『菫色の瞳にうつるもの』


ウォンの意識を、様々な視線が撫でてゆく。
わかりたくもない他人の心がわかるというのは、往々にしてわずらわしいものだ。
彼自身にどれだけ財力と才能と超能力があろうと、侮蔑する者は常に存在する。特に、まだ身をおいて日の浅いアメリカ陸軍においては、「あいつは何者なんだ」「うさんくさい奴め」と思われることは珍しくない。
なので、ジロジロと見られることに、今さら抵抗などなかった。
……はずなのだが。
《うわ、おっきいな、あいつ》
あまりに素直な心の声に、ウォンは一瞬、食堂の通路で足をとめてしまった。
《中国人か? なに食ったら、あんなにでかくなるんだろう》
振り向くと、おしきせの定食を前にした金髪の巻き毛の男が、ウォンをぼんやり見つめていた。
軍服の襟章や雰囲気からして、軍にきて間もない新兵だろう。顔立ちからして二十代半ば過ぎと思われるが、裏表もなにもなさそうな表情は、むしろ幼い。
ウォンはすうっと近づいて行って、隣へ座った。
近くで見ると、澄んだ菫色の瞳が美しい。身体は引き締まっている。それは新兵の訓練に耐えてというより、本来的な体形のようだった。
「Aランチはおいしいですか?」
「まあまあだな」
相手に観察されているのを感じたが、その視線は不思議と不快でなかった。
男は肩をすくめて、
「まあ、税金で身体鍛えさせてもらって、寝る場所もあって、とりあえずレーションでもなんでもメシが食えるっていうのに、そう文句もいえないしな」
それはやや皮肉っぽくはあったが、「あんたはいいもん食ってんだろう?」などとひがむような台詞は続かなかった。そして、ウォンの細い瞳をのぞきこむようにしてから、
「あんた、よく見ると、瞳、ちょっと青いな」
「そうですか?」
「それじゃ、子どもの頃、いじめられたろ」
ウォンは驚いて男を見返した。
そんなことをいわれるとは思わなかった。
なぜならその台詞は、男の思考よりはやく口から飛び出していたからだ。
「でも、でかくなったから、誰も何もいわなくなった。そうだろ?」
男はニヤリと笑い、匙をとりあげてランチの続きを食べ始めた。
なぜ、心が読めない。
超能力者でもないというのに。
いや、たぶん、何も考えていないのだろう。
だがそれは、何も考えずにいえる台詞か?
「誰にもいわせないようにしてきただけですよ」
「ふうん」
男はそれ以上、特にウォンに興味があるそぶりもみせず、黙々と食事を続けた。
そして、立ち去り際、うちつけにこういった。
「俺は、あんたの瞳、きれいだと思う」

★      ★      ★

その夜、実験室から出て、あてがわれた私室に戻ろうとしていたウォンは、昼間、食堂で言葉をかわした男が、薄暗がりで自分を待ち伏せていたのに気づいた。
「なんで泣いてんだ、あんたは」
ウォンは苦笑した。
「泣いてなど、いませんよ」
男は真顔で首を振った。
「この世で一番大事な人間と、もう二度と会えないって顔だ」
「あまり恐ろしいことをいわないで欲しいものですねえ」
ウォンは正直、警戒モードに入っていた。
実はついさっきまで、キースの治療用カプセルの前にいたのだ。
ノア爆破からだいぶ経ち、彼の傷は癒えているはずなのだが、なぜか目覚めない。
思い当たる理由は、ただひとつ――もう、目覚めたく、ないから。
たしかに今目覚めても、キースには何ひとつ、いいことがない。
ウォンに裏切られ、再び軍にとらわれた状態になっている。
完全にバーンと決裂し、戦ったことも耐えがたいだろうし、ノアの崩壊も、見たくもなければ、知りたくもないだろう。
たとえ目覚めたとしても、キースはウォンを、決してゆるさないかもしれず。
だが男は、ウォンの不安には気づかないようすで、
「あんた、超能力者なんだって?」
「どういう意味です?」
「昼飯の後、訓練に戻ったら、よってたかって文句をいわれたんだ……あのウォンって奴はサイキッカーなんだぞ、今まで俺たちが戦ってきた連中と同じなんだ、近づいてもいいことなんてない、やたらに話しかけるなよ、だとさ」
ウォンは微笑で応えた。
「それはまあ、事実ですね。私は目的があってここにいます、それが軍の目的と折り合っているからですが、兵士達にとって私は、忌むべき敵と同じでしょう」
「俺はそうは思わない」
男はウォンの瞳をのぞきこむようにして、
「あんたは別に、誰かを敵にまわそうなんて思ってない。自分が強くなりたいだけだろ、単純に」
「何故そう思うのです?」
「あんたの瞳には、憎しみがない」
シンプルすぎる答に、ウォンは再び迷い始めた。
この男は何がしたいのだ。
何をさぐろうとしているのだ。
「いったい、あなたの目的はなんです」
「あんた、ここで、超能力者をつくる実験をしようとしてるんだってな」
「それがなにか?」
「俺を使う気はないか」
「なんのためです」
「本当に強くなれるものなら、試してみたい」
菫色の瞳には、迷いがなかった。
心をさぐるまでもなく、言葉通りの意味のようだ。
「強くはなれますが、かなりの危険が伴う実験ですよ」
「だろうな。だが、それなら、若くて体力があるほうがいいだろ?」
「たとえ超能力を身につけたところで、ままならぬこともありますよ」
「そうらしいな。あんたのその顔、恋人でも死なせたのか」
「いいえ」
ウォンは即座に打ち消し、かわりに、暗い過去をひとつ打ち明けた。
「母です」
「母親か、なるほどな」
男は納得したようにうなずいた。ウォンは首をかしげ、
「いったいあなたは、なんのために強くなりたいのです」
「その質問、そっくりそのまま、あんたに返すよ」
「困った人ですねえ」
男は笑った。
「あんた、いろいろと余計なこと考えすぎだろ。だからハゲるんだぜ」
「なんてことを、いうんですか……」
いいかけてウォンは気づいた。
この男は、心を読ませないのでない。
本能だけで生きているのだ。
だから鋭い言葉も吐くが、それは特に、何かよく考えて、ではないのだ。
それは刹那的かもしれない、だが、くよくよと考えこまないことも、つらい日々を生き抜くための知恵のひとつだ。
「いいでしょう。明日、テストを受けにいらっしゃい」
「今晩でもいい」
「一晩寝たら、気が変わることもあるでしょう」
「変わらないさ」
「どうしてです?」
「俺は、変わるために軍に来たんだ。だからそれは、変わらない」
「妙な論理ですねえ」
ウォンは小さくため息をつき、
「今晩は、よく眠っておいてください。不調のまま試験を受けて、なにかあっては困りますからね。サイキッカーの実験は過酷だ、耐えきれずに死ぬらしいなどという風評が流れて、いろいろとねえ」
「兵士の訓練に、昼も夜もないぜ」
「それでもです」
「俺はあんたの母さんにはなれないが、抱き枕のかわりぐらいにはなれるさ」
ウォンは目をみはった。
色気のない物言いだが、どうやら口説かれているようだ。
「いったい、私のどこがそんなに気に入ったのです?」
「いったろ? あんたの瞳はきれいだって」
「あなたの瞳の方がきれいですよ」
「俺は別に、気にいっちゃいないが……あ」
ウォンが口唇を奪うと、男は大人しくなった。
顔が離れると、菫色の瞳を潤ませて、
「うまいなあ、あんた」
ウォンはいつもの微笑を取り戻した。
「リチャード・ウォンです。ウォンと呼び捨てて構いませんよ。あなたの名前はなんというのです?」
「好きによべばいいさ。入隊の時だって、名前代わりにLGWとか適当な三文字を書いたもんだから、よくわからん呼ばれ方をしてる」
「おやおや、そんなことでいいんですかねえ」
「ここは人を使い捨てにするところだ、一兵卒の名前なんてどうでもいいのさ、素性だってな」
ウォンは細い目をさらに細めた。
この男はやはり、用心すべきではないのか。
偽名で軍に入ってきたなどと平気で白状するのは、どういう神経なのだ。
裏表がなさそうなのも、念のいった演技なのかもしれない。へたに近づけたら、寝首をかかれる可能性もある。
しかしウォンは、もう一度、男の頬に掌を触れて、
「刹那、というのはどうです?」
「せつな? それはなんか、意味があるのか」
「深い意味はありませんが、あなたに似合う音だと思いますよ。本名がどうあれ、コードネームならば、上司がつけても問題ないでしょう」
「ふうん。つまり俺は、あんたのサイキッカー部隊に入れそうだってことか?」
「そうですねえ」
刹那の細い腰を抱き寄せて、ウォンは囁いた。
「今夜、その身体を、隅々までテストしてみましょう。それからですね、話は……」

(2011.1脱稿)

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Written by Narihara Akira
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