『かしずく』

策には策を。
策士リチャードの血がうずく瞬間がある。
「愚かな。この私に小手先の罠をしかけるとは」
よろしい、謀略には謀略で返してさしあげましょう。先手必勝と思っていたら大間違いです。時を止めるまでもない。一本指で、あなたの味方を全員もぎとります。
「これで【詰み】です」
モバイルのキーを幾つか叩くだけで、彼は敵を押さえ込んだ。
結果は見るまでもない、情報戦で負けたことはないのだ。どちらが上か充分に思い知らせておけば、反抗する輩でもないのもわかっている。油断は禁物だが所詮小物、世界の王たる私に及ぶべくもないのだ。
「さて」
夜も更けた。
つまらぬ遊戯にふけっていたずらに時を過ごしていいほど、リチャードももう若くない。何より大切なものに時間を割くべき年齢になった――そう、それは、貴方との親密なひととき。

「あ」
濡れた肌にバスタオルをあてた瞬間、キースの背筋はゾクっと震えた。
気持ちいい、これ。
なんの変哲もない薄いタオルに見える。ノリのきいたおろしたてで、そんな豪華な肌触りにも思えない。だのにツルリと肌を滑って、まるで愛撫されているようだ。
すごくいい。
これでウォンに身体をぬぐわれたら、きっとそのまま達してしまうな。
と思った瞬間、頬が赤くなった。
何を考えているんだ、僕は。
たぶん、「拭いて」と頼んだら、ウォンはしてくれる。
今の僕なら、そう言って誘える。
かしずくようにして、身体の隅々までぬぐってくれるだろう。
でも。
「どうなさいました?」
背後から声をかけられて、ハッとキースは我に帰った。タオルの感触を惜しむ余り、まだ全裸でいたのだ。端についているタグを見るふりをしながら、
「いや、随分いいタオルだと思ってな。君が選んだのか?」
「ええ。お気に召したならよかった」
ウォンは嬉しそうに微笑み、キースの身体をタオルごと包み込んだ。
「まるで、貴方の肌のように滑らかでしょう?」
「あ……」
達きそう。
意識を手放しかけて、キースはようやく踏みとどまった。
「こんな小道具を用意するとは、今晩はよほど手のこんだことをするつもりか」
強い声を出したつもりが、それはため息に近かった。
ウォンの歯が、軽くキースの耳を噛んだ。
「ええ。しても、いいのなら」
だって、可愛い。
タオルに頬をあて、自らの身体を抱いて物思いに沈んでいた貴方が。
何を考えていたのか、顔に書いてありましたよ。
嬉しくて。
「乱れ狂わせてあげる」
「や」
「いや?」
「……ううん」
「それなら」
「いい、けど……」
「なんです」
キースは声を低くした。
「いくらでも他所でしてきていいんだぞ、本当に」
身体がもたない、と呟く前に、ウォンが笑った。
「意外に男の生理を知りませんね、貴方は」
「なにをだ」
「長くつきあっている相手に対して、男はだんだん立たなくなる。しかし、よそでしてくると情熱が復活し、急に出来るようになる、というのが定説なんですが?」
「してなくてこれか。絶倫だな」
「それは、貴方が可憐すぎるから」
欲しい、と囁いて。
そして二人はベッドへもつれこんだ。

先に眠りに落ちたせいか、朝の目覚めはキースの方が早かった。
ウォンはその傍らで、安らかに眠っている。
その様子もぬくもりも、キースがずっと欲しかったものだ。
だから、いえない。
かしずいてほしい、なんて。

わかっている。
ウォンは変わらず自分を大切にしてくれている。その態度に敬意が足りないということもない。
別に、ひざまずかれ、足の甲に接吻されたりしたい訳ではないのだ。
では僕は何が欲しい。
甘えたい、だけなのか?
だいたい、突きあげられて「くるっちゃう」とあられもなく喘ぎながら、なおかつ絶対的君臨者のように振る舞える訳もない。リチャード・ウォンに感じる場所をいっぺんに四カ所も責められて、声を出さずに耐えることができる者はいない。優しく抱きしめられ、巧みな弁舌で丸め込まれ、しかもあんなに情熱的に犯されたら、乱れずにはいられまい。
それなのに。
ウォンの横顔を見つめながら、ため息を堪える。
二人でいろんなことを試してきた。ごっこ遊びもした。
王様と家来ごっこをしたいといえば、ウォンはのってくれると思う。
だけど。
頼めない、そんなこと。
対等な恋人同士でありたい、と言い続けてきた。大人として扱って欲しい、自分にも甘えて欲しい、とも。それは本当の気持ちで、今もずっと変わらない。愛している。愛とはそういうものでなければならないと思う。
そう、自分でも正体のわからないこの欲望は、心に秘めておこう。
おそらく些細なことだ。本当に些細な。
だから。
秘密にしておこう。

★ ★ ★

「せめて、昔の服に戻しませんか?」
「うん?」
「この不自然な袷を、そのまま新調するのは、どうかと」
その日、キースが新生ノアにいた頃着ていた、総帥服が出てきた。十代の頃つけていた総帥用コスチュームの、マントがないかわりに、上着の裾が不自然に長い。前あわせも妙だ。しかし、プロパガンダのために人前に出る時は、かつてのようにブルーを基調にしたそれらしい服を着たらどうか、という話の流れで。
「見た目はちょっとおかしいが、こちらの方が着脱は簡単だからな」
「そうでしょうか」
ウォンはすらりと立ったキースを見つめ、首を傾げた。
「脱がせてもいいですか」
「なんだ、それが目的か」
これを脱がせるのははじめてじゃないだろうに、と思う。
だが別に嫌でもないので。
「好きにしろ」
「では、遠慮なく」
突然ウォンは膝を折った。騎士のようにひざまずいてキースの掌をとると、手袋の上からうやうやしく口吻する。そして、ゆっくり手袋を脱がせはじめた。
「動かず、楽にしていてください」
手袋を脱がせおえると、ウォンは立ち上がった。プツ、と小さな音を立てて、服の前を開いていく。それだけでキースの胸は高鳴った。信頼している相手にされるままになる、その、心地よさ。
後ろへ回って上着をスル、と脱がせながら、ウォンが囁く。
「Your Highness」
ユア・ハイネス――私の王。
「侍従ごっこか」
平静を装いながら、キースは答える。
「いいえ、昔読んだファンタジーをふと思い出しただけです」
「ファンタジー?」
「ええ。革命が起こり、平民の地位におとされた王女の話です。服の着方がわからないまま取り残されそうになり、慌てて着方を教えてもらおうとして、どんな暮らしをしていたんだ、一人で服も着られないのか、と周囲から笑われます。その時やっと、自分に与えられた服が単純なつくりで、人にきかずとも着られる物と気付き、彼女は気の毒にも赤面するのです。本当は誤解なのですよ、王女の頃は、それこそ一人では着られないような服を着ていたのですね、彼女は」
ウォンは丁寧に上着を畳んで脇へ置き、キースの前に回った。
「貴方はイギリス貴族です。もしかすると、立っているだけで服を着せてもらえるような時代がありましたか?」
そう言いながら、ウォンの指はウェストにかかろうとした。
「そんな時代はなかった」
反射的にキースは答えていた。
「君だって、それこそYour Majesty(ヨー・マジェスティ)としょっちゅう呼ばれてきたのだろう」
言って、すぐに後悔した。
人種差別だ。
いや、そうは思われなくとも、とにかく皮肉に響いただろうと。
映画『王様と私』のヒロインである英国人の家庭教師は、シャム王に対して【ヨー・マジェスティ=陛下】を連呼する。彼は、かの地の最高権力者であるだけでなく、賢人だ。しかし、あのYour Majestyという慇懃な物言いに、敬意は存在しなかった。肌の色が暗い者を内心見下していたのだ。やはりこれも映画になった『ラマン』も、落ちぶれたフランス娘と裕福な中国人青年のロマンスでありながら、相手を見下しているのはフランス娘の方だった。自分が青年を愛しているのが認められないほど、下の者とみなしていた。
キースはそういうことが大嫌いだった。
超能力をもっているというだけで人から迫害されてきた身は、肌の色など越えて多くの者と手を結ばねばならない、という建前もある。が、それ以前に、子供の頃からそういう線引きを嫌悪していた。イギリスは未だに階級社会の名残りを引きずっており、ロンドンのように移民の多い街では階級差と肌のいろの差は歴然と存在している。もちろん自分の中に差別感情がまったくないと言ったら嘘になる、白人のおまえに何がわかる、と言われれば返す言葉もない。いくらテレパシーが使えても、人の気持ちがすべてわかる訳でもないのだ。
だのにとっさに、自分が忌まわしいと思っている台詞を口走ってしまうなんて。
「皮肉に呼ぶ時は、英語ではYour Loadship(閣下)だと思っていましたが」
ウォンは微笑んでいる。
えたいの知れない笑みでなく、心からの笑みだ。
「キース様。ひとから大切にされたい、敬意を払ってもらいたいと思うのは正常な欲求です。もしぞんざいに扱われたいと思うなら、それこそ淫らな欲望なのですよ」
気付かれた……!
ウォンの囁きは続く。
「淫らな欲望をお望みならば応える準備がありますが、そうでないのなら、私は貴方にかしずきたい。貴方のそばで、貴方を守り続けたいのです」
キースは真っ赤だった。
「じゃあ」
いい。もう隠しても意味のないことならば、正直に言ってしまおう。
「最後まで、君が一枚ずつ脱がせて」
「ええ。そして一日、たっぷりお世話しましょう」
「あ……っ!」
「動かないで、まだ。立っていられるうちは、ここで我慢していてください」

なんて正直なんだろう、身体というものは。
貴婦人のように扱われ、こうしてベッドでも満足させられて、それで不満を感じる訳もないのだが、心まですっかり凪いでいる。
恥ずかしいほど。
「いかがでした?」
ウォンの声も落ち着いていて満足げだ。
キースはため息まじりに呟く。
「君はまだ、恋に盲目の状態だから、僕が何を口走っても可憐に思うんだ」
「それで?」
「でもいつか、僕だって若さを失う。いつまでも可愛らしくはいられない。……それなら、自分の主義はどうあれ、今のうちから君の王になって、かしずかせておく方がいいのかもしれない。有能な片腕をみすみす失うよりはな」
ウォンは、微笑みとともにキースの掌をとった。
「ご満足いただけて光栄です、我が王」

(2003.2脱稿)

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Written by Narihara Akira
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