『裏切り』

「私の総一に何をする!」
腹の底からの鋭い一喝に、その場にいた全員が動きをとめた。
ムーリアン装束の者たちに取り押さえられていた総一自身がなにより驚いたが、次の瞬間、唯一ほっと緊張をゆるめたのも彼だった。
しかし、救いを求めるように視線を動かした総一に、功刀は叱声をあびせかけた。
「総一。おまえはTERRA副司令であることを忘れたか」
「功刀さん」
今更な、と思いながらも、総一は訴えた。
「でも、これでは停戦協定とはいえません。全面降伏です!」
功刀は総一をにらみすえた。
「ならば我々は投降したのだ。司令部の人間は抵抗してはならない。そして総一、おまえは捕虜だ。なにをしてはいけないのか、よく考えるんだな」
そこでくるりと背を向けると、
「自分の仕事を、忘れるな……」
呟いて功刀はその場を離れた。そのまま、白く長い裳裾をひいた、かの美しい女と静かに連れ立っていく。その片頬に微笑みさえ浮かべて。
総一はもう声を出すこともできず、そのまま引っ立てられていった。
独房と化した宿泊室に再び監禁されて、よろめくようにベッドへ腰を降ろす。
信じられない。
功刀さんが。
あの人が、あの人がみんなを裏切るなんて……。

ダウンロード作戦の失敗で更迭された一色真のかわりに、功刀仁が再び司令官としてTERRAへ戻ってきた時、八雲総一の内心の喜びは他人にははかりしれないものだった。むろん、元監察官の独走が続くと思っていた訳ではない、しかし常に功刀の傍らにありたい総一としては、その日々はわずかといえども愉快なものではなかった。むろん、TERRA司令部の誰もが一色のやり方に反発していたから、功刀の帰還は職員すべてにとって喜ばしいことだった。ヒラニプラが空を覆い、緊張そのものは高まったが、ムーリアンとの全面戦争が近くとも、今ならなんとかなるはずだとTERRA全体が勢いづいていた。
しかし、MU最高責任者であるマヤウェル・アル・パディス――神名麻弥が、その圧倒的な戦力を従えてTERRA上空へ現れた時、彼らは冷水を浴びせられた。
「停戦を要求します。逆らうだけ無駄ですよ」
司令部中央にホログラフで浮かび上がった神名麻弥は、一切の感情をまじえない、うむをいわせぬ調子でそう宣言した。
ダウンロード作戦後、頼みの綱であるラーゼフォンは、まだ帰投していなかった。
そして麻弥の傍らには、あろうことかエルンスト・フォン・バーベム卿の姿が。
「バーベム財団は、すでにMUと協力体制にある。今後、財団のテクノロジー及び兵器は、彼らと共有することになる。むろん、今までTERRAに提供してきたものも、すべてだ。TERRAの兵力では、絶対にMUには勝てない。今のうちに要求を受け入れたまえ、功刀司令」
その嗄れ声はなぜか笑いを含んでおり、TERRAのメンバーは口唇を噛んだ。
「綾人が戻り次第、説得に協力してくれるのなら、TERRAを殲滅する気はありません。難しい条件ではないはずです」
麻弥の美しいかんばせには相変わらず何の表情もないが、その声は低く物憂くなり、息子への愛情をちらりとのぞかせる。
若いオペレーター達からはいっせいに抗議の声があがった。
「司令!」
「綾人くんは必ず戻ってきます、それまで待ちましょう!」
しかし功刀は、彼らの声をすべて無視した。
「わかりました。停戦協定を受け入れます」
鋭い目をいよいよ鋭くして、
「ただし、TERRAのメンバーには一切手を出さないことを、重ねて約束していただきたい」
「綾人のことを考えれば、あなたたちを傷つけるのは好ましくありません。MUへの抵抗さえなければ、平和的に交渉をすすめるつもりです」
「それでは具体的な話に入りたいと思います。どうぞ司令部へ」
さらに激しい抗議の叫びがわいた瞬間、功刀はそれを片手で制した。
「では、どうするつもりだ」
あたりをぐるりと見渡して、
「ラーゼフォンが戻ってきていない現在、我々は彼らに対抗するすべがない。もし、今すぐ神名綾人が戻ってきたとしても、彼一人に、あのドーレムすべてと戦えというのか。彼もろとも、みな無駄死にする気か」
返事のできるものは、いなかった。
「功刀さん」
傍らにいた総一が、低く囁きかけた瞬間、功刀もまたぐっと声を低めて、
「神名綾人は、もうすぐ戻ってくるのだろう。そうでなければ神名麻弥本人が、ここまでやって来るはずはない。総一の仕事は、戻ってくる彼を、一人で暴走させないことだ。落ち着いて行動するよう、よく言いきかせるんだ」
「ボクがですか」
「そうだ。それがおまえの仕事だ」
功刀さんには何か考えがあるのに違いない、と総一は思った。
亘理長官もいないのに、自分の一存でこんなに重要なことを決めてしまう訳がない。
そうだ、きっとこれは最終決戦の第一歩なのだ。彼らは今、まさに手の届く場所にいる。今までのように、安全な東京ジュピターの中からドーレムを操っている訳ではない。彼らを直接攻撃できる、最大のチャンスが到来していると考えるべきだ。
いずれ極秘の作戦が指示されるだろう。それを自分は待たなければ。
総一は小さくうなずいた。
「わかりました。つとめてみます」

しかし、総一の思惑は次々と裏切られていった。
綾人は無事戻ってきて、総一の説得に従ってくれたが、久しぶりに会った母親の言葉に混乱し、揺れている。
亘理長官はなんとかしてくれるかと思いきや、唯々諾々とMUの要求をのんでいる。六道博士までもが、ムーリアンに協力せよという。しかも博士は、神名麻弥の育ての父ということも判明した。アルファ小隊の人間は、バーベム財団から搭乗機を配備されている関係もあり、目立つ抵抗をしなかったので、監禁をとかれて彼らの側についている。
その中で、功刀司令から総一へは、何の連絡もない。
これはどういうことだろう。彼らの目は自分にひきつけておくから、おまえは独自に行動を起こせと言われているのだろうか。
決意を固め、総一はひそかにある反攻計画を開始した。
だが、そのとたんに彼は取り押さえられ、あろうことか功刀自身に拘束されてしまった。
まるでそのこと自体が、あらかじめ約束されていたことのように。

なぜなんだ。
今回の投降は、彼らを油断させて倒すためとしか考えられない。
それなのに。
TERRAは対MU戦略作戦本部ではなかったのか。
戦力差など、初めからわかっていたことだ。
おかげで連合軍は救援をまったく寄こせずにいる。一瞬で消されるのだから無理もないが。
バーベム財団の黒い噂も、くすぶりながら消えることはなかった。それでも技術提供を受けていたのは、それがラーゼフォン以外の唯一の対抗手段だったからだが、その彼らが何故いまさらMUと手を組むのかもわからない。第三者としてとりすましていればいいものを、そうできない事情が、バーベム卿にはあるというのだろうか。
今までのすべては茶番なのか。
僕らは、最初から功刀司令に裏切られていたのだろうか。
何もかも極秘事項として触らせてくれなかったのは、MUと通じるためだったのか。
「駄目だ」
度重なる緊張と疲れのせいで、まともな思考ができなくなっていることに総一は気付いた。
眠ろう。こんな状態こそ、向こうの思うつぼだ。
少しでも横になっておこう。MUサイドの人間はいつでも出入りできるこの拘束室では、おちついて身体を休めることは不可能だが、どのみち今の自分には何もできない。考える以外のことは。
総一は服を緩めると、あかりを落としてベッドに入った。
功刀さん。
どうしてこんなに、感情が先にたってしまうんだろう。
何が元天才少年だ。こんな肝心な時に、まともに考えることもできないなんて。
貴方が裏切るなんて、どうしても信じられないけど、でも、どうして……。

まぶたに薄明かりを感じて、ふっと目を開いた瞬間、総一は口唇を奪われていた。
間近に迫った、削げた頬。
「功刀……さん」
「シッ」
ふっと涙が溢れそうになった。
よかった。
やっぱり、来てくれた。
僕は裏切られてなんて、いなかったんだ。
喜びでぼうっとしていると、功刀は総一の服を脱がせにかかった。露わになった胸元に、功刀の掌が忍び込む。
「あっ」
「そんな声も出せるのか」
囁きながら功刀は愛撫の手をゆるめない。総一は為すすべもなく、甘い呻きをもらした。
「イヤらしい身体だ。もうこんなになっているぞ」
下半身まで裸にされて、総一は思わず目をつぶった。
どうしよう。
このまま功刀さんにされちゃうのかな。嫌じゃないけど……嫌だとしても抵抗できないけど……でも、功刀さんがこんな淫らなこと……信じられない……嫌じゃないけど……功刀さんの寛い胸に抱かれたい。もう一度、「私の総一」って呼んで欲しい。
あらかた服を脱ぎ終えた功刀の身体が、総一の上に重なる。
功刀さん、僕は……僕は……。
総一がすっかり身体の力を抜いた瞬間、次の囁きが降ってきた。
「入れたいか?」
思わず総一はうなずいていた。
欲望を解放したかった。功刀がそれでいいのなら、総一は欲しかった。
「そうなのか」
功刀の身体はふっと離れた。
「……私が最後までお膳立てしないと、おまえは何もできないのか」

「功刀さん!」
ガバッと跳ね起きて、総一は冷や汗をかいている自分に気付いた。
夢だ。
淫夢だったのだ。
あまりにリアルな。
下着は汚れていなかった。熱くはなっていたが、急激にその熱は醒めていく。
総一は思わず顔を覆った。
なんてわかりやすい欲求不満だ。
あの「私の総一」が引き金になったのだろう。二人きりのあの夜を思い出すだけで欲情してしまうのだ、だからひとりの時は、こっそり自分で鎮めていたぐらいだ。しかしこうして監禁され、手洗いにさえ侵入される可能性のある状態では、そんなことすらできない。下着の替えも思うようにならないのだから。
恥ずかしい。
恥ずかしくてたまらない。
裏切られた、とらちもなく身悶えていたなんて。
だって貴方が、何の考えもなく「私の総一」という訳がない。
そう。
自分こそ、功刀さんの期待を「裏切って」いるのだ。
貴方は「自分の仕事を忘れるな」といった。
その台詞の意味をくみとれなかった僕の、なんて愚かなことか。
これから僕は、MUに察知されないよう、今度こそ完全な反攻計画をたてなければならない。功刀さんが彼らの目を引き付けているうちに、リーリャ・リトヴァクを奪還しなければ。綾人くんと有志のメンバーとTERRA外部に逃れて、独立部隊として行動するのだ。それはあくまで、僕個人が発案し、己の考えで実行するものでなければならない。功刀司令の指示の元に行われたのであれば、それはMUへの裏切りであり、停戦協定はその場で破棄されてしまうだろう。とんだ茶番であるにしろ、表面上はTERRA上層部と敵対しなければならない。
それでいいんですね、功刀さん。
貴方がお膳立てしてくれたこの状況に応じて、動いていいんですね。
その時、ドアの外で声がした。
「すみません」
神名綾人だ。彼はその特殊な立場から、TERRA内部の行き来が比較的自由になっている。
「いいですか。もう一度、八雲さんと話がしたくて」
「どうぞ」
すうっと部屋に滑り込んできた小柄な青年の、その瞳に迷いはなかった。
「この状況は、やっぱりおかしいと思うんです。素直には従えません。世界を調律しさえすれば、全てが解決するなんて、僕にはよくわからないし、納得できない。……それに僕がもう少し早く戻っていれば、こんなことにはならなかったと思うし」
「そうじゃないよ、綾人くん」
総一もすっと立ち上がった。
「もう一度反攻作戦をやりなおす。協力してくれるね」
「ええ」
総一の瞳は深くきらめいた。
「これでボクは、TERRA副司令じゃなくなるんだ」
綾人は微笑んだ。
「八雲さんは、反乱軍司令ですよ」
自分を支えてくれようとするこの友人に対して、総一は心の底から感謝の気持ちをこめてこたえた。
「……ありがとう。頼りにしてる」

(2004.10脱稿)

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Written by Narihara Akira
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