『TILL MY VERY LAST DAY』

1.

暖かい。
人の肌のぬくもりというのは、こんなにいいものなのか。
身体が、心が、微温に沸いて。
「……ああ」
ため息をついた瞬間、汗の香に混じって、日なたの小猫の匂いがカルロの鼻をかすめる。
レジーナの匂いだ。
子供の頃も、レジーナと肩を寄せあっていた時、時々これを嗅いだ。その度に、軽く緊張したものだ。馬鹿なことを考えるな、レジーナは妹なんだぞ、と。
だが。
それが、今では、こうしてしっとりと熱い素肌を重ねて。
幾度も幾度も抱きあって。
愛しいレジーナ。
おまえの兄であることが誇らしいと思える、強く美しく聡明な妹。
疲れているのか、行為の余韻を楽しんでいるのか、レジーナはじっと兄の胸に身体を預けている。
妹の赤い髪を撫でながら、カルロは小さく囁いた。
「レジーナ」
「ちゃんと起きてるよ、あたし。何?」
レジーナは勢いよく顔を上げた。じっとしてたのは眠りこんでいた訳じゃない、兄さんの言うことは一言だって聞き漏らさないよ、とでもいうように。
いじらしく、可憐でさえあるその姿。
甘い情緒にひたりながら、カルロはレジーナの背に腕を回した。
「もし、来世や生まれかわりというものが本当にあるのなら、もう一度おまえと巡りあって、今度こそ、恋人同士になれるといい……」
だが、その瞬間、レジーナはぱっと兄の腕をはねのけた。
カルロは青くなった。
レジーナは怒っていた。
背後に炎が見えそうなほど、全身を緊張させ、激しい怒りをみなぎらせている。
何故だ。
何故、そんなに怒っているんだ。
だがレジーナは、キッと兄をにらみつけて、
「そんなの、絶対に、嫌!」
そう言い捨てると、手早く服をつけて立ち上がった。
「どうしたんだ、レジーナ、おまえ……」
「自分の部屋に帰るの。いつものことでしょ? おやすみなさい、兄さん」
冷たく言い放ち、本当に兄の部屋を出ていってしまった。
一人取り残されて、茫然の呈のカルロ。
しばらくして、ぽつりと呟くように一言。
「嫌……なのか……レジーナ」

★ ★ ★

兄さんの馬鹿。
馬鹿馬鹿馬鹿。
なんなのよ。
来世で恋人同士になりたいって、いったいどういう意味?
結局、おまえなんて恋人だと思ってないって言いたいの?
それとも、秘密の恋が辛いってこと?
どうして?
他の誰が何を言おうと、あたしは兄さんが好き。
恋人同士でなかろうと、どんなに冷たく遠ざけられようと、この気持ちだけは絶対に変わらない。人並みの幸せが欲しいとか、そんな甘い根性で、兄さんを選んだ訳じゃない。
だからあたしは辛くない。一緒にいられる今が、一番幸せ。
でも、兄さんにとっては……違うんだね?

レジーナは、自室のシャワーの下でゴシゴシ身体を洗いながら、どうしてもおさまらない怒りの炎と戦い続けていた。
知ってる、どんなに兄さんが大変な仕事をしているか。
サイキッカーの理想郷なんて、そんなに簡単に出来るものじゃない。
しかも、一度基地を爆破されて、仲間もうんと減って、裏切り者も出て、資金だってあやういところから捻りだしてるんだもの、キース様だってこの新生ノアをちゃんと維持していくのは難しい筈。
それなのに、兄さんは、総帥代理として一人で頑張ってる。
知ってる、総帥代理を始めてから、兄さんは変わった。
仕事のために、元々の性格を殺してるんだ。
本当の兄さんは深い湖のように静かな人。負け惜しみを言う羽目になるぐらいなら、最初から戦ったりしない人。世の中が大きく変わったり荒れたりすることなんて少しも望まない人。信条や組織や規則で人を縛るよりも、相手の心と優しさに訴えたい人。
それなのに、人の上に立つために、みんなをまとめるために、怒り、戦い、理想をとき、規則をつくって、必要なら波風もたてて、話の通じない相手までなんとか取り込もうと必死になって。
兄さんがどんなに無理してるか、あたしはわかってる。
人前では絶対に弱音を吐いたりしないけど、今にも崩れ落ちそうになってるってことも。
「……わかってる。あたしがいけないんだって」
知ってる。
あたしが兄さんの二番目の重荷になってるってこと。
実の妹と愛しあっているなんて皆に知れたら、兄さんの立場はてきめん悪くなる。
この愛は汚いものじゃないってどんなに説明しても、本当のところをわかってくれる人はほとんどいない筈。
何度か粉をかけてきたガデスも何処かへ消えてしまったし、あえて兄さんに突っかかってくるような連中はとっくの昔にノアから出ていってしまったけれど、それでも、総帥代理の私生活、なんて誰かにすっぱ抜かれたら、兄さんの築いてきたものは一瞬で崩れる。ただでさえ危ういバランスの上に、新生ノアは成り立ってるんだから。
だから、あたしだって気をつけてる。
人目がある時は、あくまで仲のいい兄と妹に見えるようにしてる。
うっかりしなだれかかったり、意味ありげな目配せをしないようにしてる。
兄さんと一緒で幸せで仕方ない時も、熱っぽく見つめたりしない。
夜、兄さんの部屋に入る時も、仕事の顔をつくるようにしてる。疲れてどうしても眠い時も、兄さんのベッドでは寝ない。こういう場合、朝帰りなんてもっての他だから、二度目の晩からは絶対に自分の部屋に戻ってる。証拠になりそうなものも、いつも早めに始末して。
レジーナは全身の水滴を拭きとると、寝巻をつけた。
ベッドに躰を投げ出し、枕に顔をうずめる。

ねえ、あたしって、いったい兄さんの何なの?
兄さんは、あたしを好きでいてくれるんだよね?
だから、応えてくれたんだよね?
でもね、あたし、もし兄さんが苦しいんなら、できなくても良かったんだ。
もちろん、凄く嬉しいよ。
終わった後、兄さんが背中を抱いててくれる時、嬉しくて本当に死んじゃいそう。そっと髪を撫でられる度に涙が出そうになって、一生懸命こらえてる。離れたくないって、兄さんの暖かい腰まわりにしがみつきたくて、たまらない。
兄さんの部屋にいかない日だって、ううん、毎晩兄さんのことを考えてる。
もし、兄さんから触れてくれたら、あたし、きっとおかしくなる。
例えば背中に、そっと口唇を押されて。
ちょうど、心臓の裏側あたりに。
そのままきゅうっと抱きしめられたら、立ってなんかいられない。それだけでグズグズになって、何にもわからなくなって、「駄目」とか「イヤ」とか言ってしまいそう。欲しくてたまらないのに、愛撫に狂うのが怖くなって拒んでしまうかも。優しくしてってどうしても言えなくて、壊れてしまうかも。
兄さんから触って、なんて、とても言えそうにないけど。
「……馬鹿みたい」
今夜も肌を重ねたっていうのに。
あれだけのことをやってて、それなのにあたしがこんなしおらしいこと考えてるなんて、きっと兄さん、夢にも思ってないよね。
あたしから触れて、あたしから最後までしてしまって。
何度も、何度も。
兄さん。
もしかして、兄さん、いやいや応えてるの?
あたしが哀れだから、いつも折れてくれてるの?
兄さんがそんな気分じゃない時に迫って、白けさせてるの?
嫌なのに、嫌だって言えないでいるの?
だから、兄さんから触れてはくれないの?
考えてみたら、兄さんの口から、好きだって言葉、聞いたことない。
「ちゃんときけばいいんだよね、本当は」
でも、怖い。
兄さんの気持ち、ききたいけどきけない。
ううん、拒まないでいてくれるだけで嬉しくて、それ以上のことを欲しいと思わないんだ。だって、応えてもらえるんだもん。そこまでは許してもらえてるんだもん。だから、それだけで……いいから。
ううん。
それは嘘。
あたし、辛い。
兄さんにわかってもらえてないことが。
来世で恋人って、何?
そんなこと、どうでもいいじゃない。
あたし、今この瞬間に、全身全霊で兄さんを愛してる。それが誰に言えなくとも、結局捨てられてしまっても、そんなの全然問題じゃない。
あたしが辛いのは、兄さんの立場がなくなること、兄さんが苦しむことだけ。
だから、兄さんがちょっとでも笑ってくれるなら、本当にそれだけで嬉しい――そんな簡単なことさえ伝わってないことが、悔しい。
ねえ、兄さん。
理想郷って、何?
誰もが蔑まれることなく、落ち着いて暮らせる場所のことじゃないの?
あたし達二人も幸せに生きられないような、そんなものが本当に理想郷?
生まれかわりを信じなければいられないような生き方は、嫌。
あたしは、絶対に。

薄暗がりの中で、レジーナの碧の瞳がひかる。
大粒の輝きが、幾つも幾つも枕に落ちて染み込む。
「兄さんの……馬鹿」

★ ★ ★

「絶対に嫌、か」
カルロは、ベッドの上でうめくように呟いた。
身体の芯が痛む。
確かに自分は、来世だろうとなんだろうと、レジーナの恋人にふさわしくない男だ。
僕は、汚れている。
妹の残り香を惜しみ、煩悩に身悶えて。
レジーナはきっと知らない。
昼間、一緒に仕事をしながら、そのまろやかな胸に触れたい、と思っていることを。
おまえの後ろに立っている時、なだらかな肩をぎゅっと抱きしめたくなるのを、懸命にこらえていることを。
首と襟のストラップを外して、滑らかなうなじを吸いたい。髪をかきあげて、耳たぶに歯をあてたい。柔らかな腰を抱き寄せて、その中心を思うさまむさぼりたい。
独りで眠る夜、瞳を閉じると僕の上にしなやかな白い裸身が表れる。耳の奥に、おまえの小さな悲鳴が蘇る。終わった後、欲しかったの、ごめんね、どうしても欲しくて、と僕の胸に頬をうずめて。
レジーナはわかっていない。
謝ってもらうことなんか一つもないんだ。
僕が、悪いんだ。
おまえを拒みもせず、ずるずると何度も寝てしまうなんて。

最初は、一度きりのつもりだった。
妹を思うなら、一度でも応えてはいけないと思っていたのだから。
だが、あまりにレジーナの想いが強くて、僕は流されてしまった。
いや。
僕ももう、我慢ができなかったんだ。
欲しかったんだ、レジーナ。
本当は、ずっと。
だから、もう、拒むこともできなくて。
僕は卑怯者なんだ。おまえに軽蔑されるのが怖くて、自分から求めることも出来なくて。
もし兄でなかったら、恋人同士であったなら、もっとおまえに自然に優しくしてやれると思っていた。
だが、それは間違いなのかもしれない。
僕はおそらく、おまえを包みこんで甘やかしてやれるだけの器量がないんだ。
レジーナ。
おまえの切ない声が、耳について離れない。
どんなにおまえが僕を好きか、全身で愛そうとしているのか、どれだけ真剣なのか、肌の触れているところから、おまえの表情から、そのすべてが伝わってくる。
それなのに、僕は、それに応じきれない。
寂しがらせ、苦しめて。
レジーナ。
「嫌と思われても、当たり前だ……」
いっそ疎ましいに違いない。
そうだろう、僕はもうおまえの兄でも恋人でもない。
汚れた、汚れきった、ただの男――いや、人間の屑なんだから。

シーツの海の中で、カルロの裸身がのたうつ。
誰にも言えない苦しみに。
そして、無意識の恋に。

2.

柔らかく、湿った口唇。
「レジーナ」
カルロの顔はぱっと明るんだ。
仕事を終え、身支度を整えた後の優しい口吻はいつも通りの始まり方で、カルロはまだ自分は見捨てられていないのだ、と喜びのあまり、思わず彼女を抱きしめようとした。
しかし、レジーナはキッと兄をにらむようにして、
「今夜で最後にするわ、兄さん」
気押されたカルロは、わけのわからぬまま尋ね返していた。
「どうしてだ……レジーナ」
「とにかくよ。いい?」

押し伏せた兄の胸に口唇を押しながら、レジーナの瞳が昏くひかる。
滑稽ね。
何が最後だっていうんだろ。
たぶん、兄さんにとっては、始まってもいないことなのに。
でも、だから、これで終わりにするんだ。
あたしも、辛いから。
もう、何も言わない。好きだってそぶりも見せない。少しでも兄さんを悩ませるようなこと、二度としない。
だから、今晩は――兄さんの官能のすべてを、あたしが焼き尽くしてあげる。

★ ★ ★

数時間が過ぎて力尽き、激情が鎮まると、レジーナは泣きだしたくなった。
あたし、なんて馬鹿なんだろ。
寝るのをやめたって、兄さんを嫌いになれる訳じゃない。
どんなに攻めてみたって、たった一晩じゃ、この想いは燃やしきれない。
あたし、明日も明後日も兄さんが欲しい。ありとあらゆる意味で兄さんが欲しい。
それなのに、最後にできないものを、どうして最後にするなんて言っちゃったんだろ。
「兄さん」
レジーナの声はかすれた。
「最後のお願い。……兄さんから、キスして」
どうなっても、せめて最後の口吻だけは、覚えておこう。
兄さんは、何処にキスしてくれるんだろう。
目蓋、頬、それとも口唇?
それできっと、兄さんの気持ちもわかる。
ねえ。
兄さん、応えて。

「最後のお願い。……兄さんから、キスして」
カルロは碧の瞳を静かに伏せた。
レジーナ、なんて綺麗なんだろう、おまえは。
本当に綺麗だ。
ああ、だのにそんなに辛そうな、苦しそうな顔をして。
捨てていく僕を、哀れんでいてくれるのか?
なら、僕も、捨てられる男の意地悪をしよう。おまえにひとつ所有の印をつけよう。
「レジーナ」
カルロは妹の首筋に口唇をあて、吸血鬼のように熱く吸いあげた。
「あ……!」
レジーナが、達く時と同じ、切ない悲鳴を上げた。
ああ、たったこれだけのキスで、こんな声をあげるなんて。
レジーナ。
カルロは胸の奥の痛みをこらえ、妹の喉に残る朱い痕に指でそっと触れた。
おまえを思いきれるだろうか。
今この瞬間にわかった。
僕はおまえを愛している。
だから、せめて。
「……もし生まれかわれたら、また、おまえの兄になりたい。今度は最初から最後まで、兄として、ちゃんとおまえを守りたい」
悲しそうな瞳。
哀しい声。
そうじゃない。
兄さん、そうじゃないの。
レジーナは思わずカルロにしがみついた。
「違う、違うの、あたし……」
泣くまいと思いながらも、涙が後から溢れ出す。
「本当は離れたくないの。ずっとこうしていたいの。でも、あたしのせいで、兄さんがそんなに悲しい顔をするなら、悩まなきゃいけないんだったら、あたし……だから、最後にしようと思って……」
「レジーナ」
「兄さんは、いつでも立派な兄さんなの。だから、あたし、幸せなの。忘れないで、あたしの命が尽きる最後の日まで、あたしは兄さんのものだから。あたしは兄さんしか好きにならない。兄さんが私の命。兄さんを傷つけるものはあたしが許さない。兄さんの邪魔をするものはあたしが倒す。誰が何と言おうとあたしを止められるものはいない。もし、兄さんがやめろって言っても、二度と顔も見たくないって罵られても、あたしはずっと兄さんを好きでい続けるから……」
「レジーナ」
カルロはしどろもどろになった妹をぎゅっと強く抱き寄せると、そっと口唇を重ねた。
「兄さん」
驚いたように見上げるレジーナに優しく微笑みかけて、
「僕もそっくり同じだ。このまま離れたくない。命が尽きる最後の日まで、意識を失う最後の瞬間まで、おまえを想うよ」
それは悲しい予告だったが、レジーナの涙を乾かすには充分な言葉だった。
「……本当に?」
「ああ。……本当だ」

――そう、本当に、最後の最後の日まで。

(1998.9脱稿)

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Written by Narihara Akira
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