『前 線』


日が暮れてくると、心が落ち着く。
空のいろが見たくなって、キース・エヴァンズは自室を出た。
いちばん見晴らしのよい部屋の窓をあけ、ベランダへでた。
空は少しずつ、青から色を変えはじめている。
息を吹き返したような心地になって、キースは外の空気を吸った。
朝から雑務に追われていた彼にとって、これは解放のひとときのはずだった。
しかし、彼が考えていることは。
「理想郷、か……」
バーン・グリフィスのいったとおり、今のノアは理想郷ではない。
施設こそ整ったが、中身は野戦病院か、最前線だ。
自分の力に傷ついたものは、それを封印しようともがき苦しみ、自分の力に目覚めて自信をもった者は、力のつかいどころを求めて暴走しようとする。
それを制御するだけで、今のキースは精一杯だ。
しかしいずれ、サイキッカーが平和に暮らせる場所を、理想郷とよべるものを、つくる。
つくらなければならない。
それが自分に課せられた使命だ。
そのために、次に何を、なすべきなのか――。

その瞬間、キースの腰に、大きな掌がそっと添えられた。
いたわるような、あたたかな掌。
誰だ、ときくまでもない。いつの間に、と驚く必要もない。
リチャード・ウォンだ。
潤沢な資金をノア秘密基地につぎ込み、力の研究に余念のない東洋人。
時と空間を支配する、神出鬼没のサイキッカー。
昏い瞳の底にゆらめく青い炎の正体は、今なお消せない同族への復讐心か、世界征服の野望か、それとも別種の熱情か。
キースは長い睫毛を伏せた。
「……まだ、明るい」
キースがそう呟いた瞬間、ウォンは若い身体を抱き寄せ、その口唇を吸い上げていた。
珍しく、キースはウォンの胸を押し返した。
「誰か、見る」
そういいながらも、キースの白すぎる頬は赤らみ、アイスブルーの瞳も潤んでいる。
ウォンはキースの腰を抱く腕の力を強め、
「見られるのは、お嫌ですか」
キースは目を伏せた。
「それは別に構わない」
「構わない?」
ウォンが眉をよせる。キースはうつむいたまま、
「ただ、ここは前線だ。そして見晴らしのいい場所だ。結界ははってあるが、どこかの物陰に狙撃手か超能力者がしのびこんでいて、私か君を撃つかもしれない。それは嫌だ」
「では、ベッドへゆきましょう」
「じきに夕食だろう」
「私は貴方が食べたいのです。今すぐに」
「あわてなくても、逃げたりしない」
ウォンは腕の力をゆるめた。
「貴方の口唇からこぼれる言葉のひとつひとつが、私をこんなに誘っているのに……ですか?」
そういいながらも、身体を離す。
キースは顔をあげ、ウォンの瞳をじっと見つめた。
「だから、嫌だとはいっていない」
ウォンの顔が輝いた。
次の瞬間、キースは自室のベッドの上にいた。
もちろん、ウォンの下だ。

遅い夕食は、ウォンが部屋に運んできた。
テーブルに盆を載せると、
「大丈夫ですか、キース様」
「なんとか、な」
キースは大儀そうに服を整えながら、
「君こそ、平気なのか」
「もちろんです」
「私は、今晩はもう、仕事になりそうにもないが」
「お手伝いしましょう。なんなりとお申し付けください」
ウォンは、嬉しそうな様子をまったく隠さない。
つまり、ほんとうに嬉しいのだ。
「どうした、そんなにニコニコして」
「貴方の言葉をつい、反芻してしまって……嫌だとはいっていない、だなんて」
「そんなことか」
「ええ」
「僕が不愉快に思っていなければ、なんでもいいのか?」
キースはため息をついた。
「君の気持ちは、それっぽっちで満足してしまう程度のものか」
不満げなキースに、ウォンは静かな声で、
「いいえ。もっとたくさんのものを、貴方からもう、受け取っていますから」
「何をだ」
「貴方の優しさ。愛情。そして、思いやり……」
「いつ、どこでだ」
「ベランダで私に囁いたことを、忘れてしまったのですか?」
「忘れてはいないが、それがどうした」
「貴方らしい。自覚がないのですね、どんなにすごい殺し文句を並べたか」
キースは自分の台詞を思い返し、あ、と小さな声をもらした。
ウォンはうなずいた。
「自覚がないということは、あれはつまり、貴方の本心。拒むような仕草をしながら、見られても構わない、なんて大胆な台詞を吐くのですから、たまりません」
キースはそっぽを向いた。
「惚れ直したとでもいいたいのか」
「永遠に、貴方の隣にいたいと思いました。たとえそれが、私だけに向けられた優しさでなくとも」
「ウォン?」
「本当は、貴方は平和を愛する人です。同胞と共にあろうとする人です。ですから私にも優しくするのでしょう?」
キースは驚いてウォンの顔を見た。
ウォンはもう、笑っていなかった。
「いいのです、私は貴方の役に立ちたいだけなのです。ここが前線などと、悲しいことを、貴方にいわせたくない。ですから仕事をしましょう」
「ちがう」
「なにがです?」
「君は他の同志とは違う。君は、本当に……僕を……」
心の底から僕を好きで、僕からの好意がもっと欲しい、と思っているのではないのか?
どうしてそんな、寂しそうな顔をする。
いつものように、愛しています、と囁いてくれればいいじゃないか。
そういおうとして、喉がつまる。
なぜだ。なぜ胸が苦しい?
「キース様?」
キースは目を伏せた。低い声で、
「私は、ノアで、君を一番、信頼している。……だが、僕を一番、困らせているのも、君、なんだ」
ウォンは立ち上がった。
「たしかに、今晩は仕事になりそうもありませんね」
キースの背後にまわり、その肩に優しく掌を触れた。
「食事が終わったら、ベッドへ戻りましょう。明日の朝まで、貴方をずっと、抱いています」
「ウォン?」
「それが貴方の望みではないのですか」
「それは……」
そうなのだが、ウォンの様子がおかしいのが気になる。
しかし、次にふってきた声は、笑いを含んでいた。
「もっと困らせた方がいいなら、そうしましょうか?」
「いつだって君は好きにしてきたんだ、これからもそうすればいいだろう」
「ふふ」
ウォンは身をかがめ、キースの耳たぶを軽く噛んだ。ビクリと震えるキースの首に腕を回し、
「では、お言葉に甘えて、たっぷり、好きにしますね」


(2010.3脱稿)

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Written by Narihara Akira
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