『かなしいことり』


カプセルの蓋が開かれ、マスクをはずされて、キースは目を開く。
「起きられますか」
「ああ、大丈夫だ」
カプセルから踏み出したキースを、ウォンは柔らかなタオルでつつんで乾かし、新たな布を白い裸身に巻きつける。古代ギリシャのトーガのように。
バーンと争って心身共に傷ついたキースの治療室として、米軍内にウォンが秘かにこしらえた部屋の、さらにその結界の中である。最近はそこに、食事がとれるようにテーブルと椅子、そして折りたたみ式の寝台が入れられている。
外で求めてきて薄味に整えたもの、軍のレーションで消化のよいものをウォンが並べると、キースはいつもの涼やかな顔で食べはじめた。
ウォンはその様子を見守りながら、
「味はもう少し、濃い方がいいですかね」
「いや。充分だ」
「量は足りていますか」
「どれぐらい食べていたか、君は知っているはずだ。僕の好みも」
「以前と同じでよいのですね」
「ああ。それに、この治療用カプセルで寝る時間も、そろそろ減らしていいのじゃないか。耳が湿るのが、少しつらくなってきた」
「そのようですね。あとは何をご所望です」
「情報収集がしたい。できる範囲で」
「この部屋に情報端末の類をおくのは、結界の性質上、難しいのですが」
「いや、機械も電波も必要ない。活字であればなんでもいい。新聞でも本でも」
そういえばキースの趣味は読書だった。活字中毒の人間にとって、文字に飢えることは精神の死を意味する。閉じこめられ、ウォン以外の人間との接触がないわけだから、覚醒している間は、退屈でたまらないはずだ。
「では、さっそく何紙か用意いたしましょう」
「頼む」
食事を終えると、キースはストレッチと筋トレをする。最初はゆっくり、歩行訓練からしなければならないほど弱っていたが、今はほぼ回復し、不自由もないようだ。
それでも、籠の鳥であることに、かわりはなく。
「他におつらいことは、ありませんか」
「なに、収容所の頃に比べれば天国だ。あの頃だとて、何もなくても何とでもしていたからな。自分の身体や能力を鍛えるのに、広いスペースはいらない」
そう答えるキースの瞳には少しの翳りもなく、むしろその表情の透明さに、ウォンの胸は痛んだ。
「貴方に恨まれても、仕方のない私ですね」
キースは微笑で応えた。
「何度いわせるんだ。君を恨んでなどいない。僕は誰も恨みはしない。せっかくこうして生き延びたんだ。どんなところに閉じこめられようと、狂ったり死んだりするものか」
「ということは、貴方はまだ……」
同志を救うことを諦めていないのか。
「戻れるなら、ノアに戻りますか」
キースは首を振った。
「バーンがまとめているなら、僕は必要あるまい」
「二度と会えなくていいのですか?」
「うん」
ふっと甘えた表情になり、
「君は、優しいな」
「なぜです」
「優しいじゃないか」
キースの顔がふっと近づく。思わずウォンは口唇を重ねた。
顔が離れると、キースの息は切なげに乱れていた。
氷の瞳がすっかり潤んで、誘っている。
キースを腕の中にさらいこんで、ウォンは囁いた。
「優しくなら、いいのです、よね……?」

キースの身体をいたわって、久しぶりの睦言はごく静かにすませられた。
それでも満足したようすで、ウォンの胸にキースは体重を預け、
「すまない。すっかり、ひきとめてしまったな」
「かまいませんよ、もう夜も更けていますし、急ぎの用もありませんから」
「でも、君はまだ、満足できてないだろう」
「貴方がもう少し元気になってからのお楽しみにとっておきます」
「そんなに僕を甘やかしていいのか? 僕の我が儘をゆるしてばかりで、いいのか?」
「我が儘だなんて」
キースは顔をあげた。
「カプセルの中で目が覚めて、拉致されたのに気づいた時、君に何をされても仕方ないと思った。裏切り者として切り刻まれても、どれだけ君の好きに弄ばれても、従うしかないだろうと……それなのに」
ウォンの胸に、もう一度顔を伏せて、
「こうして肌を重ねると、よくわかる。ほんとうに君は、僕のこと……」
ウォンは思わず、キースをきつく抱きしめた。
「いいのですか、ほんとうに?」
「うん」
「こんなところにとじこめているのに?」
「それは違う。僕はかつてないほど、自由だ」
「自由?」
「僕の生死を、君以外、誰も知らないんだろう? 僕はいま、誰に対しても責任を負っていない。僕のせいで誰かが死んだりしない。それが、どれだけありがたいことか」
ウォンは息をのんだ。
キースにとって、総帥としての仕事が、どれだけ辛いものであったかを思い知る。
冷静で迷いのない指導者の顔は、彼を慕って集まった同志を助けるための仮面だ。
仲間の亡霊に夜な夜な責めたてられて苦しみ、親友にも心を引き裂かれ、それでも常に人前では、なにごともないようにふるまっていた。誰か助けてくれと願ったことも、少なからずあったはずで、だが、そんな弱さを口にしたことは決してない。むしろ、ほんとうに自分を使えるなら、いくらでも利用するがいいと、尊大な態度をとっていた。
ほんとうの彼は、ひどく素直で、繊細な青年だというのに。
「だから、ウォン」
キースはウォンの腕をほどき、ゆっくり身を起こした。
「反対に、僕をかくまっていることで君に迷惑がかかるなら、僕は消える」
「本気でいっているのですか、キース」
キースはコクン、とうなずいた。
「もう誰も傷つけたくない。相手が君なら、なおのことだ」
優しい微笑。
たしかにこの青年は、誰よりも自由なのだ。
どんなに虐げられても、くじけず生き抜いてきた。
だからどれだけ優しく囲い込もうと、哀しい小鳥よろしく、飼われたりしない。
ならば、どう生かす?
ウォンも身を起こし、長い睫毛を伏せた。
「貴方とすっかり離れてしまったら、その方がよほど、傷つきます……」
キースはウォンの肩に頭を預ける。
「寂しい声を出すな。僕はここにいる」
「ええ」
ウォンはキースの肩を抱き寄せ、
「……離しません、二度と」

(2011.7脱稿)

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Written by Narihara Akira
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