『勝 負』

相手を起こさないよう、できるだけ静かにベッドを出たつもりだった。
だが、刹那が床に足をつけ、服にそっと手を伸ばした瞬間、低くはっきりした声が響いてその動きを制した。
「帰るのか」
刹那がはっと振り向くと、ガデスはその右目を開いて、横になったままこちらを見つめていた。
「ああ。そろそろ夜明けだからな」
ここは軍内部だ、二人が共寝しているのはほぼ公然の秘密なのだが、だからといって堂々と朝帰りをするのはまずい。皆が起きる時間より前に秘かに私室へ戻るのが、こういう場での不文律というもの。刹那はガデスに再び背を向け、ベッドに腰掛けたまま、ぴったりとした黒のインナースーツに袖を通した。だが、腰を浮かせてタイツをつけ、靴を履いて立ち上がろうとした瞬間、いきなり刹那は後ろからガデスに抱きすくめられた。
「……」
刹那の胸が、大きくドキン、と波うった。
ガデスの逞しい二本の腕が、刹那の胴をきゅうっと締めつけている。
普段の優しい抱擁ではないが、苦しいほどではない。
しがみつかれているのではないので、振りほどこうと思えば振りほどけそうな気がする。
だが、刹那は動けなかった。
なんなんだ。ガデスは何を考えてるんだ。
身体が甘く痺れるのを感じながら、刹那の思考はさまよいはじめていた。
ガデスはもう一度したいのだろうか。だが、欲情している様子はない。押しつけられているのがベッドの上に起こされた上半身だけなので確証はないが、そういう雰囲気ではない。なら、まだ帰るな、というのだろうか。ほのかな体温が名残り惜しくて抱きついてきたのか。甘えにも似た気持ちで。
すると、刹那の肩に顔を埋めていたガデスが、くぐもった声で呟くように、
「どうして何にも言わねえんだ」
「え」
ガデスは顔を上げた。傷のない方の頬を刹那に寄せ、いつものドスのきいた声で、
「黙ってないで何か言え」
「何か言えって言われても……」
相手の瞳の表情が読めず、刹那の戸惑いは深くなった。
この場でいったい何を言えというのだ。
放せ、とか、もう帰る、とか、わざわざ俺に言わせたいのか。
「言えよ」
重ねて命じるガデスの声には苛立ちがあった。
だが、その苛立ちは刹那にではなく、むしろ自分に向けられているようだった。
ああ。
刹那の中で閃くものがあった。
ガデスは俺に、何か言ってほしいんだ。
しかも、何を言って欲しいか、わからないでいるんだ。
唐突に抱きしめられたんだから、普通の反応は《放せよ、もう戻る時間だ》とか《どうしたんた、ガデス》だろう。それなのに、されるままで俺が無言だから、急に不安になってきたんだ。俺の考えていることがどうしても知りたくなって、マイナスの台詞でもいいからききたいんだ。
でも、どう答えればいい。
《俺はもう帰るんだ》と突き放したらガデスを嫌っているようだし、今から《いったいどうしたんだ》と尋ねるのはいささか間抜けで、その上ガデスの自尊心を傷つけてしまう気がする。この抱擁はたぶん、シンプルな愛情を示す仕草だったんだろうから。
そうか。なら。
刹那はしおらしく目を伏せると、低く、だが甘い声で囁いた。
「俺から抱きしめたいから、腕を解いてくれないか」
ガデスは驚いたようにぱっと腕をといた。刹那は身体の向きを変え、ガデスをきゅっと素早く抱きしめた。そして、すぐに立ち上がるとニッコリ微笑んだ。
「じゃあ、そろそろ時間だから、俺は帰る」
上着をひらりと羽織ると、茫然とするガデスを置いて、そのままスタスタと部屋を出ていってしまった。
部屋の外へ出て、刹那はふっと笑った。
「……今日は、俺の勝ちだな」

(1999.1脱稿/初出・ちゅんざんびえね個人サークル《ギガメーカー》発行『パキスタン白書』1999.5)

『勝 負・2』

なんでこんなに気持ちがいいんだろう。
静かな寝息をたてている相手に背を向けて、行為の余韻に甘く浸りながら刹那は考える。
ガデスに抱かれると、なんでこんなにイイんだろう。
別に高度なテクニックをほどこされてる訳じゃない。むしろストレートすぎるというか、ごく普通の手順でされていると思う。それなのに、愛撫が始まると身体の芯があっという間にとろけてしまう。ガデスのものが特別大きいとか形が特殊だとか、そういう事もない。それなのに、突き上げられると物凄く感じて、変な声がとまらなくなる。抱きすくめられ、揺さぶられ、熱いものを注ぎ込まれる瞬間、どうしても我慢できなくなって一緒に達ってしまう。
身体の相性がいいのかな。
そしたらガデスも、こんな風にイイのかな。
普通、自分がよくなきゃ、あんなに甘いキスとかしてこないよな。熱っぽく潤んだ瞳で見つめてこないよな。中をあんなにたっぷり濡らしたり、しないよな。
さっきした時の記憶がふと身の内に蘇って、刹那は肌がカッと熱くなるのを感じた。それを気どられるのが厭で、眠ったふりをしようとして、かえって声が洩れてしまった。
「ん……」
小さい、だが少々艶めいた喘ぎ。
ガデスはそれに素早く反応した。
「どうした刹那」
「何でもない」
慌てて打ち消しながら、刹那はさらに全身が熱くなるのを感じた。
今の反応の早さとその声。
ガデス、寝てなかったんだ。目を閉じたまま、俺の気配をうかがってたんだ。しかもなんだかあれ、もう一度したいって感じの声だ。
どうしよう。
いっそ、いつもみたいに優しく抱きしめてくれないかな。
そしたら俺も、自然にしがみつける。欲しいって肌身で甘えられる。
するとガデスは、背を向けたままの刹那の首筋に鼻先を押し付けた。熱い吐息がうなじに触れる。
「眠れねえなら、もう一度するか」
刹那は低く囁き返す。
「そうだな。それも悪くないよな」

一度目よりも更に激しく反応する刹那を見て、ガデスは少し不安になる。
もしかして刹那は、俺の愛撫が足りなくて、一度じゃ満足できてねえのか?
ガデスは相手の反応をよく見て、一番感じていると思われる時の愛撫を自分の身体に覚え込ませるようにしている。それを何度も繰り返していくと、何も考えなくても互いの肌身がしっくり馴染むようになるからだ。馴染みの相手とする良さ――そこには初めての相手とでは決して味わえない深い喜びがある。
しかし、刹那とはなかなか慣れない。
ついつい優しくしすぎてしまうのだ。自身の快楽よりも、刹那をよくすることにばかり神経が行く。そうやって気が張りつめているせいか、刹那が達きそうになると緊張がゆるんで、そのまま暴発してしまう事も多い。というか、刹那の締めつけ方が巧みで、一緒に達かされてしまうのだが。それはそれで、相当イイのだが。
だが、もっともたせた方が刹那は喜ぶんだとしたら。
もしかして、二度三度とやった方がいいのか?
「あーー……っ」
長い吐息を洩らして、刹那が崩れ落ちる。
ガデスはなんとか絶頂をこらえきり、息を整える。
「俺はまだ終わってねえぜ。まだ放さねえぞ」
刹那は霞んだ瞳でガデスを見上げる。大きく喘いで、
「続けて、ガデス……俺……平気だから……」
ちきしょう、やっぱりまだ満足してやがらねえのか。
ガデスはもちうる限りのテクニックを駆使して刹那の中を犯す。ぐったりと力の抜けていた筈の刹那の腕はいつしかガデスの背に回され、その下半身はガデスの動きにあわせて微妙に蠢き出す。
「あふ……も、駄目ぇ……気が、遠くなるぅ……」
ちきしょう、めちゃめちゃイイじゃねえか。刹那の奴、ベッドの中じゃ俺より上か。
「くっ!」
ガデスはついに自分を解放する。だが、刹那から引き抜く余裕すらなく、そのままその上に崩れ落ちる。
「ガデス……」
刹那は相手の重みを支えながら、深い満足感に浸っていた。
俺、ガデスが好きなんだ。
好きだから、だからこんなに感じるんだ。
心を開くと、身体も自然に開かれて、喜びが深まるってきいたことがある。だから、ガデスとするとこんなにイイんだ。何度しても厭にならなくて、それどころかどんどん良くなってく。不思議なぐらいに。
ガデス。
ガデスも俺の事、好きなんだよな?
だからそんな、全身で何度も愛してくれるんだよな?
相手の背を撫でながら、刹那はその耳元へ低く囁く。
「ガデス……どうしておまえ、そんなに優しく俺を抱くんだ?」
ガデスはびっくりしたように、胸を刹那から引きはがした。
「馬鹿かおまえ」
今のより激しくなんか出来るか。おまえはバケモンか。あれでもまだ優しいってのか。
しかし、刹那の濡れた瞳に見つめられて、ガデスは顔を背けた。
そうか、そういう意味で言ったんじゃねえのか。おまえは俺にメロメロなんだろ、とっくの昔に知ってるんだぜって言いてえんだな?
この野郎。そんなにすんなり全面降伏してやるもんか。
「ガデス?」
刹那が怪訝そうに尋ねると、ガデスは完全に身体を離し、ごろりと横になって刹那に背を向けてしまった。
「……ベッドの上でもおまえに勝つために決ってんだろ。馬鹿」
「ガデス」
刹那はじっとガデスの背を見つめる。
しばらくして、ガデスから規則正しい寝息が聞こえてくるようになると、刹那はその背にそっと寄り添った。
うん。ベッドの中でも、俺の負けみたいだな。
小さく呟いて、刹那はそのまま目を閉じる。
相手の汗とぬくもりを、しっかり自分のものにして。

(1999.2脱稿/初出・恋人と時限爆弾『Movin'On In-Out You』1999.5)

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All stories written by Narihara Akira
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