『耳が痛い』

出先のホテルのロビーで、マフラーを外したキースが、ふと耳を押さえた。
「どうしました?」
「痛い。あまり調子がよくないようだ。風邪かな」
「見せてください」
ウォンはキースの掌をはずし、耳をのぞきこむ。
「掃除をしてみましょうか。この街は空気が汚れていますからね、そのせいですよ」
「わかった。部屋でな」

今回は仕事の都合で、目立たない安宿をとった。
部屋もベッドが大きいのだけが取り柄で、石ぼこりの匂いがする。
ウォンがシャワーを浴びて出てくると、先にすませたキースがTVをつけてボンヤリしていた。語学の堪能なキースであるが、ラテン系の響きは得意でないらしく、画面を見ている瞳がうつろだ。
部屋は暖めてあるが、体調がよくないのならさっさと耳をみて、早めに休ませなければ。
ウォンは竹の耳かきを取り出した。キースが一番気に入っているのがこれなので、持ち歩いている。優しく耳の中をくすぐられるのが心地いいのか、時々ねだられることがあるからだ。
キースのベッドに腰をおろすと、ウォンはあぐらをかいた。
「さ、見せてください」
「うん」
キースはウォンの膝に、そっと頭をのせる。ウォンは乾いた銀色の髪に触れながら、
「すみません、もう少しだけ、明るい方へ」
そういって頭の角度を調節する。キースはおとなしく身をまかせている。
「思ったより汚れていませんね。傷もないですし」
そういえばこの人は、精神的な理由で外界の音を閉ざしたことがあった。自分がこの人をあえて遠ざけたために――ふと湧いた不安を、ウォンは心の底へ押し込めながら、
「反対側も、見せてください」
キースはいわれるままに、身体の向きを変える。
「ああ、こちらは、ガサガサいってもおかしくないかもしれませんね。痛かったら言ってください」
「うん」
普段のキースなら、うっとりと目をつぶっているところなのに、なぜかまだテレビを見ている。古めかしい、安っぽいメロドラマなのに。
「ウォン」
「なんです」
「こういうドラマで、《いつまでも煮えきらない男をたきつけるために、他の男と結婚宣言する》女が出てくるが」
「そうですね、出てきますね」
キースの声が低くなる。
「どうしてそういう時、判をついたように、男は女を諦めようとするんだ? これは茶番だ、彼女は引き留めて欲しいんだ、とわかっていても。そんなに自分に自信がないのに、よくつきあっているな」
ウォンは苦笑した。
「貴方なら、即座にとめますからね」
キースらしい、と思う。
そういう立場になったことがないのだ。
まだ若いから、そういうためらいを知らない、というだけではない。性格だ。
「なんだ。君も、とめない派か?」
「さあ」
ウォンは耳掃除の手をとめた。道具も脇に片づけてしまうと、
「単純に、男女のことでない時もありますからね。男同士の絆が深い場合、惚れた女をあえて譲る、という関係もありますよ。場合によっては、本気で祝福する男もいるでしょう」
「それは、君もなのか?」
「耳の痛いことをいいますね。もし貴方が、どうしてもこの女性と結婚したいといって、誰かを連れてきたら、私に拒否権は、あるんですか?」
微妙な沈黙が、部屋を領した。
キースはゆっくり身体を起こすと、ウォンの瞳をにらみつけるようにして、
「わざわざ見せに連れてきたりしない。君は、その女性を殺すだろうからな」
「それは、どうでしょうか」
「いいのか、僕がそんなことをしても」
「その時は、その時ですよ」
ウォンはなぜか、微笑んでいた。
「何を笑う」
「だって貴方を、奪い返す楽しみが増えるんですから、それはそれで素敵だなと」
その笑みは、揺るぎのない自信に満ちていた。
キースは深い皺を眉間に刻んだ。
「絶対に、取り戻せると?」
「私が貴方を諦めるとでも、思っているのですか?」
ふと、キースは謎がとけた、という顔になった。
「そうか」
「なんです?」
「メロドラマにも教訓があるな。なぜ男達が少しでもためらうのか、やっとわかった」
「わかりましたか?」
キースはウォンの肩に、顔をうずめた。
「だって今、《思わない》と即答しようとしたのに、君の顔を見たら、言えなかった……」
肩を抱き寄せて、あらためて華奢な身体だ、とウォンは思う。
ためらわず相手を引き留める人が、一瞬でも迷うなら、それは危険信号だ。笑っていてはいけない。
「もっと信じてください。私はいつも、いつまでも貴方のそばに居る者です」
キースの小さな声が、ウォンの胸に響く。
「なら、僕が凍えきってしまわないよう、暖めてくれ」
「おおせのままに」
微熱を帯びたキースの身体を包み込んで、ウォンはため息をついた。
「不思議な、ものですね」
「なにがだ」
「私は貴方の完全な恋人でなくて、それがはがゆいのに、貴方は私の不完全さを愛してくださる訳ですから」
「君が不完全だから、好きなんじゃない」
「キース」
「もっと完全になって、もっと愛されたいと思う君がいじらしいから、好きなんじゃないか」
「ほんとう?」
「じゃあ君は、僕の何が好きなんだ」
「貴方の高潔な魂、あたたかな赦し……」
「そんなつまらないものをか?」
「そして、貴方の寂しさ」
「じゃあ、もっと強く、抱いて……」
そうだった。
一人で立っていられる人だが、愛されたい気持ちは、キース・エヴァンズとて同じだ。
むしろ誰よりも強いかもしれない。
それをあらためて肝に銘じて、ウォンは恋人を抱きしめる。
無言で、だが全身で気持ちを伝えながら。

愛しい、貴方。

(2005.12脱稿)

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Written by Narihara Akira
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