『永遠の夜』

自分の腕の中で、じっと動かない若い身体。
とりあえずの欲望を果たして、呼吸を整えているのだが、決して離れようとせず、おずおずと寄り添ってくるのが愛おしい。
そのひたむきな眼差しに、求められるまま身体を開いた。
若い激情に、全身で応えてやりたかったからだ。
ほんのいっときでも。
功刀仁は、相手の腰のあたりに優しく掌をそえた。心もち引き寄せてやりながら、
「少し落ち着いたか、総一」
「ええと、あの……」
首筋のあたりに埋めている頬を、八雲総一はさらに功刀に強く押しつける。
「どうした」
「なんだか急に、恥ずかしくなってきちゃって」
「今更だな」
功刀は微笑んだ。総一の口調がいつもの軽いものに戻ったのも嬉しかった。背中を軽く叩いてやりながら、
「まあ、しばらく横になっているんだな。疲れたろう。ゆっくり眠りたいなら客用の布団も敷くが、どうする」
「そんな」
少しでも離れたくない、というふうに身体をくねらせる。
「そうか。なら、このまま休んでいるといい」
中に直接出されたのでもないし、簡単に後始末も終えた。功刀自身もこのまま眠ってしまってもいいと思っていた。
身体にまったくダメージがないといったらウソになる。経験がない訳でもないので、無様なところをさほど見せずにすんだだけだ。総一自身も経験豊富という訳ではなさそうで、重要な部分はこちらのリードに従った。ゆえにむしろスムーズに展開したと言ってもいいぐらいだ。
功刀仁は、痛みよりも喜びを深く感じていた。
人と直接に触れ合うこと自体が久しぶりで、総一の滑らかな肌が、熱い身体が、初々しい仕草が、功刀の五感に強く訴えてきた。かすれた声で「功刀さぁん」と求められて、悪い気はしなかった。
自分がそういったことが巧みならば、もっと愛撫してやりたいとも思う。
総一の望みは、二人の距離を少しでも縮めることだろう。だから身体でぶつかってきたのだ。こちらから積極的に触れてやれば、それこそとろけてしまうに違いない。
とろかしてどうしようという気もないが、いろんな意味でもっと可愛がってやれたら良いと思う。
己の右腕にと見込んだ資質豊かな青年だが、TERRA戦略作戦部副司令官としてはあまりに若い。公の場でならともかく、一個人としては大人として扱いたくない時がある。幼い頃から如才なく天才の誉れ高く、しかし家庭的にはまったく恵まれずに育った八雲総一には、むしろ子供扱いされるひとときが必要だと功刀は知っていた。人前でも少佐と呼ばず呼び捨てることがままあるのは、実の息子のように扱っていると示すためで、他人に対しての効果は絶大だが、むしろ総一の方でどこかかしこまってしまっているところがある。性的な関係をすっかり結んだことで、この青年がもっと甘えやすくなるなら、こういう夜もあっていい。
包み込むように抱いてやると、総一は身体の緊張をふっと緩ませた。
「ん……」
小さな、だが満足そうなため息。
日頃の疲れも溜まっていることだ、総一もこのまま眠ってしまうかな、と功刀は半ば安心しながら瞳を閉じた。
が。
「功刀さん」
むしろハッキリした声に呼ばれて、功刀は眉をしかめた。
「どうした。まだ欲しいのか」
「ええ。教えて欲しいことがあります、功刀司令」
総一は身体を起こした。艶やかな裸身を薄闇に浮かび上がらせつつ、その端正な面にあるのは任務中の生真面目さだ。
功刀も身体を起こし、若者の華奢な肩を抱いた。
「改まって、なんだ」
「ムーリアンの正体です」
功刀の身体に一瞬緊張が走り、それに力をえて総一は畳みかけた。
「司令が敵のすべてを知っているとは、僕も思っていません。でも、紫東大尉でさえ知っていることを、僕が知らないなんて」
「彼女は情報解析士官だ。情報が集中するのは当たり前のことだろう」
「僕は副司令です。重要機密を漏らすこともありえない立場です。だのに何故、情報が伝わってこないんです」
功刀は苦虫を噛みつぶしたような顔になり、総一から身体を離した。
「その根拠はなんだ。何を調べたか」
「調べてもわからないから、恥を忍んできいているんです。自分の力不足を、こんなに思い知らされたことありません。僕は功刀さんにかばわれている。子供だからです。功刀さんは大事なことはみんな隠して、自分の手ですべて決着をつけようとしている。だからです」
「総一」
「なぜMUは東京ジュピターをつくったのか。なんのためにジュピター内では時間伸長計数が著しいのか。どうしてTERRAは先回りして、ネリヤ神殿のある根来島に基地をこしらえることができたのか。創立メンバーである功刀さんが、知らない訳がないんです」
「ふ」
功刀はするりと夜着を羽織った。乱れた髪をなで上げながら、
「それは推論に過ぎない」
「否定なさるんですか」
「総一は、その疑問に自分なりの答えがあるんだろう?」
青年は小さくうなずいて、
「六道博士も亘理長官も功刀司令も、MU大戦の前からムーリアンの存在を知っている。ゆえに統自とは違う部分で手をうてた。連合から独立した活動ができるのも、スポンサーが別にいるっていうだけじゃないんだ。東京ジュピターの絶対障壁は、簡単に越えられるものでなくとも、堅固な要塞というにはいささか脆く、中に囲い込まれている者もムーリアンの自覚がない。つまり、味方をも欺く何かをゆっくり進行させるために、あんなに巨大な不連続面を発生させてまで、時間の流れに手を加えているんです」
功刀は削げた頬に微苦笑を浮かべて、
「それだけ想像がつけば充分だろう。あと何を訊きたい」
「功刀さん」
人差し指で色のない己の口唇を押さえながら、
「私は生ける屍とかわらん。亘理長官に拾われた恩義を感じているだけで、ムーリアンに対してそう深い興味がある訳ではない。総一の方がよほど真面目で、よくわかっているようだな」
「そんな」
「いいか。私がおまえに、嘘をついたことがあったか」
「……一度も」
首をふると、総一はそれきり押し黙ってしまった。
功刀は藍染めの夜着を枕元からもう一枚とりあげて、総一の肩にかける。
この青年が自分に尋ねたいことは、まだ幾らもあるはずだ。
何故、功刀邸の桜は青い花を咲かせるともっぱらの噂なのか、とか。
十数年も前に別れた真理子と、まだ連絡をとっているのは何故か、とか。
ムーリアン自体に興味はなくとも、それと結託している元国防部・九鬼一佐については心底恨んでいるでしょう、とか。
訊かずとも、全て知っているのかもしれない。
それでも知らんふりのできるのが、この八雲総一という若者である。
先の質問や推論も、ずいぶん思いきってぶつけてきたのに違いない。
こんな夜に限って、D1警報は鳴らない。
それは喜ばしいことなのだが。
今にも泣き出しそうなその横顔に、功刀は低く囁く。
「すべてわからなくとも、戦うことはできる」
「わかってます」
かたくなな声。
「総一」
功刀はため息まじりに、
「今だけ、何もかも忘れることはできないか」
「え?」
「何のために基地を出てきた。二人きりになった。今夜だけ、何もかも忘れることはできないのか」
「……ずるいな、功刀さんは」
総一はきゅうっと仁の胸にしがみついてきた。
そのまま静かに押し倒すと、
「功刀さんの乱れ髪、とってもセクシーですよ」
囁くその顔は、うっすらと微笑んでいる。
何もかものみ込んでしまって、相手を許し求める笑顔。
そう、お互いの虚無を、いっときの欲望に紛らわせてしまうことができるなら。
功刀は低い声をさらに低めた。
「おいで、総一」

今度こそ本当に眠りに落ちた総一を、功刀は静かに抱きしめる。
ここまで慕われる価値が、自分にはない。
それでも残りわずかな日々の中で、おまえが望むものがあればすべて与えてやりたい。私が教えられることは、すべておまえに教えてやりたい。
それが今の私にできる唯一の償いだ。遺してゆく者への礼儀だ。

私は許されないことをした。許されるつもりはない。
何より己が許すことができない。
たとえ天国の娘が微笑んでくれようとも、奇跡が起こってやりなおせる過去だとしても、私は永遠の夜を生きなければならない。

本当に、この瞳を閉じる日まで……。

(2004.7脱稿)

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Written by Narihara Akira
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