『いえない』

問題は何もない。
それどころか、夜の生活は充実しきっているといっていい。キース・エヴァンズはいつになく可憐な恋人だ。ベッドの上で行儀良く待っていたり、恥ずかしそうに「おねだり」してみたり。乱れ方もなんともいえず可愛らしく、ウォンは毎晩、その身体に溺れた。
それは不思議でもなんでもない。何年も肌を重ねてきたのだ、どうすればウォンが喜ぶのかということをキースは熟知している。その魅了のテクニックに、文字通り骨抜きにされているだけのことだ。
そしてそれは、ウォンがずっと望んできたことだった。キースに強く求められたい。毎晩でも喜ばせたい。自分も「イイ思い」をしたい。それらがすべて叶っている。
そのどこに問題があるだろうか。
しかもキースは、昼間もウォンに優しい。
柔らかな微笑。情愛に満ちた声。仕事をしている時も、さりげなく資料をそろえておいてくれたりする。反対に、これは自分がやる、と今までかたくなに譲らなかった作業を、ちょっと手伝わせてくれたりもする。幸せな毎日以外の、何物でもない。
しかし、ウォンは一つだけ気になることがある。
お互い生身の人間である。身体の調子が悪い時もあれば、欲しいタイミングが一致しない時もある。どちらかが不機嫌なままでは、肌を重ねても何も解決しない。かえって喧嘩になってしまうこともある。そういう小さな衝突を繰り返しながらお互いを受け入れ、絆を深めていくのが、人と人との関係というものだ。それは何も恋愛に限ったことではない。
それがない、ということは。
今の自分は、一方的にキースにサービスされている状態である、ということだ。
むろん、嫌ではない。とても嬉しい。
それが演技であっても、彼の好意であることには間違いないのだから。
しかし、それがずっと続いているということは、つまり。

あの優しい人がいったい何を憂いているのか、思い当たることが無いでもない。
だが、その想像が正しいならば、それを癒やすのは難しい。この世界中で、もっとも私に向いていない仕事だ。
ウォンは一人、こっそりため息をつく。
キース様。
貴方の笑顔に隠された憂いを、心の奥底の隠し事を、何がなんでも暴きたいという私はあまりに浅ましいでしょうか。
貴方の本物の笑顔を、私はとりもどすことができますか?
それには、どうしたら?

★ ★ ★

キース・エヴァンズは、こっそりため息をつく。
「ウォンの奴、気づいたかな」
彼に対して、キースはひとつだけ秘密にしていることがあった。
それは実にささやかなことだったが、どうしても口に出せない、ウォンに見せることのできない、複雑な気持ち。
その惑いは、四月の最初のあの夜に生まれた。

「胸が、つぶれるかと思いました……!」
叫び声と共に抱きしめられた瞬間、キースは心の底から後悔した。
ウォンが、こんなに悲しんでしまうなんて。
エイプリルフールにかこつけてウォンを実験台にした時、キースが一番心配したのは、彼が自分の指示をきかず暴走することだった。もし誰か一人でも傷つけようとしたなら、即座に実験を中止する予定だった。とにかく彼を止め、速やかに事情を説明し、謝るつもりだった。
ウォンはだが、キースの指示によく従った。二人でこしらえた町だというのに、放棄することなど少しもいとう様子をみせなかった。何よりキースを心配し、キースについていくと誓った。その忠実さを確認できたことは、嬉しかった。そして。
「この世界ぜんぶより、貴方を失う方が怖いのに――」
装置をはずした直後ということもあって、ウォンの激情は一気にキースに流れ込んできた。強く求められ、キースはその灼熱に身をゆだねた。文字通り翻弄され、快楽に溺れた。
その翌朝。
心身ともに満足しきって目覚めたはずのキースの中に、奇妙な感情が湧いていた。

もう一度、君の泣き顔がみてみたい。

なんと愚かしい欲望。
キースは知っているつもりだった。ウォンがどうして、自分の愛情を確かめるために愚かしい行為をしてきたのか。何故あんなに何度も遠回りとしか思えないことを繰り返したか。それはウォンの不器用さだと思っていた。自分にだけ見せる弱さだと。それを含めてキースはウォンを愛していた。
だが。
「あんな風に激しく、切なく求められたい、何度でも」
自分でも馬鹿な真似をしてみて、やっとわかった。
求めて欲しい、という気持ちがなんなのか。
相手の悲しみに燃える。
こんなにもお互い燃え上がる。
その業火を自分は知ってしまった。
普段の愛の営みでは、物足らないと思うほどに。
恋に狂うというのは、こういうことか。
信じられない。

泣かせたことがない訳ではない。意地悪をしたことはある。性戯で鳴かせたこともある。
だが、決して悲しませたい訳ではない。
ウォンを愛している。彼に辛い思いをさせるために一緒にいるんじゃない。彼が「優しくしたい」と囁くように、僕だってウォンに優しくしたい。ウォンが僕の期待に応えてくれるように、僕もウォンの誠実さに応えたい。そう、僕こそがウォンの「良心」でなければ。彼がその能力ゆえにかかえた歪み、この世界を食い尽くさねばおさまらないほどの狂気にさらわれぬよう、僕がその手綱を握っていなければ。
しかし、キースの中に生まれたその「欲望」は、なかなか消えることがなかった。
一時の悪戯心を実行に移した時点で、彼の中にこそ歪みが生まれていたのかもしれない。
キースのまなざしは、憂いにくすんだ。
この感情は、どうしても隠さなければ。
知られたくない。
ウォンの悲しみが、たまらなく心地よく思えたなんて。

悟られるのをおそれるあまり、自然、ウォンにいつも以上に気をくばってしまう。
ウォンはそれを喜んでいる。
だが、訝しんでもいるようだ。どうしたのキース、と声にださないだけだ。
たぶん、まだすっかり悟られてはいないのだろう。
だからこそ知られたくない。自分自身でも認めたくないことを。余計なことでウォンを動揺させたくない。
どうしたらいい。

いっそ口に出してしまった方が、いいのかもしれないが――。

★ ★ ★

「キース」
「うん?」
甘い口吻に意識を手ばなしかかったキースの耳に、低い囁きが吹き込まれた。
「今晩は、これを自分で使ってもらって、いいですか」
ウォンをかたどったものを渡されて、キースは一瞬眉をひそめた。
「君を挑発しろ、ということか?」
「ええ」
なんだ今更、とキースは思う。以前、ひとりでするところを見せてやろうかと言った時、頬を赤らめてウォンは断った。たぶん途中で我慢できなくなってしまうからと、しおらしく。
それならそれでいい、とキースは思った。道具の類はあまり好きでない。否定するものではないが、ウォンが側にいなかった頃をふと思い出して、身体の芯が冷えてしまう時があるからだ。
しかしキースは平気な顔をこしらえ、強い眼差しでウォンに応える。
「濡らすのに、媚薬を使ってもいいか?」
「そうですねえ」
ウォンはちょっと考え込んで、そして首を振った。
「準備は私がしましょう。キース様が使っている媚薬は、少し強すぎるようですから。アルコールで充分。しかも、弱いものでたくさんです」
「え」
ウォンの掌が、キースの腹部を滑って脚の間に忍び込む。
「強すぎる刺激は、感覚を鈍磨させます。敏感な粘膜をせめるには、弱いものを、少しずつ、少しずつ塗り込めていくのがいいんです……ほら、ね?」
寝酒用のウィスキーを水で割ったものを口に含み、それで指を濡らすと、ウォンはその言葉どおりにキースに刺激を与えはじめた。まるで暗示にかかったように、キースの肌はみるみる赤くなった。内壁はウォンの指を強く締めつけ、喉からは切なげな喘ぎが洩れる。
ウォンは涼しい顔のままだ。眼鏡こそ外しているが、元結もとかず、髪もほとんど乱れていない。落ち着いた様子で指の技巧を続けている。
「そろそろ、いいですね?」
囁きと共に指が抜かれた。
キースはウォンに渡されたものを己につきたて、一気に深くのみこんだ。前はいっさい刺激を受けていないのに、すでに硬く反り返っていた。感じきっていた。だからこそ内壁を壊す勢いで激しく動かす。いま前に触れたら絶対にみっともなく暴発する、それだったら後ろだけで達ってみせた方がいい。ウォンが見えやすいよう腿を開き、キースはしきりに身悶えした。
ふいに、ウォンの手がキースの手を押さえた。
「待って。もうちょっと我慢してください」
もう片方の手で前の根もとをやんわりしめつけ、てっぺんに優しく口づける。
「うんと濃いのを、飲みたい」
キースは思わず悲鳴をあげた。
「やだ、僕もウォンのにキスしたい」
「それもいいですね。でも、先に貴方を達かせたいんです」
「じゃあウォンの……ウォンのでして」
ウォンはゆっくり道具を引き抜いた。そして濡れきったキースの身体に、己を沈めた。広がりきっていたはずの場所に、ぴったりと収まる。
熱く脈打つものに犯されて、キースはホロリと涙をこぼした。
「君もこんなになってるのに、どうして焦らす」
「貴方がこんなに可愛いからですよ。でも私も、もう我慢できませんから……」
そして二人は激しく身体を打ちつけあい、そのまま絶頂にのぼりつめ。

「良かったでしょう、思ったより」
キースの涙を指先でぬぐいながら、ウォンは優しい声で尋ねる。
「意地の悪いことをきくな」
キースはぷい、とそっぽを向いた。
「だって、貴方の泣き顔があんまり可愛いから」
「悪い趣味だ」
「そうですか?」
ウォンはキースの頬を手ばさんだ。
「憂いを秘めた恋人の眼差し、涙に濡れた頬――それがどんなにそそるものか、貴方もご存じじゃないですか」
キースはドキッとした。
ウォンは……やっぱりウォンは、気づいている。
「言わせるな、そんなこと」
「無理に言わせるつもりはありませんが」
ウォンも昏い瞳に寂しさをにじませて、
「もし、貴方の悲しみが少しでも和らぐなら、一晩中責めて責めて責め尽くして、何も考えられないようにしてあげたい。けれど、癒えないのでしょう、そんなことでは」
「ウォン?」
後ろに手を回すと、ウォンは元結をはずした。
キースはさらに心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
飾りリボンの結び目の陰に、例の装置がつけられていた。テレパシーをジャミングし、自分の気持ちを相手に悟られぬようにする機械だ。たった今まで作動していたらしい。
つまりこれからいう台詞がウォンの本心。今まで隠してきたウォンの悲しみ。
「私は、騙されることも、泣かされることも耐えられます……それよりも、貴方が己を責めて苦しむことの方が、ずっと辛い。偽の微笑みを向けられる方が、傷つきます」
「ウォン」
「それとも私の泣き顔が見たくて、それで本心を隠しているの?」
「違……」
誘導されたことに気づいて、キースは口唇を噛んだ。
ウォンは小さくため息をついた。
「それでも、言えない、んですね?」
コクン、とうなずくキース。
銀色の髪に、ウォンは静かに掌を入れた。
「わかりました。それでは秘密は秘密のままに。だって貴方は」
憂いの表情すらこんなに美しいのですから、という言葉は、重ねた顔の間に消え……。

(2005.4脱稿)

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Written by Narihara Akira
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