『博 愛』

「どうしたんだ、それは」
それ以上、言葉が出なかった。
白く滑らかなうなじがほんのり、チャイナカラーからのぞいている。
そこまでバッサリ、あの黒髪を短く切り落としてしまうとは。
どんなに暑い夏の日も、ふんわり結んで涼しい顔をしていたのに。
「うっとおしいので、軽くしただけです」
ウォンはデスクに肘をついてうつむいたまま、当たり前のように答えた。
だが。
「短くすると、テレパシーの受信能力が弱くなるとか言ってなかったか」
「あれは冗談ですよ。貴方だって、その尖った前髪で超能力を発生させている訳ではないでしょう?」
「それはそうだが」
だが、毛髪に特殊な力が宿るという概念は、あまり馬鹿にしたものではない、とキースは思う。誰かを呪う時に相手の髪を使うというのはよく聞く話だし、髪の一房をお守りにしたり、形見に残したりする話は、洋の東西を問わずあるからだ。
「心配しないでください、キース。必ず帰りますから」
ウォンはやっと振り向いた。
磨かれた眼鏡も、不思議な笑顔もいつものままだ。
しかし、額には乱れた黒髪が散って。
「待て、どこへいくつもりだ」
「貴方が行ってはいけないところです」
「ウォン!」
そう叫んだ瞬間、キース・エヴァンズは飛び起きた。
「……なんて、嫌な夢を」
まて。
今のは夢か、本当に?
ウォンが昨夜、ちょっと急用で、と出かけていったのは事実だ。
変な気あたりがして、キースはベッドから飛び降り、デスクの引き出しを開けた。
黒髪が一房切られて、そこに納められていた。
赤い糸で束ねられ、白紙が添えてある。そこにはウォンの走り書きで、
「貴方は本当は、争いを好まない人です。孤独を好むようでいて、他人との和を第一とし、折りあうことができるのなら、誰とでも共存しようとする人です。ですから貴方は、決して来てはいけません。私の帰りを待ってください。くれぐれもよろしくお願いします」
キースは凍りついた。
どんな危険な場所に行く時も、何のためらいを見せないあの男が、これほどの覚悟を?
そこまで強大な敵が、今どこにいる?
ろくな準備もせずに飛び出さねばならないほどの緊急事態ならば、基地が、街全体が騒然としているはずだ。キースをおとなしく寝かせておきはすまい。
だが、場所的に遠い支部が襲われていて、その敵が、どうしてもキースにはあわせたくない存在であるなら?
まさか。
「バーン……」
キースが唱えた【サイキッカーの理想郷】という概念は、バーン・グリフィスにはどうしてもなじまなかった。そんなものがなくても共に暮らせる、と彼は言った。しかしそれは、あくまで普通の人間のふりをしている間だけのこと、正体を知られてしまえば穏やかな生活など送れはしない。だから、いざという時のための逃げ込む場所、普段からのびのびと呼吸のできる場所が必要なのだ、とキースはかつての親友に伝えた。我々がやっているのはテロではない、あくまで自衛の、政治的な行為なのだと。
だが、どれだけ説いても、その考えは理解してもらえなかった。
それがキースにとって、どれだけ悲しいことだったか。
ウォンのいうとおり、本来のキースは和を尊ぶ。必要な時は戦うが、争いは好まない。むしろバーンの方が一匹狼な側面があり、自分の気に入らないことは力で解決してしまおうとする時がある。
もしバーンが気をかえて、再び我々に敵対行動をとる日が来たら。
ウォンは彼を倒すだろう。
彼のパワーは並みでない、押さえるために大変な苦労をするからだ。
「やめてくれ……」
ウォンが一人で危険な目に遭ったら。
バーンは今でも、ウォンのことを良く思ってはいないだろう。
だからといって、二人が命のとりあいをするのは、もう。
「頼む、やめてくれ、二人とも……」
飛んでいきたい。
だが行けない。
どちらの味方もできない。
キースがその場にいあわせたら、別の意味でも修羅場になることは必至だ。
思わず呻き声が漏れる。
「今すぐ帰ってこい、リチャード・ウォン!」
ふっと空気が動いた。
「……はい、キース様」
焦げ茶のスーツ姿の男が、キースの目の前に立った。
髪が短い。眼鏡すらかけていない。炎の匂いを漂わせて、薄く微笑む。
「戻りました。終わりましたので」
「終わった? バーンをどうした」
「グリフィスくんですか? どうもしません。だいたい、自由を愛する小鳥は空へ放すのが、貴方のやり方でしょう? 私もそれに従って処理するよう、心がけていますよ」
「何があった」
ウォンは軽く袖口の汚れを払いながら、
「例の第四勢力……いや、第五勢力ですかね。彼らが組織化して、グリフィスくんに粉をかけたという情報が入ったので、様子を見てきたんです。案の定、強引な勧誘が気に入らなくて暴れていたので、かんたんに仲裁してきました。ええ、もう大丈夫ですから」
「そのために、わざわざ君がでたのか」
ウォンは小さくうなずいた。
「ああいう手合いに、あまり目立ったことをされてもうっとおしいですからね。ましてグリフィスくんが下手な組織に洗脳されて、私たちの敵として現れる等という展開は、ぜひとも避けたいところですから。それこそ、第三次超能力大戦の勃発です」
キースの声は思わず尖った。
「君が出ていったら、それこそ目立ったろう」
「これでも一応、変装していったつもりなんですよ」
「そんな大男がそう沢山いるものか。髪を切ったぐらいで、バーンが騙せるか」
「いや、もちろん彼を騙そうとした訳ではありません。ただ、表だって私が彼を助けたということになると、後々面倒ですから、形だけでも別人らしくしようかと」
「ウォン」
「はい」
あまり心配させるな、と言いかけて、キースは口をつぐんだ。
どうしてウォンが、何も言わずに出たか。
言えば自分は、必ず止めた。
そしてウォンはなんでもないような顔をしているが、なんでもなかったはずはない。
うまくバーンを逃がすために、彼はどれだけ骨を折ったろう。
その案配をうまくやるために、己で出撃したのだろうから。
すまない。僕のために。
「怪我は、ないんだな?」
「もちろんです」
「確かめる」
キースはいきなり、ウォンの服を乱し始めた。
「ああ、そんなに慌てないで」
「君がいけないんだ、君が……!」
そのままベッドへもつれこむ。
キースの愛撫の真剣さに、ウォンも平静を保っていられなくなって……。

いつも以上に激しい交わりの果てに、キースはぐったりとその身体を寛い胸の上に投げ出した。
「ウォン」
「……はい?」
「そんなに僕が好きか」
「そんなに、とは?」
「昔の友達と今の君を天秤にかけて、選べない僕が本当に好きか」
「いつもそんなに博愛なんて、妬けますね、とカラんでいいのかもしれませんが……」
キースの髪を撫でながら、ウォンは微笑む。
「友達思いは美徳ですし、貴方にあんなに求められた後ですから。幸せです」
「博愛なんかじゃないぞ、僕は」
「はい?」
キースはキュッと身体を押しつけた。
「君だけは……君だけはもう、失いたくない」
ウォンもやっと、顔色をあらためた。
「貴方の心を傷つけたくないと思いながら、苦しめてしまいました」
「いや、その気持ちは嬉しい。だが、こんなことをしてまで」
キースは短く切られた髪の端を握りしめる。
「すみませんでした。でも、幸せで」
恋人を強く抱き返して、ウォンは深く息を吐いた。
「あらためて、“君だけは”などと言われると、本当に……」

(2006.2脱稿)

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Written by Narihara Akira
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