『それはひとりで』

「ああ、いい。……自分で、する」
とろんとした表情のまま、キースは枕元にあるタオルに手をのばした。
その姿をウォンはうっとりと見つめながら、
「貴方が元気になって、よかった」
「なったかな?」
「ええ」
楽しげなウォン。
そしてキースは、うっすら、はにかんでいる。

★      ★      ★

その日、ウォンが部屋に戻ると、キースは真剣な表情でディスプレイと向き合っていた。
「ずいぶんと作業が、進んでらっしゃいますね?」
ウォンは首を傾げた。
朝、キースは「身体が重い」といって、なかなか起き出さなかった。
どうみても疲れた顔をしているし、食欲もないというので、とりあえずウォンは消化のいいものを用意して、「食べられそうなら、少しでも口にいれてくださいね」といいのこし、後ろ髪ひかれる思いで出かけた。
しかし、急いで戻ってきてみれば、キースは一変して仕事の鬼だ。うすぐらい画面をにらんだまま、
「できることは、なるべく進めておこうと思ってな」
「まだ、あまりいい顔色とはいえませんが?」
額に掌をあてようとするウォンに、キースは首を振った。
「朝も、そんなに具合が悪かったわけじゃないんだ。すこし、落ち込んでいただけで」
ハッと動きを止めたウォンに、キースは薄く笑ってみせた。
「だが、ひとりでぼんやりしているうちに、思い出したんだ。……どんなに絶望したとしても、それは私の心の中だけのことだ。救いを待っているサイキッカー達には、何の関係もない。私の命は彼らのためにある。個人的でちっぽけな感傷など、どうでもいいことだ。そんな暇があったら仕事をすべきだ、そこにしか私の答えはないはずだ、と」
「そうですか、それは……」
ウォンはふと口をつぐんでしまった。
「なんだ? 私の理屈は間違っているか?」
「そうですね。たしかに貴方の場合、心が塞いだ時は、いっそ仕事に打ち込むべきなんでしょう。サイキッカー達の感謝が、貴方に報いる。貴方は満たされる。それはもちろん、両者にとって喜ばしいことです」
「では、なぜ変な顔をする。別に無理はしていないぞ」
ウォンはふっと視線をそらした。
「焼き餅、ですよ」
「え」
「まだ、思い出してもらえませんか?」
ウォンは、ほとんど呟くような声で、
「この世で貴方を一番必要としているサイキッカーは、私なのですよ」
キースはさっと赤くなった。
「ごめん、心配させて」
「いや、それは別に。今の私は、貴方を支えるためにいるのですから」
ウォンは目を伏せたまま、
「ただ、サイキッカーのためなら、どんな無理もする貴方が、私のことだけは忘れてしまう。私も弱い者であることを、時には思いだして欲しくて」
「忘れてはいない」
「今日も、本当は出かけたくなかったのです。貴方を一日中、幼い子にするようにたっぷり甘やかしていたかった。ベッドに食事を運んで、食べさせて。貴方の好きな本を読んできかせて、貴方が眠くなったら寝かしつけて。優しく汗を拭いて、貴方が元気になるまで、かいがいしく看護していたかったのに」
「ウォン」
「しかし、貴方が私に望んでいるのは、この世界を御すること……もちろん、それは私自身の目的でもある。愛欲に負けて溺れていては、必要な交渉が成立しません。ですから、調子の悪い貴方を、残していったのです」
ウォンはついに、キースに背を向けてしまった。
「……ほんとうは、溺れたかった」
キースは思わず、その背中にすがりついていた。
「悪かった」
「いいえ、悪くありません。子ども扱いしようとする、私がいけないのですよ。現に、一人で現状を立て直してらっしゃるじゃありませんか。貴方には、一人の時間が必要なんです。心やすめる、静かに眠れるひとときが。私にはそれを、奪う権利はないのです」
「だが君は」
キースは、回した腕に力を込めた。
「僕が必要なんじゃなかったのか」
「もし今、貴方の肌に触れたら、自制心を失います。体力の続く限り、犯しますよ?」
「構わない。君になら壊されてもいい」
「そんな虚無的なことをいう貴方は、いやです」
ウォンはキースの腕をほどいた。
だが振り払いはせず、その掌をそっと包み込んだ。
「ただ、愛したいだけなのに……」
キースはうなずいた。
「愛したいだけ、愛するといい。後のことなんか考えなくていい。二度とひとりじゃいられないと思うほど、溺れさせてくれ」
ウォンはやっとキースの瞳を見つめた。低く囁く。
「……ええ。たっぷり、注いであげます」

明け方近く、ついにウォンは満足のため息をついて、キースから身体を離した。
うつぶせたまま呻くように、
「いちど、シャワーを浴びたほうが、いいでしょうね……」
二人分の体液で、キースは肌を濡らしている。
「ああ、いい。……自分で、する」
とろんとした表情のまま、キースは枕元にあるタオルに手をのばした。肌を清めている恋人を、ウォンはうっとりと見つめながら、
「貴方が元気になって、よかった」
「なったかな?」
「ええ」
嬉しそうなウォンに、キースはうっすらはにかんでみせた。
「なら、これからは、あまり無理しないようにしよう。君のためにも」
「それはどうも」
ウォンは身を起こした。
「ただ、ひとりでできる、とがんばる子どもの姿も、可愛いものですね」
キースの胸に口唇をあてる。
「……今、ちょっと、そそられました」

(2007.5脱稿)

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Written by Narihara Akira
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