『Solution』

その夜、カルロが部屋を訪ねた時、キースは寝巻きの上から軽い上着を羽織ったなりで彼を出迎えた。寝台の脇の低いテーブルの上には、アイスペールとウィスキーとタンブラー。軽く一杯ひっかけてから眠るつもりだったようだ。
「まだ、何か確認しておかなければならないことがあったか?」
「ええ。明後日からのプロジェクトの事で少し」
「わかった」
さして厭な顔もせず、キースはカルロを部屋へ迎え入れる。テーブルを軽く片付け、カルロを招き寄せる。カルロは手短に始める。
「実は、基地の増設を担当する業者の中に、ひそかに軍とつながっている者がいるという情報が入ってきまして」
「そうか。で、誰と誰だ?」
「はい、それが……」
小声で話すうち、ごく自然に顔が近づく、手が触れ合う。キースはさりげなく身体を引く。カルロは少々さびしく思いながら話を続ける。
「以上が、今の時点でわかっていることです」
「なるほど、その情報にはかなり信憑性がありそうだな。だが、今から彼らをプロジェクトから外してみたところで、あまりいい事もあるまい。むしろここから情報を流すなりして、向こうを撹乱させる方へもっていった方がいいだろう。わかった、指示は追って出す。様子をみるから少し待ってくれ」
「わかりました。よろしくお願いします」
そう言いながら、カルロはそっとキースの掌に掌を重ねる。
触れても、構わないでしょうか?
ここのところ、しばらく肌を重ねていません。明後日からはお互い忙しくなります。
だから、少しだけで、いいですから。
キースは首を振った。
「悪いが、今晩は……」
やはり駄目か――そう思った次の瞬間、カルロはそれまで抱いていた疑念をうっかり口走っていた。
「もしかして、明日、ウォンと……?」
「!」
キースの頬が薄く染まった。
そこには否定どころか、ごまかしの言葉すらなく。
カルロは、身体の奥が硬く凍りつくのを感じた。
やはりウォンと会うのだ。今日一日、キース様はずっとソワソワしていた。仕事も早めに切り上げていた。こんなに早く寝る仕度をしているのは、明日ウォンと夜を過ごすため、ノアの同胞を裏切った男と、身も心もたっぷり愛しあうためなのだ。だから今日は触れてくれるな、と。明後日からのプロジェクトをまかされたのも、たぶん普段より多くの仕事を与えて、僕をしばらく遠ざけるため。触れさせないため。
ああ。
いっそ、この人のことはもうあきらめてしまおうか。
どんなに抱いても、どんなに尽くしても、この人は僕を見てはくれない。
それが、やっぱり辛い。
振り向いてもらえないのは、最初からわかっていた筈だ。
それなのに。
この事実を受け入れていくことが、こんなに苦しいなんて。
あきらめてしまえば、きっと楽になれる。
あきらめられれば。
たぶん。
「君も、少し飲むか?」
黙り込んでしまったカルロを見て、キースはさりげなく立ち上がり、追加のタンブラーとミネラルウォーターの壜を持ってくる。
「いいウィスキーだから生で飲んでみてくれと言われたんだが、君はどうする? 水割りにするか? それともロックで?」
カルロは目を伏せたまま答える。
「ロックで。よければダブルでお願いします」
キースの動きがふと止まる。何か困っているようだ。
「どうかなさったんですか?」
「ダブルって……どうやるんだ?」
カルロはびっくりしてキースを見上げた。
そんな事も知らないのか。
いや、びっくりする方がおかしいのだ。
この人が二十歳そこそこだという事をつい忘れる。収容所暮しが長くてろくな社会生活を送っていないことを忘れてしまう。この人にも、知らないことや知らない世界があることが不思議に思えてしまう。普段ウィスキーをたしなまない人であれば、その作法を知らなくても当たり前だというのに。
「僕がつくります」
カルロは目の前のタンブラーに酒を注いだ。
「指の幅一本分の高さまでお酒を注ぐのがワンフィンガーで、二本分がダブルです。三本はスリーフィンガー。ただそれだけのことです。当然ですが、量が多い方がキツくなります。ロックの時は先に氷を入れてから酒を注ぐのが普通です。キース様はどうなさいますか?」
「私は……私もダブルでいい」
「わかりました」
硬く引き締まった大きな氷が、タンブラーの中で重い音をたてて回る。
キースはカルロにすすめられて、口唇にガラスの縁をあてる。
「確かにキツいな。皆よくもこんなものを飲み干すものだ」
キースが苦笑いすると、カルロは淡く微笑んで、
「ロックは一気に干すためのお酒ではありません。少しずつ口に含んで時間を味わうものです。だから、氷もなかなか溶けないようなものを使うんです」
「そうか。なら、せっかちには水割りの方がいいんだな」
「そうですね。でも、いい酒は割らないで飲む方がいいんです」
「そうらしいな」
キースはミネラルウォーターに手を伸ばすことなく、鋭い味を舌の上に少しずつ乗せていく。ゆるやかな酔いを待ちながら、カルロもグラスに口をつける。
いいウィスキーだから生で飲んでみてくれと言われた、とキース様は言っていたっけ。
誰がよこした酒なのか。これもウォンからの贈り物か。
そう思うと味がしない。穏やかな香も心地よく感じられない。
冷たくひえた酒が、喉を焼き胃を焼き、心の底まで焼く。
キース様が幸せで、総帥の仕事をまっとうし、僕のそばにいてくれる。それだけで充分で、それ以上の何かを望むのは間違いだと知っているのに。
だのに、どうしてこんなに悲しいんだろう。
いけない、眼鏡が曇りそうだ。
そろそろこの部屋を出た方がいいかもしれない。堪えられないかも。
悪酔いでもしたら、それこそ目もあてられない。
「カルロ」
「はい?」
キースはグラスを空けていた。少し潤んだアイスブルーの瞳がカルロを見つめている。
「頼りに、しているから」
「え」
頼りに、している?
そんな言葉は初めてな気がする。
いや、本当に初めてかもしれない。
キース様。
本当に?
「君はよくやってくれている。毎日僕の無理につきあってくれて、有難いと思っている。頼りにしている」
その声音に嘘はなかった。
カルロの奥で凍りついたものが、その瞬間ゆるゆると溶け出した。
僕の努力はまったく無駄ではなかったんだ。このうちとけない人から、ほんの少しでも信頼をかち取っているんだ。
それだけで、どうしてこんなに嬉しいんだろう。
ああ。
あきらめるなんて考えるのはもうやめよう。チャンスはまだある筈だ。
時間をかけて待っていよう。ずっと貴方の側にいるのは、僕の方なんだから。
「カルロ?」
「これからも頼りにしていただけるように、頑張ります」
「うん。頼む」

おやすみなさい、の挨拶をして、カルロは出て行く。
キースは後かたづけをして、ベッドへもぐりこむ。
明日の逢瀬のため、触れさせる訳にはいかなかった。あんな風におさめるしか方法がなかった。なんとか納得して戻っていったようだが、あれでよかったろうか。
カルロを嫌いな訳じゃない。今のような状態が続くのは気の毒だとも思っている。
でも、僕はまだ、彼を忘れられないのだ。
たぶん。ずっと。
軽い酔いからくる甘い睡魔の中で、キースは明日の夢を夢みる。
それが楽しいひとときであることだけを願いながら。

(1999.11脱稿)

《サイキックフォース》パロディのページへ戻る

※作者後注:文中の“ダブル”の説明は、正式なものではありません。正確な“ダブル”は“シングル”の倍の量で、シングルは約30mlを意味するそうです(メジャーカップの小さい方が30ml/大きい方は45ml)。ただ、慣用で、“ワンフィンガー”・“ツーフィンガー”を“シングル”・“ダブル”と呼ぶやり方もあるので、あえて訂正はいたしません。情報をお寄せ下さった皆様、どうも有り難うございました(2000.8)。

Written by Narihara Akira
http://www5f.biglobe.ne.jp/~Narisama/