『落とす』


 家の鍵がない。ポケットを探しても触らない。いつ落とした? チャリンと音もしなかった。むき出しの鍵なのに? 同僚が「どうしたの」ときいてくる。「家の鍵を落としたみたい」「大変じゃない、探さないと」「うん。ごめん、少し離席します」。デスク周りにはない。ロッカーにもない。駐輪場にも落ちていない。この間、鍵がないと思ったら、玄関にさしっぱなしで出かけていた。家族にしこたま怒られた。大丈夫か自分。いや、大丈夫ではない。いったいどこにあるんだ。もう一度ポケットを探ってみる。あった。底の底に沈み込んでいた。どうして今まで手に触れなかったんだ。
 同僚に知らせる。「よく探したらポケットの中にあった。お騒がせしました」「よかったね、見つかって」
 大丈夫か自分。いや、大丈夫ではない。
 この間は社員証をなくした。職場に入ろうとして気づいた。なぜなら社内に入れない。総務に仮のIDを借りて使った。家の前か玄関に落ちているかもしれないとと探したが、ない。後で鞄を開けてみたら、普通にそこに入っていた。
 確かに落としてはいるのだ――見「落とし」だ。



(2024.7脱稿、覆面小説企画#ぷちヘキ参加作品
お題「持っているものを落としてしまうシーン」
https://site-5868246-7732-7309.mystrikingly.com/)


《その他創作》へ戻る

copyright 2024.
Narihara Akira
http://www5f.biglobe.ne.jp/~Narisama/