『たてない』


朝、先に身支度を始めたのはキースの方だった。
ウォンも服装を整えていたが、長い髪はまだ、ゆったりと垂らしたままだ。
「そろそろゆくか」
キースはベッドから立ち上がり、ウォンの前に立った。そのとたん、
「あっ」
引力が働いたかのように、ふらりとウォンの胸の中へ倒れ込んでしまった。
ウォンはそっと受けとめると、
「大丈夫ですか、キース様」
「いま、君、なにか力をつかったか」
「いいえ」
ウォンはキースの腰へ掌をすべらせた。
「昨夜は貴方にずいぶん無理をさせてしまいましたからね、力が入らないのでしょう」
「そんなことは、ないはずだ」
「筋肉を少しほぐしてみましょう。うつぶせてください」
ウォンはキースを寝かせ、腰を撫でていく。キースは自分の背中の感覚のなさに驚いた。確かに朝まで愛されたが、ウォンはいつも以上に優しく、つらいなどとはかけらも思わなかった。「僕も君が好きだ」といったとたん、体温が自然にあがって、自分でも初めて聞くような甘いうめきが洩れはじめて、それだけは恥ずかしかったが。
撫でる手をとめ、ウォンはキースを仰向けにした。
「たぶんこれで、とりあえず起きられると思います。ただ、身体の疲れが抜けきっていませんから、もうしばらく休んでいらした方が、よろしいかと」
キースは身を起こしてみた。
今度はふらつかずにすんだ。髪をまとめるウォンを、そのひろい胸を見つめながら、
「大丈夫だ」
「そうですか。では、ゆきましょう」
「一緒にか。いかにも朝帰りだな」
「では、私は一度、外へ出てから、お迎えにあがりますか」
「そうしてくれ」
ウォンはフシュン、と姿を消した。
キースは自室を出ようとしたが、足をとめると、ふとドアによりかかった。
冷たい金属に額をあてて、呟く。
「あまり、大丈夫では、ないようだ……」

★      ★      ★

その夜、ベッドに入ったばかりのキースの眠りは、浅かった。
「ん」
人の気配を感じて、キースはうすく目をあけた。
傍らに、長い黒髪の男が立っている。
キースがぼんやり見あげていると、ベッドへ滑り込んできた。
しかし、こちらに触れようとはしない。あくまで添い寝という風だ。
相手のぬくもりの心地よさに、キースは思わず呟いた。
「抱いて……」
その言葉を待っていたかのように、ウォンは嬉しそうに、キースを腕の中に包み込む。
優しい肩に頬を埋めながら、キースは、
「もっと、いやらしいこと、して、いいのに」
「どんな風にされたいのですか」
「君は、どうしたい?」
「たっぷり時間をかけて、貴方の身も心も、開きたい」
「もう、開いてるじゃないか」
「貴方はまだ、性的に目覚めていません」
「そんな。こんなに感じてるのに」
「お疑いですか」
ウォンはキースの脚の間に自分を割り込ませるようにして密着する。
触れているすべての箇所から情感が流れ込んできて、キースは思わず喘いだ。
「なんだ、これは」
「できるだけ肌をあわせることで、貴方の心を少しこじあけているのです。それだけで貴方は普段より、性的な身体になっています。全身で感じているでしょう?」
キースは身をかたくした。ウォンにすがりつくことも、逃れることもできず、熱くなる肌をどうすることもできない。
「これっぽっちではずかしがっているのに、淫らな身体になりたいのですか」
キースは口唇を噛む。ウォンは低く囁く。
「ほんとうの快楽は、もっと深い場所にあります。身も心もひとつになって、はるかな高みへ飛びます。私も、愛する貴方をそこまで連れていってあげたい。けれど、貴方の心は、まだ準備ができていません」
「そんなことはない」
「いいのですよ、私は焦りませんから。ゆっくり貴方を、虜にしてゆきます。心の底から、信じていただけるまで」
「ウォン」
僕はそんなに、心を開いていないとでもいうのか。
自分の意思で身体を開いたのは、君だけだというのに。
いや。ほんとうに自分の意思だったか?
ウォンのいたわりに流されているだけではなかったか?
「君を愛してる」
「ええ、そうでしょうね」
さびしげなウォン。なぜだ。どうして。これでは君には足りないのか。
その瞬間、キースの目の前の顔が変わった。
「まったく女どもは、どうでもいいことばっかり騒ぎやがって。愛だの恋だの、くっだらねえな!」
バーン・グリフィスの声をたしかに聞いた、と思った瞬間、キースは飛び起きた。
疲れがたまっていたせいで、デスクにつっぷして眠っていたのだ。
つまり、ベッドに入っていたというところから、夢だったということだ。
そしてバーンの台詞は、彼と一緒にいた頃、本当にきいたものだ。あらぬ噂をたてて面白がる女の子たちに単純に腹をたてていた、彼の。
「ああ……」
キースは顔をゴシゴシとこすった。
愛だの恋だのがくだらない、とはキースは思わない。
それはそれで大切なことだと思う。
しかし、ほんのりとした淡い思いは経験していても、キースは今まで真剣に誰かとつきあったことがない。
それに、キースの理性は、何かに溺れることをよしとしない。
自分にはやらねばならないことがある。
それをなす前に、個人的なことに時間をつかいすぎてはいけない。
そして何より、ノア総帥として、ひとりで立っていられるようでなければ。
あんな……目が覚めて、ウォンの胸に倒れ込んでしまうようなことは、ないようにしなければ。
「キース様?」
書斎へやってきたウォンは、キースの表情がおかしいのに気づいた。
「どうなさいました、お顔の色が」
「実戦部隊をどう編成するかについて考えていただけだが?」
「そうですか」
ウォンはキースが広げていた資料に視線をおとした。
「まあ、今の人数では、足りているとはいえませんねえ……ガデスやベルフロンド兄妹は、それなりに使えますが」
「実は、ブラド・キルステンを投入できないか、考えているのだ」
「本人が未だ力をコントロールできないのにですか」
「今の状況では、コントロールするより、発散させた方がいいのではないかと思ってな。ある程度の距離ならば私も制御できるが、万一のために、ソニアをつけて外へ出したらどうかと」
「しかし、ソニアもじゃっかん、出力に不安定な部分がありますからねえ。第三の援護が必要かもしれませんが、よいのでしょうか」
「それを君に頼めるか」
「構いませんよ。ソニアのメンテナンスには、今でも関わっておりますし」
「では、さっそく頼む」
「わかりました、早急に検討いたしましょう。しかし、夜もだいぶ更けてまいりました。キース様はそろそろ、おやすみください」
「そうする。今晩はひとりで寝かせてくれ」
「ああ、やはりお疲れなのですね」
ウォンはキースの頬に手を触れた。顔を重ねようとすると、キースは顔を背けた。
「やめてくれ」
ウォンは怪訝そうに首を傾げる。
抱いて、といったら、ウォンが喜ぶことは知っている。
たぶん僕は、ウォンを愛してる。
だけど。
「そこまで優しくしなくていいんだ」
「キース様?」
顔を背けたまま、キースは呟くように、
「子ども扱い、しないでくれ」
ウォンは小さくため息をついた。
「なるほど。それでは意地悪をいたしましょう。今晩、貴方を一人で寝かせません」
「そうじゃ、な」
キースは口唇を奪われていた。
「や、あ……」
意地悪されたいわけじゃない、といおうとしたのに、キースは今度は口づけに応えていた。
ひとりで立てなくても、いいんじゃないのか。
ウォンがずっと、そばにいてくれるのなら。
同じ目的のために、働いてくれるなら。
頭の芯がぼうっとしびれて、キースは一瞬、無防備になっていた。
「キース・エヴァンズ」
顔が離れた時、ウォンは優しく微笑んでいた。
「貴方がそんなに求めてくださるのなら、ずっとおそばにいます。保護者でなく、対等なパートナーとしてあれば、よいのでしょう?」
キースはハッと赤い頬をこすった。
「心を読むんじゃない」
「おやおや、貴方が自分でおっしゃったのじゃありませんか」
嬉しげなウォンに、キースは目を伏せた。
「ほんとうに、君、今朝、超能力を使わなかったんだよな?」
「ええ」
ウォンはキースの腰に掌をそえた。
「そうですね、もし、そういう力があれば……貴方を立てなくするより、もっと別の、淫らなことを、しましょうね」


(2010.5脱稿)

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Written by Narihara Akira
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