『さらさら』

「除光液はあるか?」
申し訳なさそうにきりだすキースに、ウォンはほほえみかけた。
「そうですね、だいぶ削れてしまっているようですし」
ウォンが、銀いろのマニキュアをキースの爪に塗ったのは、二週間も前のことだった。「本当は、ずっとつけているのは爪によくないのですが」とウォンに忠告されても、キースは「どれだけもつものか、様子をみていたい」とおとさせなかったのである。
しかしキースも、日常生活をすべて超能力でこなしているわけではない。爪ものびてきて、爪の先と根元の両端から、地のいろがのぞいてしまっている。銀いろと桜いろが勾玉模様のようになっているのは、それはそれで可愛らしいものではあったが、さすがに本人もみっともないと思い始めたらしい。
「仕事に差し支えてもいけませんし、きれいにしましょうね」
「いや、だから除光液だけ貸してくれればいい」
残念そうに呟くキースに、ウォンはマニキュアのリムーバーとコットンを差し出した。
「爪に優しいものを用意しました。コットンに含ませて、拭いてください」
「わかった」
キースは慣れない手つきで液をコットンにたらすと、爪をこすりはじめた。
ラメがこぼれる。
みかねたウォンが、その手をとめた。
「端まで落ちていませんよ。そんな空中で、何の支えもない場所で落とすものじゃありません」
キースの手をとるとテーブルに置き、ウォンはゆっくり、銀いろの塗料をぬぐいはじめた。自然の色が戻ってくる。
「ほんとに、爪に絵を描くのと同じことなんだな」
キースはぼんやり呟いた。銀いろの爪を見慣れてしまうと、なんのかざりもない自分の手が、ずいぶん地味なものに見えてくる。もともとの艶まで拭きさられているのもあろうが、人工のものよりも生気を失って見えるとはどういうことか。
「きれいに、なりましたよ」
「うむ。ありがとう」
リムーバー特有の匂いと、香料らしい甘い香りが漂う。ウォンは簡単に後始末をしながら、
「匂いが気になるようでしたら、手を洗ってこられますか?」
「うむ」
そういいながら、キースは立ち上がらない。そしてウォンを見上げた。
「君を、描いていいか」
「はい?」
「君の絵を描いてみたい」
「そんな心得がおありで?」
「子どもの頃にやったきりだ、別にうまいわけじゃない。が、君の贈り物のお返しに」
「光栄ですねえ」
ウォンは微笑んだ。キースはむっとした。
「なんだ、ばかにしているな?」
「いえそんな」
キースは立ち上がった。デスクから小さなスケッチブックと鉛筆をとって戻ってくる。ページを開くと抱え込むようにして、ウォンに命令をくだした。
「いいか。そこに座っていろ。動くな」
サラサラと鉛筆が動く音がして、数分たった。
ウォンは声を出さずに尋ねた。
「どれぐらい時間のかかるものですか」
「もう動いていい」
キースは口唇を動かした。ウォンは立ち上がり、キースのスケッチブックをのぞきこむ。
「ほう」
襟元までだが、ウォンの姿がくっきりとうつされている。
意外なほど力強い線だ。
ウォンの眼鏡の形も口唇の微妙な線も、確実にとらえている。艶やかな黒髪も、光のあたる部分だけ白く残して表現している。普段からよく見ているからここまで描けるのだろうが、なかなかの腕といえよう。
「描かせる気になったか?」
「素敵です。いただけるのですか?」
「これはあくまでスケッチに過ぎない。君へのプレゼントは油で描くんだ」
「油絵ですって?」
「ああ。街はずれの画材屋が、一式安く譲ってくれたので、久しぶりに絵が描きたいと思っていたんだ」
「それで私を?」
「ああ」
「油だと、時間がかかるでしょう」
「いやか?」
「私は構いませんが」
「君が構わないのなら僕も構わない。明日から一週間、一日一時間でどうだ」
「今日からでも構いませんが」
「集中力が欲しい。一時間以上は僕がもたない。そして、今日のぶんは使ってしまった」
キースはスケッチブックを閉じた。
「明日から。寝室で。二人でだ」
ウォンはうなずいた。
「御意」

いつもなら、午後のお茶にしましょう、という時間帯。
キースは用意したキャンバスの前で下書き用の木炭を手にしている。
「ほんとうに古風な道具ですね」
ウォンが手元をのぞき込むと、キースはうなずいた。
「初心者はこれでいいんだ。さあ、服をとれ」
「はい?」
「部屋は充分あたたかいだろう?」
ウォンは細い目をさらに細めた。
「着衣ではいけないのですか」
「自分の身体に自信がないのか?」
「いいえ」
「今さら、僕の前で脱げないとか、明るくて恥ずかしいとか、この基地で一番安全な場所で、万が一危険が襲ってきたら、とか、いいださないだろうな?」
「いいませんが」
ウォンは苦笑した。
「どのようなポーズをとったらよいのでしょうか。男の裸というのは、往々にして、まぬけなものですから」
「君の好きで構わない。楽ならなんでも。立っていようが、座っていようが、寝ていようが」
ウォンはため息をついた。そしてスルリと服を脱ぎ始めた。
すべて脱ぎ捨て、元結いもほどき、それからキースを見た。
「眼鏡も外しますか」
「それは残しておけ」
「なんとなく、そういわれる気がしていました」
苦笑し、ウォンはポーズを考え始めた。
立って、というのはやはり嫌なようで、椅子に座って脚を組んでみたりもしたが、それも落ちつかないようだ。
「ベッドの上でも構いませんか」
「君が楽なら」
「そうですか」
ウォンはベッドにうつぶせになり、柔らかな掛け布団を抱いた。胸と前は隠れてしまうが、脚を曲げて布団をはさみ、半ば身を起こし、身体の線は見えるようにした。柔らかな黒髪は女のようにサラサラと流れ、グラビアのセミヌード写真のような絵になった。
「こんな感じで、いかがでしょうか」
「明日も明後日もそのポーズがとれるか?」
「たぶん」
「なら、それでいい」
キースはそれから無言で木炭を走らせた。
描くと思うと、見慣れている相手でも、真剣に見つめなおすものだ。
集中しているのがわかって、ウォンは眼鏡越しに、キースをじっと見つめかえしていた。瞳が潤んでしまいそうなぐらい、じっと。
「今日はこれでしまいだ」
キースはキャンバスに布をかけた。
ウォンはベッドを降り、再び服を身につけ始めた。
「下書きは終わったのですか」
「ああ。明日から塗る」
「見せていただけますか」
「だめだ。コメントされると影響を受ける。しあがるまで我慢してほしい」
「わかりました」
髪を結び、ウォンはきりりと頬を引き締めた。
「では、午後の仕事を再開しましょう」
「うむ」

一週間目の午後。
「……ああ」
キースはため息をつくと、絵筆を置いた。
「もういい。ウォン、服を着てくれ」
「完成ですか」
「僕の腕では、たぶんもうこれ以上は描けない。しまいだ」
「では、やっと、見せていただけるのですね」
「ああ。ちょっと、他の者には見せられないものになってしまったがな」
ウォンは苦笑した。
他の人間に見せるつもりなど、彼にもなかった。
誰が自分の裸の絵を、人目につくところに飾るか。それでは露出趣味だ。
ウォンはゆるく部屋着を羽織り、キースに近づいた。
キースはふいに頬を染め、ウォンから視線をそらした。
「どうなさいました?」
「なんでもない」
「貴方がはずかしがって、どうします」
ウォンはキャンバスをのぞきこんだ。
「……ああ、これは」
ウォンも頬を染めた。
絵の中の男は、見る者を誘っていた。
しどけないポーズで。潤んだ眼差しで。
しかしそれは淫らというよりも、初々しさで誘っていた。
それはつまり、無垢な魂が恋人に全幅の信頼を寄せている姿。
「私はこんなでしたか」
「うん」
「私は本当に、貴方に愛されているのですね」
「たぶんな」
キースはそっぽをむいたままだ。
「私もいつか、貴方を描いていいですか」
「だめだ」
「なぜ?」
「君は途中で絵筆を放り出して、僕を抱いてしまうからだ」
「ふふ。そうかもしれませんね」
キースはますます赤くなった。
「本当は、この一週間、つらかった」
「なにがです?」
「たしかに、どんなポーズをとっても構わないとはいった。だけど、あんな……。それに、僕が君を見ているはずなのに、君の視線の方が強くて、ずっと、ドキドキしてた……」
「抱かれたかった?」
キースは無言で立ち上がると、ウォンの胸に頬をうずめた。
「僕はほんとは、絵なんか上手じゃないんだ。だけど、君なら、と思って……描いてみたくて」
「嬉しいです。とても素敵です」
ウィンはキースの腰を引き寄せながら、
「大切にしますね。ずっと」

(2009.2脱稿)

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Written by Narihara Akira
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