『それはひとりで』
「ああ、いい。……自分で、する」
その日、ウォンが部屋に戻ると、キースは真剣な表情でディスプレイと向き合っていた。 「ずいぶんと作業が、進んでらっしゃいますね?」 ウォンは首を傾げた。 朝、キースは「身体が重い」といって、なかなか起き出さなかった。 どうみても疲れた顔をしているし、食欲もないというので、とりあえずウォンは消化のいいものを用意して、「食べられそうなら、少しでも口にいれてくださいね」といいのこし、後ろ髪ひかれる思いで出かけた。 しかし、急いで戻ってきてみれば、キースは一変して仕事の鬼だ。うすぐらい画面をにらんだまま、 「できることは、なるべく進めておこうと思ってな」 「まだ、あまりいい顔色とはいえませんが?」 額に掌をあてようとするウォンに、キースは首を振った。 「朝も、そんなに具合が悪かったわけじゃないんだ。すこし、落ち込んでいただけで」 ハッと動きを止めたウォンに、キースは薄く笑ってみせた。 「だが、ひとりでぼんやりしているうちに、思い出したんだ。……どんなに絶望したとしても、それは私の心の中だけのことだ。救いを待っているサイキッカー達には、何の関係もない。私の命は彼らのためにある。個人的でちっぽけな感傷など、どうでもいいことだ。そんな暇があったら仕事をすべきだ、そこにしか私の答えはないはずだ、と」 「そうですか、それは……」 ウォンはふと口をつぐんでしまった。 「なんだ? 私の理屈は間違っているか?」 「そうですね。たしかに貴方の場合、心が塞いだ時は、いっそ仕事に打ち込むべきなんでしょう。サイキッカー達の感謝が、貴方に報いる。貴方は満たされる。それはもちろん、両者にとって喜ばしいことです」 「では、なぜ変な顔をする。別に無理はしていないぞ」 ウォンはふっと視線をそらした。 「焼き餅、ですよ」 「え」 「まだ、思い出してもらえませんか?」 ウォンは、ほとんど呟くような声で、 「この世で貴方を一番必要としているサイキッカーは、私なのですよ」 キースはさっと赤くなった。 「ごめん、心配させて」 「いや、それは別に。今の私は、貴方を支えるためにいるのですから」 ウォンは目を伏せたまま、 「ただ、サイキッカーのためなら、どんな無理もする貴方が、私のことだけは忘れてしまう。私も弱い者であることを、時には思いだして欲しくて」 「忘れてはいない」 「今日も、本当は出かけたくなかったのです。貴方を一日中、幼い子にするようにたっぷり甘やかしていたかった。ベッドに食事を運んで、食べさせて。貴方の好きな本を読んできかせて、貴方が眠くなったら寝かしつけて。優しく汗を拭いて、貴方が元気になるまで、かいがいしく看護していたかったのに」 「ウォン」 「しかし、貴方が私に望んでいるのは、この世界を御すること……もちろん、それは私自身の目的でもある。愛欲に負けて溺れていては、必要な交渉が成立しません。ですから、調子の悪い貴方を、残していったのです」 ウォンはついに、キースに背を向けてしまった。 「……ほんとうは、溺れたかった」 キースは思わず、その背中にすがりついていた。 「悪かった」 「いいえ、悪くありません。子ども扱いしようとする、私がいけないのですよ。現に、一人で現状を立て直してらっしゃるじゃありませんか。貴方には、一人の時間が必要なんです。心やすめる、静かに眠れるひとときが。私にはそれを、奪う権利はないのです」 「だが君は」 キースは、回した腕に力を込めた。 「僕が必要なんじゃなかったのか」 「もし今、貴方の肌に触れたら、自制心を失います。体力の続く限り、犯しますよ?」 「構わない。君になら壊されてもいい」 「そんな虚無的なことをいう貴方は、いやです」 ウォンはキースの腕をほどいた。 だが振り払いはせず、その掌をそっと包み込んだ。 「ただ、愛したいだけなのに……」 キースはうなずいた。 「愛したいだけ、愛するといい。後のことなんか考えなくていい。二度とひとりじゃいられないと思うほど、溺れさせてくれ」 ウォンはやっとキースの瞳を見つめた。低く囁く。 「……ええ。たっぷり、注いであげます」
明け方近く、ついにウォンは満足のため息をついて、キースから身体を離した。
(2007.5脱稿)
Written by Narihara Akira |