『空 涙』


もうもうたる白煙の渦巻く中、咳きこみながら目をさましたバーンが最初にきいたのは、低い嗚咽だった。
「ああ、キース様」
薄闇の中、ひかるものが滴りおちるのをバーンは見た。
「なんという、ことを……」
目をとじたキースを膝上に抱えあげて涙を流しているのは、リチャード・ウォンだった。
「どうして彼をかばったのです、かつての親友というだけで……そんな優しさは命取りになるということを、貴方はよく、知っていたはずですよ」
長い黒髪は乱れ、キースをかきいだく腕は震え、身体の奥からしぼりだしたような声は、悲しみに満ちみちている。
バーンは身を起こそうとした。
しかし、先ほどの爆発のダメージが大きく、身体を動かすことができない。
超能力をチャージしながら、バーンはかすれた声で、
「キース……」
そう呼んだ瞬間。
バーンの右の掌に、大きな剣が突きたった。
ウアァッ、と激痛に呻くバーンを、ウォンはにらみつけた。
「あなたは自分が何をしたか、わかっているのですか!」
左の掌にも小さな剣がつきたって、バーンは地面にはりつけられた。
「かつての親友をテロリストと罵っておきながら、あなたはその人を殺した!」
「違う!」
「今までだって、自分がどれだけ残酷なことをしていたか、わかっていない! あなたがノアへ来てから、そしてノアを出ていってから、キース・エヴァンズがどれだけ苦しみ、葛藤していたか、想像すらしなかったでしょう。いえ、最初からわかろうとしなかったのですよ。悪の秘密結社、すなわち間違っていると決めつけ、しかも力で押さえつけようとした。いったい、あなたのどこが友だちですか!」
ウォンの声は悲鳴に近かった。小さな剣が、バーンの足にも胴にも降りそそぐ。
「ああ、たとえここであなたを八つ裂きにしたところで、彼の苦しみの何分の一にもならない。それすら理解していない!」
「違う、俺は……!」
バーンは首を振った。
再会した時の、キースの笑顔を思い出す。
「嬉しいよ、バーン、ノアに来てくれて。僕の声がきこえたんだね?」
バーンの手をとって握るキースの両掌は、手袋ごしでも熱かった。
昔と変わらない、いや、昔以上に輝いていた。
俺が、キースを苦しめていたって?
違う、あいつは好んで人殺しをするような人間じゃなかった。
俺はあいつの過激な行動をやめさせようとしただけだ。
それだけなんだ。
最初から力でなんとかしようとしたわけじゃない、それに俺がちゃんと説得できていれば、キースは――!
「愚かな!」
ウォンの怒声が、バーンの物思いをさえぎった。
「説得するなど不可能なことです。彼がなぜ、人類に対して宣戦布告をしたと思っているのです。血を吐く思いで踏みきったのは、そうしなければ救えない同志がいたからです。永遠に人類と戦い続けようとしていたわけでも、抹殺しようとしていたわけでもない、ただサイキッカーが平穏に暮らせる場所さえつくれたなら、いつ自分の命を投げ出しても悔いはないと念じていた。本当は、なにより平和を望んでいたのですよ」
「それは、わかってる!」
「ハハハハハハ!」
ウォンは笑い出した。
「彼の理想どころか、彼自身を破壊しておいて、わかっているとはどういうことです? 建設的な提案のひとつもできないあなたが、何をわかっていたというのです?」
「お、俺は……」
「すくなくとも私は、ノアの理想に共鳴しました。キース・エヴァンズのために働きました。この人を守りきれなかったのが、唯一の後悔です」
そういってウォンは、キースを抱きかかえなおした。
「あなたはそこで朽ち果ててゆきなさい。いえ、生き残ったノアの人間が、怒り狂ってあなたを殺すことでしょう。キース様はあなたの死などかけらも望んでいませんでしたが、あなたのしたことは、まったくゆるされないことですからね」
「おまえはどうするんだ」
「キース様のいないノアに意味はない。ノアの理想は、この人がいたからこそのもので、彼の死によって瓦解することでしょう。私は滅びるときまった場所に、グズグズしている趣味はありませんよ」
ウォンはもう一本、大きな剣をバーンの太腿に突き立てた。
「これでお別れです、バーン・グリフィス……永遠にね」
そう呟いて、ウォンはキースを抱えたまま、フシュンと姿を消した。
とうぶん消えそうにない白煙の中で、バーンは再び呻いた。
与えられた傷は致命傷ではない。
血も流れ出していないので、彼の命の炎は、まだしばらく灯っていそうだ。
バーンの脳裏に、ふたたびキースの笑顔が浮かぶ。
「君の力は素晴らしい。君ならサイキッカーの未来を切り開いてゆける」
あの喜び方はなんだったんだろう。
キースは俺に、何を求めてたんだ?
そりゃ、仲間を助けたいって気持ちは、よくわかる。
だが、正攻法っていうのがあるはずだ。正々堂々と、誰にも恥じない形で。
研究所を襲って人を殺すなんていうのは、復讐以外の何者でもない。
人類に宣戦布告したら、サイキッカーは人類の敵になっちまうじゃないか。
それでいいのか?
超能力者もそうじゃない人間も、共存しなきゃいけないんじゃないのか?
過激じゃない方法があったろう?
「俺だって、知ってる」
キースが平和を望んでいたことを。
俺を殺そうとなんて思ってなかったことも。
なぜなら、突然おこった爆発の中で、キースはとっさに俺をかばおうとした。
だから自分の防御が遅れた。
だからあいつだけ、致命傷を受けた。
そう、俺のせいだ。
「キース」
バーンの瞳から涙が溢れだした。
「俺はどうしたらいいんだ、キース……!」

★      ★      ★

その朝、キースは身体が異様に重かった。
「どうなってもいい。どうでもいいんだ、なにもかも」
口唇をついて出たのは、自暴自棄の呟きだった。
白い天井をぼんやり見上げながら、キースは思う。
どんな地獄を見た日も、絶望のどん底にたたき込まれたことはなかった。
なぜなら絶望しているひまがなかった。自分には同志がいる。助けなければならない者たちがいる。どうしたら最善の行動をとれるか、常に考え動き続けなければならないからだ。一瞬のためらいや判断ミスが、多くの命を奪うことになるからだ。
そう、すべての凶行は同志のため。
自分が今、こうして息をしているのは、すべて彼等のためだ。
だが。
「僕は、たったひとりの友だちも、説得できなかった」
なんて情けないことだろう。
サイキッカー同士だというのに。
そう、彼は研究所の惨劇を見ていない。
バーンは何も知らない、だから彼は理解できない。僕が何を覚悟しているかも。
いや、友達だからといって、すべてわかりあう必要はないんだ。
僕と彼とは進む道が違う。ただそれだけのこと。
それだけのことなんだ。
だが。
「それだけのことでは、すまないんだ」
バーンが金輪際、僕と関わらないなら、それでいい。
悲しいけれど、彼を諦めればすむことだ。
だがもし、彼が僕を、ほうっておいてくれないなら……。
「来ないでくれ、バーン。頼む」
かつての友と争いたくないという、ごく自然な願い。
そう、こんなにも身体が重いのは、迫り来る親友の気配を感じているからだった。
「だが、君が来たら、他の者と戦わせるわけにはいかない。被害を最小限にするためにも、僕が出るしかないんだ」
キースはようやく身を起こした。
身支度を調え、短いマントをつける。
その時、秘密基地内を異音が走った。
侵入者あり、の警報だ。
キースはすぐに隔壁を降ろさせた。
彼を誘導しなければならない。
そう、我が元へ……!

★      ★      ★

ノア地下秘密基地の最深部で、超能力の火花を散らす、若者二人。
リチャード・ウォンは、モニターごしにバーンとキースを見つめていた。
時を操る者らしく、タイミングをはかっている。
争いの最中に爆発を起こすために。
少しでも回避バリアが遅れれば、確実に二人とも殺せる量の爆薬がしかけてある。
なぜならそのフィールドは、侵入者用誘導路の終着点だからだ。
つまり基地の仕様であり、キースはそれを知っている。
あえてそこで戦っているのだ。
なんという茶番なのか。
「死ぬ気ですね、キース」
キースはもともと、荒事に向いていない。
永遠に戦い続けられるほど、頑丈な精神の持ち主ではない。
つまり今日、彼はここで殺されるつもりなのだ。
そういう形でしかバーンをいさめられないだろうと考えているのだ。
むしろ、親友に殺されることを本望だと考えているかもしれない。
それぐらいキースは、バーン・グリフィスという青年を愛している。
「のぞみどおり、殺してあげますよ、キース。そして、貴方のお友達を、絶望のどん底にたたき落としてあげます」
ウォンは、爆破ボタンのスイッチを押した。
バラバラと落ちる瓦礫の音がやんだ瞬間、テレポートする。
「キース様……!」
総帥の腹心が、心配して真っ先に姿を現すのは不自然なことではない。
ウォンはキースの気配をさぐり、すぐに彼を見つけた。
半ば瓦礫の下に埋もれるようにして、キースは横たわっていた。
すぐそばに、バーンも気を失って倒れている。
キースの白い頬を見、ひざまずいて抱きあげた時、バーンが目覚める気配を感じた。
ウォンは涙をこぼし、総帥の死を嘆いた。
そしてバーンを罵った。
おまえは何も理解していない、と。
そして、キースの身体を抱いたまま、ノアを脱出した。
「キース様」
幸いなことに、キースの命の炎はごく微弱ながら、すっかり消えてはいなかった。
応急手当はすませてある、この後、しかるべき場所で適切な治療をほどこせば、いずれ彼は目覚めるだろう。
その時まで、静かな時を楽しもうとウォンは思った。
ウォンの頬はすでに乾いていた。口唇にはいつもの微笑を浮かべている。
先ほど見せた涙は、バーンを、そしてノアの残党を欺くための空涙だった。
これで晴れて、軍サイキッカー部隊に専念できる。新たな研究にいそしめる。
エミリオは薬で眠らせ、ガデスに運ばせている。
用意しておいたリムジンにおさまり、キースを自分のかたわらに座らせた。
「もう、つまらないことで苦しまなくてすむのですよ、貴方は」
愛しい青年をそばにおき、ゆっくり寝かせておくことができる。
こんな幸せなひとときがあるだろうか。
「キース・エヴァンズ……」
白すぎる頬に指をあて、ウォンは囁いた。
「貴方はすべて私のものです。心のかけらさえ、誰にも渡しませんよ」

だが、その時ウォンの頬を、新たな涙が滑り落ちて――。

★      ★      ★

ざわざわと、バーンのまわりにノアのメンバーが集まってきた。
ウォンの剣はすでに消えていた。
バーンは、傷む身体を無理矢理起こし、彼を見つめる連中に対して叫んだ。
「リチャード・ウォンが、キースを連れてっちまった!」
顔を見あわせるノアの同志達の前で、バーンはよろよろと立ち上がった。
腿が傷ついており、本当ならたちあがれないのだが、己の超能力を補助に使った。
「だから俺が、キースの意思をつぐ。ノアの総帥になる」
ざわめきが広がった。理解できないといった顔ばかりだ。
「今は信じてくれなくていい。俺はキースと戦っちまった。だが、俺だって、仲間の幸せを願ってる。キースが、命をかけて仲間を守りたかったっていうなら、俺も命をかけてみようと思うんだ」
黒縁眼鏡をかけた青い髪の男が、一歩前に出た。
「本当にやれるものなら、やってみせなさい」
バーンは丸い目をさらに丸くした。
「いいのか?」
「やれるものなら、といいました」
「ああ。やってやる」
バーンはうなずいた。
そう、キースの願いと苦しみを本当に知るには、あいつがやっていたことを自分もやってみるしかない。
キースにできたことなら、俺にだってできるはずだ。
男は首を振った。
「甘いものではありません。キース様は唯一無二の存在で、だから総帥をつとめられていたのです」
「だからって、あいつが死んだら全部だめになるのか。あんたたちの理想は、そんなにもろいものなのか」
「そんなことはありません!」
「だったら。やらせてくれ」
バーンの瞳は燃えていた。
やってみせる。
それがたぶん、キースをとめられなかった自分ができる、最初で最後の償いだから――。

(2010.11脱稿)

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Written by Narihara Akira
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