『闇の奥』


「やっぱ、うまいなあ、あんた」
シャワーをすませた刹那が、ベッドへ戻ってきた。
「そうですか? あなたもずいぶん慣れているようでしたが」
先にベッドに戻っていたウォンは、すでに眼鏡をかけなおして、書類を目を通している。
刹那は苦笑しながら、その傍らに腰をおろし、
「好きで身をまかせたことなんか、ないけどな」
「それは意外ですねえ。ずいぶんと感度のいい身体ですよ」
「ほめられてるのか、それって」
「誉め言葉ですよ、もちろん。実験体の志願者が、あまり鈍感では困りますからねえ」
「そうか。あんたがいいっていうなら、まあいいや」
刹那はウォンの持っている書類をのぞきこんだ。
「いつもこんな夜中まで、仕事してんのか」
「いえ、今までのデータの見直しをしているのですよ。あなたに最適な手術をしなければなりませんからね」
「それは、最初のテストは合格ってことか?」
「ええ」
ウォンは刹那の身体の隅々まで触れ、その心を撫でてみた。
軍に流れ着くまでに、それなりに陰惨な過去を背負っているようだ。しかし、それは刹那の心を深く蝕んではおらず、それどころか、何がおこったのか、事件の輪郭すら記憶の底でぼやけていた。忘れようとして、というのではない、むしろ深く考えこまない性格なのだろう。
それはある意味、無敵ともいえる。動物的なカンのみで危険をやりすごせるのなら、余計な心配をして神経をすりへらす必要はない。そういう意味でのポテンシャルが高いなら、人工サイキッカーの素体にはむいている。実験の果てに発動する能力は、常に理屈で割り切れるものではないからだ。
ウォンに抱かれている時も、最初こそさすがに緊張していたが、すぐに素直に身を開いた。反応も悪くなかった。むしろ、予想以上にしっとりした肌や、引き締まった腰、きつい締めつけが、ウォンの情欲をそそった。金いろの巻き毛の手触りも、うっすら潤む菫いろの瞳も、低い呻きをもらす薄い口唇も、なかなか好ましかった。
ウォンは書類を置くと、よりそってきた相手の腰に腕を回し、
「あなたの名前の意味を、教えてください」
「名前? コードネームは刹那でいいんだろ?」
「軍に来た時の名前の意味ですよ。LGWとは、なんです?」
「そんなこともわからないのか? おおきいって意味に決まってるだろ」
「おおきい?」
「らーじがだぶるなんだから」
LL、というようなことがいいたいのだろうか。
「あなたはそんなに、大きくありたいのですか」
「そりゃ、大きい方がいいに決まってる」
「大きすぎるとつらいでしょう、刹那?」
ウォンは刹那の掌を、自分の脚の付け根に添わせる。
刹那は笑いだした。
「たしかにいいサイズだが、俺は生娘じゃないんだ、どうってことない。あんただって、粗末なもちもんだって罵られたらイヤだろう?」
「それはまあ。あなたが良かったのなら、それにこしたことはありません」
「ああ、そうか。あんた、俺にサービスしてくれてたのか」
「なんの話です?」
「ずいぶん丁寧に触ってくると思ってたんだ……そうか」
刹那はふと口をつぐみ、ウォンの肩に甘えるように頭をあずけ、瞳を閉じた。
ウォンは刹那の頬から口唇へ、そっと指を滑らせて、
「乱暴な方が、好みですか?」
刹那はなぞられるまま、ため息で応えた。
「あんたは?」
「私は、力づくで犯すというのは、あまり好みませんねえ」
「そうだろうなあ」
「どうしてそう思います?」
「あれだけうまいなら、あんた、下半身の相手に不自由してないだろ。余裕があるのに、乱暴する奴はいない」
「それはどうでしょう。性癖として、相手の悲鳴を楽しむ輩もいるかもしれませんよ」
「けど、あんたは、そうじゃないだろ」
「相手によりますねえ」
刹那はじれったそうに、ウォンに身体を押しつける。
「なあ、まだ寝ないのかよ」
「そうですね、そろそろ寝ましょう。今夜は素敵な抱き枕がありますから、きっとよく眠れることでしょう」
ウォンは刹那に優しく口唇を重ね、そして、部屋のあかりを消した。

翌朝。
刹那は目覚めて男の腕の中にいることに気づき、ウォンを見つめてこういった。
「よく、眠れたか?」
「ええ」
刹那はかるく首を傾げて、
「俺はあんたの、いい抱き枕になれたか?」
「そうですね」
刹那は、ウォンの腰にそっと腕を回した。
「俺も、こんなにぐっすり寝たの、久しぶりだ……」
おずおずと寄りそってくる刹那の初々しさに、ウォンは満足した。
「今までよく眠れなかったのですか、刹那?」
「真っ暗だとな」
「闇が怖いのですか?」
「闇なんて怖くはないさ。怖いのは、闇にまぎれる敵だろ」
それは道理だが、刹那の想いを読みきれず、ウォンは単純に裏返してこたえた。
「相手の姿も隠してしまいますが、闇の中なら自分を隠すこともできますよ?」
「そうだな。それに、あんたはサイキッカーだ。一緒にいれば、何も心配しなくていいんだろ?」
「どうでしょう、そこまで信頼されるのは、ありがたいことですけれどねえ」
「まあ、あんたにだったら、何されてもいい。死んでも、後悔しない」
きっぱりいいきる刹那の瞳はあまりにも澄んでいて、ウォンの胸を衝いた。
「せっかくあたたかな抱き枕が向こうからきてくれたのに、なぜ、冷たくしなければならないのでしょう?」
刹那は微笑した。
「そうじゃない。危険な手術をするんだろ? で、実験が成功したら、前線に出ろってことになるんだろ? でも、あんたのいうことなら、きいてもいい」
「いいのですか、それで」
「ああ」
刹那はふいに、ベッドを降りた。
「ウォン。ぐっすり寝たかったら、いつでも呼んでくれ。じゃ、な」
素早く着替えて部屋を出て行った。
ウォンはしばらく、ベッドからでなかった。
自分の胸に芽生えた、名づけようのない感情について、考え続けていた。

★      ★      ★

「なんだぁこりゃ? 見たことのねえ、力だな」
その日、超能力訓練を監視する小部屋に、ガデスがすうっと入り込んできた。
ウォンは振り向きもせず、冷たい声で答えた。
「あなたが人工サイキッカーに興味があるとは、しりませんでしたよ」
ガデスは肩をすくめた。
「ロボットが電気の火花を散らすのは、当たり前すぎて興味はねえが、結界の中だけにしろ、その場全体に作用する力ってのは、ホンモノのサイキッカーでも珍しいからな。しかも、光ならともかく、人工的に闇をつくりだすってえのは」
「そうですねえ。重力を操るあなたと同じで、非常に興味深い現象が発動しています」
ウォンが意味ありげに呟くので、ガデスは苦笑した。
「実用って意味じゃ、俺の足元にも及ばない」
「ですが、攻撃面ではともかく、相手の体力を吸い上げたり、チャージをとめる力が確認されていますからねえ。応用次第で、使える能力ですよ」
「それがあんたには脅威だってのか、大将?」
「いえ、脅威ではありませんが……」
ウォンはマイクを一瞬だけオンにして、
「刹那。今日のテストはここまでにしましょう。汗を流して、休息に入りなさい」
すぐにマイクを切ったウォンは、ひどく浮かない顔をしていた。
《一番恐れるべきは能力ではありません、刹那自身のもつ、心の闇です……》
発現する超能力は、本人の資質とある程度一致する。たとえば、暗い過去のせいでいじけていると思われがちなエミリオ・ミハイロフだが、あの少年の場合、本人の心の底に、意外なタフさがあるからこそ、光の能力をもちえている。実際、すこし過去の記憶をとりさっただけで、自信に溢れた性格にかわりつつあるのが、いい証拠だ。
つまり、闇の力が発動するということは、刹那の中に、本人すら意識していない心の深層に、果てない闇があるということだ。
すべてを飲み込むほどの、虚無が。
自分の名前すらどうでもいいと平気でいってのける青年なら、それはありえる。
エミリオとは違う形で、それが暴走したとしたら――。
「もっと、懐かせないといけませんねえ」
真顔で呟くウォンを見て、ガデスは眉を寄せた。
「なんだ、とっくの昔に手を出してるもんだと思ってたが」
「どうしてそう思うのです?」
「あんたが撫で回してるとしか思えない腰つきだ」
「別に、あなたがあの丸みを撫でても構わないんですよ、ガデス」
「いいのかよ、あんたの愛人に手を出しても?」
「刹那は私の愛人ではありません。彼もそうは思っていないでしょう」
「本当かねえ?」
ガデスがニヤリとすると、刹那が小部屋にあがってきた。
金いろの髪は、まだ生乾きだ。
「どうだった、ウォン?」
くったくのない笑顔を向けてくる刹那に、ウォンは目を細めた。
「悪くありませんね。訓練で安定させていけば、あなたは更に強くなれます」
「なってみせるさ。なあ、ウォン、一緒に飯いこうぜ」
「私はまだ空腹ではありませんから、先にいっていてください、刹那」
「それじゃあ、あんたの用が終わるの、待ってる」
「すみやかな疲労回復のために、あなたはすぐに栄養補給をした方がよいでしょう」
「そんなに疲れちゃいないけど」
ウォンは苦笑した。
「仕方がありませんねえ。では、おつきあいしましょう。失礼しますよ、ガデス」
「ん、ああ。わかった」
ガデスは曖昧にこたえながら、刹那を上から下までジロリと見る。
刹那はニヤリと笑ってこたえ、ウォンの後をついて出ていった。
「なんだ、やっぱりもうデキあがってんじゃねえか。自信満々にも程があらあ」
ガデスは頭をかき、先ほどまで刹那がいた結界を見つめなおした。
「しかしなんで、ウォンのやつ、妙なことをいうんだか……」


食堂で刹那は、定番のセットを選んで食べはじめた。
「ほんとうに食べないのか、ウォン?」
「ええ」
「あんたの口には、あわないか」
「いえ、食欲がないだけです」
「なんか心配事でもあるのか」
ウォンは静かに首をふった。
「そういうわけでもないのですが……まあ、あなたが元気に食べる姿をみていたら、少し食べようかという気になってきましたよ」
「じゃ、半分やろうか」
「それではあなたが足りないでしょう。自分でとってきます」
フシュン、と微かな音がした。
次の瞬間、ウォンの前に、小さいレーションとスープが置かれていた。
刹那は目を丸くした。
「たいした手品だ」
「似たようなものですかねえ。このように、いつでも食べられますから、私の食事については心配しなくていいですよ、刹那」
「わかった」
刹那は再び食事に没頭する。
一緒に食べたい、という可愛らしい誘い。
子どものように単純な台詞。
無心にむさぼる姿。
いったい、この青年のどこに、あの闇がある。
テレパシーで探っても探りきれない、その心の奥か。
刹那は本当に、実験体に向いているのだろうか?
手術をほどこし、それが成功し、能力が発動した今でも、ウォンは疑問をもっている。
この青年に興味がある。
この青年も自分に興味をもっている。
それだけで必要充分以上のはずなのに、なぜ不安に思うのか。
「どうしたんだ、ウォン? スープ、さめるだろ」
「あなたに見とれていたんですよ」
刹那は苦笑した。
「ほんとに食欲がないんなら、無理してつきあわなくてもいいぜ」
「いえ、食べますよ」
ウォンも食事をはじめた。
先に食べ終えた刹那は、頬杖をついて、ウォンを見つめた。
「なんです、ジロジロと」
「あんただって、さっき、俺を見てただろ」
「それはそうですが」
「それに、あんたみたいな大男が、ちょっと弱ってるのって、なんか、そそるよな」
「な……!」
ウォンが驚いて手をとめると、刹那は笑い出した。
「そんなにびっくりしなくてもいいだろ。そろそろ、次の枕の注文をしてくれっていってるだけだ」
ウォンは苦笑で応えた。
「そんなに欲しかったのですか、刹那」
「俺だって、ぐっすり寝られるなら、いい枕が欲しい。それぐらいのことは、思うからな」
「いつでも夜を呼べるのにですか?」
「まだ安定してないっていったのは、あんただろ」
「そうですねえ。では、まだ、明るいですが……」
刹那は自分の腰に何かが触れたのを感じた。
次の瞬間、ウォンの私室に移動してしまったことに気づいて、彼はため息をついた。
「なるほど。あんたは時間を操って、いつでも寝られるってわけだ」
「ええ。味気ないレーションよりも、可愛らしく誘ってくる恋人を食べたいですからね」
「恋人?」
刹那は不思議そうにウォンを見つめた。
「まさか、いないのか、あんた? ちがうな。ぜんぶで何人いるんだ?」
「今は、あなた、だけですよ……」
そう囁いて、頬を掌で包み込む。刹那はその掌に自分の掌を重ねながら、
「嬉しがらせようとしてるのか?」
「本当です」
刹那は瞳の色を翳らせた。
「なあ、そんな、さみしそうにいうなよ」
「刹那?」
「愛してる、とか、いわなくていいんだからな。嘘つかれるほうが、こたえる」
「嘘などついていませんよ」
「じゃあ、なんで俺をみて、困った顔、するんだ?」
「困った顔をしていますか」
「ああ」
ウォンはため息をついた。
「あなたにはテレパシー能力など、必要なさそうですね」
「いや、つくならつけてくれ」
「必要ないでしょう。それだけ顔色が読めるのならば」
「ウォン?」
ウォンの瞳が、深い蒼にきらめく。
「では、私の心配を正直にうちあけましょう。あなたに芽生えた能力は、不安定ではありませんが、不透明なのです。私も初めてみる力です。あなたの資質を、私は読み違えていました。増幅装置でヘタに力を引きだし続けると、あなたの寿命を縮めてしまう。かといってまったく使わず、コントロールもしなければ、いずれ暴走してしまう。どうしたらいいのか、考えあぐねているのですよ」
「実験体として、失敗ってことか?」
「そうではありません。私は、あなたが、惜しいのです」
刹那の瞳が、うっすら潤んだ。
「あんたも俺を、気に入ってくれてるってことか」
「そうですよ、もちろん。大切にしたいのです」
刹那は照れたような微笑を浮かべ、
「それなら、毎晩、ここで寝てもいいか?」
「私が毎晩、あなたの部屋を訪ねてもいいのですよ?」
「いや、ここへ来る。俺のベッドじゃ、あんたが寝られないだろう。いくらあんただって、寝なくてすむわけじゃ、ないんだろ?」
「セキュリティ上、私の許可なしでは、誰もこの部屋に入れませんから」
「あんたの留守中に、勝手に部屋を漁ったりしない。あんたがいる時だけ来る」
「わかりました。なら、いつでも呼んでください、刹那」
「うん」
刹那の身体はふっと柔らかくなり、ウォンの腕の中へ倒れ込んだ。
「よかった。これで今日から、よく眠れる」
「寝かせないかも、しれませんよ?」
ウォンの胸に頬をうずめて、刹那は低く呟いた。
「それでもいい。ぜんぜん眠れないより、よっぽどいい」
ウォンは刹那の細いウェストを抱きしめた。
精神的・肉体的に安定することで、闇の力は弱っていくだろうか。
それとも、訓練とともに強化されていくか。
それも含めて、観察し続けなければ。
「ウォン」
「はい」
「ありがとう。あんた、ほんとに、俺のこと、気にかけてくれてんだな……」
そういって見上げた刹那に、ウォンの胸は疼いた。

もしかして私は、本当に、刹那を――?

(2011.1脱稿)

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Written by Narihara Akira
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