『風よ力を』


「私、ここで、なにやってるんだろ」
ウェンディー・ライアン、十六歳。もうすぐ十七歳。
今日も某バーガーチェーン店でアルバイトをしている。
「笑顔の切り売りって、疲れるのよね」
休憩時間になったので、ウェンディーは軽食をもって店の裏手の公園へ向かっていた。
仲間と食べる時もあるが、今日は疲れすぎていて、ひとりになりたかったのだ。
さいわい温かい日で、冬になっても枯れない芝の上を、子どもたちがはしゃぎまわっている。
「平和よねー、いちおうは」
かつて《アメリカン・ドリーム》という言葉があったらしいが、実際にこうしてやって来てみると、貧困層から成り上がる可能性など、ほとんどありえない国だとわかる。ありとあらゆる差別が存在している。ウェンディーも、女で子どもでグリーンカードもないという社会的弱者であり、つまり金銭的な裏付けも何もないため、金持ちが住むところでは暮らせない。つまり弱者なのに安全な場所にはいられない、ということだ。
だからといって、オーストラリアに帰る気はしない。日々の生活費を稼ぐのに精一杯な状況では、帰国費用をすぐにひねりだすことは不可能だ。趣味のアクセサリー集めすら、見るだけで我慢している状態だ。
「どうしても帰りたかったら、飛んで帰ったっていいんだしね」
でも、故郷に戻ったとしても、歓迎されるわけじゃないし……。

クリス・ライアンは、オーストラリアの大学の心理学研究所に勤めながら、年の離れた妹であるウェンディーを養っていた。ライアン姉妹は、親を早くになくしていたが、クリスが優秀で奨学金が認められたため、恩を返すために大学で働いていたのである。
授業料ぶんの金をほぼ返し終えた夏、クリスは突然、荷物をまとめはじめた。
「どうしたの、お姉ちゃん。こんな時期に大掃除?」
「今の大学でできる研究には限界があるから、アメリカへ行くつもりなの」
「アメリカ?」
首をかしげるウェンディーに、クリスは透明な微笑で応えた。
「民間の研究所だけれど、お給料もいいし、今よりも面白い研究ができそうなの。サイトに優秀な研究者をひろく募集中ってあったから、応募したら、受かったのよ」
「アメリカじゃなきゃだめなの? 彼はどうするの? それとも一緒にいくの?」
クリスは研究所内につきあっている男性がいた。北欧系のすっきりした美貌の青年で、なかなかお似合いだったので、まだ小さかったウェンディーも、この人が義理の兄さんになるかもしれないのね、と思いながら、そのつきあいを見守っていた。
「別れたから」
短く答えるその声は、かすかに震えている。
「えっ」
「あの人は、私のブルネットが珍しかっただけみたいで」
まさか、ふられたから研究所を辞めるの、という台詞をのみこんだウェンディーの前で、クリスは首をふった。
「あの人の方が、先に研究所を辞めたの。理由はしらないけど」
「アメリカで、何の研究をするの?」
「心理学よ、もちろん。私が関わる予定のプロジェクトは短期の予定らしいけれど、やりがいがありそうで」
「なんてとこなの」
「WF超心理学研究所」
「超・心理学?」
聞き慣れない単語にウェンディーは首をかしげ、そしてはっとした。
「それって……私のためなら、やめて」
ウェンディーはとっさに、クリスの心を読んでしまった。
超心理学とは超能力を研究する学問のことで、クリスは特殊能力のコントロールができるかどうかを立証するプロジェクトにつくつもりなのだ。
ウェンディーが自分の超能力を自覚したのは、物心ついてからしばらくたってからのことで、家族にいわれるまでもなく、これは他人に見せるものではないなと気づき、極力抑えこんで生きていた。ただ、クリスはもちろん知っているわけで。
「私自身のためよ」
「でも」
「私もね、能力が出始めたの」
クリスが指を鳴らすと、なぜか青い火花が散った。
「嘘でしょ。お姉ちゃんもなの」
「最初は静電気かと思ったのだけど、違うようよ。ウェンディーの力の方がマシかもしれないわ。風の力で素早く動けるなら、襲われたとしても、相手を傷つけずに逃げられるものね」
「お姉ちゃん」
泣きそうになるウェンディーに、
「この力のことは、誰も知らないわ。彼も知る前に去っていったし。だから誰にもいわないで。遠い国で、こっそり試してくるのだから」
優しく語りかけるクリスに、思わずしがみつく。
「ねえ、私はどうしたらいいの?」
「研究所に缶詰になるし、あなたの能力を考えたら連れてはいけない。叔母さんが、しばらくなら面倒を見るわっていってくれたの。ウェンディーが嫌でなければ、頼りなさい」
「帰って、くるのよね?」
「もちろんよ。休暇ももらえるし、プロジェクトが終われば、オーストラリアに戻ってくるつもりよ」
「わかったわ」
大きな瞳から涙がこぼれないようにうなずきながら、
「叔母さんのところで、待ってるね」

三年待っても、姉は帰ってこなかった。
一度もだ。
最初は電話で話ができたが、もらった連絡先も、じきに繋がらなくなった。
「ごめんなさい、極秘の研究だから、家族とも最低限の連絡ですませなさいっていわれてるの」
クリスからの最後の電話は、その台詞で切れた。
当然、メールや手紙の返事もこない。
それからウェンディーは、アメリカの超能力研究所が襲われた、もしくは事故にあったというニュースを、何度もきいた。
姉が勤めた研究所の名前も、その中にあった。
「叔母さん。私、アメリカに行きたい。お姉ちゃんをさがしに行きたいの」
叔母は優しくしてくれたが、経済的に豊かというわけでもないので、いつまでも世話になっているのが心苦しかった。
だが、ウェンディーはまだ十五になったばかり、義務教育も途中で、当然叔母は反対した。連絡がとれないのだから不安なのは当たり前よ、でもウェンディーが危険な目に遭うことになれば、預かっている意味がないでしょう、と。 ウェンディーは、姉が残したものをかき集めた。貯金していた姉の仕送りをおろした。自分のもので、売れるものは売り、身軽になった。
「ごめんなさい。私、行くね」
かんたんな書き置きを残して、ウェンディーは叔母の家を出た。

研究所の跡地には、何も残っていなかった。
建物の残骸もない、市街地なのに駐車場にすらなっていない、ただの空き地だ。
ウェンディーは落胆した。
しかし、その近所を丹念に歩いている若者に出会った。
「あなた、なにやってるの」
「いなくなった友達を探してるんだ。なにか、手がかりがないかと思って」
金髪の一部を赤く染めて、派手なトサカ頭にしているが、顔はむしろ童顔で、口調も悪気のないものだった。
ウェンディーは相手の心を撫でようとした。
だが、のぞけない。
「なるほどね。お友達は、超能力者ってわけ」
若者は眉をあげた。
「へぇ、あんたもか」
「あなたもね」
「俺はバーン・グリフィス。キース・エヴァンズっていうのが俺の友達だ」
若者はウェンディーに写真を見せた。
目の前の若者よりもずっと若い、銀髪の少年がうつっている。
「私はウェンディー・ライアン。姉さんのクリスを探してるの」
ウェンディーも、姉の写真を見せた。
「あんたは姉さんか。大変だな。誘拐されたのか?」
「わからないの。何も」
「つらいな。なんの手がかりもなしか。軍の研究所に行くしかないかもしれないが、俺の年じゃ、志願兵としてもギリギリ、どうにかなるか、ならないか……」
その瞬間、バーンの顔色が変わった。
「今、なんか聞こえたよな?」
ウェンディーも、そのなにかを聞き取った。
《同志よ、我が元へ集え……私は、秘密結社ノア総帥、キース・エヴァンズ……同志よ、サイキッカーの理想郷が、ここにある》

それからの数ヶ月のめまぐるしさは、悪い夢でも見ているようだった。
バーンと共に、なんとかたどり着いた、秘密結社ノア。
年齢も境遇も多様なサイキッカーの中に、ウェンディーは姉をみつけた。
「お姉ちゃん……」
総帥の脇に控える、ソニアと名乗る青い髪のバイオロイド。
それが、研究所の事故で致命傷を負ったクリス・ライアンであることは、最初はウェンディーもわからなかった。当時、研究所の責任者であったリチャード・ウォンが、この緊急事態にあたって、もとからあった素体に脳と能力をうつしたのだが、その際に記憶障害が生じた。ウォンはクリスに新しい名を与え、キースの腹心と条件づけをして、蘇らせた。
一種の改造人間になってしまったわけだが、完全にウォンにコントロールされたわけではなく、時間の経過とともにソニアは、クリス時代のことを思い出していた。
しかしソニアは、ノアを出ていけない、ウェンディーとは行けない、といった。
「どうして?」
「ノアに、まだ、守りたい人がいるの」
「あの、キースって人?」
姉にとってなつかしい人の面影を、ウェンディーは総帥にみていた。
「いいえ」
「他に誰かいるの?」
ソニアはそれには答えず、
「この身体は、定期的にメンテナンスをしなければいけないの。他では暮らせないわ」
「でも」
「ごめんなさい、ウェンディー、約束を守れなくて。あなたはひとりで行って。ノアはいずれ、軍研究所と全面対決することになるわ。いいえ、相手は軍でないかもしれないけれど、争いに巻き込まれる可能性の高い場所に、あなたを置いておけないわ」
「そんなのいや」
「お願い、ウェンディー。そのかわり、いつも心を開いていて。この地球上のどこにいても、私の声が聞こえるように」
そういってソニアは、ノアへ戻っていった。

ある日、ウェンディーは、遠い姉の声をきいた。
「ごめんなさい、私の身体は、もう……」
誰かをかばおうとして、深手を負ったらしい。それが、ウェンディーがきいた、姉の最後の声だった。
ウェンディーは、泣けなかった。
姉に能力がめざめなければ、怪しい研究につけいられることはなかったかもしれない。
だが、いくら、こんな能力はいらないと思っても、あるものはある。
それなら、生きぬいていくなら、わたしはわたし、他人は他人、折り合ってゆくしかないじゃないの。
泣いてる場合じゃないわ。

その日からウェンディーは、黙々と働き始めた。
不満を口にすることもなく、機械的に身体を動かしながら、毎日を過ごしている。
悪夢の日々を、思い出さないようにするためだ。
しかし、ふと、銀髪の総帥を思い出すことがある。
《テレパシーがあるからって、わかりあえるわけじゃないけど、あの、キースってひとの気持ち、わからなく、ないのよね》
サイキッカーが安心して暮らせる理想郷――差別を恐れて縮こまって暮らす必要もなく、軍に実験体として狩られたり、殺されたりすることのない場所をつくりたい――願って悪いこととは、思えない。
自分を押し隠して、生きてるのか死んでるのかわからないような毎日を過ごすことは、幸せとはいえない。
たしかにテロはやりすぎだけれど、バーンは、親友のいうことを否定しすぎてる。
せっかく会えたのに、生きてたのに、喧嘩してどうするのよ?
それにしてもバーンは、今、どこで何をやってるんだろ。
ノアをエミリオと離脱した時、別れ別れになってしまったけど。
エミリオもあの後、結局ノアに戻ってしまって、一人になってしまったのだけど。
「楽しかったな……」
自分の口唇から思いもよらぬ台詞がもれて、ウェンディーは驚いた。
バーン・グリフィスとの旅。
ノアで暮らしていた、いろんな人たちとの出会い。
エミリオ・ミハイロフとの心の交流。
そして、クリスお姉ちゃんとの再会。
つらいことばかりだったはずなのに、なぜか懐かしく、今まで生きてきたどの時間よりも濃密で、心が弾んでいた瞬間があったと思う。
「ううん、バーンは、そういうんじゃない」
恋愛感情はない。
それでも、もう一度会いたい、と思った。
ウェンディーがサイキッカーであることを知っている、数少ない友として。
「次のお給料がでたら」
探しに行こう。
呼びかけたらきっと、私の声は届く。
バーンでなくても。
必ずどこかに存在している、多くの仲間たちに。
ウェンディーは昼食の殻をゴミ箱に捨てると、軽やかな足取りで店へ戻ってゆく。
ささやかな呪文を、口にしながら。
「風よ、力を――!」

(2012.1脱稿)

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Written by Narihara Akira
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