『150』

もう一度、と抱きしめた瞬間、キースの口唇から喘ぐような息が洩れた。
「すまない、今日は、もう……身体がつらいから」
「そうですか」
ひどく残念そうにウォンは身を引く。寝着を整えながら、かすれ声で呟くように、
「それではあの、先にシャワーを浴びてきても、構いませんか」
「ひとりで、鎮めるのか……?」
ウォンは目を伏せ、小さくうなずいた。
「そんなに欲情しているなら、手伝おうか」
「手伝うって……あ!」
さっと両腕を首に回され、元結いに手をかけられ、ほどかれる。
長い黒髪がはらりと広がって、ウォンはぱっと赤面した。
キースがこの元結いをわざとほどく時――それはこれからウォンを下に敷き、存分にむさぼる合図というのが、ここのところのお約束なので。
「身体が辛いのではないのですか」
「入れやしない。安心しろ」
身体をぴったり添わせながら、キースの指が妖しく動く。口唇を噛んで堪えようとするウォンの首筋を、その胸を吸いながら。そして囁く。
「欲張りだな、そんなに絶頂をのばそうとするなんて。もっと味わいたいのか、これを?」
「違いま……」
すでに緊張していたものが、手指と言葉になぶられる。
カッと熱くはじけるのに、長くかかるはずもなく。
「あ!」
低くうめいて、震えるウォン。
うっすら涙ぐむ恋人に、キースは軽く口づけながら、
「やっぱり、もう一度僕を抱きたかったか?」
濡れた瞳は、無言でじっとキースを見つめ返す。
「一晩に三度抱いても、もうすぐ夜明けでも、まだ欲しいのか。ここ連日なんだぞ?」
「……ええ」
事実なので、ウォンはうなずいた。
それに、怖いことは、ただ一つだけだ。
「さすがに、軽蔑なさいましたか」
「いや」
キースは真顔になった。
「熱烈だな、と思って」
久しぶりに一緒に暮らして気付いた。ノアにいた頃のウォンは、あくまで紳士でいようと努めていたのだと。本当は、性に対する情熱は旺盛で、歯止めがきかなくなる時もあるのだと。
それでもウォンが、まるで甘えるように求めてくる時、キースはゾクゾクするほど嬉しい。たまらない。
ただ彼も、一つだけ気になることがあって。
「そんなにして、飽きないのか、そろそろ」
「え」
「だって、今は、僕だけなんだろう?」
溢れて肌にこぼれたものを、ひとさし指で掬うキース。
「あ」
身をよじるウォンに、キースは低く囁く。
「それとも、僕だけだから、こんなに濃いのか」
ウォンはため息を洩らした。
「だけだから、ではなく……貴方、だから、ですよ」
「そうか」
「それで……キース様は、もう、飽きてしまわれたのですか」
静かな、だがほんのちょっぴり、心配そうな声。
「どう思うんだ、君は?」
「そうですね……本当に飽きたのなら、あんな風に愛撫したり、淫らな言葉で責めたてたりはなさらないでしょう、キース様は」
「それは、どうかな」
キースは真顔のまま、
「……君、子供は何人いるんだ?」
ウォンの細い眉が、かすかにひそめられた。
「子供?」
「人工サイキッカーやクローン体のことじゃない。君自身の子供だ」
「子供、ですか」
黒い瞳がぼんやりと宙をさまよう。
「そうですね。……百五十人、ほどでしょうか」
キースは声をたてて笑った。
「あまりいい冗談じゃないな。昔の中国の英雄じゃあるまいし」
「冗談だと?」
「ああ。だって、自分の生まれをあれだけ呪っていた君が、父親と同じ愚行を繰り返す訳がない。君が望む訳がない――黒髪の少年に《親父、殺してやる!》などと叫ばれ、刃物を閃かされたいなんて」
「そう、お考えですか」
キースはうなずいた。目元をそっとぬぐいながら、
「周到な君だ。たとえ百五十人の女を抱いたとしても、決して失敗などするまい?」
ウォンは目を細めた。
「それではなぜ、子供の数など尋ねるんです」
「そんな君でも、本当に愛した女がいるのなら、もしかして、と思っただけだ」
本当は、迷わず《子供なんていませんよ》とキースは言われたかったのだ。ウォンが性を、自分のテクニックを、仕事上の駆け引きに使ってきたことは、隠すことすらされない事実だ。だから彼に、今さら肉体的な貞操を求める気などない。また、これからよそで他の人間と何をしようが、キースは構うつもりがない。
ただ、心の問題は別だ。自分が一番に愛されていると知っていても、一切の不安が消える訳ではない。
「愛した女はともかく」
ウォンはそんなキースの気持ちもしらぬげに、
「私にも、失敗はあります。若い頃は、油断した時もありましたから、私の知らない場所で、私に似た子が恨みを抱いて育っていることは、考えられなくもありません。ある日突然、私を殺しにくることもあるかもしれない。私がしたように……それにその子も、サイキッカーかもしれない訳ですし」
キースはフッと鼻で笑った。
「それで黙って殺される君でもあるまい。手なづけるか、もしくは抹殺するか……うまく、やるだろう?」
「さあ、それは」
曖昧に微笑むウォン。
キースは突然、するりとベッドを抜け出した。薄いガウンを羽織って、
「僕は嫌だぞ。君が、そんな風に殺されるなんて」
「キース様」
「ウォン。君が忘れてることが、一つある……快楽は、慣れたり飽きたりするものだ。たとえ君がなんと言おうと、どんな誓いをたてようと。君は飽きないかもしれないが、僕が飽きるかもしれない。事実僕は、慣れはじめている。優しい刺激じゃ物たらない時だってある。君の手練手管が、いくら細やかで巧みでも、限りはあるはずだ。そんなことがきっかけで、愛が終わる日も、あるんだぞ」
「キース様!」
「シャワーを浴びてくる」
行こうとするキースを、ウォンは思わずぎゅうっと抱きしめた。
「忘れて、いません」
銀の髪に頬をうずめるようにして、ウォンは囁く。
「焼き餅をやかせたくて、百五十人などと言った訳ではないんです。ただ、私は、貴方が思っているより、ずっと愚かな男ですから……そのありのままを、貴方に知ってもらいたいだけで……言葉で貴方をもてあそんだ訳では……キース様が、そんな愚かさを嫌うことは知っていますが、それでも私は……」
「そうか。百五十人通りすぎても、まだわからなかったというのか。相手を受け入れるというのが、どんなことか」
え、とウォンの腕がゆるんだ瞬間、キースはくるりと向きをかえ、ウォンを下にしてベッドへ倒れこんだ。
長い、長いキス。
「……キース、様」
艶やかな黒髪の中に倒れ、放心したように見上げるウォン。
キースは微笑んでいた。瞳を悪戯っぽく輝かせながら、
「心配しなくていい。さっきのは嘘だ。まだ君の手管に、飽きたりしてはいないから」
「でも、《まだ》なんでしょう」
「まだ、でいいじゃないか。君も僕の手管に、まだ飽きてないだろう」
「あ」
飽きるどころか、術中に落ちたままだ。
こんな風に、身も心もされるままで。
主導権は、いつだってこの青年の方にある。足を開かされている時ですら、彼が王だ。
キースの囁きは続く。
「君が愚かだろうと、僕が百五十一人目だろうと、そんなことはどうでもいいんだ。僕達がお互いの身体に飽きる日がきても、僕は構わないだけのことだ。それに人には、飽きないことが、あるからな」
「飽きないこと?」
「ああ。誰かをずっと好きでいたい、という気持ちは、飽きるものじゃ、ないからな……ウォン」
熱い、眼差し。
しなやかな身体が、ウォンの上でくずおれる。疲れているのは本当なのだ。
そして小さな呟き。
「違うか?」
「いいえ、私も、ずっと……」
「私も?」
キースが小さく笑う。僕が、とは言っていないぞ、と。ウォンも低く笑う。
「私は、ただ《ずっと》と言っただけですよ」
「そうだな」
キースはウォンの胸に頬をうずめたまま、
「言葉遊びはやめよう。ただこうしていたいってことに、名前をつけたり疑ったりするのは、もう……」
「不毛?」
「そうは言わないが、駆け引きは楽しいうちが花だからな」
「そうですね」

そのまま瞳を閉じ、眠ってしまったキースの背を撫でながら、ウォンは、満ち足りている。
ただ、こうしていたい。
ずっと好きでいたい。
そんな台詞がききたくて、まだ言葉遊びを続けたいのだと、駆け引きをしたいのだと言ったら、子供っぽいと笑われるだろうか。
通りすぎてきた女や男の顔が一瞬浮かび、その何百人に笑われたような気がした。
それでもウォンは、ただ、足りていた。
物言わぬ体温と共に。

(2001.4脱稿)

※注;「昔の中国の英雄じゃあるまいし」→“中山靖王劉勝(ちゅうざんせいおう・りゅうしょう)”のこと。三国志でおなじみ、蜀の劉備玄徳の祖先。この劉勝が、漢の創始者である高祖劉邦(景帝)の流れを汲む、というのが、玄徳が皇帝としてたった唯一の理由であるが、この劉勝が何をなした人間かという資料はほとんどなく、白井恵理子によれば、ただ“後胤百五十余名”(つまり子孫が150人ほどいた、ということ)しか、有名ではない。

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Written by Narihara Akira
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