『silver』


――きらきら、銀の髪。

一晩中帰ってこなかった恋人が心にかかって、キースはこっそりウォンの私室を訪ねた。朝早くからキースを起こすまい、と自分の部屋に戻ってしまうことがあるからだ。
案の定、シャワーの音がしている。
キースはホッとしたが、おかげで昨日はよく眠れなかったのにと思うと、少々腹がたってきた。ウォンの部屋の隅にある冷蔵庫をあけ、グラスに氷とスコッチウィスキーを入れてミネラルウォーターを注ぐ。
ソファにしずみ、冷たい縁に口をつけた。
まだ、ウォンはバスルームから出てこない。
自分の気配にも気づかないのか、とキースの不機嫌はさらに増した。シャワー室の内鍵をサイキックで開け、グラスを片手にキースは中へ踏み込んだ。
ウォンはうつむいたまま、シャワーの湯に身体をうたせていた。
「髪を洗っているので、すこし待っていていただけませんか」
「ふん」
黒髪の流れる背中に、キースはタオルを投げつけた。蛇口もひねって止めてしまう。
驚いて振り返るウォンに、キースはぶっきらぼうに、
「こんな時間に湯を使っているということは、今日はこれから寝るだけか」
「ええ、まあそうですね」
「朝まで帰れないなら知らせてくれ。眠れなかった。責任をとれ」
「あ」
冷たく燃える口唇が、ウォンの口唇を奪った。
顔が離れると、アルコールの香りにウォンはかすかに眉をしかめた。
「寝酒ですか」
「ああ。君の冷蔵庫から勝手に拝借した」
「貴方がそんなにお行儀の悪い人とは思いませんでした」
「ああ、悪いとも」
キースは氷を口に含むと、ウォンの胸にくちづけた。あ、と震えるウォンを見ると、口から取り出して胸の突起を氷でなぶる。
「君の肌は熱いな。みるみる溶けていくぞ」
ウォンは小さく喘ぎながら、
「つくって間もない氷だからですよ」
「なら、僕の氷で濡らしてやろうか」
「貴方の氷が肌に触れたら、火傷してしまいます」
昏い瞳を潤ませて、ウォンは呻いた。
「私は貴方には抵抗できないのですから……あんまり、ひどいことは……」
キースは薄く笑った。
「優しくされるのなら、いいんだな?」
「そんな」
「嫌なら抵抗して良いんだぞ。その方がそそられる」
「もう酔ってらっしゃるのですか」
「君の、身体にな」

湿った黒髪にタオルをまいて、ウォンはバスルームを出た。
キースも同じローブ姿で、ベッドで待っている。
「続きを?」
「どうせ今日は眠くて仕事にならない。君が抱いてくれないのなら寝るだけだ」
「キース・エヴァンズ」
恋人の傍らに腰をおろすと、
「何をそんなに怒ってらっしゃるんです」
「怒ってなどいない」
キースは近づいてきたウォンの首に腕を回すと、タオルで彼の髪を拭き始めた。ウォンはため息をついて、されるままになっている。
キースは低く呟いた。
「染めたな、黒く」
ウォンは小さくうなずいた。
「ええ。初めてのせいか、あまりうまくいきませんでしたが」
先日、キースは眠っているウォンの髪に、銀いろの一本を見いだしていた。
髪は男の命ですからね、などと笑って丁寧にくしけずる様子を見たことのあるキースには意外なことで、はさみを持ちだして、そっと根元から切ってしまった。よく見ると、生え際にも白いものが目立ちつつある。これでは切っても切っても間に合うまい。最近知らない銘柄のシャンプーを使っていると思っていたが、それは白髪対策だったのか、とキースは気づいた。よく見れば、首烏、茶叶、甘草などという見慣れない成分が入っている。まだ三十代だというのに、髪に白いものが目立っては老けてみえてしまう。仕事にもさしさわるかもしれない。だからこうして染めて、自室のシャワーで余計なものを洗い流していたのだ。
「中国には、独自の染色ノウハウがあるかと思っていたが」
キースがやっと手を止めると、ウォンは髪からタオルをはずした。
「香港では高校を出るまで、髪を染めることは厳重に禁止されていますからね。私も母譲りの黒髪を大事にすることしか頭になかったので、こうして今頃、お見苦しい姿を見せることになってしまいました」
「僕が苦労をかけているからだな」
ウォンは首を振った。
「私の能力が、時間的な負荷を身体にかけるからですよ」
ウォンの能力は、周囲の時間を操るものでなく、自分自身の速度をあげるものが多い。その最たるものは《完全な世界》――この世界に存在する何者よりも速く動くために、その数秒間だけ他のものが止まっているのと同じ状態になる。それだけの能力なので、彼は時をまきもどすことはできない。いずれは彼もタイムマシンでもこしらえるかもしれないが、彼の本来の力では、そういうことはできない。つまりウォンは、力を使えば使うほど、はやく年をとっていくのである。
「しかし、君の能力が発動したのはずいぶん昔のことだろう? 負荷ならもっと前からかかっていたはずだ」
「いえ、今までは目立たなかっただけのことです」
ウォンは別のタオルを出して、髪にまきつけて水分をとる。
キースはふっと表情をゆるめた。
「そういえば、君がいつ目覚めたのか、きいたことがなかったな」
ウォンは目を伏せた。
「予兆は幼い頃からありましたよ。おそらく母方にそういう血が流れていたのだと思います。よく気をつけるよう注意されました。人目にたたないように、というだけでなく、余計なことをして命を縮めないように、と」
「なら、はっきりとした覚醒は?」
ウォンは薄い口唇を噛み、答えない。
キースは首を傾げた。
しばらくして、ウォンは低く呟いた。
「……思い出させないで、ください」
「うん?」
「私は間に合わなかったのです。そして復讐は、とうの昔に終わりました」
キースはハッとした。
ウォンの母親は、相続を巡る争いで、彼の異母兄弟たちに惨殺されたと聞いている。つまり彼の力がはっきり発動したのは、その惨殺直後ということ――大切な人を守るには遅すぎ、その結果、彼の力は復讐に使われることに――。
「そうだったのか」
キースはウォンににじりよった。
「時は戻せないかもしれない。だが、髪の手入れぐらいなら、僕が手伝ってやるから」
「え?」
ウォンの額に掌をあてながら、
「君の銀の髪、実はとってある」
「そんなものを?」
「きれいだった……から」
キースはウォンの湿った髪に掌をいれて、
「僕は自分がこんなだから、君の黒髪がちょっと羨ましかったんだ。でも、実際に君の髪に銀がまじっていると、それも綺麗だと思って」
「なら、染めない方がいいのでしょうか」
「いや、だから」
キースはじれったそうにため息をついた。
「染めたって構わない。ただ、僕の前ではとりつくろわなくていいから」
「でも、あまりみっともない姿をお見せしたくは」
白い滑らかなウォンの頬をなで下ろしながら、
「ああ、確かに君は君のものだ。みっともない姿をさらしたくないのもわかる。だが、この身体は、君だけのものじゃないんだ」
そう言ってから、うっすら頬を赤らめる。
「心配するだろう、予告もなく留守にして」
ウォンは目を見張り、そして微笑んだ。
「では、あらためて」
囁きと共にキースの身体を引き寄せ、ベッドに沈んだ。
「……貴方のものに、してください」

(2005.5脱稿)

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Written by Narihara Akira
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