『約束の土地』


「目をさませ!」という声が、どこかで聞こえた気がした。
それはとても懐かしい声。
と同時に、あまりにつらすぎる台詞でもあり。
《起きたくない……》
できることならいつまでも、涼しく静かな場所で、まどろんでいたい。
《でも、誰かか僕をみつめてる。ずっと僕を待ってる。……誰だ?》
アイスブルーの瞳が、うすく開いた。
ゆらめく水面。
たゆたう身体。口元には酸素マスク。腕には点滴らしい管。
どうやら、集中治療用カプセルの中にいるようだ。
その外は、薄暗い部屋のようで。
どこなんだ、ここは。
だが、見覚えのある顔がぼんやり見える。こちらを見下ろしている。
声に出さず、キース・エヴァンズは呼んでみた。
《リチャード・ウォン》
《はい》
《ここは、ノアではないようだな》
《ええ》
《ノアはどうなった》
《新生ノアとして、バーン・グリフィスが総帥となり、ベルフロンド兄妹の補佐のもと、集ったサイキッカーを保護しています》
キースは思わず、大きく目を見開いた。
《本当か?》
《信じがたい状況ですが、本当です。お疑いでしたら、ご自分でお調べください》
《ああ、それも道理だ》
キースは大きく息を吸った。
《もしかして、ここは、君が探りをいれていた米軍内部か》
《ええ》
《実験動物として、この身体を弄ばれているようでもないが?》
《私が貴方を、他の者に、指いっぽんでも触れさせると思うのですか》
《ああ、そうだった》
キースは目を閉じた。
《ありがとう。あのひどい有様を見かねて、僕をかくまってくれたんだな、ありがとう》
ウォンは、カプセルの前にガクンと膝をついた。
《ゆるして、くださるのですか》
《ゆるす?》
《私は貴方をノアから引き離し、身も心も傷つけ、籠の鳥にしてしまったのですよ》
《だが、ノアが滅びたわけじゃないんだろう? それに、僕を傷つけたのは、君じゃない。バーンだ》
《キース様》
《バーン・グリフィスが僕と闘うために戻ってきた時、すべてが終わったと思った。こうして生きながらえているのが不思議なぐらいだ。むしろ、僕の方が、君を傷つけていたはずだ》
《貴方が、私を?》
《謝まらなければならないのは、僕の方だろう。君の気持ちを知っていたのに、バーンと心中しようとしたんだから……君にとっては、ずいぶんとひどい、裏切りだったろう?》
ウォンは黙っている。
黙って頬を、涙で濡らしているようだ。
キースはやっと気がついた。長い夢の間に、大人のすすり泣きを何度もきいた。あれはウォンの泣き声だったのだと。
そんな風に泣くなんて、想像もしなかった。
いつも自信たっぷりな、ポーカーフェイスの持ち主だったのに。
いや、キースの前では、ウォンはいつも、誠実な恋人だった。
ノア基地内でおこったあの爆発も、命の削りあいを見ていられず、決定的なことになる前にやめさせようとしたのに違いあるまい、とキースは思った。
《君はいま、軍属なのか、ウォン》
ウォンは頬をぬぐいながら、
《ええ》
《僕をかくまったりして大丈夫か。君の立場は?》
《私のここでの立場など、あってなきがごとしですよ。名目上、超能力者部隊の司令官としてここにいますが、軍にとっては厄介者、利用するだけ利用して、あとで始末するつもりなのでしょう》
《それならなおさら、危ない橋を渡らぬ方がいいだろう》
《ここは、結界の原理を応用した、超能力を遮断してもらさぬ部屋です。貴方と会話していても、誰に聞かれることもありません》
《なるほど、たしかに籠の鳥だな。誰も僕がここにいることを知らず、体力の戻っていない僕は、ここを脱出する力もない。この命は、すっかり君に握られているというわけだ》
虚をつかれたらしいウォンを、キースはなだめるように、
《いいんだ、ウォン。僕は最低でも、二度死んでいるはずだった。あの収容所で。それからノアで。それなのに、地獄の淵から投げ返されてきたというなら、まだ、誰かが僕を現世で欲しているということだ。それが君というなら、この身のすべてを委ねよう》
ウォンは再び目元を覆った。キースは薄く微笑む。
《泣かなくていい。ただ、もうすこし、寝かせてくれないか》
《もちろんです。安心してお休みください》
《ありがとう。はやくすっかり回復して、君の腕の中で、眠れたら、いい……》
キースは目を閉じ、ふたたび眠りに落ちていった。

★      ★      ★

リチャード・ウォンは、しばらくその場を動けなかった。
今のテレパシー会話が、信じられなかったのだ。
自分にとって、こうまで都合のいい落としどころでよいのかと。
夢でも見ているようだ。
《私は貴方に、そんなにも信頼されていたのですね》
キース・エヴァンズの純粋さと高潔さを疑ったことは、もちろんなかった。
必要とされれば、己の命も惜しまないこともよく知っていた。
キースはほんとうは争いなど好みはしない。収容所から脱出できた時も、平穏な生活を願ったに違いないのだ。だが、傷ついた同志をかばうため、囚われた者を救うため、限界をこえる力で、たたかってきた。
超能力者として優れているからというだけではない、滅私の心があるからこそ、キースは総帥の器たりえた。
だが、彼は若すぎ、己のために生きられないゆえの脆さも内包していた。だからこそ、ウォンの補佐で安定した組織運営ができたことを、心から感謝していた。
だから、伝わってきた波動はニュートラルで、翳りがなかったのだ。
だが、キースの本来的な繊細さも伝わってきた。
いま誤った触れ方をしたら、すっかり壊れてしまいそうな、その心。
ウォンは胸がざわつくのをおぼえた。
《いま、貴方を戦いの場に出すわけにはいきませんね……軍サイキッカー部隊も、すみやかに解体しなければ》
エミリオはいい。洗脳をといてしまいさえすれば、己を取り戻す。あの少年はキースの敵にはなるまい。
ガデスの場合は気まぐれなところがあり、少々やっかいだが、元々傭兵だ。別の玩具なり、新たな役目なり与えてしまえば、あえてキースを襲ったりしないだろう。
つまり、一番危険なのは。
《彼を、すみやかに安定させなければなりませんね》
はじめて成功した、生ける操り人形。
闇という不思議な能力をまとう、人工サイキッカー。
その内心は、いまだよくわからない。
おそらく、本人さえもわかってはいまい。
だからあんなにも、彼の力は貪欲なのだ。
《刹那。あなたは私に、どんな答をだすのでしょうか》
それはどう考えても、自分にとって都合のよいものではないだろう。
だが。
《こんな時に、真っ先に考えるほど、あなたを心にかけているのも、事実なのですよ》
ウォンは、秘密の部屋をそっと抜け出した。
これから刹那の私室へ向かうつもりだ。
《ああ……一緒に、方舟にのせられるものならば……》

(2011.5脱稿)

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Written by Narihara Akira
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