『甘いくちづけ』

キースが珍しく何かに見とれていたので、ウォンの足も止まった。
とある街角の、小さな洋菓子店の前。
「……すごいな」
「ああ、タルト・オ・フリュイですね」
すでに外は黄昏、ショウウィンドウの中に並ぶ焼菓子のきらめきは常より美しく見える。並んだタルト生地の上には、様々な果物が豊かに盛りつけられていた。艶やかなシロップ、滑らかな生クリーム、淡く輝くアラザン、刻まれたチョコレート。
「お気に召したのなら、買って帰りましょうか」
キース・エヴァンズはあまり好き嫌いを言わない。だいたいなにをこしらえても美味しそうに食べてくれるので、食べさせがいはある。だが、自分から「あれが欲しい」ということも言わないので、少しさびしくもあったりする。それでも、甘いものが駄目ということはないのはわかっている。むしろその若さでは糖分を欲しがるのが自然なので。
ウォンが優しく瞳でうながすと、キースは小さくうなずいた。
「果物も、野菜と同じで病気よけだからな」
「そうですね。では、少し切ってもらいましょう」
様々な種類のケーキから、二人は幾つかを選ぶ。華やかに飾られた林檎や梨、桃や無花果やラズベリー、グレープフルーツやライチ……切り分けられたものを紙箱につめてもらい、それを手にさげたキースの頬はほんのり赤い。
可愛い。
私は、そんな貴方を食べてしまいたい……抱きしめたい気持ちを抑えながら、ウォンはその日のホテルへキースを誘う。キース好みの、清潔な、シンプルな、でもベッドだけはゆったりと広いダブルの部屋へ。

ラズベリーの硬い感触は貴方の乳首の味、皮を剥いたライチの弾力は貴方の中心の突端の味。新鮮な林檎の香りは貴方の肌の爽やかさ。熟れた無花果の微妙なざらつきは、貴方の秘密の洞窟に似て。
なぜそんなに淫らな食べ物を、貴方は無心に食べているのです。
今晩のキースは、仕事の話すらしなかった。普段なら、最低でも明日の予定は確認してから食事にするのに、ホテルにひきとってから、とても言葉が少ない。
いったい、どうしたの?
ウォンも黙ってお相伴していたが、妖しく騒ぐ気持ちをとめられない。
匙を置いて、低く囁く。
「ほっぺたに、クリームがついてますよ」
キースも匙を置いた。正面からウォンを見据えて、
「とって」
ウォンはそっと掌をのばし、指で白いクリームをぬぐった。
それを自分の口唇へ運ぼうかとためらった瞬間、キースの口唇がその指へ吸い付いた。
チュ、と音をたてて、赤い舌がウォンの指先を蹂躙する。
ウォンはやっと理解した。初めからそのつもりだったのか。ケーキを買うところから、誘惑のステップはすでに始まっていたのだ。でもまさか、貴方がそんな手を使うなんて。そんな手管を使ってまで欲しいなんて。
キースはウォンの掌を包み込んだまま、低く呟く。
「瞳が潤んでる」
「え?」
「これっぽっちで。……誘惑になんて、慣れてるくせに」
再びウォンの指に口づけながら、キースはため息をつく。
「誰にでもそんな、無防備な顔を見せる訳じゃないんだろう? テレパシーを使わなくても誰にだってわかる。どうしていいかわからないなんて、頼むから、もう……」
言わないでくれ、という言葉だけをのみこむ。
ホウ、とウォンもため息をついた。
キースの肩をもう片方の腕で抱き寄せると、文字通り甘い口唇をむさぼりはじめた。

「アッ」
平たい腹部の中央、臍のくぼみを指でなぞり舌でつついた瞬間、キースが激しく反応した。
「いい声……もっと聞かせて……」
強く弱くメリハリをつけて責めるとたまらなく感じるらしく、泣くような声が洩れる。こんなところが弱かったか、と意外に思いながら、肝心な部分はどうだろう、とそっと探りを入れてみる。
「おや?」
キツい。
普段のキースは、感じていると身体が緩む。というより、相手を飲み込もうと貪欲に開く。感じすぎていても、久しぶりでも、懸命に。それなのに、今日は指一本でさえこんなにきつい。中心を熱くそそりたたせているくせに、心のどこかがウォンを拒んでいるのだ。
こじあけたい!
強烈な欲望につき動かされて、ウォンは指の数を増やす。
「あ、イヤ……無理……」
めったにきけない拒絶の言葉に、ウォンはさらに燃え上がった。中で指を曲げ、キースが一番感じる部分をかきまわす。文字通りからみついてくる濡れた内壁を、指を開いてピタピタと叩く。入らない、と拒む脚を大きく押し開いて、三本目の指を入れる。動かすこともできないほどいっぱいだが、それでも浅い場所でこねるようにすると、キースの中心が堪えきれずに達してしまった。
ウォンももう我慢がきかない。キュウっと締め付けられた長い指を思いきり引き抜き、自身の物で深く貫く。えぐるように動かす。ああ。最高だ。この蠢き。狭さ。そして。
「受け止めて……!」
熱い体液をほとばしらせて、ウォンはうめいた。キースの締め付けはさらにきつい。入れたまま何度も達してしまった。溢れるものを出しきって力の抜けた身体を、キースの上に投げ出す形になる。
重い、と怒るかと思いきや、キースはウォンの首にしがみついた。
離れたくないのだ。
また突き上げてきた疼きに耐えかねて、ウォンはバスルームへ飛んだ。もちろんキースとつながったまま。タイルの壁に恋人をもたせかけ、ゆっくりと自分を引き抜く。そしてぐったりとなったキースを椅子に座らせ、隅々まで清めてゆく。
「……ウォン」
「なんですか」
「せっかく、受け止めたのに」
自分の中から掻き出される白い体液を見つめながら、キースはぼんやりと呟く。
「君のものだから、身体にすっかり染み込ませても、構わなかったのに……」
「キース」
いったい、どうしてしまったの?
ウォンが言葉を失っていると、キースは目を伏せた。
「時々、君に意地悪したくなる」
「え?」
そう。
キースはむやみにウォンに意地悪をしたくなる時がある。
だって、いつだって「愛している」と、優しい眼差しで見つめてくるから。何をしていても、何処にいても、一途な愛情を静かに注いでくるから。激情は時に閃いてキースを驚かせるが、それでもウォンは紳士だ。意地悪をしようと、迫る身体をかわし続けていると、触ってくれなくなる。それでも向けられる微笑みは、春の太陽の暖かさだ。かえって寂しくてたまらなくなる。僕を抱きしめなくても、我慢ができるんだな、君は、と。
こっちは君との夜を思い出すだけで、達してしまう日もあるのに。
だから冷たい意地悪はやめて、陳腐な誘惑を試みた。ウォンが幻滅するならそれでも構わない、むしろその方がウォンにとってはよほど意地悪に違いないと。
だから「受け止めて」の一言は胸に響いた。ウォンが受け止めて欲しいのは十ccの体液じゃない、まるごとの自分すべてだ。そう、受け止めたいのだ、ウォンの胸底をいまだに流れている、溶岩のような、熱い、不安定な愛情を。それに焼かれてしまいたいのだ。
ウォンは乾いた柔らかなタオルをとり、キースの身体をくるみこんだ。
「貴方が私に意地悪したいのは、当たり前です」
「ウォン」
「私は、貴方から何もかも奪ったのですから……過去の同志も、親友も、育て上げた組織も、社会的な名前も肩書きも、何もかもすべて」
そう、狂おしいほど貴方が欲しくて。
「罰されて当然、憎まれて当然です。意地悪どころか、殺されても文句は言えない」
そう、貴方になら。
キースは昏い眼差しを見上げた。
アイスブルーの瞳は潤んでいた。声は掠れていた。
「君の罰は、僕が望む夜、朝まで僕を離さず、抱きしめていることだ」
「では、さっそく罰を受けましょう」
「あ」
キースを抱え上げて、ウォンはベッドへ戻った。
湿った黒髪が、キースの身体の上を流れる。
「どうしよう……まだ、欲しい……」
熱い吐息に、熱い吐息が応える。
「いいよ。食べても」

目覚めてウォンは、キースが自分の腕の中で眠っているのを確認し、安心した。
舌の中央に、クリームの味がかすかに残っている。
それよりなにより甘いのは貴方の身体――何度しゃぶり尽くしてもまだ足りない。可憐な反応自体がご馳走なので、あまり淫らに責めたてはしないが。それとも貴方は喜ぶのだろうか? 陳腐だが、たとえば貴方の身体にクリームを盛って、舌でぬぐいとってみたり、お互いにぬぐいあってみたり?
「ん……」
キースも薄く目を開いた。
ウォンの腕を押しのけると身体を起こし、昨夜の焼菓子の残骸に目をあてている。
「ウォン」
「はい」
「僕は、なぜ生き延びてしまったんだ?」
ウォンも身を起こした。
昨夜のキースはおかしかった、それを思い出していた。
「それは、今まで貴方の選んだ道が正しかったからです。生きているということは、貴方が間違っていなかった印」
一つの真理を呟いたが、キースの声は鋭くそれを打ち返す。
「では、間違っていなかったのに、理不尽に命を奪われた者は?」
ウォンはキースの左肩に頬をうずめた。
運命、とも、神様の悪戯と答えてもよかった。しかしそれはキースの望む答えではあるまい。ウォンは問い返した。
「誰なんです。貴方にタルト・オ・フリュイを与えたのは」
様子が変だったのは、果物をのせたタルトに思い出があったからに違いない。しかもそれは、暗い記憶のはず。
「そんな大層なものじゃなかった。だいたい、他の兵士の目を盗んで与えたものだ、しかも自分で焼いたんだと、言ってた」
ということは、収容所時代の監視員か何かか。
軍の連中も全員人非人、冷血漢という訳ではない。サイキッカーの子供が虐待され震えていれば、同情し、甘いものをこっそり差し入れるような者もいるだろう。それこそ、野菜と同じで、果物も病気よけよ、と言ったのはその人間――。
「彼女の姿を見なくなったのはその直後だった。おかげで、脱走計画を実行した時、巻き込まないですんだ……自分が手を下したのでないことが、唯一の慰めだ」
同情的行為がばれて、上層部に殺された、ということか。
ウォンは低く呟く。
「好きだった?」
「そういう訳じゃない。彼女のために生き延びた訳じゃない」
「キース」
ウォンの腕がキースの首に回される。
「そんな哀しいことを考えていたの、あんなに甘い声を洩らしながら?」
「反対だ」
回された腕をほどきながら、キースは呟く。
「思い出したくなかったから、溺れたんだ」
「ああ」
この人は疲れているのだ、とウォンは気づいた。
意地悪したい、というやみくもな衝動を告白するのも。
受け止めたい、という、それに矛盾する台詞を吐くのも。
そして、思い出したくない過去に飲み込まれまいと愛撫を求めたといいながら、こちらの愛撫を拒絶している身体。
疲れのせいで、自暴自棄になりかかっているのだ。
何もかもどうでもいい、構わないでくれ、という気持ちだけならまだいい、むしろそんなにつっぱった心地でいながら「受け止めたい」と呟いてしまうのは脆さ弱さだ。性戯では貴方の孤独は救えないのに。貴方が本当に欲しているのは、もっと別のものなのに。
ウォンは黙って、キースの腰にそっと掌をあてた。抱き寄せるでもなく、ただそこにあててみて、キースが拒まないのを見届けると、そのまま動かない。気持ちや熱を流し込むのではない、ただ、体温だけを伝えて。
先に口を開いたのはキースだった。
「……ウォン」
「はい」
「なにがしたい」
「優しくしたい」
貴方の苦しみをすべて癒せると思ってはいない。
ただ、その悲しみを和らげたい、少しでも忘れさせたいと願う心だけは、どうしても伝えておきたい。
「優しくさせて、ください……」
かすかに震える声に、静かな声が応えた。
「それは、君が頼むことじゃ、ないだろう」
深い輝きを取り戻した瞳が、潤んだ瞳を見返す。
ウォンの頬が、小さな掌に包み込まれる。
細い首がそっと伸ばされて。

その口づけは、甘かった。

(2002.9脱稿)

《サイキックフォース》パロディのページへ戻る

Written by Narihara Akira
http://www5f.biglobe.ne.jp/~Narisama/