『王様の耳』


長いきんいろの髪の理髪師が、王様にお目通りを、と城を訪ねた。
番兵は困った。
素性のしれないものを、王にあわせるわけにはいかない。
すると理髪師は、懐から薄茶の壜をとりだして、これを王様に渡して欲しい、と言った。
堅く封をされた壜を受けとり、うすみずいろの美しい瞳に懇願されて、番兵はしかたなく王におとないを伝えた。
王は答えた。
それは驚くべき答だった。ちょうどお抱えの理髪師がいない。その者の会見を許そう、と。

王に近づく者は少なかった。
彼はやり手だが、臣下に恵まれなかった。若い頃は人間不信に陥って、身近な人間を絶つことも多かった。遠い国から嫁いできた王妃さえ、殺してしまったほどだ。
その逆鱗に触れまいと皆、王を遠巻きにした。
しかし、反乱はおこらなかった。
なぜなら民は、王を信じていたからだ。王は、弱い小さな国をよく守った。王妃のことも、侵略の陰謀がからんでいたゆえであった。王の判断はいつも的確で、君主としては不足がなかった。王者にふさわしい気品と偉容の持ち主であった。暗い肌、暗い瞳、ゆるくまいた薄茶の髪。皆、遠くから王を眺めて、よくため息さえついた。

「おまえか。私にあいたいというのは」
物憂く現れた王は、理髪師をじっと見おろした。
おとなしそうな青年だ。ひどく若く、まるで世間をしらないような顔をしている。聞けば、遠い河下の村から、はるばるやってきたという。
王は重ねて尋ねた。
「もし、私の理髪師となったら、二度とこの城から出られぬが、それでもよいか」
「かまいません。私は、ここで仕事がしたいのです」
「私は身支度にうるさい男だ。もし気に入らなければ、すぐにおまえの命はなくなるが、それでもよいのか」
「かまいません。私は、王様のための仕事がしたいのです」
話は決まった。
支度が整えられ、王と理髪師は二人きりにされた。
きんの髪の理髪師は、王の髪をすいて、驚いた。
王の耳は冷たく、そして、透き通った碧いいろをしていた。
「どうなさったのですか、この耳は」
王は憂いに満ちた声で答えた。
「智の神に変えられたのだ。……私は昔、わがままだった。姑息な暴君であった。自分の美貌を誇り、己の世界に閉じ込もり、民の生活をかえりみなかった。妻や子さえ思わなかった。自分の評判ばかりに心をとぎすまし、善い王と呼ばれるような態度や立派なみてくれに気をとられ、あまりに人の苦しみを聞かなかった。だから神が現れて、私の耳を変えてしまったのだ。見かけばかりを取り繕うのでなく、本当の王の資格が備わるようにと、人々の辛苦と憎悪ばかりが聞こえてくる、冷たい碧い耳にされてしまったのだ」
理髪師はうなずいた。
「それで王様は、本当に善い君主となったのですね」
「善い君主などではない。私に王の資格などない。厭なこと、醜いことを知るばかりで、善いことをする力も知恵も持たぬ。それに、この恐ろしい耳の秘密を知るものを、私はことごとく殺してしまった。彼らの悪心が伝わってくるのが、どうにもたまらないのだ。誰にも頼ることができない。あげく、妻も子も殺してしまった。私はどうしようもない人間なのだ。生きている価値もない。だが、無責任に死ぬこともできぬ身ゆえ、こうして過去を悔いながら、生きながらえている」
すると若い理髪師は、懐から、先に取り出したのと同じ壜をとりだした。
「では、これもやはり王様の持ち物ですね。王様の救われない魂ですね」
王の顔色が変わった。
「おまえはどうして、それを持っている。私はすべて埋めたのだ。先ほどのものといい、おまえはどうやって見つけだしたのだ」
壜の中には、ただひたすら《たすけて》だけと書かれた紙が、ぎっしりと詰まっていた。しかしそれはまぎれもなく、王の流麗な手跡だった。
「私は水遊びをしている時、これが流れて来るのをひろったのです。洪水の後でしたから、河が王様の埋めた処から、私のすむ村まで押し流してきたのでしょう」
「それでおまえは、これを持ってやってきたという訳か。だが、いったいなんのためだ」
王は壜を受け取って、不思議そうな顔をした。
理髪師は静かに微笑んだ。
「これを拾って、私はとても苦しんでいる人がいるのを知りました。そして、その人のためになにかしたい、と思ったのです。そばにいて、その苦しみをきくだけでも、と。こんな紙は焼き捨ててしまえばいいのに、大事にしまわれていた。ということは、きっと誰かにわかってもらいたいのだと考えました。そして、王様のお噂を聞き、もしやと思って参上したのです」
王の瞳は、大きく見開かれた。
「おまえは、私を救いにきてくれたのか。しかし、何故そんなに親身に思ってくれるのだ。おまえの心だけは、読めぬ」
「王様」
理髪師は目を伏せた。
「私は理髪師の息子でした。しかし、生まれつき耳が聞こえず、ゆえにほとんど口もきけませんでした。指先は器用でしたが、無口では理髪師はつとまりません。跡継ぎになれぬであろう、と小さな部屋をあてがわれ、そこで暮らしておりました。目は不自由でなかったので、文字や絵の世界に閉じ込もっておりました。しかしある日、誰にも告げずに遊びに出た川辺に、にぶく光るものを見つけました。心をひかれて拾いあげ、蓋をこじあけたその瞬間、叫び声が聞こえたのです。王様。わたしはその日から、突然耳がきこえるようになったのです。口もきけるようになったのです」
「おお。なんと不思議なこともあるものだ。それで、わざわざやってきてくれたのか。偶然の魔法なのに、すまないことだ」
王のいかめしい顔に、きまりわるげな表情が浮かんだ。
若い理髪師は花のように微笑んで、
「いいえ、王様、偶然の魔法ではありません。王様のあふれる思いが私の心に響いて、私の耳を外に開いてくださったのです。王様は王者にふさわしい、深い心をお持ちです。ですからそれにふさわしい、聡い耳を授けられたのです。どうかお嘆きにならないで下さい。私は、その貴い御心を、少しでも慰めるようにつかわされたのでしょう」
「有難いことだ。これで私は、本当に善い王でいられるのだな」
王は、理髪師のきんの髪を押しいただいた。

そして理髪師は、一生城から戻らなかった。
しあわせなるかな、碧い耳の王よ。



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(初出・Narihara Akira編「のんしゃらんと」第1号1991.12、 2018.8改稿・ちょこっと文芸福岡「折本フェア」参加作品)

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