『不 安』


「いけない。余計な物思いが増えてしまった」
キース・エヴァンズは人知れずため息をつく。
いちばん信頼してよいはずの、自分の右腕。
その男が時折、視線を翳らせる。
あの頼りない表情は、いったいなんだ?
「それとも、あれも君の手なのか」
裏でいろいろと画策する男だとは知っている。
簡単に心を読ませないだけの、高い能力ももっている。
だからこそ、キースは不安になる。
私をいたずらに不安にさせて、君に何のメリットがあるというのか――。


「ウォン、行くな」
身支度を終えて自室へ戻ろうとしていたウォンの袖を、キースは掴んだ。
「はい?」
ウォンは首を傾げた。
キースもすでに寝仕度を調えており、性戯の続きをせがんでいるのでないのは、真剣な表情からもわかる。だが、
「今晩は、あまりご満足いただけませんでしたか?」
あえてはぐらかすと、案の定キースは首をふって、
「教えてほしいことがある」
「なんでしょう」
「君が私から欲しいものは、いったいなんだ」
ウォンは微笑を浮かべ、キースの眼差しを受け流した。
「そのようなお気遣いは無用ですよ。私は自分の誕生日すら知らないのですから」
キースは眉を寄せる。
「誕生日を、知らない?」
「母も時を操る能力をもっていたせいで、私のうまれについては、いろいろと秘していたのです。彼女は正妻ではなかったので、相続につきものの争いを避けたかったのかもしれません。もしそうなら、それは徒労に終わってしまいましたが」
「そうだ、君は母親を亡くしているのだったな」
しんみりと呟くキース。ウォンはだが、むしろ皮肉な笑みを浮かべて、
「ええ。しかしこの力で、欲しい物はすべてを手に入れました。この世界は私のものですから、キース様はどうぞ、ご心配なく」
「世界の中心が君というわけか。中華思想だな」
「おやおや、バイキングの子孫で略奪を繰り返してきたイギリス人にいわれたくはないですねえ」
「イギリス人はみな、ゲルマン民族の子孫というわけではない」
「貴方の容姿はどうみても北欧系ですよ。それに、アヘン戦争というのをご存じですか」
キースは嫌な顔をした。
「イギリスと中国の戦争だな」
「麻薬の氾濫を恐れた当時の清国が、アヘンの流入を禁止したのは当然のことだったというのに、輸出先をもとめていたイギリスは、アヘンを輸入せよと軍事的圧力をかけたのですよ? しかもその戦争に勝利し、アヘンとひきかえに大量の銀をまきあげたのです。イギリス人のしたことは、バイキングよりよほどひどい所業ではありませんか? 世界の中心にいると思わなければ、そんなひどい踏みつけ方は、できないはずですがねえ」
キースは手を振った。
「わかった。悪かった。世界は君のものだったな。私のことなど気にしないでくれ」
「そうですか。では、ごゆっくりお休みください」
ウォンはそのまま部屋を出ていこうしたが、ふと長い髪を払ってくるりと振り返った。
「しかし、今さら、なんです?」
「なんでもない」
キースはぷい、と横をむいてしまった。
よくわかった、ウォンのことなど、心配する必要はないのだ、と。
あの不安そうな表情は、僕に向けられたものじゃないんだ。
それはそうだろう、いつだって最後までいいようにされてしまうのだ。何度もいかされ、犯される。君にとってノア総帥は、操りやすい傀儡で、キース・エヴァンズは、性のおもちゃに過ぎないんだろう?
でも、ならどうして「ひとつになりたい」という君の囁きは、いつも震えている?
優しすぎる抱擁も、たくさんのキスも、あれもぜんぶ、君の手管か。そうなのか。
「キース様」
ウォンは再び、ベッドに腰をおろした。
「貴方は、私の浅ましい願いを、ききたいのですね」
「浅ましい?」
「私は、貴方が乱れるのがみたい」
「は?」
「切ない声をあげて、すがりついてくる貴方がみたい」
キースは一瞬、何をいわれているのか、わからなかった。
ウォンは目を伏せた。その頬をうすあかくしながら、
「もし、私に抱かれるのが嫌なら、我慢して声を殺したりしないでください。私は、貴方が欲しくてたまりませんが……無理強いにして、嫌われたく、ない、のです」
キースは思わず、喉を鳴らした。
この大男が、こんな台詞を素直に吐くとは、夢にも思っていなかったからだ。
あの不安げな表情の理由が、まさかこんな単純なことだとは。
ほんとうに?
キースは静かな声を出した。
「浅ましいことなど、なにもない」
「キース様?」
「嫌ならさせない。たとえ君でも」
「たとえ、私でも?」
「とっくの昔に、僕たちはパートナーではなかったのか」
「それは……」
「心配するな。君の望む恋人になれるよう、努力しよう」
「そうですか」
ウォンは小さくため息をついた。
キースの申し出は嬉しい。
それゆえに、そうではないのですよ……とはいえなかった。
努力して欲しいのではない。
狂おしいほど、貴方に求めて欲しいのだ。
のたうちまわるほど、胸がはりさけるほど。
なぜなら私は、この世のすべてと引き換えてもいいほどに。
この場で殺してしまいかねないほど、貴方が欲しくて、たまらない。
なのに貴方は、こんなにそばにいるのに、何度も犯しているのに、そんな清らかな顔で、努力しよう、などとうそぶくのですね……。
「ウォン?」
いぶかしげなキースの前で、ウォンは首をふった。
「私は貴方を、めちゃくちゃにしてしまうでしょう」
「そんなことはない。君はじゅうぶん優しい」
「後悔しますよ。貴方はまだ、わかっていません」
「でも、君だって、僕をわかってないじゃないか」
キースの頬にも、うっすらと血がのぼる。
「だから、僕は……君ならいつだって部屋に戻れるから、終わっても帰らないで、朝までいてもいいだろうって、いう、わけじゃ、な……」
声も掠れてしまい、キースはさらに赤くなった。
ウォンは静かに、キースをベッドへ押し倒した。
「ほんとう?」
「……うん」
「愛しい、貴方」
「うん?」
「私で、いいのですね」
「うん」
「朝まで離しませんよ?」
「うん、嬉しい」
次の瞬間、キースは、息がとまりそうなぐらい強く抱きしめられ、そして気づいた。
不安だったのは自分も同じ。だからウォンの表情が気になって仕方なかったのだ。
それなら、僕は応えなければ。
豊かな腰に、キースは初めて、自分からそっと腕をまわした。
「ウォン。僕も、君のこと――」


(2010.4脱稿)

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Written by Narihara Akira
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