう。
君を縛る気はない。
君の仕事には立ち入らない。
誰と寝てこようが気にしない。
それは別に強がりではなく、キース・エヴァンズの本心だ。
では私は?
貴方を縛りたい。
貴方の仕事のすべてを支えたい。
貴方を欲望の贄にとたくらむ者あれば、その場で殺してもあきたらない。十三本の剣でズタズタに切り刻み、不埒者としてさらすだろう。
それは大げさな比喩ではない、私の本心だ。
手の内をあかす愚まで犯して、貴方が欲しい。
だから時々、とても寂しいのです、キース様……。

「ん……」
小さくうめくキースの頭を抱え込み、その髪を撫でながら、ウォンの心は沈んでいる。
もう眠ってしまうんですね、と囁いてしまいそうだ。
最近のキースはすこぶる健康的だ。早く寝て早く起きる。表情も明るい。戸外へ出ればいい空気を楽しみ、新鮮な花の香りを喜ぶ。ウォンが自分の腕を振るい、簡単な料理など用意すると、美味しい、と素直に微笑んでくれる。
それでもキースは、親しき仲にも礼儀あり、の態度を崩さない。ベタベタと甘えてもこない。それどころか最近の彼は、気づくともうベッドに入ってすやすやと寝息をたてているので、起こして「しましょう」と誘うことができない。
今晩、やっと一通りをしたけれど、一度で満足してしまったらしく、キースはすでに目蓋を重く閉じている。
ため息をつきそうになって、ウォンは懸命に堪える。撫でる掌をそっと離して、キースの呼吸をきいている。やっぱり眠ってしまったか、と首を伸ばして姿勢を変えようとした時、ふと、濡れた感触を首筋に感じて、ウォンはアッと声を上げた。
「なぜ」
眠っていた筈のキースの口唇が、ウォンの肌を吸っていた。痕がついてしまいそうなほど、強く。
「言うにことかいて、【なぜ】か、君は」
顔を上げると、キースは笑った。
「もう眠ってしまわれたのだと」
「余韻を楽しんでいたんだ。髪を撫でてもらうの、気持ちがよくて好きだから。でも、もういい。今度こそ、おやすみ」
くるりと寝返りをうって、キースは再び規則的な寝息をたてはじめる。
その背を見つめ、それからウォンは、そっとベッドを抜け出した。
洗面所へ立つ。
「……」
柔らかな照明に照らされて、あわく輝くウォンの裸の上半身。
その喉元に、一輪の薔薇が咲いている。まだしっとりと濡れたそこに指で触れ、やっと大きな息をついた。
なぜ、気づかなかった。
キース様は策略を使っているのだ。
わざと早くベッドへ入って、私の出方を待っている。疲れて眠ったふりをして、私の気配をうかがっている。私がたまらなくなり、抱きすくめるのを待っているのだ。時に誘って、様子をみながら。
淫らな策――しかもそれは、かつて自分も使った手口。
「キース様」
私が、試させているのだ。
あの人に使わせているのだ。
そうまでして欲しがっているのだ、私がいつも望んでいるとおり。
それならば、今すべきことは、ベッドへ戻り、甘い言葉を囁きながらたっぷり愛撫すること。
だのになぜ、それをしない。
なぜ。

ウォン。
どうしたんだろう。なかなか戻ってこないけど、今晩はもういいのかな?
充分よかったから、僕は別にいいけど……。
ベッドの中で静かに息を殺しながら、キースはひとり思う。
久しぶりの触れあいだったのに、ウォンのキスは静かだった。
愛撫も落ち着いた、丁寧なもので。
それでも熱くなり立ち上がってきた彼の身体の中心を、ウォンはそっとおしいただくようにする。裏を指でなぞりながら、先端を優しく口に含む。清める、という言葉がふさわしいような丹念な動き。もちろん最初からきれいにしているけれど、それをたっぷり濡らされ、にじみ出すものを舌でぬぐいとられる。それと同時に根元を軽く揉まれ、堪えるのがひどく辛くなった。我慢していなければとっくに一、二度達していただろう。口唇を噛んで息を止めていると、長い口吻はやっと終わって、
「もう少しの我慢ですからね。ですから、一緒に……」
僕は君を愛撫してない、まだ準備ができてないんじゃないのか、という台詞は思わず飲んでしまった。
ウォンはすっかり硬くしていた。皮膜越しでもはっきりわかるほど、熱くて大きい。
入り口にあてがってからすぐ、奧深くまでズッと入り込んでくる。
思わず泣くような声が洩れてしまい、身をすくめた。
ウォンは中を味わうように、ゆっくりと腰をゆらしだす。息も乱さず、優しい表情も変えずに。興奮しながら、どうしてそんな涼しい顔をしていられる。君の上半身と下半身は別の生き物か。それともあくまで僕に気を配ってか。僕がこんなに身も心も開いて抱かれているのに、君は……。
そのうち余計な思考はとんだ。
快楽は長く、余韻はおそろしく甘かった。
堪能、という言葉がふさわしい交わりで、ここのところ健康的に禁欲していた甲斐があったかな、などと思った。
本当は、毎晩一回がいいんだけれど。
君の口づけで眠りたい。
お互いの肌身がしっくりくるか、確認してから休みたい。
でも、たまには深い喜びを、一晩に何度も味わうのもいいから。
ほら、ウォンだって、いかにも名残りおしそうに髪を撫でてるじゃないか。
そっと髪を撫でられるのは大好きだ。ウォンはそれを知ってるんだから……ウォンの艶やかな黒髪に触れるのも好きだ。あの広い肩に顔をうずめ、足を開いた淫らなポーズで甘えながら、髪に手を入れる。梳くように指をいれ、そっと掌にからめると、ウォンが囁く。あまりいたずらしないでくださいね、と。その声は制止のためというより、愛撫をうながす調子で、強くひっぱらないようにしながら髪をいじる。めったに洩らさない、あの小さな吐息がききたくて。
……あ。
もう、離れてしまうの?
僕をこんな風にとろかしたまま?
それならそれで構わないけど、でもまだ名残り惜しいから、最後にキスを、一つだけ。
「なぜ!」
ウォンがびっくりしたように叫んだ。
ああ、今日はこれでお終いのつもりだったのか。
それならいい。
それなら僕も、もういい。
いいけど、でも、なんでベッドから抜け出して、ウォンは戻ってこないんだろう?

服装を整えると、ウォンはソファへ身を沈めた。
上着を羽織り、眼鏡をはずして目を閉じる。
貴方の安眠を妨げたくない。ぐっすり眠り、疲れをとるには、二人より一人でいるのがいいのだ。でも寝室におきざりにされるのを、キース様はひどく嫌がるから……。
「ウォン」
毛布をかぶったままの、くぐもった声。
「なぜ、そんなところで寝る?」
ウォンは重い腰をあげた。
ベッドへ近づき、キースの傍らに膝をつく。
「目が、醒めてしまいましたか」
まともにのぞき込まれて、キースは目を伏せた。
「……身体が火照って、眠れないんだ」
「そうですか」
ウォンの顔がすうっと近づく。
「どうしたらいいですか」
優しい声。軽く口の端に口唇が触れるキス。
「貴方をあやして、そのほてりを鎮めて眠れるようにしますか? それとも、もっと熱く燃え上がらせて、一晩中眠れないようにしましょうか」
キースは大きくため息をついた。
「君は、どうしたいんだ」
「なぜです」
ふいにウォンはすくっと立ち上がった。
「なぜ、そういう時、私に決めさせようとするのです、キース様」
「え?」
「貴方はいつも、君の好きなように、と言う。私は貴方の望むことをしたいのに、どうして……」
「ウォン?」
キースは大きく瞳を見開いた。
「もしかして、僕が何日か欲しがらなかっただけで、不安に……?」
「いいえ」
ウォンはその先を続けない。
なぜなら何も言えないからだ。
何度もキースの欲望を読み違え、あげくの果てにダダをこねている自分がうとましい。一緒にいるのに寂しいなどと、つまらぬことを口走らずにいるのが精一杯のていたらくで。不安はここ何日かに兆したのではない、貴方の身体が私に開かれた日からずっと続いている。身体より心が欲しい、貴方の心臓をつかみしめ、私から離れられないようにしたい。でも決して支配したい訳ではないのです、むしろ私は、貴方にかしずきたくて……。
「ウォン」
キースは静かに身体を起こした。
「君が僕に希望をきいてくるのは、言葉の愛撫なんだと思ってた。だからまさか、君がそんなことを寂しがってるなんて、思わなかった」
見上げられて、ウォンはすうっと落ち着いてゆく自分を感じた。
ああ。
策略ではなかったのか。
もちろん、長い間一緒にいれば、使う手段が似てくるということはある。
しかし、この人にそういう裏表はない、あるのはそう、深い洞察と人格の奥行き……。
「僕がどうしたいのか、本当にききたい?」
「はい」
反射的にうなずくと、キースはふっと目を伏せた。
「凄く言いにくいことなんだ。だから、怒らないで聞いてもらえたら嬉しい」
怒らないで?
私が何に怒るというのだ、キース様に対して。
「僕は、君の目からみたら、やっぱり子供で、頼りないよな?」
え?
「そんなことは……」
「本当にない?」
「はい」
「じゃあ、【どうしますか】っていつもきくのは、僕が庇護すべき子供だからじゃなくて、対等な大人として、尊重してくれているから?」
「キース様」
それは、貴方にもっと夢中になって欲しいから。
一瞬返事につまった間に、キースは先を続けた。
「そうだよな、やっぱり君には無理だ。無理なことは僕だって頼めない」
「いったい何の話なんです。私にできないことなどありませんよ」
「本当?」
キースの瞳が嬉しそうにきらめく。
「じゃあ、もっと、僕に甘えて欲しいな。……ベッドでも」
しまった。
彼お得意の策にはまった。
最初はハッタリをきかせ本心はいわず、有利になるよう綾をきかせて畳みかけ言質をとる――それは理詰めというより天性のカンで行われているものだ。それは根が恥ずかしがり屋のキースがやると嫌みがなく、おかげで相手は逃げることもできない。キース・エヴァンズという青年は、伊達で総帥業をこなしていたのではない、そうでなくとも、人柄とセットのテクニックは強いもので。
案の定、キースは頬をかすかに染めながら、
「わかってる、時々でいいんだ。でも、だって、今日は甘やかしてください、なんて、君が囁いてくれたら、僕だって、嬉しいから……」
「それは、でも」
「それが無理なら、【どうしますか】じゃなくて、【こうしたい】って言って欲しいんだ。君のしたいことがイヤかイヤじゃないかは、僕だって返事ができるから。だって、どうしますかって訊かれても、どっちだって答えられないから……だって、君が気持ちを込めてしてくれることなら、なんだって……なんだって、僕にはとても心地いいから……」
白い頬にますます血のいろがのぼって、それでもキースはウォンを見つめる。
ウォンはベッドへ、まるで崩れ落ちるように腰を下ろした。
ぎゅうっと恋人を抱きしめながら、
「私の愚かな欲望で、甘えていいですか」
「うん。なんだ?」
「私は、貴方を、縛りたい……」
大きなため息とともに吐き出す。
キースがフッ、と低く笑った。
「キース様?」
「そうだな。ちゃんと甘えられたご褒美に、君の本当の気持ちを教えてあげるよ」
「え」
キースはウォンの髪に手をいれながら、
「君は僕を縛りたいんじゃない。君は、僕に、縛られたいんだ。どんな時でも寂しくないよう、がんじがらめにして欲しい……そうだろう?」
「あ」
なぜ、自分でも気づかないでいた私の本心を貴方が、と言う前に、キースの口唇に口をふさがれた。
「なぜって言う前に、よく考えて……わからないか?」
顔を離すと、微かに潤んだ瞳でキースは笑った。
「あ」
そうか。
「そう、その通り。……いいんだよ、ウォン。もっと甘えて」
寂しいのは僕だっておんなじなんだから――その台詞はウォンがいわせなかった。

人はひとりで生まれひとりになって死ぬ、とまことしやかに囁く者はきっと知らない。
たとえ現象として一人で滅びようと、それまで共に連れ添った魂があれば、それは決して孤独ではないのだ、ということを。

(2001.12脱稿)

《サイキックフォース》パロディのページへ戻る

Written by Narihara Akira
http://www5f.biglobe.ne.jp/~Narisama/