『伝 染』

この世界は私のものだ。
だが、何もかもどうでもいい――そんな朝には、何の意味もない。
全世界の人間が私にひれ伏し、かしずこうとも、うっとおしいだけだ。
私も、ずいぶんと堕ちたものだ。
目覚めて真っ先に、こんなことを思うとは。
「……随分とおねむだな、ウォン?」
ミルクティーを片手に、キースがベッドに戻ってきた。
「今日は休みか。君さえよければ朝食にしようと思うが、起きられるか」
リチャード・ウォンは横たわったまま、呟くように、
「先にすませてください、キース」
「どうした」
「空腹を感じないので」
「そんなに疲れが溜まっているのか」
キースはカップをベッドサイドテーブルに置いた。
ウォンの額に掌をあて、苦笑する。
「こんな時まで、世界は誰のものか、なんてことを考えているのか。君はサン=テグジュペリか、カムウッド・ロングピースか?」
ウォンの口元にも、やっとわずかな笑みが浮かんだ。
「さすがに私も、空の星を自分のものと、指さすことはしませんよ」
「どうかな。月の土地ぐらいは持ってるんじゃないのか」
「ご想像に、おまかせします」
キースは掌をウォンの頬へ滑らせながら、
「しかし、勤勉な君がそうまで起きたがらないとは、弱っているところにずいぶん無茶をさせたらしいな。悪かった」
「いや、少し横になっていたいだけで、そんなにひどい状態では」
「ならいいが」
キースはそう囁くと、ウォンにぐっと顔を近づける。
「君がそんな風に弱っていると、ちょっと、そそられるな」
「あ」
そっと口唇を吸い上げられて、ウォンは軽く震えた。
「キース、あの……?」
「朝食より、君が食べたくなった」
「そんな」
「優しくする、心配するな」
「でも私は」
「こういう時だからこそ、トロトロにとろかしたいんだ。君が、何もかも忘れてしまうほど」
「……あっ!」

たいしたことはないが、どうも少し、熱があるようだ。
抵抗するとキースを煽ってしまいそうだったし、虚無的な気分もあって、大人しく愛撫に身をまかせたが、いつになく敏感なウォンの肌は、痛いほど感じていた。
口唇を噛んでこらえていると、キースの指が顎にかかって、
「声を我慢するな」
「や」
「達かせたい。だけどあまり、辛くさせたくないから」
キースが何を言っているのかわかって、ウォンの全身が疼いた。
ひどく体力を消耗するほど無理をさせたくないが、それでも気持ちよくなって欲しい、ということ――私は貴方のもの、好きなようにむさぼってくれていいのに。
「貴方の、掌で……」
「キス、したいのに?」
「それでも、貴方の、指で」
「果てたい?」
「これ以上、焦らさないでください」
「可愛いな、ウォン」
キースの掌に力がこもる。
「もっと、欲しくなってしまいそうだ」
「でもさっき、蕩かしてくれるって」
「ああ。もちろん、気持ちよくする。たまには僕が、君に奉仕したって、かまうまい?」
愛撫とともに、キースの感情が甘く流れ込んできた。
怖がらないで、もっと身も心も開いて、ウォン。
終わったら綺麗にして、君がぐっすり眠れるようにするから。
遠慮しないで、しがみついて、いいんだよ?
ウォンは小さく喘ぐと、キースの背に回した腕に力をこめた。
「本当に、何もかも忘れさせて、くださいね……?」

次にウォンが目を覚ましたのは昼すぎだった。
キースも目を閉じて、傍らでぬくもりをわけあっていたが、ウォンの視線に気づいたか、ふっと身体を起こした。
「よく、眠れたか」
「ええ」
「よかったか」
「とっても」
「どうだ、気分は」
「悪くないです。熱も、ひいたようで」
「よかった」
シーツに流れる黒髪に、キースは指を絡ませた。
「まさか僕の絶望が、君にうつってしまうとはな……」
「え?」
小さくため息をつくと、髪から手を離して、
「君は元々、あんなことを考える人間じゃない。よほどの極限状況におかれでもしない限り、世界なんかどうでもいい、とは思わない。だから君は世界の王になれるんだ」
「キース?」
裸の肩に、キースはローブを羽織った。視線は遠くへ投げられる。
「実は少し、長い旅行をしようと思っていた」
「ここを留守にして?」
「うん」
「少し?」
キースは苦笑した。
「永遠でも、もちろん構わないんだが」
「やっと、その気になりましたか」
二人のつくりあげた一つの理想郷は、すでに自力で動き出している。むしろ、もうこれ以上、かつてのノア総帥に押さえつけられずとも、と考える不穏な一派もある。
それでも手を離すには時期尚早、とキースはトラブルを我慢してきた。危険分子は始末した方が、というウォンをなだめながら、町の健全な発展につとめてきた。
しかし、元々人づきあいの得意でないキースには、とっくに限界が来ていた。心の底に深く隠していた絶望が、いつのまにかウォンの深層心理へ滑り込んでしまうほど。
「だがな」
キースは目を閉じた。
「隠遁生活というのは、どうも性に合わない。それに、サイキッカーの叫びが聞こえてくれば、私はまた、彼らを助けようと思うだろう。新たな理想郷を築こうとするだろう。それがどんなに時間のかかることであっても、徒労だと知っていても、だ。……それに、たぶん、君も」
「私も?」
「君に隠遁生活は無理だろう。仕事の虫だからな」
「そんなことはありません。私は世界中に別荘をもっているのですよ? 貴方が望むなら、いつでもハネムーンに出られます。いくらでも好きなところで、気ままに暮らせますよ、何の心配もなく」
「そうじゃない。君は近づいてくる者の前では、どんなに疲れ果てていても、王者としてしか振る舞えないからだ」
「そんなことはありません。貴方は私を支配することが、できるじゃありませんか」
「支配、か」
アイスブルーの瞳が、深い蒼の沈んだ瞳を見つめる。
「支配じゃない、自分が愛されているぶん、君に優しくしているだけなんだが……もっと熱烈に愛さないと、この気持ちは伝わらないか?」
「貴方の愛情は、この身にたっぷりしみています。だから私を、動かしているのです」
「そうか」
何もかも飲み込んだ顔で、キースはうなずいた。
「では、ここから旅に出よう。……今日から、永遠に」

その夜、二人は旅立ち、戻らなかった。
町は大きな喪失感に苦しんだが、キースの理想を受け継いで、消えてなくなるようなことはなかった。
それから新しく生まれる、他の小さな理想郷と同じように。

(2006.11脱稿)

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Written by Narihara Akira
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