『裏切り者』 -- Psychic Force 2010 --


 秘密結社ノア。
 昼夜わかたず青白い光またたく、超能力者たちの牙城。
 その基地最深部にある、若き総帥の私室――。

 就寝前、経済理論の古典に視線をおとしていたキースは、人の気配を感じて、ふと顔を上げた。
「どうした、ウォン」
「夜分に失礼しますよ、キース様」
 音もなく現れた長身のホンコン・チャイニーズは、その胸に紙の束を抱えていた。
 リチャード・ウォン、総帥の腹心だ。経済面においてはノアのトップなのだが、キースの力を認めて、ナンバー2として慇懃に控えている。
「貴方に見ていただきたいものが、ありましてね」
 机にパサリと書類を置かれ、キースは本を閉じた。
「なんの報告だ。急ぎか、内密か」
「この書斎に、結界をはるレベルのものですよ」
「必要なら君がはるがいい。それで何だ」
「このノアの中に、裏切り者がいる、ということです」
「ほう?」
 キースはさらりと報告書を開き、目を通した。
「なるほど。ノアに不満がある者を、外部へ誘導する計画だな……機密面・技術面の流出の可能性か。すでに資金の動きも見られる、か。いろいろと問題がありそうだな。で?」
 ウォンは細い瞳をさらに細くして、
「顔色ひとつ、変えないのですね」
 キースはすらりと立ち上がった。ウォンの眼鏡の奥をのぞきこむようにして、
「けしからん、と怒りを露わにすべきなのか?」
「その剛胆さ、おそれいりますねえ」
 ウォンの瞳の底に、昏い炎がゆらめいている。
「私が気づいていないとでも思いましたか、キース様。貴方が平然としているのは、この計画を立案したのが、他ならぬ自分だからです。まさか総帥自身が同志を裏切るとは誰も想像しまい、とお考えでしたか? その涼しげな氷の面が、危険な企みを隠すためにあるとは、この私ですら、信じがたいことですよ」
 二人の間に火花が散った。
 だが、そのまま戦闘態勢には入らない。
 先に口を開いたのは、ウォンだった。
「なぜです? この方舟は、貴方が望んだものだったはず。核ミサイルの直撃にも耐えうるこの基地の、なにが不満なのですか。同志の収容数は、この基地に落ち着いてから格段に増えました。傷ついたサイキッカーたちの精神的・肉体的なケアも継続的に行っています。なぜ、貴方の声にひかれて集まった彼らをさらに引きつけようとせず、他の場所へ吐き出そうとするのです? 戦力が削られるばかりか、造反した彼らは、第二、第三勢力となって、私たちに敵対するかもしれないのですよ」
 キースは目を伏せた。
「それは、わかっている」
「では何故」
 キースは深く嘆息し、
「……今のノアは、サイキッカーの理想郷では、ないからだ」
 ウォンの眉間に皺が刻まれた。
「なるほど。バーン・グリフィス君のせいでしたか。彼に総帥補佐を頼みたかったというのに、ここの水にあわず、貴方を置いて出ていったことが、そうまでショックだったのですか」
 かつての友人の名のところで、キースの表情がかすかに動いた。
「バーンのせいではない。前から考えていたのだ。本当の理想郷とは、なにかを」
「本当の理想郷? アルカディアとはもともと、伝説の楽園ですがねえ」
 ウォンの口元に皮肉な微笑が浮かぶ。キースも冷たい笑みで応える。
「ふ、若者らしい夢想とでもいいたいのか。だが、今のノアには、自分の能力を制御できず、サイキックを否定してもがき苦しむ者と、己の力を過信して、軍研究所に対して力を発散させている者しかいない。それはどちらも、幸せな状態とはいえまい」
 ウォンは首を振った。
「今は過渡期なのですよ。これは必要な段階です」
「わかっている。2010年現在のノアは、サイキッカーにとって必要な組織だ。だが、誰しも永遠に戦い続けてはいられまい。だいいち、理想郷とは平穏に暮らせる場所のはずだ。最前線の基地以外に、ふつうの日常を送れるコミュニティをつくり、望む者はそこに逃れ、協力しあって過ごすという選択肢もなければならない。わかりやすいように例えるなら、世界各国に存在する、チャイナタウンのように」
 やれやれ、とウォンはため息をついた。
「将来を見すえた計画であって、今はゆるせとおっしゃるのですか。それが貴方の真意ですか」
「いけないか」
「今の貴方は、ノアを維持するだけで精一杯の状態ではありませんか。先のことを考えるのも結構ですが、そちらにばかり気をとられていると、足元をすくわれますよ?」
「そのために、君がいる」
「私だのみというわけですか。ずいぶんと都合のいい話ですねえ」
「この基地は君がつくったものだ。みすみす壊すようなことはすまい」
「そして貴方はここを捨て、新たなコミュニティに君臨しなおすというわけですか」
 ウォンは眼鏡を押し上げた。いつもの謎めいた微笑を浮かべ、
「まあ、サイキッカーの心の平和のため、各国にコミュニティをこしらえることは、実現不可能でないかもしれません。ですが、戦わない者は衰えます。攻撃を受けた場合、彼らは自分たちを守ることができるのでしょうか。そのたびに、ノアのメンバーが救援にかけつけるのですか?」
「それは」
「貴方はもう忘れてしまったのですか? 人類にとって超能力者は、ファンタジーの中の存在です。空想ならばこそ、その存在をおおらかにゆるしますが、現実に目の前にあらわれれば異形の者、憎悪の対象となります。だからこそ、あんな非道ができるのではありませんか」
「同志の無念は忘れていない。わかっている。君の努力を裏切っているのだということは。だから君には伏せてきた。それは認めよう」
「では、こんな計画に着手しようとするのは、おやめくださいますね」
「今はな」
「なぜ、そこまで固執するのです」
 ほんの一瞬、キースは目をそらした。
「それは……君がやっている研究、たとえばソニアに対して行っていることは、軍研究所がやっていることと、紙一重だからだ」
 ウォンの瞳が大きく見開かれた。
「本気でおっしゃっているのですか」
 キースはウォンをにらみ返す。
「君を責める気はない。君には君の利益を追求する権利がある。自分の資金をつぎこんで超能力を極めようとするのを、とめられる者はいまい。君は世界を手にするがいい」
「なるほど。あえて貴方の心をよむ必要も、ないようですね」
 キースは、すうっと腕組んだ。
「私を殺るつもりか」
「そんなつまらないことを、この私がすると思いますか」
「ではどうする」
「おかしなことを訊きますねえ。貴方は私といることで、資金的なメリットがある。私も貴方のカリスマ性で、多くのサイキッカーを集められます。お互い、いま手を切らねばならない理由は、ありませんよ?」
「こんな深夜に私の部屋を訪ねてきて、なにもしないというのか」
 ウォンは含み笑いをもらした。
「まさか、なにかして欲しい、とでも?」
「いや」
 キースが表情を硬くすると、ウォンはゆったりと後ろ手をくみ、
「まあ、なかなか有意義な密会でしたよ、貴方のお心は理解しました。今後はキース様の望みと折りあえるよう、私もよく考えてゆきましょう」
「本当か」
「私も酔狂でノアに資金提供をしているわけではありませんから、研究の邪魔をされるのは困りますが、それ以外の部分では協力できることがあるでしょう。たとえば、チャイナタウンのノウハウなり」
「それはありがたい話だ。机上の勉強だけでは追いつかないからな」
「そうですねえ。まあ、今晩はこのへんにいたしましょうか。夜も更けました、ごゆっくりおやすみください、キース様」
「うむ」
 フシュン、と音をたててウォンは姿を消した。
 キースは思わず、太い息を吐いた。
「本当に、心を読ませない男だ。これからは背後に気をつけなければな」


 そして、扉の外。
「そうですか、キース。貴方の本当の望みは、ノアが滅びることでしたか」
 歩き出したリチャード・ウォンの顔には、おそろしい微笑が浮かんでいた。
「同志の無念は忘れないといいながら、本当は人など殺したくない。総帥の座などふりすてて、友人と仲良く暮らしたい。すこぶるつきの平和主義者というわけです。ですが、貴方にそんな穏やかな暮らしができますかねぇ? 凶暴な衝動を、氷の鎧におしこめている自覚がないのですね。それこそが、強大なサイキックの源だというのに」
 薄い口唇が歪んだ。ククク、と笑い声が洩れる。
 声にならない思いが、その声ににじんでいた。
《……ええ、いずれ貴方の望みどおり、悪役として貴方の前に立ちふさがることにいたしましょう。貴方は永遠に平穏など望めないということを、その身に思い知らせてあげますよ。それに潔癖な貴方に、裏切り者などという形容は似合いませんからね。そう、それが似合うのは……》


【PSYCHIC FORCE 2010 Special Stage】用書き下ろし


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Written by Narihara Akira
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