『憧れのハワイ航路』(33x27)

「ほーぅ? やるじゃねえか」
刹那が手にした訓練結果のプリントアウトを背後からのぞき込みながら、ガデスはおどけた声を出した。
「いい数字が並んでるじゃねえか。どうやらこの基地内の兵隊は、誰一人おめえにかなわなかったみてえだな」
刹那はキッと振り向き、相手をにらみつけた。
「本当はおまえだってそうだろう、ガデス。手加減したり、わざと負けたふりをしてたのは知ってるぞ」
ガデスは大声で笑った。
「かったるいから適当にやっつけただけだ。しかし俺もヤキが回ったもんだな、おめえに気付かれるようじゃ」
刹那は眉をつりあげて、
「あまり俺を嘗めるなよ、ガデス。何度おまえと本気で戦ったと思ってる」
「そうだったなあ」
ガデスは磊落に笑って、
「だがな、確かにてめえは強くなったぜ。サイキックだけに頼らねえで、真面目に基礎訓練を続けるこったな。タッパはあるし、リーチも長げえし、筋は悪くねえんだからよ、我流にこだわらなきゃ、もっとイケルぜ。増幅装置なんぞ必要なくなるかもしれねえ」
「え」
刹那の頬が薄く染まる。
腕っぷしをガデスに誉められたのは初めてで、お世辞だとわかっていてもちょっと嬉しいのだ。
「そんな、別に、世辞なんか言わなくたって……」
「世辞じゃねえさ。もうちょっと訓練を続けてみろ、突然身体が軽くなって、もっと自在に素早く動けるようになる日が来る。あと少しの辛抱で、目に見えて強くなるぜ」
「本当か」
「ああ」
ガデスは刹那の肩を抱き、ぐっと引き寄せて口の端をニッとつりあげた。
「なあ、訓練は終わったんだ、むさくるしい兵舎なんぞさっさと出ちまおうぜ。せっかく観光に来たんだからよ」
「俺達は遊びに来たんじゃないぞ。これは任務だ」
「カテェこと言うなよ。それに、ここでやることは終わったんだからよ、グダグダやってても仕方ねえじゃねえか」
「ああ。それもそうだな……」

オアフ島。
ハワイ諸島最大の都市、州都ホノルルの所在地である。ワイキキ・ビーチやダイヤモンドヘッドなどの観光名所が有名だが、パールハーバーをはじめ、海空軍の基地が幾つもある島で、米軍にとって太平洋上の最重要拠点でもある。
刹那とガデスは、オアフ島カイルアにあるベロウズ基地で、人工サイキッカーの試験を受けている兵隊の訓練をつけ、データを採取してくるように、との命を受け、アメリカ本土からホノルルへ飛び、軍のジープで基地まで飛ばしてきたのである。
初日の訓練は早朝に始まり、午後二時にはすべて終了した。すでに季節は秋も深いが、ハワイにはまだ暑気が残っているので、それ以降の訓練は適切でないと判断されたらしい。実際、刹那とガデスの二人を相手にした兵士達は声も出ないほどくたびれきっていて、続けるのは不可能な様子だった。
二人は基地を出て、ほど近いカイルアのビーチへジープを走らせる。
純白の砂浜。青く澄み切った海。
沖を行き交う、ウィンドサーフィンの若者達。
軍が近いせいか、風光明媚な場所の割には観光客の姿が少ない。
「いい眺めだぜ」
「ああ」
「浜へ降りてみねえか?」
「そうだな」
基地を出る時、軍服姿はあまりに目立つし暑いので、刹那はすっかり着替えていた。半袖のアロハシャツに白のバミューダパンツ、サングラスにサンダルという出で立ち。ほっそりとしたむき出しの膝下はほとんど産毛すら見えず、女のように美しい。
刹那は日焼けどめを軽くそちこちに擦り込む。本隊へ戻った時、さも遊んできたように思われるのは厭だからだ。
ガデスはそれを、目を細めて見つめている。冬場あまり日のあたらない国に住む白人は肌を大いに焼くことを好むが、ガデスは刹那の白い肌にそばかすがでたり、赤むけになったり醜くむらに黒ずむところを見たくないからだ。
「腕輪は外さねえのか?」
「ああ。こんなところでなくしたら困るからな。それにこの派手な格好なら、腕輪をつけてたってそんなに変じゃないだろう?」
サイキック増幅装置である両の腕輪はかなり大きなもので、ファッションとしてはいささか妙だが、外すのが不安だという気持ちはわからなくもない。万が一盗まれたとしても他の者が使える訳ではないし、機密保持のために自爆装置もついているのだが、盗まれる事自体が大失態となるからだ。
刹那の仕度がすむと、二人は浜辺を歩く。
きめの細かい砂が足に重いのか、刹那はあまり景色を楽しんでいる様子がない。それどころか変にキョロキョロしている。
「どうした? 腹でも痛ぇのか?」
刹那は小さく首を振った。
「命令に、現地でもしサイキッカーらしい者を見つけたら、捕獲するかデータをとれっていうのもあったろう。だから、これで……」
調べているんだ、と腕輪へ視線を投げる。増幅装置がサイキック探知機の役割も兼ねている、ということらしい。
「おまえなあ」
ガデスはあきれかえった。
どこまで馬鹿なんだ、こいつは。
確かに命令の最後の最後にそんなのがあった。だが、そんなのはあってなきがごとしの命令だ。自由時間にすることがなければ、サイキッカー狩りの真似ごとをしてもいいぞというだけのことで、訓練に差し障るようならするなよ、という程度の意味あいしかない。
こういう任務は公務員の一種の余録というか休暇のようなものなのだが、刹那にはそれがわからないのだろう。
「よく考えろ。基地からこんなに近い場所を、サイキッカーがそうウロウロしてる訳ねえだろ。よほどの馬鹿でもねえ限り、俺達に近づいてくる奴はいねえさ。探知機をつけてなきゃ見つけられねえほど弱いサイキックの持ち主なら軍には必要ねえ。俺の言ってる意味がわかるか?」
「でも」
「なあ、もっと楽しめよ。海が嫌いとか怖いとかじゃねえんだろ?」
「楽しめったって、どうすれば? ナンパなんかしたくないし」
「……」
なんと貧困な想像力。
ガデスはため息をついた。
刹那が海を気にいっていることはわかっていた。飛行機から海を見おろしている時、目の輝きが違っていた。海辺を走ると潮風に目を細め、かならず海を見つめていた。子供の頃河で泳いだことはあるらしいから、水自体は怖くないのだろうが、海はほとんど初めてで、どうしたらいいかがわかっていないらしい。こうらぼしをするとか水際で遊ぶとか、そんな単純なことでさえ知らなければできないものなのだろう。
「とにかくシャツだけ脱げよ。泳ごうぜ。泳げるんだろう?」
「海では泳いだことがない」
「なに、波に気をつけりゃいいだけの話だ。身体は海の方が浮くんだぜ」
ガデスは上を全部脱ぎ、下の付属品を外し靴を脱いだ。刹那はガデスの上半身が何故かまぶしい。見慣れている筈なのに、なんとなく視線を反らしてしまう。自分が脱ぐ気にもなれない。
ガデスはからかうように、
「腰抜けは岸で見てるか?」
「俺は別に腰抜けなんかじゃない」
「なら来いよ」
結局刹那はサングラスとサンダルだけ置いて、こわごわ水辺に近寄る。
「海の水を飲んだら死ぬって本当か? あんまり塩からいから、すぐに喉が乾いて死ぬっていうのは」
ガデスは思わず吹き出した。だが、刹那がカマトトぶっているのでなく、本気で怖がっている様子をみてふと真顔になり、
「そりゃあ、沢山飲めば誰だって溺れ死ぬさ。ま、おまえが溺れたら俺が人工呼吸してやるから心配すんな。腕輪が重くて沈んじまうっていうなら、俺が少し預かっててやってもいいぜ」
「馬鹿言うな。そんなに重くなんかない」
刹那は少しずつ水に身体をひたす。ガデスはしばらく見守っていたが、先に少し深いところへ行って泳ぎだしてしまう。刹那もそれを見習って、少しずつ泳ぎだす。
戸惑っていた顔がだんだん楽しげにほころんでくる。
そう、ここは南の海。
誰もが解放的になって楽しむバカンスの土地。
泳ぎ疲れた身体を浜辺で休め、二人並んで乾かしているうちに、刹那はすっかり和んできた。慣れない場での戦闘訓練で気持ちがささくれだち、身体が強張っていたことにも気付いた。こんな風に休むのも仕事のうちなのだと思えるようになってきた。
ふと、ガデスに触りたい、という強烈な熱情が刹那を襲った。
あの逞しい腕を引き寄せたい。あの厚い胸に頭をあずけて眠りたい。キスしたい。
今ここでそうできたら。
「どうした? 眠いのか、刹那?」
「別に」
「じゃあ、メシでも食いに行こうぜ。ここらはあんまり日本人もいねえし、静かで気のきいたメシ屋が揃ってる筈だ」
「そうか。なら、そろそろ行くか」
なにげない顔で返事をしながら、刹那は自分の欲情を恥じる。
まだ日のあるうちから、しかも人目のある場所で、何を考えてるんだ俺は。
「刹那、おまえ、着替えはどのぐらい用意してるんだ?」
「実はあんまりないんだ」
「そうか。まあ、そのまんまでもいいだろう。砂だけ落としていきゃあな」
「わかった」
服と肌についた砂を落として、二人は車へ戻る。
刹那は何も知らない。
ガデスが海中を泳ぐ刹那の姿に見とれ、何度抱きすくめたいと思っていたか、それをこらえるのにどんなに苦労していたか、まったく気付いていないのだった。

「なんで、兵舎でなくてバンガローなんだ?」
日が暮れかかると、再びガデスはオアフ島をジープで縦断した。
パールハーバーの方にある基地に行くのか、そこの兵舎に泊まるのかと思っていたのに、ガデスは澄まして基地周辺を走り抜け、海空軍の空港も素通りし、西海岸の閑静な町並みに入った。しばらく走るとパーキングにジープを入れ、首を傾げる刹那を連れてきたのはなんとも瀟洒なバンガローの一つ。
「何を言ってんだ。こんなとこまできて、男ばっかりのむさい宿舎に泊まることもねえだろ? これぐらいの贅沢ができねえで何が特殊部隊だ」
「でも」
刹那が意識しているのは全く別のことだった。近所に建っているバンガローにはどれも、ハネムーナーらしきカップルが泊まっている様子。男二人でこんなところへ来るのは、なにかあまりに場違いなようで。
こんな静かな処で声を出したら近所中に聞かれてしまうんじゃないか――そう思った途端、刹那は真っ赤になった。ガデスが兵舎に泊まりたがらず、こんなロマンティックな場所をわざわざ用意したのはそういう訳か。二人が出す声を、ここの兵士達に聞かれたくないから……。
「どうした?」
「なんでもない」
「入るぜ。とりあえずシャワーの一つも使いてえだろ?」
「それは確かにそうだが……」
海から上がった後、二人ともきちんと身体を洗っていない。刹那もシャワーを浴びたいのはやまやまだ。
「なら、いいじゃねえか」
「うん……」

シャワーを浴び、替えのシャツとズボンをつけて出てきたガデスは息をのんだ。
「刹那……」
大きな窓からたっぷりさしこむ銀いろの月光。
その中で淡く輝くハニーブロンド。憂いを秘めた菫色の瞳。シャワーの後、着替えとして用意されていたムームーをつけて、刹那は窓辺のテーブルで所在なさげにウェルカムフルーツの籠をいじっていた。もいだ葡萄の一粒をもてあそび、濡れた指先を赤い舌がチロリと嘗める。
その姿は妖艶で、それでいてどこかはかなげで、そしてどんな女よりも綺麗だった。
「え?」
刹那がこちらを振り仰いだ瞬間、ガデスは思わず視線を反らしてしまった。
「もう、腕輪は外しとけ。日焼け跡が残るぞ。こういう場所じゃ、月の光でだって肌が焼けるんだからよ。任務の最中でもねえんだし」
「そうだな」
刹那は両の腕輪を外し、コト、とテーブルの端に置いた。
もう、抱いていいのだ――そう思った瞬間、ガデスは室内に飾られていた花籠から、緋色のハイビスカスの花を抜いた。
刹那に近寄ると、その髪に差す。
「ガデス……?」
綺麗だぜ、とどうしても言えなくて、ガデスは笑みでごまかすように、
「似合うぜ、刹那」
「冗談はよせ」
「……冗談だ」
次の瞬間、ガデスは刹那を腕の中にさらいこんで甘く口づけていた。
パサ、と床へ落ちる花。
口唇が離れると、ガデスは低く囁いた。
「抱きたい」
「ガデス……」
刹那もさっきから胸がいっぱいで、抱かれたくてたまらないのだが、気がかりなことが二つあった。一つは、ベッドがセミダブルではあるけれども二つあること。この部屋はスイートではなくてツインなのだ。
そしてもう一つ、この大きな窓にカーテンがないこと。
「明るくて、恥ずかしい……」
「まあ、確かに少々明るすぎるがな」
ガデスは窓から離れたベッドの方に刹那を導きながら、
「誰ものぞきやしねえよ。こういう場所だ、誰も他の奴の濡れ場なんか気にしねえだろう。それに俺は、見られたってちっとも構わねえぜ」
明るいのは、ガデスにとってはいい事だ。
刹那の整った造作が、自分の下で柔らかく溶けてゆくのを見るのが好きだからだ。しなやかにくびれた肢体が喜びにのたうつのを見るのが好きだ。切なげに喘ぐ口唇。濡れる瞳。誰にもみせたくないと思う時もあるが、それよりもみせびらかしたい気持ちが強い。これが俺の惚れた相手だ、と自慢して歩きたい。
もし刹那が、それを許してくれるならの話だが。
返事がないので、焦れたガデスは更に尋ねる。
「そんなに明るいのが厭なのか?」
「え」
「おまえが厭でも、俺はもう我慢できねえ。責任とりな」
「あ」
熱い吐息と共に押し付けられる身体は確かに欲情していて、刹那は背筋がゾクッと震えるのを感じた。
ガデス、そんなに俺が欲しいんだ。
刹那の胸は熱く、苦しいほど脈うち始めた。
どうしよう。もっと淫らな言葉を囁かれたい。俺はおまえの身体が目当てなんだ、おまえの中、凄く具合いがいいんだぜって言われたい。
刹那の口唇から掠れた声が洩れる。
「ガデスが脱がせてくれるなら……いい」
次の瞬間、刹那の後ろでシュッと紐のほどける音がした。スルリと脱がされながらベッドに押し伏され、眩暈を感じて刹那は目を閉じた。

「刹那……刹那……」
名前を呼ばれるたびに、刹那はガデスにきゅっとすがりつく。もっと呼ばれたい。もっと欲しがってほしい。
「燃えてんじゃねえか、刹那。全然疲れてねえな。それとも昼間の戦闘訓練のせいで興奮してるのか?」
「馬鹿……」
興奮しているのは事実だった。
任務で一緒に行動することは何度もあったが、こんな遠くまできて二人きりになったのは初めてなのだ。そう思うと、刹那は何度も乱れ、燃え上がった。
「ガデス、俺……」
あんまり優しくしないで、とか、もっと激しく、とか言いたい。
それなのに、欲しいって言えない。
変だ、俺。
瞳を潤ませながらさらにしがみつく。
ガデスのをもっとむさぼりたい。ガデスをすっかり俺の虜にしたい。
月光の中でしきりに身悶えながら、刹那は必死に甘い声を殺した。
恥ずかしいから誰にもきかれたくない……ガデスにも。
だが、その口唇から小さな悲鳴が途切れなく洩れ出すようになるまで、たいして時間はかからなかった。何度も全身をつっぱらせながら、
「ガデス、俺、もう……!」

「ん……」
ぬるく弱いシャワーを頭から浴びながら、刹那はホウ、と満ち足りたため息をついた。
快楽を十二分に味わうと、身体だけでなく心も自然に和むものだ。甘い余韻にひたりながら、刹那は肌身を清めていく。情感はそちこちに残っていて、少しでも余計な刺激をすると再び燃え上がってしまいそうだ。
「良かった、自分で洗いにきて」
終わった後、ガデスは先にシャワーを使い、そしてしぼった熱いタオルを手に戻ってきた。いつものように情交の跡を拭ってくれるつもりだったらしい。いや、今晩は自分で綺麗にしてくる、と断わって、刹那はシャワールームへ逃げ込んだ。なんだか急に恥ずかしくなってしまったのだ。
「なんで今更……」
ガデスに優しく拭われるのは気持ちがよくて好きだ。疲れたろう、とねぎらってくれているみたいで。ガデスがシャワーを使う音をぼんやりききながら、期待して待っている時すらある。それなのに、今日に限って恥ずかしいなんて。
腿の間を、水流に混じって流れ落ちていくものがある。刹那は少し脚を開き、後ろから自分の蕾に指を差し入れてみる。
隙き間から、トロリと溢れ出す粘液。
刹那はそっと指を動かして、ぬるつく内壁を洗う。
「あ……っ」
情感が一気に押し寄せてきて、刹那は壁にぐったりと頬を押し付けた。
ガデスの指でされたい。ガデスの舌でここをぬぐわれたい。硬く熱くなったもので犯されたい。激しく。ゆっくり。あの逞しい腕にぐっと抱きしめられながら、達きたい。
「駄目だ」
刹那は水流の温度を調節し、興奮をさますために冷たくしてから全身に浴びた。
なんなんだ、俺は。
散々されたばかりなのに、まだ欲しいなんて。
いくらガデスが上手いからって。
無駄とごまかしのない愛撫。いやらしさのない、魂を吹き込まれるような口吻。あんなキスをされたら、そこらの女はそれだけでメロメロになるだろう。あの鋭い瞳に見つめられ抱きしめられて、まっすぐに快楽を引き出されて、最後は優しく清められたら……あんな風にされたら、どんな女だってもう二度と離れられない、あなたがいないと生きていけないって思うだろう。
それで何人泣かせてきたんだろう。何人に本気で惚れたんだろう。
刹那はふと、自分の胸の奥に奇妙なしめりけを感じて震えた。
俺は嫉妬してるのか? ガデスの今までの恋人に?
違う。そんなんじゃない。
なら、もっと愛されたいのか?
ガデスの愛情は穏やかで、限りなく友情に近いものだ。
そりゃあセックスは情熱的だし、もしガデスがその言い方を許してくれるなら、俺達はもう恋人同士といっていい関係なんだろうと思う。
でも、俺が一番つらい時にうんと親身にしてくれたのは、ガデスが誰にでも優しいからだ。だってあの時のガデスには下心のかけらも感じられなくて、だからこれは友情で、だから……。
「変だ、俺」
ガデスのいたわりが嬉しいのに、自然な思いやりが好きなのに、もっと乱暴なずる賢い男であって欲しいと思うなんて。
いや、そうじゃない。
馬鹿だな、何を考えてるんだ、俺。
なんでこんな変な気分になるんだろう。
ないものねだりか?
ガデスが俺のことを嫌いじゃなくて、俺もガデスが好きで、身体でも愛しあってて、それなのに何が不満なんだろう。もっと愛されたいって、いったい何をして欲しいんだ。だいたい、ガデスの愛情が友情だってなんだって構わないじゃないか。こんな風に仕事で一緒にいられるんだし。
その瞬間、刹那の胸に鋭い痛みが走った。
「俺、ガデスがどうしても必要なんだ」
側にいて欲しいんだ。友達でいいから。今、ガデスが俺の生活からいなくなったら、寂しくて辛くて絶対に耐えられないだろう。だって、失うことを想像するだけでこんなに苦しい。考えたくない。
どうしよう。
いや、どうしようってことはないんだ。今まで通りにふるまっていればいい。失うとか失わないとか余計なことを考える必要はない。もめたりもしてないし、ガデスに特定の恋人がいることもなさそうだし、別れる要因はとりあえず見あたらないんだから。
なら、俺は何を心配してるんだろう。
刹那は再び身体を洗い出す。用心して、丁寧に全身を清めていく。
馬鹿だ。
本当に馬鹿だ、俺は。
ガデス。
俺、やっぱり、おまえのこと、本当に……。

「……?」
ベッドへ戻ってくると、ガデスはこちらに背を向けて、静かな寝息をたてていた。
その広い背を見つめるうち、刹那の気持ちは落ち着いてきた。
少し狭いが、一緒のベッドに寝かせてもらおうと思い、彼はそっと毛布をめくって、ガデスの脇に身を横たえた。
ガデスの寝息の調子は変わらない。よく眠っているのを起こしてはいけないと思い、刹那はガデスに触れないよう、そっと背を向けた。
いったいなにをしてるんだろう、俺は。
小娘じゃあるまいし、一緒の布団で眠れるだけで嬉しいと思うなんて。
馬鹿みたいだ。
苦笑しかけた瞬間、ガデスがくるりと寝返りを打った。
驚いた刹那が身を縮めると、ガデスの腕が伸びてきて、するりと彼を胸の中へさらいこんだ。ぎゅうっと抱きしめて、いつもの甘い囁き声で、
「刹那……」
「やっ!」
刹那は反射的にガデスをつきのけていた。
駄目だ。今優しくされたら、今抱かれたら、俺は何を口走るかわからない。
おまえがいないと生きてけないって叫んでしまう。
ガデス。
「だ、駄目……」
口唇を噛みしめ、瞳に涙まで浮かべて堪えている刹那をみて、ガデスは驚いていた。ついさっきまで自分の下で快楽に喘いでいた相手が突然こんな反応を示せば、誰だってびっくりするに決っている。
「どうしたんだ、刹那」
「頼む。触らないでくれ、今は……」
自分でも支離滅裂だと思う。シャワーの後、一緒のベッドにもぐりこんできたのだ、続きをされたいんだろうと思われたってしかたない。
でも、今このまま愛撫されたら。
ガデスは目を伏せ、再びすうっと刹那に背を向けてしまった。
「……もう一つベッドがあるんだ、一緒に寝るのがいやなら、そっちへ行ったって構わねえんだぜ。そうされても、俺は別に気分を害したりしやしねえ。疲れてる時は、誰だってぐっすり眠りてえもんだからな」
「わかった。そうする」
刹那はベッドを降り、もう一つのベッドへ行く。
「……おやすみ、ガデス」
「おう」

翌朝、刹那がベッドで目覚めた時、ガデスは先に起きていた。刹那の私服を洗ってバスルームに干しておいてくれ、自分も顔をあたって身支度を整えていた。
そうか。
今日も、時間が来たらベロウズ基地の訓練場へ行かねばならないのだ。
だってこれはハネムーンでなく、単なる任務なのだから。
そう思うと心が重く、刹那はなかなか身を起こすことができなかった。
床に落ちたハイビスカスの花はしおれていた。
刹那の心そのままに。
例えば俺がもし女だったら、いつまでもガデスと一緒にいられるのか――。
刹那はようやく身を起こし、昨晩のムームーをつけて花を拾い上げた。もう髪に差せる状態ではないが、せめて何かのよすがに、と思って、手荷物の中に入れておいた薄い手帳に挟む。だって冗談でも、ガデスが似合うって言ってくれたし……。
「お、もう起きたのか?」
「うん」
「カイルアへ行くには少し早いが、飯の食える処ならもう開いてるぜ。行くか?」
「うん」

オープンベランダでの朝食はいささか冴えないものになった。
テーブルについてからというもの、刹那が下をむいたまま、ほとんどしゃべらないからだ。
「目、赤いぞ。……俺のせいか?」
ガデスの心配そうな声にも、刹那はろくろく返事もしない。食事もすすまない様子だ。顔をあげてガデスを見ることすらしない。少しでもよく見れば、ガデスの目も赤く、あまり眠れなかったことがいっぺんでわかるというのに。
「腹がそんなにすいてないなら、少し歩くか?」
刹那はこくりとうなずいた。まだうつむいたままだった。

店からしばらく歩いていくと、小さな教会があった。こういう処で式を挙げたい人間は少なくないらしく、案内板に今日式を挙げるらしい何組かの名前が連なっている。鐘の音もしていて、こんな朝早くから結婚式をやっているカップルがあるらしい。
二人はそのまま脇道を行き過ぎようとしたが、ふと刹那が足を止めた。
「あれ……二人ともウェディングドレスだ」
新郎の姿は何処にもなく、愛を誓いあっているのは二人の女性だった。
「女同士の結婚式なのか?」
刹那が目を丸くしていると、ガデスは合点顔で、
「ああ、そういや、ハワイ州は確か何年か前に合法になったんだったっけな。ほらよ、クリントンが合法化を約束したくせに結局一度廃案にしたんで、しばらくもめてニュースになったじゃねえか」
そんなニュースは刹那の記憶にない。ただ、アメリカは州ごとに法律の差が激しい国だ。本土から遠く離れたここなら、そういう地帯があっても何もおかしくないとは思う。
「まあよ、法律なんかどうだって、ずっと一緒にいたいと思えば、式ぐらいあげるだろう。女はキレイな服が好きだからよ、ああいうのに憧れがあって、とにかく着てみてえんじゃねえのか?」
言いながらガデスは、あのドレスを刹那に着せてもおかしくないな、とふと思った。普段から白を着つけている刹那は、あんなスタイルもきっと似合うだろう。女の服を着せるにはいささか身長がありすぎるかもしれないが、俺と並ぶならそんなにおかしくもあるまい。
ふん、馬鹿だな俺も。別に刹那と結婚したい訳でも嫁にしたい訳でもないのに、いったい何を考えてんだ。
刹那はずっと二人の花嫁を見つめつづけていた。
《法律なんかどうだって、ずっと一緒にいたいと思えば、式ぐらいあげる》。
そうか、ガデスもそういう気持ちを知ってるんだ。
好きなら一緒にいて不自然じゃないと思ってるんだ。
俺、やっぱりガデスとずっと一緒にいたいよ。
できればずっとガデスについていきたい。
そんなしおらしいことを言ったら、ガデスは驚くかもしれない。
笑うかも。
でも、一緒にいてやってもいいぜって答えてくれるかも。
ガデス、優しいし。
別に式をあげたいなんて思わないが、でも、あんな風にお互いに誓いをたてられるのなら――。
「なんだ、そんなに珍しいのか? それともおめえはああいう女が好みなのか?」
「まさか」
刹那は慌ててその場を離れた。
潮風が砂浜を歩く二人を洗う。昨日と違って天気があまりよくない。美しい浜辺もいささかどんよりとした色調に濁っている。海も静かではない。
ガデスは波打ち際まで歩いてゆく。刹那はそれを追う。
女に見とれていたから、もしかして、ガデス、怒ってしまったんだろうか……。
そういう意味で見てたんじゃないのに。
「ガデス」
「ん?」
「なあ」
「ん」
ガデスは生返事だった。空と海の色に気を取られているのだが、刹那はそれに気付かず、
「ガデスは俺が弱くてできそこないだから、優しくしてくれるのか、それとも……」
「あん?」
その瞬間、大きな波が砕け、岸辺に打ち寄せてきた。ガデスはそれをひょいとよけて、刹那の方へ戻ってきた。
「今、なんか言ったか、刹那?」
波の音でよく聞こえなかったらしい。刹那は首を振った。
「なんでもない」
俺はなんて馬鹿な質問をしようとしたんだろう。
俺は今の状態に充分満足してるんだ。これ以上何にもいらないんだ。
別に、ずっと一緒にいられなくたって。
ガデスはもう一度空を見上げた。
「どうやら今日は嵐が来そうだな。早めに出かけた方がいい」
「わかった。早めに基地に着いても、別にどうということもないしな」
「ああ、そういうこった」
二人は帰路を急ぐ。
彼らは二人とも知らない。
相手の胸が今日の空のように曇り、今日の海のように波だっていることを。
互いの愛の深さゆえに。

(1999.5脱稿/初出・恋人と時限爆弾『HEAVEN'S DRIVE』1999.7)

『ここより永遠に』(41x35+6)

1.

ぴったりドアをしめたら外の音はきこえないようになってる。だから、セツナはたぶん、ぼくがなんにもきいてないとおもってる。
でも、ほんのすこしドアをあければ、ぜんぶきこえてくるんだ。セツナはあの二人をうちの中にいっぽもいれないようにしてるけど、おばさんのキイキイ声、みみをすましてなくてもはっきりきこえる。
「もうあんまり時間がないと思うんですのよ、だってもう七月じゃありませんか。学校が始まってからでは遅い、とはお思いにならないんですか」
「遅いも何も、その話は何度もお断りしたはずですが」
セツナはひくい声でこたえる。ぼくにきかれたくないことだから、あんまりおおきな、たかい声をだせないんだ。でも、きっぱりこたえてる。
「あの子はうちで育てます。よそへは絶対やりません」
「あなたはトワちゃんが可哀相だと思わないんですか? まだあんなに小さいのに、母親の愛情を知らないでいるなんて。そのまま育っていいというんですか? 学校へ行ったら何を言われるか……親のそろわない家庭で育って、と悪口を言われるんですよ。トワちゃんのことを思えば、今のうちに里親に出すのが一番いいんです」
「奥さん、それは違います」
セツナはものすごくおこってる。声がこわい。
「口さがない連中は、何に対しても嫌がらせをします。もし永遠がこれからあなたがたの家に行ったとしても、《あそこは血がつながっていないからやはり行きとどかないのね》と悪口を言われることになるでしょう。永遠が捨てられてた子だって事実が変わる訳じゃありませんから。それに、あなたがた夫妻が絶対離婚しないって保証があるんですか? その時、永遠を押しつけあったり、捨てたりしない保証があるんですか? もし、後で血のつながった子供ができた時に、永遠をいじめないという絶対の保証がありますか?」
「なんですって!」
おばさんがかなきり声をあげる。
「まあまあ、おまえ」
もうひとり、とぐちにきているおじさんがやさしそうな声でなだめてる。
「セツナさん。私達が心配しているのはここの環境の事なんです。学校までかなり遠い。お宅では最初、学校へあげることすら悩んでいたようじゃないですか」
「その件はもう解決しています。俺達のどちらかが送り迎えするように決めました」
「それでも小さい子供にはつらい距離でしょう? それに、こう言っては失礼かと思うが、あなた方は人をやとう余裕もない小さな農家ではありませんか。経済的な余裕を考えるなら、私達夫妻に預けた方がいいとお思いになりませんか。うちでなら、トワちゃんに充分な教育やゆっくり遊ぶ時間を与えられます」
「それはつまり、トワがうちにいると貧乏で可哀相で、しかも馬鹿になり、遊ぶ暇もなくこきつかわれるようになる、と皮肉をおっしゃっている訳ですか」
セツナの声はさっきよりもっとこわくなった。
「いや、別にそんなことを言っているのでは……」
「確かに永遠は、立派な働き手です。すでにうちの貴重な労働力です。でも、こきつかってる訳じゃない。家族の一員として仕事をしてもらってるんです。大事なメンバーだからこそ、一緒に働いてもらっているんです。単に労働力として必要だからじゃない」
「ですが、家族の形というものが……」
「いいですか、俺達はあの子を愛してるんです。形だけの家よりも幸せにしてやる自信があります。子供を育てるぐらいの蓄えなら、うちにだってあります。俺達は、あの子の不幸せを願わないからこそ、ここで育てたいと思ってるんです」
「うちに来たら不幸せになるっていうの!」
おばさんの声がまたはねあがった。
「私が何も知らないと思ってるの? いい、この家には変な噂だってあるのよ、あそこは従兄弟同士だって言ってるけどなんだかアヤしいって。名前だって偽名らしいって。あなた達の家族ごっこにつきあわされて、トワちゃんもきっと迷惑よ。こんな家で育って何が幸せ……」
「よさないか、おまえ」
おじさんはおばさんをおしのけた。
「わかりました。日を改めてまた来ます。お考えが変わったらいつでもお電話下さい。たとえ真夜中でもすぐにトワちゃんを引き取りに参りますから」
「こちらからお電話することはまずありえないと思って下さい。俺達が二人とも殺されでもしない限り、あなた方に永遠をお預けすることはないでしょうし、殺されたら電話することもできませんしね」
セツナはばたんとドアをしめた。おいだされたおじさんおばさんは、外でまだぶつぶついってたみたいだけど、そのうちかえったみたいだった。
セツナはぼくのへやのほうにきた。ぼくはあわててぴったりドアをとじる。
セツナがよびりんをならした。
ぼくはわざとゆっくりドアをあけた。みんなきいてたってこと、しられたくないから。
「……セツナ、ごようじおわったの?」
「ああ。待ったか、永遠?」
「ううん、そんなに」
「じゃあ草とりにいこう。準備はできたか」
「うん。ふくきがえた。てぶくろはめた。どうぐもった。ぼうしもかぶるよ」
「よし。じゃあ行くぞ」

ぼくのなまえは《トワ》。
もうすぐ六さい。
まだ一さいぐらいのころ、セツナにひろわれてこのいえにきた。秋のさむい日、ぼくはかわのそばにすてられてないてたんだって。セツナはまきあつめにきてぼくをみつけて、つれかえってくれたんだ。セツナは父ちゃん(父ちゃんのなまえはガデスっていうんだ)と、ぼくの親をいっしょうけんめいさがしてくれた。でもけっきょくみつからなくて、セツナと父ちゃんはそうだんして、ふたりでぼくをそだてることにきめた。四つのたんじょうび(ほんとうのはわからないからセツナがきめた日)に、セツナがはじめてその話をしてくれた。それから父ちゃんが、「血なんかつながってなくたって、セツナと俺がおまえの親だからな」っていった。ぼくははじめから父ちゃんを父ちゃんてよんでたし、まえにてれびでお母さんのいないいえの話もみたことあったし、なんにもふしぎにおもわなかった。なにかかわるのってきいたら、なんにもかわらないんだよってセツナがいったからあんしんした。「永遠はおれたちの大事な子なんだよ」っていわれて、うれしかった。
さいきん、さっきのおじさんおばさんみたいな人たちがときどきくる。ぼくをひきとりたいっていうんだ。あのひとたちはぼくの親じゃない。それなのに、ぼくを子どもにしたいっていうんだ。セツナはそのたびにことわってる。ぼくはよそなんかいきたくないから、うれしい。たまに「永遠はよその家の子になりたいことあるか?」ってきかれることがあるけど、「よそなんかやだ。ずっと父ちゃんとセツナのところにいたい」ってへんじする。セツナ、そのとき、うんとうれしそうなかおする。こどもみたいだ。
でも、ひとつだけまえからきになってることがあるんだ。
ひとつだけ、なんだけど。
「セツナ。こっちおわった。これでいい?」
「ああ、いま見にいく」
いわれたところの草とりがおわったから、セツナにしらせた。
草とりはだいじなしごとだから、たいへんだけどまいにち、すこしずつやる。ただ草をぬくだけじゃなくて、さくもつにおかしなところがないかみるんだ。虫くいとか、色がかわってるとことか。ちょっとでもおかしかったらセツナにしらせる。水がたりないじめんをみつけたときも、セツナにしらせる。
きょうはへんなところはない。草もきれいにとれた。じょそうぎく(ほんとうはまりーごーるどってなまえなんだ)はちゃんとのこした。これをぬくと、よけいな草がいっぱいはえてくるようになるから、ぬかないようにきをつけるんだよってセツナがいってたから。
セツナはてぶくろの手で、ぼくのむぎわらぼうしの上をなでてくれる。
「よし、これでいい。すごくきれいになったな。永遠は仕事がていねいで上手だ。ガデスだってこんなにうまくできないぞ。えらいえらい」
「じゃあ、むこうの畑もやる?」
「そうだな。でもその前に、少し休んでからな」
セツナとこかげにすわって、いっしょにあまいたんさんすいをのむ。これはしごとのごほうびなんだ。父ちゃんはたんさんすいはからい、はらがふくれるしのどにつかえるから子どもののむもんじゃないっていうけど、セツナがシューッってきかいでつくって、ぎんいろのすいとうに氷といっしょにつめてくれるのは、ぜんぜんからくない。ちょっとのどにつかえることはあるけど。
だから、セツナとふたりのとき、こっそりのむ。父ちゃんにないしょで。
「そろそろかぼちゃの収穫をしないとな。とうもろこしも来週あたりから適当につまないと……忙しくなるな。ガデスにも永遠にも、うんと手伝ってもらわないとな」
「うん。てつだう」
父ちゃんは、畑がいそがしくないときは牛のせわをしてる。あさミルクをしぼってうりにいって、かえってきてから牛をこやから出して、こやのそうじをして、えさをやってる。きょうもたぶんそうしてる。ぼくもたまに牛のせわにいくときがある。でも畑のほうがいそがしそうだし、畑のほうがぼくもうまくできるから、だいたい畑にくる。セツナ、たいへんそうだから。
セツナはたんさんすいをのみおわっても、なんだかぼんやりしてる。
「セツナ、つかれた?」
「いや。永遠ががんばってくれてるから、今日はだいぶ早く終わりそうだ。だから少し多く休んでも大丈夫なんだよ。あわてないで、ゆっくりのんでていいからな」
「うん」
ぼくはセツナによりかかる。あつい日だけど、こかげだから、セツナあついっていわないだろうとおもって。
「ねえ」
「なんだ?」
「ぼく、なんでセツナを《父ちゃん》てよんだら、いけないの?」
セツナのからだがびくっとなる。それからかたくなる。
なんでだろ。
どうしてセツナは、この話をするときだけ、へんなかおになって、からだをかたくするんだろう。
ぼくは、それがずっときになってる。
セツナはこっちをみない。
「永遠の父ちゃんはガデスだろう。父ちゃんが二人いたら、区別がつかなくなるじゃないか。だから、俺はセツナなんだ」
「でもセツナ、父さんとか、パパとかよぶのもだめだっていうよね。なんでだめなの?」
セツナはこっちをみてくれない。
「駄目なものは駄目だ。父さんもパパも駄目だ」
「それじゃ、おやじっていうのもだめ?」
《おやじ》もてれびでおぼえたことばだ。ちょっとカッコイイから、つかってみたい。
でも、セツナはもっとふきげんになった。
「親父も駄目だ」
「なんで?」
セツナのシャツをひっぱる。こっちをみてほしいから。
「いま父ちゃんはここにいないんだから、セツナを父ちゃんてよんでもいいでしょ? ガデスはおとこの親だから父ちゃんなんでしょ。セツナもおとこの親なんだから、父ちゃんじゃなきゃへんだよ」
「変でもなんでも、俺はそう呼ばれたくないんだ」
「なんで?」
「なんででも駄目だ。いやなんだ」
「……わかった。じゃあよばない」
セツナのシャツからてをはなす。ちょっとはなれてすわる。
そしたら、セツナのかお、すこしふきげんじゃなくなった。
「今日は仕事が進んでるから、早めに家に戻って昼飯にするか。むこうの畑は午後でもいいだろう」
「おひるごはん? きょうのおひるなに?」
「ガデスが朝サンドイッチをつくっていってくれたから、それを一緒に食べよう。あと、永遠の好きな甘いトマトが冷やしてある。そのまま食べるか? それともジュースにするか?」
「セツナがつくってくれるなら、ジュース」
「永遠、じぶんでしぼれるだろ?」
「セツナがつくるのがおいしいんだもん」
じぶんでもしぼれるけど、すごくじかんがかかる。セツナはぬらしたぬのにつつんだトマトをギュッギュッてしぼってあっというまにつくってくれる。それからこおりとおさとうをいれてかきまぜてのむ。あついひ、いちばんおいしいおやつ。父ちゃんのごはん、おいしいけど、セツナののみものもおいしい。どっちもほしい。
「……だめ?」
セツナ、すこしだけわらった。
「わかったよ。俺がつくってやる」

おひるをたべて、それからおかたづけをした。
セツナ、またぼんやりしてる。
つかれてるのかな、セツナ。いっしょにおひるねしたほうがいいのかな。
「セツナ。どうしたの?」
「うん」
セツナはためいきをついた。
「俺は、おまえの親なんだよな……」
「?」
「永遠。ちょっとここへおいで」
「うん」
セツナはぼくをかかえて、それからひざの上にのせた。
「いつも、これだけは忘れないでくれ。俺は、世界中の誰を敵に回そうと、最後の最後までおまえの味方だからな。もし、おまえの本当の親があらわれて、おまえが生まれた家に戻る日が来ても、ずっとおまえが好きだ。おまえが育って一人前になって、仕事のためにここを遠く離れるようになってもだ。おまえが誰かを好きになって、別の家に住むようになってもだ」
セツナのかおは、しんけんだった。
ぜんぶはわからないけど、セツナがぼくをすきだっていってるのはわかった。
「じゃあセツナ、もし父ちゃんがてきになっても、ぼくのみかたしてくれるの?」
こうきいたら、セツナ、こまるとおもった。セツナは父ちゃんがだいすきだからだ。でも、セツナはすぐにうなずいてくれた。
「ああ。ガデスを敵に回しても、おまえの味方をしてやる」
「ほんと?」
「ああ」
うれしくて、ぼくはセツナのくびにしがみついた。
「じゃあセツナ、ぼくのこと、せかいでいちばんすき?」
「いいや。二番だ」
「えーっ」
セツナのいちばんがぼくじゃないなら、いちばんはだれだかきまってる。
でも、ガデスをてきにしても、ぼくのみかたしてくれるっていったのに。
「セツナ、ぼくのこときらいなの?」
「嫌いなもんか。大好きだ。味方するっていったろう?」
「うん……」
セツナはぼくのあたまをなでながら、
「さて、草とりの続きをしなきゃな。永遠はどうする? つかれてないか? おひるねするか?」
「つかれてない。セツナといっしょにいく」
「そうか。じゃあ行こう」
ぼくはもういちどぼうしをかぶる。てぶくろをはめて、それからセツナのあとについて畑にいく。
ぎんいろのすいとうには、あたらしいたんさんすいがはいってる。
のこりの草とりが、はんぶんぐらいおわったらのむぶんだ。
きょうはあついから、きっとおいしい。あさとおんなじぐらいおいしい、きっと。
でも、なんだかあさよりすいとうがおもたいきがする。くびとかたがいたい。
のろのろあるいてたら、セツナがふりむいた。
「どうした、永遠?」
「なんでもない……」
いい。もうきかない。
だって、あのことだけはどうしてもへんじしてもらえないもん。
セツナ。
セツナはどうして父ちゃんてよばれたらヤなの?

2.

子供にとって親同士の仲がいいにこしたことはないが、子供の教育上、親の濡れ場をズバリみせてしまうのはよくないことだ。
だから、ガデスと刹那の寝室には中から鍵がかかるようになっている。完全防音になっている。もし夜、永遠がめざめて二人に用事があるという時には、ベルを鳴らして知らせるように教えてある。
ある晩、ガデスが寝る前に本を読んでやっていると、永遠がぽつんとこう尋ねてきた時がある。
「よるになると、なんで父ちゃんたちはドアにカギをかけるの?」
ガデスは読みさしの絵本を閉じ、永遠の頭をポン、と叩いた。
「あのな。父ちゃんと刹那は仲良しだろ。うんと仲良しだと、ほかにはきかれたくない話もあるんだ。誰にも邪魔されずにな、喧嘩したい時があるんだ」
「父ちゃん、セツナとけんかするの?」
「ああ。でも、もっと仲良くするためにケンカするんだ。だから永遠は心配しなくていい。父ちゃんと刹那が仲良しになったら、父ちゃんと永遠ももっと仲良しになるからな。刹那も永遠にもっと優しくなるからな」
「わかった。じゃあ、じゃましない」
永遠は素直にうなずいた。
ガデスはよし、と子供の薄茶の髪を撫で、
「いい子だ、永遠。邪魔してもいいのは、永遠の身体の具合が悪い時だ。それから、誰かが来た時だ。もし、窓の外に知らない顔が見えたらすぐベルを鳴らせ。わかったな」
「うん」
永遠のやつ、納得してくれたらしいぞ、とガデスが刹那にしらせ、二人はほっと安堵した。
物心つかない頃の子供は、しょっちゅう熱を出したり体調を崩したりする。それはそれで手がかかるが、夜は早くからぐっすり眠ってしまい、二人が愛し合っている最中に邪魔しにきたりすることはまずない。問題は、子供が物心ついて夜起きていられるようになり、二人が何をしているかうっすら理解できるようになってから発生するのだ。
二人は家自体を補強することにした。壁とドアの防音処置。防弾強化ガラス。各部の耐火処理。ドアだけでなく、永遠の部屋から直通のベル。家の周囲と部屋の各部に、侵入者と各種異常を探知するセンサー。一見ほったて小屋にしか見えないのだが、ここは退役軍人であるサイキッカーと元サイキッカーで軍の重要機密であった男の住む家である。人里離れた場所で物騒だということもあり、これぐらいの準備は永遠がこの家にこなくても、初めからされてしかるべきことだった。
そして、ここまで準備ができているのだから、夜二人が仲むつまじくあるのになんの障害もない筈で。
それなのにその晩、刹那はかぶりのパジャマを着てさっさと先にベッドにもぐりこんでしまった。キスの一つもせずに先に寝てしまうことは、よほど疲れている時でなければ珍しいので、ガデスは着替えもそこそこに刹那の脇へ滑り込んだ。
「どうした、刹那」
抱き寄せようとすると、刹那はその腕をおしのける。
「ごめん。……今晩はしたくない」
「なんだ? 具合でも悪いのか?」
「うん。なんとなくだるくて。暑気あたりかも」
「そうか。ならいい」
それ以上重ねて問うことをせず、ガデスは刹那に背を向けた。
昼に何かあったな――俺がいない間、例のうるさい夫婦でも訪ねてきて、余計なことを言いやがったんだろう。ひろった頃は悩みもしたが、俺達はもう永遠をよそへやることを考えていない。永遠は俺達になついてる。たとえ実の親が迎えにこようと、永遠が俺達を選ぶなら、絶対連れていかせやしない。永遠は俺達の可愛い子供なんだ。
だが、昼の間一緒にいることの多い刹那は、そこまで割り切れていないらしい。永遠が幸せになるなら、手放してもいいと思っている時もあるようだ。ままごとみたいな農家の仕事につきあわせてもいいのか、ここで育てていて本当に永遠のためになるのか、等々悩んむこともある様子だ。やたらに悩めばいいというものではないが、それだけ悩むというのは愛あってこその事。ガデスは、そんな刹那が可愛いし愛しい。子供にするように、頭をそっと撫でてやりたくなる。
ふと、刹那の方からガデスの背に身を寄せてくる。
「……ガデス」
「ん?」
「俺、馬鹿なんだ」
「馬鹿って、いったいなにをやらかしたんだ?」
「永遠に、俺のこと、絶対親父って呼ぶなって言った」
ガデスは低く笑った。
「別にいいじゃねえか。永遠は俺のことを父ちゃんて呼んでるんだからよ。そう呼んでほしくなけりゃ、きっぱりいうことをきかせるのもしつけのうちだ。それともなにか、おめえを《ママ》と呼べってしつけようってえのか?」
刹那はガデスの背に頬を押し付けたまま、
「俺は永遠の母親じゃない。そんなことは俺だって要求しない」
「じゃあ、馬鹿なんかやらかしてねえじゃねえか。永遠だって、夕食の時、別に変な顔はしてなかったぞ」
「でも俺、永遠のこと好きだけど、でも世界で二番だって……言った」
「刹那?」
背中がなまあたたかく濡れだしたのに気付いて、ガデスははっと身を起こした。
刹那が泣いている。
「俺、おとなげないよ……」
「なに泣いてんだ刹那。それぐらいの冗談、子供だってわかる。永遠だってそんなに気にしてねえさ。なにもおまえが泣くこたねえだろう」
刹那は首を振った。
「違う。ガデス、わかってない。俺、冗談で二番だって言ったんじゃない。本気で二番だとしか言えなかったんだ」
「刹那」
「永遠は自分が捨てられてた子だって知ってる。でも、俺達を親だと思ってる。だから本当はガデスの一番でもいたいし、俺の一番でもいたいはずだ。そうじゃないと不安なはずだ。俺だって母さんが出ていった時はつらかった。俺は母さんの一番じゃないんだと思ったら涙が出た。永遠は敏感で、頭のいい子だ。俺が二番て言ったのが本気だと察してるはずだ。すごく苦しいはずなんだ。それなのに、俺、永遠の気持ちがよくわかるのに、二番て言った……」
ガデスは指で刹那の目元をぬぐってやりながら、
「なんで二番だなんて言ったんだ? おまえ、永遠が一番好きだろう? 誰にも負けないぐらい、永遠のことが好きじゃねえか」
「違う。俺の一番はガデスだ」
「おまえ……」
「言いたかったよ、永遠が一番だって。だって、永遠への気持ちとガデスへの気持ちは違うんだから。違う好きなんだから、一番だって言ってもいいと思った。でも、どうしても言えなかった」
泣き濡れた菫色の瞳が、ガデスの視線をさけるように伏せられる。
「母さんを恨んで、親父を憎んで、だから俺、親と名のつくものは嫌いだった。人の親になりたいと思ったこともなかった。永遠に会うまでは。……でも俺、やっぱり親失格なんだ。だって、一番だって言えない。嫌ってるよりひどいよ。だって、くだらない焼き餅のせいで言えないんだから……馬鹿みたいだ、立場が違うのに、永遠に焼き餅やくなんて、俺……」
ああ、とガデスはすべてを了解した。
恋人が何に対してもがき苦しんでいるのかを。
刹那はどうして親父と呼ばれたくないのか――それは、どうしてもぬぐえない実父への憎しみのせいだ。母に捨てられた嘆きをわかちあい、ずっと愛してきた父。それなのに土壇場で彼を守ってくれようともせず、それどころか刹那を罵ってすべての信頼を裏切ってくれた父親。そんな親と同じ存在にはなりたくないのだ。
そして、どうして永遠は二番なのか。
ガデスの前で、刹那は一人の子供なのだ。子供として、父親の寵愛が欲しいのだ。子供として、永遠よりも愛されたいのだ。永遠のことは好きだけれど、ガデスに一番に愛されたいから、永遠より誠実でなければいけないから、自分はガデスを一番と言わなければならないとかたく思いこんでいるのだ。
それを、幼いとあきれ、愚かなと笑うのは簡単だ。
しかし、刹那の底にある根深い絶望をかいまみたことのあるガデスは、刹那の告白を笑うことはなかった。秘められた刹那の望みをちゃんと受け止めてやりたいと思った。
「刹那」
「うん」
「永遠に、自分の名前の意味をちゃんと教えてやろうぜ。刹那がどんな思いを込めて、トワって名前をつけたのか」
「あ、俺、教えてなかったか……?」
「前に話していてもいい、何度でも教えてやろう」
トワ――永遠を意味するこの言葉を刹那が知ったのは、まだ軍に在籍していた頃のことだった。人工サイキッカーである刹那を快く思わないT補佐官が、ある時刹那をこんな風に皮肉ったのだった。
「どうせおまえは使い捨てなんだ。なにしろ名前が《刹那》なんだからな。刹那というのは、ちょっとの間持てばそれでいいという意味の日本語なんだからな。少佐がおまえのことを大事に思っているなら、《永遠》って名でもつけたろうさ。とこしえにながらえろってな」
T補佐官は実は日系人で、日本語を多少なりとも知っていたらしく、ウォンの名付け方の大ざっぱさをそう揶揄したのだったが、日本語をまったく知らない刹那にとって、《セツナ》の方が《トワ》より響きの美しい名前に思えた。ただ、とこしえにながらえる、というのも美しい言葉だ。刹那は少佐に《永遠》の文字の書き方を教わり、書いたものを大事にしまっておいた。
それからいろんなことがあった。少佐との関係が終わり、ガデスと結ばれて、そして二人で暮らすようになり。
この田舎に二人が居を定めて三年と少したった頃、刹那は一人の幼な子を拾った。
その子供は名も素性もわからなかった。服にも持ち物にも何も記されていなかったからだ。言葉らしきものは少ししゃべれたが、名前は言えなかった。ガデスと刹那は子供の親をさがしたが、とりあえず仮の名をつけることにした。河辺で拾ったんだから《リバー》とでもつけるか、とガデスが冗談を言うと、刹那が「捨て子に川太郎じゃあんまりだ、それならトワにしよう」と言い出したのだった。子供なんだから、少しでも長命を願った名前がいいと。
わざわざ日本語の名を付ける必要はないだろう、とガデスは反対したのだが、とりあえず仮の名前なんだし、と刹那が主張して《永遠》に決まった。
今ではガデスもこの名を気に入っている。永遠本人もだ。
「刹那。おめえは親なんだ。名付け親なんだからよ。永遠のことが好きで、ちゃんと面倒みてるんだからよ、それだけで充分立派な親だろう?」
「それは……でも……」
刹那が言葉を濁していると、ガデスはぽんぽんとその背を叩いた。
「刹那。俺はよ、傭兵として沢山人間を殺してきた。仕事でやったことだ、しかたねえことだったと思ってる。だがよ、俺ももう四十をすぎた。ここらへんで、人を生かす方を本気でやろうと思う。だからよ、おめえがつらいと思う時は、俺が親業のぜんぶをやってやるさ。俺の牛よりおめえの畑の方が大変なんだから、それぐらいでつりあいがとれるようになんだろう。だから、あんまり無理すんな」
「ガデス」
刹那も相手の背にそっと腕を回した。
厚い胸に頬をうずめながら、
「あの、今更、なんだけど……今からしたいって言ったら、駄目か?」
「駄目だな」
「え」
ガデスの瞳は笑っていた。
「おめえがくだらねえ雑音を忘れなきゃ、駄目だ」
「くだらない……?」
「永遠が大事なのは俺も同じだ。おめえと一緒に、悩んだり考えたりしなきゃいけねえと思ってる。それをくだらねえとは思ってねえさ。だがよ、今だけは忘れろ。俺としてる時は、俺にだけ集中しろ。抱いてる間は、俺もおめえのことしか考えねえ。そうじゃなきゃ、気持ちよくもなんともねえし、する意味がねえだろ?」
「ガデス」
刹那の瞳が潤みだす。今度は涙でなく、熱っぽい輝きで。
「わかった。今だけ、全部忘れる……」

「あうっ、はっ……」
突き上げられて、何度目かの絶頂を懸命にこらえる刹那。きつく締めつけられながら、ガデスの腰は動きをとめない。
「おまえの中、奥までびしょ濡れだぜ……きこえてんだろう、この音」
掠れ声で囁かれて、刹那の中心は限界まで熱くなる。
それでもまだガデスが欲しくて、刹那は喘ぐ。
「もっと……もっと中、濡らしてぇ……」
「よし、たっぷり注いでやるぜ」
「あ、ふ」
ガデスの動きが激しくなる。
濡れた音が間断なく響く。
きれぎれの悲鳴が刹那の口唇から洩れる。つくった声でなく、身体の底からわきあがるほんものの喜びの声。蠢きのとまらない身体。
「ガデス……もっとぉ……」
「!」
こらえきれなくなったガデスが、たて続けに熱情を刹那の中に吐き出す。
刹那も我慢しきれず、自分のものをほとばしらせる。
溢れ出す体液が二人の肌を流れ、シーツを濡らす。
「う……ん……」
まだ、ひくりひくりと動き続けている二人の身体。
一つにからみあったまま、興奮がしずまるのをじっと待つ。
「満足したか?」
「ガデスは?」
「充分だ」
「俺も……」
陶酔の底で、刹那の思考がふとさまよい出す。
身体の愛情はいずれさめる、と多くの男が言う。
そういう関係になって長いし、ガデスもいずれ俺に飽きる日がくるんだろう。その時、ガデスが外で新しい恋人をつくってもしかたないと思う。でも、それでもずっとガデスと暮らしたい。永遠と一緒に暮らしたい。
それを家族ごっこだ、おまえのエゴだ、と罵る奴はこれからも現れるだろう。
だがもう、俺は雑音なんか気にしない。
だって、俺にはガデスが必要で、永遠が必要なんだ。
だから、もし二人が一緒でいいと言ってくれるなら。
「どうした、刹那?」
「ガデス。……愛してる」
刹那はガデスの頬傷に口づける。
「俺もだ」
二人は互いを清めあう。汚れたものをまとめて片付けると、新しいシーツの上に横たわる。
刹那はもう一度ガデスに寄り添って、
「明日になったら、俺、永遠に話をする……うまく言えるかどうかわからないけど、永遠が必要なんだって、永遠が好きだって言うよ。そういう言葉って、何度きいても嬉しいものだから、繰り返し言ってやる。もし永遠が俺を父さんて呼びたいなら、呼ばせてもいい。それで永遠が不安でなくなるなら、それでもいい」
「今までどおり、セツナって呼ばせときゃあいいんじゃねえか? たぶん永遠も我が儘は言わねえと思うぜ。おまえが永遠を好きだってことは、充分わかってると思うが」
「そうかな……」
とその時、ドアベルがリン、と鳴った。
驚いてベッドを飛び出したのはガデスが先だった。
「どうした、永遠。何かあったか?」
「父ちゃん……」
熊のぬいぐるみを抱えた永遠が、ドアの外に裸足で立っていた。
「あのね。セツナ、起きてる?」
「起きてる」
刹那も慌ててパジャマをかぶってドアまで来た。
「どうした、永遠?」
「セツナ。ぼく、セツナのこと、父さんてよばないから。二ばんでいいから。父ちゃんとセツナがてきになってほしくないから」
永遠の瞳に大粒の光が盛り上がる。
「だから、ぼくのこと、よそのいえにやらないで……」
父ちゃんとセツナと、ずっといっしょにいたいんだ、と永遠は泣き出す。
昼間から一人でずっと考えていたのだろう。
いろんなことを自分のはかりにかけて、何が一番大切なのか、その小さな頭で一生懸命考えたのだろう。
そして永遠なりに出した答が、これ。
刹那は我が子を抱き上げて、その額にじぶんの額を押し付けた。
「永遠。それは俺もおんなじ気持ちだ。永遠にずっとここにいてほしいよ」
「ほんと……?」
「ああ」
言ったとおりだろ、とガデスが目くばせをする。そうだな、と刹那も目くばせを返す。
一番大事なことは、やはり伝わるものなのだ。
刹那は永遠を床へ降ろしてやりながら、
「永遠。今晩はみんなで一緒に寝ようか」
「いいの?」
「ああ。でも、今夜だけだぞ。これから暑くなるからな」
「うん」
三人は並んでベッドへ入る。
永遠が刹那の胸の上で安らかな寝息をたてはじめると、ガデスが刹那の額にそっと口唇を押す。
「可愛いぜ……」
「うん。永遠、やっぱり可愛いや」
「馬鹿。おまえのことだ」
「永遠が一緒なんだから、そういうのはもうナシだったら」
「馬鹿だな」
ガデスは毛布を引き寄せて、二人の肩を覆った。
「そういう意味でいったんじゃねえ。おめえが一番可愛いってことだ」
「え、何が? 永遠が大人だってことか?」
「わからねえなら、それでいい」
おまえと同じように、俺もおまえを一番好きだってことさ、とは言わずに、ガデスは横になる。
「おまえももう眠っとけ」
「うん」
刹那は安心して目を閉じる。
「おやすみ」
眠りに落ちた二人のおもざしを見つめて、ガデスは太い息をつく。
刹那と永遠はどことなく似ている。もし刹那が女だったら、母親を名乗っても疑われないのではないかと思うほど。
だが、もし刹那が女だったら、永遠が今よりもっと幸せになれるという訳でもない。
こんな家族があってもいい、とガデスは思うのだった。
いつか永遠がここを出ていって、俺達二人だけになっても、刹那と俺は家族のままだぜ。
それをいつか、刹那に言ってやろう。
ガデスも眠ることにし、横になって目を閉じる。
三人分のぬくもりの中で、穏やかな永遠を願いながら。

(1999.5脱稿/初出・恋人と時限爆弾『HEAVEN'S DRIVE』1999.7)

『瞳で愛して』(41x35)

その夜、ガデスが寝室の鍵をかけた瞬間、刹那は部屋のあかりをパチンと消した。
闇夜なので、中も真っ暗。
「おい」
夜目がきかないでもないが、手さぐりで愛しあうのはあまり好きではない。するとマッチをする微かな音がして、窓辺にぼんやり蝋燭の火が燃え上がった。
淡い光の中で、刹那がこちらを見つめている。
「ガデス」
「どうした?」
「……今晩は、瞳で愛して」
「瞳で?」
「いいから、黙って、俺のこと見つめて」
ガデスは口をつぐみ、刹那を見つめた。
この片田舎の家に一緒に住むようになって八年。刹那ももう三十代半ばで、さすがに二十代のみずみずしさはなくなった。だが、その容貌は変わらず美しい。見事にくびれた身体の線も崩れていない。
愛しい。
ガデスは、急にわきあがってきた感情の強さに驚いた。
愛しい。愛しくてたまらない。その可憐な口唇を吸いたい。抱きしめたい。甘い喘ぎをききたい。感じる場所を探って、喜びに狂わせてやりたい。
抱きたい、という言葉をのみこんで見つめているのが辛くなってきた。
刹那は濡れたような瞳でガデスを見つめ返していたが、ふと頬を背け、暖かいいろの光の中で、パジャマの上をゆっくりと脱ぎ出した。そしてシャツも。ガデスが刹那の言葉を守って、その場に立ち尽くしたまま無言でじっと見つめ続けていると、刹那はパジャマの下もとった。
下着一枚で立つ刹那。その頬は蝋燭のあかりでもわかるほど赤くなっていた。下着の一か所が硬く膨らんでいて、ガデスの視線だけで刹那がすっかり興奮してしまっているのはあきらかだった。
ガデスの喉から掠れ声が洩れた。
「もう、我慢できねえ」
次の瞬間、刹那はベッドの上に押し倒されていた。ガデスの掌が、肌が、口唇が、夢中になって刹那の全身をむさぼる。刹那は抵抗しなかった。それどころかすがりついてきた。二人は火のように熱くなり、我を忘れて愛しあった。蝋燭の火が尽きても、闇の底でいつまでももつれあい絡みあった。

翌朝。
「……燃えたな」
「うん」
疲れた身体を投げ出して、甘いため息をつく二人。もう抱きあってはいない。
「おまえ、焦らすの上手くなったな」
刹那はそっとガデスに寄り添うようにして、
「焦らそうと思って、《瞳で愛して》って言った訳じゃないんだ……昨日疲れてて、なんか触られたい気分じゃなくて……でも、ガデスに見つめられたら少し落ち着くかと思って。そしたら、見られてるうちに身体が火照ってきちゃって……あんなに熱く見つめてくれるなんて思ってなかったから……」
「最近、見つめあうことなんか、なかったからな」
八年の歳月は長い。互いの存在にすっかり慣れてしまって、ロマンティックな気持ちを忘れてしまう時もある。
刹那が眠たげな声で呟く。
「もうしばらくこうしてたいけど、そろそろ永遠が起きてきちゃうかな」
「そうだな」
二人は着替えをすませ、ベッドを離れた。
部屋の鍵を外して出ようとした刹那の手を、ふとガデスが押しとどめた。
「刹那」
「なに?」
「あのよ」
ガデスの右目が動いた。それから照れたように目蓋を伏せて、囁いた。
「……一緒にいる時は、いつでも瞳で愛してるからな」

(1999.7脱稿/初出・恋人と時限爆弾『HEAVEN'S DRIVE』1999.7)

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