You are always gonna be my love.


『First Love』

「ウォン……君の初恋の相手って、どんなだった?」
それは逢瀬の幕間、ひと段落がついてシーツの海の中で物憂く抱きあっていた時に、何気なくキースの口唇をついて出た言葉だった。
「初恋?」
ウォンはけだるげに半身を起こす。滝のように流れ落ちる黒髪をそっと払いのけながら、
「なぜ、そんなことを?」
問い返されて、キースはつまった。
ウォンの恋の話を知りたいのではなかった。ただ、昔の事をきいてみたかっただけだった。どんなに勉強したところで、自分が生まれる前の空気を知ることはできない。つまり、自分より十数年を余計に生きている恋人の若い頃が知りたい、という単純な好奇心なので。
それなのにどうして“初恋”なんて恥ずかしい言葉を使ってしまったんだろう、別の何かがでてきてくれないかと願いながら、キースは続けた。
「だって、なんだか想像がつかないから……十代の頃の君なんて」
「十代の私、ですか」
語りだそうとして、ウォンは困った。
自慢できる過去がない。話せる恋の話がない。
ウォンが清童でなくなったのは十代半ばで、それ以降、相手に不自由した事はない。
二年と続く相手はまれだったし、身の危険もあって相手や場所は選ばねばならなかったが、回数はそれこそ人の何十倍もこなしていたはずだ。閨房でのテクニックは自然に磨かれて、二十歳になった頃には商売の相手をベッドで落とすのもあっけないほどたやすくできた。
しかし、それは恋ではない。
淡い想いや憧れを抱いた相手がいなかった訳ではないが、そのどれが初めての恋かというと、果して恋と呼べるほど熟したものは一つもなかった。愛しくてたまらない、などという気持ちは、そうそう味わったことは……。
ふと、ウォンの頬が薄く染まった。
「どうした?」
「……貴方、です」
「え」
「貴方です、私が初めて恋したのは」
キースは思わず笑ってしまった。
「隠さなくていい、別に責めたりなんかしないから。昔の話をききたいだけなんだから、そんなこと無理に言わなくても」
「いえ、ですから……」
ウォンは困っていた。
私は何を言おうとしているのだ。
いくらなんでも図々しい。いろんな相手を惑わせては喰い散らかしてきた自分がそんな事を言って、信じてもらえるとでも思っているのか。愚かな。
キースはキースで驚いていた。
このうぶうぶしい反応はなんだ。
ベッドの中のウォンは、時に少年のようなぎこちなさや潔癖さを見せるけれど、それは僕が子供だからあわせてるだけなんじゃないのか。ギラギラした欲望をむき出しにすると嫌われる、と信じているからじゃないのか。
だが。
初恋が誰かなどということで僕を騙す必要はない。そしてもし騙すつもりなら、ウォンはもっと、上手に嘘をつくだろう。
じゃあ、まさか。
キースの声はわずかに掠れた。
「本当に、僕が? 僕が初めての? でも、僕が最初じゃないだろう、だって……」
ウォンは答えられない。
もう言えない。
貴方が初めてだなんて、あまりに馬鹿馬鹿しくて。
でも、貴方に会って、自分の気持ちは自分でコントロールしきれないものだと初めて知った。人間の価値は、目に見える仕事や金銭でないことを理解した。魂をすっかり裸にされて、恐しさに震えた日もあった。貴方の一言が清水のように全身にしみとおり、生まれ変わるような思いもした。
貴方は私を根底から揺さぶってしまう。目の前にいても、遠く離れていても、その影響から逃れることができない。運命より強く、肉欲より激しく、貴方は私を縛りつける。
それが恋でなければ、何が恋だ。
貴方以外の相手ではこんな気持ちになれない。なったことがない。あったとしても忘れてしまった。
だから、貴方が初めてだとしか言いようがない。
しかし、そんなことを言える訳がない。
ウォンはキースを抱きよせ、その首筋に頬を埋めて囁いた。
「キース様こそ、初恋の相手はどなたなんです?」
「僕の?」
ふいに、キースの頬に不思議な微笑が浮かんだ。
「内緒だ」
「秘密にしないで教えてください」
「厭だ。絶対言わない」
「キース様」
「言わないっていったら言わない」
「教えて……」
二人はそのままもつれあい、愛の営みに没入した。

だが、ウォンがどんなに問いつめても、キースは絶対口を割らなかった。ウォンは一種の期待をもちだして、愛撫の雨を絶え間なく降らせ、さんざん焦らしてとろかしたが、その小さな口唇から自分の名をきくことができなかった。
甘い余韻に身をゆだねてうっとりしているキースに、ウォンはもう一度問いかけた。
「どうしても教えてくださらないんですか」
「ウォン」
キースはふと探る瞳になって、
「もし、僕の初めてが君じゃなかったら、僕のことを嫌いになるのか、君は?」
「まさか」
そんなことは、と言いかけるウォンにキースは畳みかける。
「僕は嘘をつける。それでも、嘘でもいいから、初めてが誰か、ききたいか?」
本当は知りたい。
嘘でも。
嘘でもいいから、僕も君が初めてなんだ、と囁かれたい。
それでもウォンは、首を振るしかない。
「……いいえ」
余計な嫉妬はしたくない。
そういうことは知らない方がいいのだ、と自分に言いきかせる。
「じゃあ、きかなくていいんだな?」
「きいても教えて下さらないんでしょう」
「うん。教えない」
笑うキースが少し物足りなさそうにしているのを、ウォンは気付かない。
いや、気付いても、その先の会話をうまく続けることができないのだ。相手がキースだからという、ただそれだけの理由で。
キースは目を伏せた。
「……眠る前に、おやすみのキス」
「はい」
ウォンはいつものように、静かにキースに口づける。
そっと寄り添ったまま、二人は目を閉じる。
ウォンの口唇から規則正しい寝息が洩れるようになると、キースは目を開けた。
「そんなに不器用だってことは、本当に、僕が初めてなんだな……?」
小さく呟いてみるが、ウォンは反応しない。
満ち足りた顔で眠っている。
《よくわからないけど、僕だって、こんなに切ない気持ちは初めてだから、たぶん、君が初めてなんだと思う》
正直にそう答えたら、ウォンはきっと喜んだ。一晩中、夢中で愛撫してくれたろう。
それなのに言わなかったのは、恥ずかしかったのもあるが、本当は、ウォンにもっと問いつめられたくて。
もっと、強く、求められたくて。
「僕も、不器用だな」
苦笑い。
毎日一緒にいられるのならそれでいいかもしれないが、久しぶりに逢ったその夜を、こんなにあっさり終えてしまっていいのだろうか。
「初めてって、意外に面倒だな」
もどかしい。ウォンも、それから自分も。
キースは再び目を閉じる。
このもどかしさが嫌いな訳じゃない。
胸の底の小さな火が、次に逢う時に二人を燃え上がらせてくれるから、もどかしいぐらいの方がいいのかもしれない。
ゆるやかな眠りに誘われながら、キースは呟く。
「初めてが僕なんかじゃ、きっと物足りないんだろうな……」
「いいえ」
ぎょっとして身を硬くするキース。
ウォンは長い睫毛を伏せたまま、
「その反対です。だから貴方が、最初で最後だといい。こんな恋を何度もしたら、私は壊れてしまいます。死んでしまう」
「おおげさな」
「いいえ」
薄闇の中で暗い瞳をきらめかせながら、
「キース様こそ、私では物足りないのでしょう?」
キースは顔を背ける。
「……少し、だけな」
「夜明けまで、まだ間がありますね」
「うん」
「もう一度だけ、いいですか?」
「うん」
「物足りない、なんて言えないようにしてしまっても?」
「構わない」
「キース様」
きつく抱きしめられて、キースは深い吐息をつく。
僕も君が、最初で最後の恋人だといい。
物足りないぐらいの君でもいいんだ。
だって僕は、君の全部が。
「ウォン……今晩が最後でもいい、ぐらいの気持ちでして」
掠れた声でウォンは囁く。
「それでは、優しくできません」
「そんなこと言って、いつも優しいくせに」
「なら、今晩は、たっぷり泣かせてあげます」
「君なんか、僕が、初めてのくせに……君のテクニックで泣いたことなんかないぞ」
ウォンはそっとキースの目蓋に口づけながら、
「ベッドで泣いたこと、あるでしょう?」
キースの声がぐっと低くなる。
「あれは、君が、もっと別の意地悪をしたからじゃないか。黙って出ていったり……」
「それは」
「初めての恋で不安だからっていうのはわかる。だから勘弁してやる。でも、僕の心を試すようなこと、もう、しないでくれ。いくら、僕だって……たまらない」
何かを必死で堪えている声。
寂しくつらかった時期を思いだしてしまったらしい。
「ええ、もう、二度としません」
「本当だな?」
「ええ」
口吻だけで、せつないうめき声が洩れて。
「泣かせても、いいぞ」
「わかりました……」

そして、夜明けまで甘いすすり泣きの声が続いた。
二人分の――初めての恋をわかちあう二人の。

(1999年頃脱稿)

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* 冒頭の一行は「First Love」宇多田ヒカル

Written by Narihara Akira
http://www5f.biglobe.ne.jp/~Narisama/