『ピクニック』

パソコンに映し出されたスケジュールをにらむキースの後ろから、柔らかな声がした。
「おや、明日の予定はキャンセルに?」
「ああ。先方の都合でな、ぽっかり一日あいた」
キースはふっと後ろを振り返った。
「天気も良さそうだし、ピクニックにでも行くか」
ウォンの瞳は一瞬、驚いたように見開かれた。
だが、すぐに嬉しそうに微笑み返す。
「いいですね。では、お弁当は私がつくりましょう」
「いや、そんな大げさな準備はいらない。ただ気晴らしに郊外をぶらつこうかと思っただけだから」
「そうですか。では、行き先は貴方の心のままに?」
「うん。出かけるのも、日が高くなってからでいい」

翌日、昼下がり。
ミニクーパーから先に降りたのは、運転していたキースの方だった。
その後からウォンが、ピクニックバスケットをもって降りてくる。
キースは眉をしかめた。
「なんだ、その大きさは」
「英国風ランチといったら、略式でもこんなものではないのですか?」
「どれ、君のイギリス風とやらを見せてもらおうか」
平らな木陰を選んで、ウォンはバスケットを開いた。
ピクニックシートの上に、いくつも皿を並べていく。
ライ麦パンに挟まれた、チキンと玉葱のサンドウィッチ。ベーコンサンドには、新鮮なレタスとトマトが添えられて。カマンベールチーズフライに固ゆで卵。メインのローストポークにはアップルソース。つけあわせは馬鈴薯と人参をゆでたものに、マッシュルーム入りのグレービーをかけたもの。魔法瓶に入っているのは、暖かいグリンピースのポタージュ。もう一つの瓶には、やはり暖かいミルクティ。そして冷たいオレンジジュースの入ったガラスびん。ワインはぬかりなくドライ・ホワイトとクラレットの両方。クルミの入ったスコーンには、ラズベリーソースとクロテッドクリーム。そして粉砂糖のかかったチョコレートケーキ。
パンのきれいな切り口を見ながら、キースは呟く。
「このサンドイッチは、君のお手製だな」
「ええ。良いベーコンがあったので。スコーンも私が焼きました」
「中華の腕前を披露してくれないと思っていたら、菓子づくりに精を出していたとはな」
ウォンは苦笑した。
「菓子というほどのものでもないですよ。それに、貴方のキチネットのコンロは火力が若干足りないので、本格的な中華には不向きなのです。オーブンでつくるものの方が得意になったからといって、叱られても困ります」
「別に叱ってなどいない。ランチに中華というのも無理だろうからな。もってこられるのはスプリングロールぐらいだろう」
キースはクラレットを手にとり、ナイフで栓を開け始めた。
「とにかくまずは、美しい六月に乾杯だ」
「そうですね」

「眠くなった」
そう呟くキースの瞳は、確かにトロンとしている。腹の皮がつっぱると目の皮がたるむという。ウォンは優しい眼差しでその横顔を見つめながら、
「お休みください。陽気がいいですから、風邪をひくこともないでしょう」
「そうだな」
キースはそのまま、仰向けに身体を倒した。目を閉じて、軽い寝息をたてはじめる。
あまりに無防備な、その寝顔。
ウォンは上着を脱ぎ、キースの身体にそっとかけた。
「……」
柔らかな風がウォンを洗う。
簡単な結界を周囲にはってある。いつ誰から襲われても遅れをとらないだけの経験値も積んでいる。最低限の用心はしている。
それでもウォンは、キースの傍らにいることで、深くくつろいでいた。
昨夜のキースは、ごく普通の様子だった。
ピクニックの予定に浮かれているようでもなかった。
だからウォンはいつもどおり彼を抱いて、いつもどおりの後始末をして眠った。
今日の朝も、キースは特に嬉しそうな顔もせず車を出し、そして郊外までやってきた。
そして、食べたいだけ食べて、眠っている。
それはウォンにとって、かけがえのない幸福だった。
彼が常にキースの顔色をうかがっているので、時にキースは無理に笑顔をつくる。さもなくば怒り出す。
キースの憂いは、時に長く後をひく。他人が簡単に癒やしきれるものでもない。
だが、時間がなにかを解決することもある。
その「時」が来たので、こうして連れ出してくれたのだろう、とウォンは想像した。自分の気晴らしのためだけでなく、私の心をも軽くするために。だとすれば、隠された鬱屈も、いずれ吐き出されることだろう。
朝からキチネットに立って、キースの好みを考えながらランチをつめるのは楽しかった。
美しい景色を選びながら走る、キースの傍らにいるのが嬉しかった。
こうして眠っている貴方の傍らで、夏の風に吹かれているのが、心地よい。
貴方が私のために何かしてくれて、私が貴方のために何かする。
それだけでこんなにも気持ちのよいものか。
「楽しそうだな」
低い呟きをきいて、ウォンはドキリとした。
キースは目を開けていた。
「君という男は、頭が良いのかよくないのか、わからないな」
「何の話です?」
「僕が本当に、ピクニックに来たかっただけだと思っているな?」
ウォンは細い瞳をさらに細くした。
「……ということは、町から姿を消すおつもりでしたか」
「うん」

大事な会合をあっさりキャンセルされた時、キースの心をふと倦怠が襲った。
相手に、侮られている。
いったい私は、毎日なんのためにあくせくしているのか。
もうかつての影響力を、自分が持っていないのは知っている。
かつてカリスマ総帥として一つの組織に君臨したが、ノアが滅び、また別のものに変質してから時間がたつ。キースは公には死んだことになっている訳で、もちろん生きているという噂はひそかに流れ続けているが、結局彼は《堕ちた偶像》にすぎない。ノアの世話になっておきながら、もう関係ないとうそぶく者、批判だけ続けている者の数も少なくはない。もう思い出しもしない者もいるだろう。
そう考えると、急に空しくなってくる。
そんな時にウォンに声をかけられたので、キースは不意にピクニックへの誘いを口走っていた。
その本音はこうだ。
このままどこかに消えてしまいたい。
消えても誰も、何も思わないだろう。
いつも自分の後ろにひかえている、この長身の中国人以外は。

ウォンの返事次第では、失踪を決定するつもりだった。
しかし彼は、ひとつも動じることがなかった。
いつもの微笑みを浮かべ、そして夜はいつもどおりにキースを抱き、朝は早く起きてかいがいしく弁当をつくり、キースに言われるままに窮屈な車に長身をおさめて、郊外までのんびりついてくる。
泰然自若といえば聞こえがいいが、実は何も考えていないのではないのかとも思う。
起きていても夢を見ているような男だ。
こちらがどんな残虐を加えようとしても、それを「美しい」と言い放つ男だ。
キースは馬鹿馬鹿しくなった。
自分は何を思い詰めている。どうかしていた、疲れているのだ、と思った。
ウォンがこしらえた食事を素直にとって、眠くなったところで寝た。
そして目を開いた時、世界はやはり美しい六月だった。その彼方にどんな暴力や奸計が蠢いていたとしても、その瞬間、己の心は平和だった。
「君もさっさと、世界征服を完了したらどうなんだ」
キースの皮肉っぽい呟きに、ウォンは微笑みをとりもどした。
「とっくの昔に、世界は私のものですよ。しかし、世界征服というのは、どこかで完了するというものでも、ないので」
「まあ、それもそうだな」
キースは身体を起こす。
そう、どこかで終わる仕事などというものはない。
なにかの終わりを決めるのは自分だ。もう駄目だと思ったところから何度でもはいあがることこそが、自分のやっている仕事の一番大切な部分だ。
ウォンはバスケットの蓋を閉じながら、
「さて、そろそろ今日の宿を決める時間ですね」
「ウォン」
「もう酔いもさめましたし、私が運転しましょうか。お疲れだったら後部座席で眠ってくださっても構いませんし」
「もう眠くない。そんなに心配しなくても、どこかへ行ったりしないから」
キースはそこで、ふっと目を伏せて呟いた。
「ちゃんと、帰る。二人の部屋に……な」

(2005.4脱稿)

《サイキックフォース》パロディのページへ戻る

Written by Narihara Akira
http://www5f.biglobe.ne.jp/~Narisama/