『仕事の虫』

思わぬ休暇の知らせに、ウォンは急いで冬の旅支度を始めた。
二人きりで、恋人の故郷で過ごす。
こんなに素晴らしいプレゼントに、どう応えたらいいのだろう。
「私からは、なにを差し上げたらいいでしょうかねえ」
「ああ、僕の欲しい物か? そうだなあ」
キースは少し考え込んでから、
「独断でいれた休暇だ、断れない仕事や約束もあるだろう。それは、やって構わない」
「はい?」
戸惑うウォンに、キースはすっと近づき、その肩に触れた。
「だが、その時以外は、僕の求めに、すぐに応じること」
濡れた眼差し。ウォンの胸は高鳴った。
「それだけでいいのですか」
「休暇の間、君はすべて僕のものだ。それだけ、ではすまないかもしれないぞ」
「この身はとっくに、貴方のものですよ」
「どうかな。まあ、楽しみにしよう」
艶めいた微笑を浮かべるキースの前で、ウォンはすでに、とろけかけていた。
そうです、私の身も心もすべて、愛しい貴方のものですとも……!

★      ★      ★

ウォンの手元を、キースはそっと後ろからのぞきこんできた。
「新しい容れ物の案だな。僕も見て、かまわないか?」
「ええ」
ウォンはパソコンの上で踊らせていた手をとめた。
キースの腕が、背中にそっと触れている。
暖かな吐息が、耳をくすぐる。
「悪くないな。この線で進められるなら」
「ええ」
「よく準備してくれた。ありがとう」
「ええ」
ウォンは短くうなずくばかりだった。
心臓の音がキースに聞こえてしまいそうで、はずかしくて。

キースが休暇用に用意したのは、こじんまりとした質素なホテルだった。
隠れ家にふさわしい趣きの一室で、ウォンは荷物をといた。
空調がきいている。古い建物につきものの隙き間風も入らぬよう、よく工夫されている。たとえば亜熱帯で育った人間でも、大丈夫なように。
「そういえばグリニッジに、いい店があるらしい。初日の夕食はそこにしようか」
「どこへでもお供しますよ」
どうやって探してきたのか、安くて美味い中華で、ウォンの舌は懐かしさに満足した。キースも実に機嫌よく、
「この時期はあまり天気のいい日もないし、休みになっているところもあるが、晴れたら少し、市内を案内しよう」
「それは楽しみです」
ホテルに戻ると、何か部屋に届いていた。
箱をあけて、ウォンは驚く。
「新しいインバネスじゃありませんか」
黒いコートを、身にあててみる。ウォンのためにわざわざあつらえたとしか思えない長さだ。
「この街にも、君にも似合うと思ってな。二重でも、そんなに重くないだろう?」
これでロンドンの雪をさけられる、ということだ。寒い思いはさせない、と。
「どうしてそんなに……」
優しいのですか、という言葉は、キースの口唇でふさがれた。
そのままベッドへもつれこみ、たっぷり睦みあってから、穏やかな眠りに落ち――。

休暇中のキースは、こんな風にひたすら優しかった。
僕の求めにいつでも応じること、といわれて、覚悟していたのだが、要求らしい要求を、ほとんどされていない。
仕事をしたり寛いだりするウォンのそばに座っても、ただ、そっと掌で背中に触れて、あわいぬくもりを伝えるだけだ。言葉も体重もかけてこない。
ウォンはそれでも、キースが近づくたびに、意識する。
くちづけたい。
その頬に。口唇に。
「どうしたら、いいのですか」
貴方の磁力に引き寄せられて、求められる前から求めてしまいそう――初々しい花嫁のように緊張している自分に気付いて、ウォンの恥ずかしさは増した。
二人きりの休暇は初めてではないし、愛欲に淫らに溺れる日もあった。
だのになぜ、優しく触れられているだけで、こんなにも貴方を意識してしまうのか。
こういう愛撫はたしかに、相手の心を溶かすには有効で、ウォンも様々な愛人にしてきたし、キースにも試みたことがある。
なのになぜ今さら、そうされるだけで、こんなにときめくのだろう。
キースの心遣いが、しみるから?
氷の属性の持ち主で、人を寄せつけない雰囲気をまとっているものの、実際はわけへだてなく献身的な、心あたたかい青年だ。ウォンへの優しさも、恋人だからというより、同胞愛に近いものがある。抱擁も清潔感があり、むやみにしがみついてくることはまれだ。
でもこの、肩や背中にそっと触れるだけというのは、なんとももどかしくて……。
「君の頬は、滑らかだな」
キースが低く囁く。ウォンは目を伏せた。
「貴方のみずみずしい頬に比べたら」
「そうか?」
キースの指先が、ウォンの頬にそっとあてられる。ゆっくりすべる。
ウォンがじっとしていると、キースは耳元に更に口唇を寄せ、
「ずいぶん、ドキドキしているな」
ウォンの喉が鳴った。
「何をされたい?」
ウォンは拳を握りしめ、掠れた声で、
「貴方の好きに……」
「君がされたいことを、その口唇から、ききたい」
ウォンは身を震わせた。ほとんど呻くように、
「……抱きしめて……ください……」
「そうか」
キースはウォンを立たせ、抱きしめた。
腰をすりつけてはこないが、ウォンを欲しがって身体を熱くしているのは、はっきりと伝わってくる。たまらない。
「貴方も、震えていますね」
「とろかして、くれるんだろう?」
「もちろん、お望みのままに」

満ち足りて目覚めたウォンの胸を、キースの頭がおもししていた。
「……君という人間が、やっとわかってきた気がするな」
「そうですか?」
キースは相手の肌に頬をおしつけたまま、呟く。
「君という人間は、ほんとうに仕事の虫だ。僕が何も命じなくても、黙々と働いている」
「貴方も休みを惜しむひとじゃありませんか」
「そうだ。僕たちはお互い、極端なワーカホリックだ。だから愛をかわす時も、仕事のように一心不乱に打ち込んでしまう。相手を喜ばせたいんだから、あながち間違ってもいないんだが、生き物として自然に睦みあう感じに、なかなかならない」
ウォンの胸板に、ゆっくり指をすべらせながら、
「だけど君は、そんなに多くを望んではいない。僕が笑顔を向けただけで、君もぱっと笑顔になる。身体の一部がそっと触れあっているだけで甘酸っぱい気持ちになって、《どうしてそんなに優しいの》なんて戸惑って……可愛いよ、とても」
顔をあげ、赤面するウォンを楽しそうに見つめながら、
「わかってないな。僕のもの、だからこそ、よりいっそう大切に扱うんだ」
「でも、あの」
キースは満足げにうなずいた。
「今の君は、とてもいい。いい休暇になりそうだ」

(2007.12脱稿)

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Written by Narihara Akira
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