『安 眠』

「おや」
暗くひかる、銀いろの石でつくられた腕輪。
それはキースのデスクに無雑作に放り込まれていた。
「いったいいつ、こんなものを」
うっすら曇っているところもあり、キースが身につけたことがあるのは間違いなさそうだが、ウォンはこれを初めて見る。
「ヘマタイト、ですね」
ヘマタイトは鉄鉱石で、色味が落ち着いているので男性がお守りがわりに身につけてもおかしくないものだ。血の巡りをよくし、心を落ち着かせる効能があるという。水瓶座に縁のある石だし、質も悪くないようだ。キースに合わないことはない。
だが。
どこで買ったのか?
もらったのか?
だとしたら誰から?
どういう興味で身につけた?

それでも最初の違和感は、本当にかすかなものだった。
いつでも簡単に打ち消せるほどの――。

★      ★      ★

「おかえり、ウォン」
キースは優しい微笑みで出迎えた。
一週間ほど離れていたこともあり、ウォンは正直、キースが欲しくてたまらなかった。
身体が熱い。交わりたい。貴方を淫らにむさぼりたい。
なのにウォンは一瞬、抱擁をためらった。
「……どうした?」
キースは怪訝そうにウォンを見上げる。
「貴方が恋しかったのです」
「ああ、僕もだ」
嬉しそうにうなずくキースを、ウォンはやっと抱きしめる。
キースの心はむしろ、非常に安定しているように感じられた。
さびしかった、欲しかった、というより、くすぐったそうにしている。
「貴方の中で、何度も果てたい」
キースはコクン、とうなずいた。
「僕も今夜は、ゆっくり愛されたい」
その頬にうすく赤いいろがさしているのを見た瞬間、ウォンはささいな違和感を忘れてしまった。
「貴方の全身を、愛し尽くしますとも……!」

翌朝。
キースは先に起きて、簡単な朝食まで用意していた。
「君がいつ戻るかわからなかったから、昨日のうちに下準備をしてあったんだ」
爽やかな笑顔でテーブルに手招く。
「それはどうも」
ウォンも目覚めはすっきりしていた。
昨夜はとてもよかった。じゅうぶん時間をかけて愛しあった。キースは感じやすく、そして羞じらいも忘れておらず、ウォンは身も心も満たされて眠りについた。つまり健康な男性としては、元気いっぱいでなければならない朝だ。
だが。
「どうした、疲れが残っているのか?」
「いえ、そんなことは」
自分でもわけがわからない。
なぜ、この朝の食卓に、キースの笑顔に、不自然さを感じるのか。
「まあ、今日はゆっくりやすんでくれ」
「いえ、ですから疲れているわけでは」
「冷めないうちに食べてほしいと思うのは、わがままか」
「いえ、いただきます」
キースはナイフを動かしながら、
「昼と夜は、君のお手製が食べたいな」
「ええ、それはもちろん」

腕をふるったランチの後、ウォンは自分の書斎へ戻った。
「特に異常はないようですがねぇ」
ウォンが数日、キースと離れたのは、新たな拠点確保のためだった。シェルターとして機能させるつもりのものだが、不安要素が浮上したため、直接見に行くことにしたのだった。資金的なもの、人材的な問題、安全性、そして建築物の外観まで再検討して、とりあえず使えると判断して、帰ってきた。
ウォンの留守中、キースも動いていた。資金面の補強と安全性の強化、それ以外の仕事もすすめてくれている。
つまりこのプロジェクトは、予想以上に進行していた。
「……おや」
キースの行動記録を見直して、ウォンは首を傾げた。
「これが正しいとすると、キース・エヴァンズはここ数日、四時間ずつしか寝ていないことになりますね」
超能力者とて休養の時間は必要だ。むしろ通常の人間より、疲労回復に時間がかかる時もある。寝不足では能率もさがる、若いキースも通常は六、七時間寝ている。
違和感の正体は、これなのだろうか?
「私をはやく帰らせるために、ここまでしてくださったのでしょうが」
キースの顔色が良すぎる。
なぜあんなに元気なのだ。
心臓の鼓動が早くなっている自分に気づいて、ウォンは苦笑した。
「フ、この私が、何を恐れているのやら」
仕事がすすんでいるのはいいことだ。
自分の留守中に誰かが入り込んでいる、ということもありえない。セキュリティチェックは万全だ。
もしかするとキースは、非常に滋養のつくものを密かに摂っていたのかもしれない。それこそ頭が冴えてしまって、眠れないようなものを。
「まあ、あれこれ詮索するのはやめておきましょう」
貴方が笑顔で、落ち着いていて、きちんと仕事をしている。
なにより私を心から愛してくれている。
それ以上、なにを望もうというのだ?
ささやかな秘密のひとつぐらい、残っていてもかまうまい。
恋人を疑って、その目に鬼を見る必要はないのだ。
「それよりも……」
ベッドでもっと、リチャード、と呼んでくれたらいいのに。
貴方の声が掠れて、Rの音しか響かない時、胸がどんなにときめくか、貴方は知らないのでしょうね。
ああ、今晩もたっぷり愛したい。
もう私は帰ってきたのですから、貴方はゆっくり朝寝をしてよいのですよ?
若いうちというのは、眠いものなのですから。

ウォンはその時、自分をごまかしてしまった。
正直でありさえすればいいというものでもないが、疑いを隠して相手を見ると、それこそ目が曇ってしまうのだということを、彼は、忘れていた。
時を重ねれば重ねるほど妄想はふくらみ、意図しない方へ歪んでしまう、ということも。

★      ★      ★

「ヘマタイト、ですね」
キースのデスクで銀色の腕輪を見つけてから、ウォンは急に落ちつかなくなった。
人からもらったものなら、誰からなのか気になる。
キースが自分で買ったのなら、理由が気になる。
なぜならヘマタイトは、男性の精力を増強するといわれているからだ。
知らないで身につけているのだろうか。
いや、知る・知らない以前に、なぜ私の前でつけないのか。
まさか、腕輪をつけて他の誰かと――いや、それはありえない。絶対に。
だが最近、キースはベッドでも涼やかだ。
その理由がつまり、別なところで満たされているのだったら。
ウォンは疼きを感じていた。
それは嫉妬というより、腰のあたりがもやもやとする感覚。
犯したい。
めちゃくちゃにしたい。
全身を濡らされてもなお私を求めるような、性欲の奴隷にしてしまいたい。
貴方を――。
ウォンは淫らな妄想をむりやり心の奥へ押し込んだ。
もしかして、ひそかに誘われているのかもしれない。言葉でないもので「抱いて」とねだられているのかも。それとも「抱きたい」?
「……どちらでも、同じことですね」
腕輪のことを秘密にしていることなのかどうかすらわからないのに、あれこれ考えても無駄なことだ。
いつもどおりに過ごして、しばらく様子をみるしかない。
そう、しばらくは。

予定より早く仕事が終わったある午後。
ウォンはキースが書斎にいないことに気付いた。
「こんな時間に?」
ウォンは寝室に向かった。
そうか。
キースの睡眠時間が短いのは、昼に仮眠をとっているからなのか。
それなら午後の効率があがっていても、なんの不思議もない。
なぜ今まで、そんな単純なことも見抜けなかったのだろう。
仮眠ならこっそりとるに決まっている、私の目を盗んで当たり前だ。
ウォンはぐっすり眠っている恋人のベッド脇に立った。
その左手首に鈍くひかっているのは、あの、銀いろの腕輪。
なんということだ……!
私に秘密にして、そんなものと添い寝しているなんて。
それとも、今この瞬間も、貴方は誘っているのですか?
キースのまぶたが震えた。
ウォンは恋人に顔を近づけた。
「……よく、眠ってらっしゃいましたね」
キースはハッと身を起こした。
「ずいぶん早く戻ったんだな」
慌てている。ではこれはやはり誘惑ではないのか。
ウォンは複雑な心持ちのまま、微笑を浮かべた。
「貴方のサポートが的確なので、最近とても順調なのですよ」
「サポートしてくれるのは、君の方だろう」
ウォンはそれに答えず、キースの左手をとった。
「素敵な腕輪をつけてらっしゃいますね、キース」
「ああ、これか」
キースは首をすくめた。
しかしまったく悪びれない様子だ。
つまり、やましい相手からもらったのではないということだ。
「ヘマタイトですね?」
「よく知っているな」
「職業柄、貴金属の類は、ええ」
そこでウォンは口をつぐんだ。
何をきいていいのか、わからない。
なぜ隠していたのですかとなじるのは、気分的にあまりにも今さらだ。
何に嫉妬しているのか、自分にさえ説明できないのに。
微妙な静けさに、キースは首を傾げた。
「どうした、ウォン」
「その石の効能をご存じですか」
「知り合いにもらったものだから、効能があるかどうかは知らない」
「貴方がアクセサリーの類を身につけているのは、珍しいことなのに?」
ウォンは目をそらした。
「どうした」
「単に、気に入ってらっしゃるということですか」
「やきもちか? 妬くような相手ではないぞ」
「それでも、気になります」
ウォンはキースの耳元に口唇を寄せた。
「……精力増強」
「え」
「と、いわれています」
キースは赤くなった。
「ご存じなかったのですか」
「ああ、うん」
ウォンはうっすら安堵の気持ちを覚えた。
そうか。知らなかったのか。単に気に入ってつけていただけか。
「仕事がすすむのはありがたいですし、そんな時期でもないだろうからと遠慮していたのです。なのに、隠れてそんな……満足してらっしゃらなかったなんて」
キースはウォンの頬に手を触れた。
「君も、つけてみるか」
「そういう装身具は、持ち主をやたらに変えてはいけない種類のものです」
「リチャード」
なだめるようにキースは囁く。
「ほんとに効くのなら、知りたいから」
Rの音をきいた瞬間、ウォンの腰のあたりが、ふたたび妖しくうずき出した。
「効きますとも。近くにあるだけで、誘っています」
ウォンはキースの口唇をついばんだ。
「困りますよ、本当に。貴方がこれ以上魅力的になったら、私はどうしたら……」
顔が離れると、キースは囁きかえした。
「迷うことはない……抱いて、リチャード」

(2008.5脱稿)

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Written by Narihara Akira
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