『終 焉』

「あ」
ふいに恐怖にかられて、キースは身をすくめた。
ウォンは気付かない。ただ黙々と仕事を続けている。
キースは気付かれたくない。こんな心の状態を。
なんということだ、君が傍にいるのに、こんなにも心がつめたいなんて。
すうっと席を立つ。
それでもウォンは声をかけてこない。視線で追ってきもしない。
キースは無言で執務室を出る、寝室へ戻る。

二人の間で個人的な会話が交わされなくなって一週間が立つ。
終わった――のだろうか?
キースは自問した。
誰かを好きだ、と思う感情には波がある。一定の強さを保つものではない。喧嘩の一つもすれば、反対に激しい怒りに変わる可能性もある。心が落ち着いている状態は望ましいものだが、それが穏やかさでなく冷たさに変わった時、こんなに空しい気持ちになるものなのか。
いや、違う。
最初からわかっていたことだった。
私は何度も過去を振り捨ててきた身勝手な人間だ。
ウォンだろうと、我が身に必要なくなれば捨ててしまえる。仕事のしやすい、安楽な暮らしを提供してくれるというだけの相手だ、もっといい条件のパトロンが現れたら乗り換えてしまえばいい。自分にはまだ魅力もパワーもある。
そう、いざとなれば、たった一人になっても生きていける。
最初からそう思っていた。そして今でもそれは同じだ。
潮時が来たのだ。
私達はもう終わりだ。当然くるべき日がきたのだ。
「……」
だから、いったいなにが怖い。
なぜ、心がゆらめいている。
私は自分に嘘などついていないのに。

嘘だ。

ウォンには微笑んでいてもらいたい。さりげなく気にかけていて欲しい。いつでも情熱的に求められたい。
そうされないことが、とても辛い。
いま、自分から微笑めば、ウォンも笑み返してくれるだろうか。
駄目だ。笑えない。
のがれたい、この肉体の檻から。
心と体がバラバラな状態から。
「君を好きじゃないと思うと、こんなに怖いなんて……」
そう呟いた瞬間、人の気配を感じてキースは身をすくめた。
「ウォン」
文字通り“飛んで”きた男は、苦笑まじりの声で呟く。
「すっかり嫌われてしまいましたね」
「ちが……君が悪い訳じゃ……」
言いかけて涙が溢れそうになり、キースは相手に背を向けた。
「ひとりにして欲しい」
「できません」
背後から抱きすくめられて、キースはもがいた。
「嫌だ。今キスでごまかされたら、君を嫌いになってしまう」
「本当?」
ウォンはキースを離さない。腕を足を絡めて耳元に口唇を這わせる。
「辛いのでしょう。貴方はいつも、人にも自分の気持ちにも誠実だから……ごまかすということを知らないから」
口唇だけは奪われないものの、巧みに撫でさすられていくうちに、キースの身体は緩んできた。その頬が赤らんでくる。そう、触って欲しかったのだ。いや、触ってくれなくてもいい、言葉だけでいいから構ってもらいたかったのだ。
枯れかけていた植物が水を与えられた時のように、ウォンの愛撫が全身に染み込んで、みなぎってくるものがある。そう、嫌いになったんじゃない、嫌いならこんな風にとろけない。よかった。大丈夫だ。僕はまだウォンを。
堪えていた涙が、そのままひいていく。
「よかった。泣きやんでくれて」
「ん」
やっと腕をほどかれた時、キースから相手の胸にもたれこんでいた。
「君が悪いんじゃないんだ。僕が……」
「シッ。その話は後で」
「ウォン」
「欲しい」
素早い、そして長い口吻。
ため息とともにキースは呟いた。
「やはり籠絡する気か」
「今、貴方を愛したいだけです」
「でも」
目を伏せるキースの腰を抱き寄せながら、
「貴方は籠絡といいますが、反対に私を、貴方が色仕掛けで陥としたって構わないんですよ?」
「そんなこと」
「できない?」
ウォンは微笑む。
できないだろう。
それは、キースがそういう手を使うのは卑怯だと思っているからだ。性のテクニックだけならば、すでにウォンに劣るところはない。相手を喘がせ、のたうちまわらせ、何でも言うことをきくからと懇願させることが可能なのに。
そんな貴方が、とても好きです。
「とりあえず、今はぜんぶ忘れてください」
口唇を噛んでいる恋人に、ウォンのため息がそっと落ちた。
「一週間も抱きしめられなくて、寂しかった……」

その夜、むしろウォンが乱調気味だった。それでキースも理解した。懐柔しようとベッドへ連れ込んだのでなく、本当に抱きしめたかったのだと、これっきりになるのだけはどうしても嫌だと思っていたのだと。
「ウォン」
「何も言わないで」
キースの柔らかな腰をむさぼる様子もどこか必死だ。相手をたらしこむためではなく、自分の快楽だけを追うというのでもなく、ただ無条件に「欲しい」のだ。
その情熱に引きずられて、キースも乱れ始めた。相手の首を引き寄せて口づけをねだる。舌を絡めてたぐり寄せる。ウォンの瞳もすっかり潤んでいる。
荒い吐息。濡れた音。
「あ、は……っ!」
互いをかき回し絞り上げながら登りつめ、たて続けの絶頂感に二人は我を忘れた。
終わっても身体を離すことができない。
つながったまま、肌を重ねたまま、嵐が去るのを待つ。
「キースさま」
「うん」
「まだ、例の件、諦めてらっしゃらないんですね」
「うん」
直接胸に響いてくる振動に酔いながらも、キースはなるべく普通の声を出そうとする。
「君が折れる気がないのもわかってる。確かに危険すぎる」
「貴方がなぜあんなことを言い出したのか、わかっています。確かに、あの青年をほうっておく方が危険ですしね」
「やはり、もう知っていたのか」
「もちろんですよ」

一週間前の執務室。
ぎょっとするような提案をキースは持ちかけた。
「ここに新たな拠点を築きたい」
ウォンは反射的に答えていた。
「正気の沙汰とは思えませんね」
キースが指し示したのは、新生ノアが拠点を構える場所のごく近くだった。
そんな場所に拠点を置けば、彼らに気付かれない訳がない。キース本人がそこへ現れなくとも、彼ら特有の手口というものがあり、元総帥の生存は必ず知れてしまうだろう。
「わかっている。だが、サイキッカーの世界は狭い。私が生きていることは半ば公然の秘密になりつつある。ならばここでも構うまい」
「そういう問題ではありませんよ」
薄く微笑んでいるキースに、ウォンは真顔で諭すように、
「共存する予定もない同種の組織の側に拠点を築くということは、喧嘩を売るということです」
「売るんだ」
「キース様!」
青年は首を振った。
「新生ノアに留まった者の中で、ベルフロンド兄妹には従いたくないが、行き場がなくて困っている者がいる。彼らを少しずつ引き取ってやりたいのだ」
「誰かが貴方に助けを求めにきたのですね」
「端的に言えばそうだ」
「なら、私の部下に救出させます。それで構わないでしょう。もしくは新生ノアを今度こそ完全に叩きつぶすというのであれば、お手伝いしますよ」
「どちらも嫌だ」
「なぜです」
キースは不敵に笑んだまま、
「新生ノアをつくった時も、考え抜いてあそこへ置いた。サイキッカーにとって最適な基地を構築できる場所はそう多くはない。それに、遠くへ移動したくない者を移動させたくない。あまりにも違う環境に住むことができない者もいるのだから。それに、ベルフロンド兄妹についていく者を害するつもりもない。だからだ」
ウォンは首を振った。
「そうはいっても、無謀すぎます」
「私の無謀を形にするのが君の仕事だろう」
ウォンはすうっと背筋を伸ばした。
「勘違いをなさっているようですね」
二人の間にピリッと火花が散った。
「私はあくまで自分の野望を果たしているに過ぎません。その中にたまたま貴方という人が存在しているだけのこと。私の目的を阻む行動に出るなら、貴方であれ容赦はしませんよ」
「意外に臆病者だな」
「まさか貴方がそんな暴走を夢見ていたとは思いませんでしたからね。そんなに毎日が退屈ですか。あんなに楽しませてあげているというのに、もう飽きましたか」
「フッ、こちらが君の遊びにつきあってやっているということを、忘れたか?」
「キース・エヴァンズ!」
たしなめる声からそっぽをむいて、
「いい。一人でやる。君は気にすることはない」
「貴方が一人で何ができるというのです」
「できることをやるまでだ」
決して折れ合うことのない会話はそれが初めてだった。
その夜から、二人は互いの寝室をおとなうことがなかった。

無茶を言っているのは、キース自身が一番よくわかっていた。
新生ノアを潰さず、なおかつ共存もしないなどということは不可能だ。
とはいえ。

今、新生ノアに一人のサイキッカーがかくまわれている。ノアにたどり着くまでにほぼ体力を使い果たし、絶対的な静養が必要な状態だ。しかし、潜在的な超能力はEクラスだ。本人の命が危機にさらされ、連れ出され、しかもその時コントロールがきかずサイキックが暴発したら、新生ノアどころか街ひとつ、いやそれ以上の範囲が跡形もなく消え失せるだろう。彼は当然狙われている。捕獲できれば強力な切り札、失敗してもノアが潰せるからだ。
今のノアでは、外部からの攻撃に耐えきれない。建築物の強度の問題でない。それだけなら核ミサイルの直撃にも耐えうるようにつくってある。最大の問題は人材不足、常に外部の人間が入ってくる組織的なもろさなのだ。警備もスキだらけだ。内部で破壊活動が行われればひとたまりもない。
本当は、自分たちの基地で一番安全で環境のいい場所へその青年を引き取りたい。もともとキースに助けを求めて方舟までたどり着いた者なのだ。しかし今、彼を長距離動かすことは、それこそ死を意味する。
さてどうする。
逆説的ではあるが、近くに疑似組織を置けば、新生ノアは安定する。新たに流れ込もうとする者を取り込めるからだ。また、短い距離であれば、そちらへ移動してかくまうこともできるだろう。
しかし。
やはり、無茶な策謀か。
わかっている、充分にわかっている。
それでも時に暴力的な衝動にかられるのだ。何もかも壊してしまいたいと。
本当は新生ノアなどもう潰してしまって構わないはずだ。レジーナには気の毒だが、指導者の器のない者のところへ多くが集まっても、破綻をきたすだけなのだから。
本当は、乱暴なことはしたくない。
万が一にもあの男と接触したくない。
ああ。
悩んでいるうちにただ時間が過ぎてしまう。
それはそれで良いのかもしれない。その間に本人の体力が少しでも復活すれば、最大の悲劇はまぬがれるかもしれない。それが最良の解決策かもしれないと思う。
本当はウォンに相談したい。
だが、この話をまともにもちかければ、今度こそウォンは好機とばかりにカルロを抹殺するだろう。彼こそが、新生ノアを潰したがっているのだから。だが、それではあまりに筋が違う。
そう、そんなことを心の中でいじりまわしているうちに、ウォンの実務での冷酷さがあらためて身にしみてきて、キースはウォンに近づけなくなった。
心まで。
しかし。
やはりウォンは、そんなキースの惑いの原因をつきとめていた。
だって、ほら。
あんなに優しく微笑んでいる。

「もう何か手を打ったのか」
「もちろん」
ウォンはキースの背を軽く叩きながら、
「私も、あの青年に関しては目配り気配りが足りなかったと反省しました。軍に奪取されては困ります。ですから応急処置ではありますが、いい医師と、私の息のかかった者を追加で送り込みました。軍のなまくら連中に襲われても大丈夫ですよ。本当に彼を引き取りたいのなら、充分体力がついてから、しかるべき街へ移しましょう。それで、いいでしょう?」
実際的だ。
今の時点では文句のつけようもない。
キースはそれでも顔を曇らせて、
「君はノアをあのままにしておけるのか?」
ウォンは細い瞳をさらに細くして、
「もしかして、私を試そうとなさったのですか? こんな時こそ私怨に走ると?」
「そういう訳ではない」
それは、キース本人にも説明できない気持ちだった。
やはり自分はウォンを信じていないのかもしれない。心のどこかで。
ウォンの柔らかい声が続く。
「確かに、新生ノア周辺を不安定にしておくのは良くないことです。貴方の提案ももっともだと思います。宙ぶらりんの案件が多ければ、いらいらしてくるのは当たり前です」
さらになだめるように、キースの身体を撫でまわしながら、
「ですが、あまり思い詰めないでください。ただでさえ春先は情緒不安定になりやすいものです。私も人の子、愛する人に嫌われれば傷つきます。信じてもらいたいし、優しい言葉をかけてほしいのですよ」
「ウォン」
キースは目を閉じ、軽く舌打ちした。
「キース様?」
「君なんか、嫌いになってしまってもいいのにな」
すがりつくようにウォンの背をぎゅっと抱きしめる。
「だのになんで、ずっと好きでいたいと思うんだろう」
はっとしたウォンの胸の真ん中に、キースの吐息が落ちてゆく。
「好きで、たまらないよ……」

(2003.3脱稿)

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Written by Narihara Akira
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