『輪 郭』

「ん」
目覚ましこそ止めたものの、キースはもう一度横になってしまう。今朝はウォンがいないので、少し早めの時間をセットしてあったのだ。
起きなければ、と思いながらも、眠りはまだ身体を重くひたしている。しかたなくキースはパジャマのボタンをはずした。寝汗で湿った掌を、胸に直にあててみる。少し熱い。発熱している訳ではない、ただ熱がこもっている感じだ。
こうして触れてみると、自分が肉体を持っていることを思い出す。頭でっかちのキースは、時に自分が思考だけで完結した存在であると錯覚する。自分の行動とその結果も、さらさらと幻のように流れおち、彼の中に確固としたものを残さない時がある。そんな時、ただ想念だけで宙を飛び、よりよい結果を求めて思考をめぐらせ続けるので、自分に実体があって、それが疲れたり弱ったりするものだということを忘れてしまう。
キースは自分の胸を撫でた。掌で何度も撫で回すと、物理的な刺激で突起が硬くなる。それを強くつまむと、やっと眠気が薄れてくる。それでも身体のほとんどはまだ眠っている。自分の頬を撫でてみたり、ふくらはぎをさすったりしているうちに、少しずつ感覚が戻ってくる。
キースは自分の局所にも触れてみた。まだ若い彼の中心部は、明け方であれば、なにもしなくてもある程度の硬さをもって反りかえっている。軽く握り、それから揃えた指先でてっぺんをくるりと撫でると、そこはさらに熱くなる。
ウォンがもし、ここにいたら。
こんなに熱くして、我慢しなくていいんですよ、と囁きながら、優しく指で、それから濡れた口唇で、ここを……。
「違う」
熱くなっていても、意志の力で抑えることは可能だ。ウォンが触れてくるから我慢がきかなくなるのだ。巧みな手管、熱い眼差し、甘いため息……うっかり「気持ちいい」などと口走ったら、ウォンの勢いはとまらなくなる。ただこちらを喜ばせようとしているだけでなく、本人もたまらなく感じているらしい様子に、情感はさらに燃えたつ。
「そうじゃない」
今はひとりいたずらをしているのではない、欲望を確かめている訳じゃない。身体を覚醒させるために、細部の点検をしているだけだ。むしろウォンに抱きしめられたら、自分の輪郭がとけてしまう。身も心もひとつになる経験はもちろん喜びだが、いま自分がしているのはまったく正反対のことだ。
キースはようやくベッドを出た。
冷たいシャワーを浴びるために。

熱が、とれない。
シャワーを浴びても、重いものが抜けていかない。水に打たれることで覚醒を、自分の輪郭を感じながら、自分のプロフィールを反芻する。
キース・エヴァンズ。年が明ければ二十一歳。白人男性。銀髪、碧眼。国籍イギリス。身長ほぼ六フィート、体重百四十六ポンド。最終学歴はアメリカのミドルスクール。元・秘密結社ノア総帥。恋人あり。現在も、世界中に散らばるサイキッカーの援助を自らの第一義とする。無趣味。読書量こそ多いが乱読ゆえ。
「……何者だ、私は」
その若さで何かをなしている方がおかしいのだが、形や結果を欲しがるのもまた若さというもの。そうでなくとも彼を染めてきた惨劇の数々が、成果のない日々を許せない。超能力者の理想郷という夢は、未だ彼の中でついえていない。もちろんそれに近い物を、将来的につくりだすことは可能だろう。あの男がいれば。
そう、いさえ、すれば。
タオルで水分をふき取っても、少しもさっぱりしない。
今日は仕事の開始を遅らせよう、いや、この体調不良だ、いっそ休みにしてしまおう、そう思ってキースはベッドへ戻った。
「ウォンがいなくても生きていかれる」
そんな言葉が思わず口をついて、ハッとする。
ああ。
不快の理由は……あれか。

ウォンの不在時に、私室に入りこむのは好きではない。
それでも必要なものがあれば取りに入るしかない。特に初期ノアの頃の資料はウォンが保管しているので、現在の状況との比較対照ができないのだ。
目当てのものが見つからないままデスクの引き出しをさぐっていて、キースは妙な箱を見つけた。ウォンのものにしては変に粗末な紙の箱だ。カモフラージュだな、と気づき開けてみて、ア、と声をあげた。
中に納められていたのは、象牙でつくられた、そそりたった時のウォンをかたどったものだった。急所である根元の部分まで、きっちり再現されている。
その輪郭を軽くなぞって、キースはため息をついた。
あきれていた。
こういうものを、ウォンがもっているということに。
よその人間がつくったにしろ、ウォン自身がつくったにしろ、愉快なことではない。
他の人間が製作者なのであれば、その人間がウォンの局部を熟知しているということだし(もちろん、ろくな重量も熱ももっていない偽物な訳だが)、しかも、それを捨てもせず保管しているなんて。もし本人がつくったとするなら、使うつもりがあるということだ。何のために。誰とする時に使うつもりだ。まさか僕とか。
僕が欲しいものを、いったいなんだと思っているんだ。
リチャード・ウォン。もうすぐ三十七歳。ホンコンチャイニーズ。長く豊かな黒髪。深い碧の瞳。身長六フィート六インチ、体重百七十五ポンド。神出鬼没の実業家。幾つもの顔を持ち、表向きは死亡したことになっていても誰も咎めない、裏社会の実力者。
もちろん、彼の優れた手腕が欲しい。それは事実だ。
だが、キースが本当に欲しいものは。

「……?」
戻ってきた?
ウォンの気配に気づいて、キースはベッドから跳ね起きた。
予定より早い。
どうしたんだ。いや、とにかく視察報告をきかなければ、とウォンの私室へ向かう。
「あ、キース様」
戻りました、と微笑むウォンに、素早く近づく。その首筋に腕を回し、口吻をねだろうとして、キースはハッとした。
「その怪我はどうした」
ウォンは苦笑した。
「気づかれてしまいましたか」
気づきもする。なにしろ、抱きついた瞬間、その身体が変に緊張した。微かに血の匂いが薫っている。ゆったりとしたズボンの下に、包帯の感触。太股に裂傷があることを気づくには、それで充分だろう。大腿部は大きな動脈が走る場所だ、相手を害そうとする者がよく狙う箇所でもある。
ウォンは軽く首をすくめて、
「まあ、今回下見をした場所は、中継基地には向かないところだったという、それだけのことですよ」
「だが、君が不覚をとるとは、いったい?」
「たいした相手ではありませんでしたよ。ただ、油断大敵とはよくいったもので」
「本当か」
「ええ。むしろ貴方と行けばよかった。そうしたら、もうすこし注意深く行動したことでしょう」
「そうか」
キースはすっと身体を離した。
「君がそんなじゃ、しばらくできないな」
「え」
「でも、道具を使うぐらいなら、しなくていい」
ピシリ、と氷の花が散るような声。
ウォンは一瞬ハッとしたが、すぐにいつもの微笑みを取り戻した。
「ベッドへ行ってもいいでしょうか。予定より早く戻れましたし、少し休みたいのです」
キースは首をすくめた。
「君は怪我人だ。ゆっくり休むといい」
「ええ」
そのままするりと歩き出そうとするウォンに、キースは肩を貸した。ウォンは足をひきずりはしなかったが、優しく肩を借りている。
「そういえば、せっかく会う約束をしていたのに、僕の怪我でしなかった日があったな」
「ええ。……でも、あの時は、何より会えて嬉しかった。貴方が来てくれて……」
ベッドへ並んで腰をおろす。
ウォンの眼差しが濡れていて、キースはそのまま立ち上がることができなかった。
「横にならなくていいのか」
「え?」
「仕方がないな。ほら」
怪我をしていない方の脚を下にして、キースはウォンをひきたおす。
靴を脱がせてやり、それからウォンの肩を抱えて、自分の膝の上に置いた。
驚いて、体重をかけきれないでいるウォンを、キースは静かに見下ろす。
「君と、いろんなことがしたいんだ」
たとえば、もっともっと甘やかしてみたい……誰もみていない場所でなら、ウォンの方が子供のようにキースに甘えても構うまい。自分に身も心も許してほしい。自分がウォンの腕の中で満ち足りるように、安らいでほしい。ひざまくらをして欲しいと思うより、膝を貸したいと思う自分は少し変かもしれないとは思う。実際、ちょっとくすぐったい訳だし。
でも、有能な右腕以外のウォンも、模範的な恋人以外のウォンも、欲しいのだ。
「キース」
アイスブルーの瞳を、昏い瞳が見上げる。
「考え事をしていたんです」
太股を軽くさすりながらウォンは呟く。怪我をした時のことを言っているのだ。
「私がいなくても、キース・エヴァンズは生きていかれる、と」
ドキリとしたキースの膝に、ウォンはそっと体重をかけてきた。
「私の肉体が滅びたら、この感触を貴方は少しずつ忘れていくのだと、ふと思ってしまったんです。もともと、物理的法則を無視した力をもつ私です。ひょんなことで死に至るかもしれない」
熱い掌を膝へはわせて、
「貴方は情の深いひとです、私が消えても忘れないでいてくれるでしょう。それでも、私がいなくても、と思ったら……」
「僕は、君の形が欲しいのじゃない」
「わかっています」
チラ、と一瞬見上げてから、ウォンはキースの下腹部へ顔を埋めた。
「でも、もう、気持ちだけでは、とても足りないでしょう……貴方も」
「確かに、そうだな」

そのまま、互いの輪郭をなぞりあいながら、形のない部分で一緒に溶け崩れ……。

(2002.7脱稿)

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Written by Narihara Akira
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