『誘 惑』


ウォンは、今日は他所で用がありまして、と朝から出かけていってしまった。
ひとりきりになって書斎に戻り、キースはため息をついた。
「なんて浅ましいんだ、僕は……カラダでウォンを、籠絡しようなんて」

ここのところ、ずいぶんウォンが激しい夜がある。
荒々しく求められて、キースも理性を失ってしまう。
まあ、若い彼の場合、乱れるといっても、こらえきれずに声がもれてしまうぐらいのことなのだが、ウォンにつられて腰が動いてしまうだけで恥ずかしくてたまらない。
だから、ふだんは誘惑しようなどとは思わない。
しかし、昨夜は。
隣にいるのに、遠く感じて。
浅い眠りから醒めた時、ウォンにすがりついてしまった。
ウォンが好みそうな、可愛い甘え方で誘うと、いつものように優しく抱いてくれて。
抱いて、くれたのだけれど――。
「怒っていたな、どう考えても」
キースは殺気に似たものを感じて目覚めたのだった。
ウォンが執拗に責めてくる時、瞳の奥の光がいつもと違う。
どうしてそんな怖い顔を、と思う時がある。
そしてなぜか、嫌味らしきことを呟く。しかも、バーンのことだったり……。
キースの心はきしむ。
君まで僕を非難するのか。
それとも、もう飽きたと、ここから去ろうというのか。
それならそれで、仕方のないことかもしれない。
僕はたぶん、人徳に欠けている。
「同志よ!」とよびかけて、集まってくる者たちを見ればわかる。私欲しか考えない連中、ただすがってくるだけの無能な者たち……いや、精神的・肉体的に苦しんでいるものに手当てをほどこすのは、あの地獄を生き延びた自分の仕事だと思う。だが、超能力者という以外になんの共通項もない、年齢も背景も性別も違う彼らをまとめるだけの器が、自分にはない。
それは、よくわかっている。
僕は若すぎる。面白みもなければ、可愛げもない。
氷の総帥という二つ名も、冷血漢と蔑まれている証なのだ。
だが、そのことに、ひそかにどれだけ傷ついているか――。
それも含めて、ウォンはぜんぶ、わかってくれていると思っていた。
僕の苦しみも、過去も、親友をなくした悲しみも、すべて優しく抱きとってくれると。
それはやはり、甘えなのだろうか。
いや、完全な恋人であって欲しいと思っていたわけでもない。
スポンサーとして現れてくれただけで、ありがたいと思わなければならない。
保護者の役まで求めてはいけないのだ。
なのに。
「いつからこんな、汚い人間になったんだ、僕は……」
ウォンをカラダでつなぎとめようとするなんて。
きたならしい。
ウォンが利益をもたらしてくれるから、この肌を差し出したわけではない。
ウォンを操ろうとして、足を開いたわけでもない。
ウォンが心の底から求めてくれていると感じたから、最後までゆるしただけ。
ウォンのことが好きだから、彼が欲しい。
とても単純なことの、はずなのに。
寂しさに身体が震える。
今晩、ウォンが帰ってきても、まともに顔が見られないかもしれない。
つらくて――。

「もどりましたよ、キース様」
フシュン、と音をたててキースの書斎へ戻ってきたウォンは、やりかけの仕事を積んだ机につっぷしている、若き総帥を見つけた。
頬に涙のあとがある。
ウォンは小さなため息をつくと、銀の髪に触れた。
「そんなにお疲れなら、ベッドでお休みください」
「いやだ」
低い声が応えた。
「もっと働かなくては……何もかも忘れて……同志が待っていてくれるうちは……」
「壊れてしまいますよ、それでは」
「いいんだ、僕のことなんか、誰も心配なんか」
そこでハッとキースは飛び起きた。
「帰っていたのか」
「ええ。そんな不穏な台詞は、たとえ寝言でも、ドキリとしますねえ」
「すまない、そんなつもりでは」
乾いた目元をぬぐってから、
「少なくとも君は、心配してくれるものな」
たよりなさげに首をかしげて、ウォンを見上げる。
あまりに自然な、その媚態。
ウォンは白い頬をそっと包み込むようにして、
「昨夜は甘えたりなかったですか? まだ明るいうちから、そんなに可愛らしい顔をされてしまうと、なんというか、たまりませんねえ」
「軽蔑する?」
そう呟いた瞬間、キースの蒼い瞳がふっと潤んだ。
「君にずっと、そばにいてほしい、だけなんだ」
そういって、ウォンの胸に飛び込んでくる。
驚いて抱きとめると、キースの気持ちがすっと流れ込んできた。
《君のことが好きだから、これ以上利用したくない/もっと甘えたいけど、君に軽蔑されたくない/君までいなくなったら、僕はだめになってしまう/けど、もし君が僕から離れていくというなら、僕には君をとめる権利がないんだ……》
純度の高い想いは、猜疑心の強いウォンの胸にも、深くしみた。
この青年は、ほんとうにシンプルだ。
いつも誰かのために生きている。そのために苦しみ、分厚い氷の鎧で己を覆っている。
それは仲間に幸せになって欲しいから。それが彼の幸せだから。
だから自分自身のささやかな望みは、我慢して心の底におしこめている。
「どこにも行きませんよ、私は」
華奢な肩を抱いてやりながら、ウォンは囁く。
「ほんとう?」
「ええ」
濡れた瞳で、キースは見上げる。
「だってウォン、ベッドでも時々、別人みたいに怖い顔、するから」
「ああ、それを心配なさっていたのですか」
ウォンは満足げな微笑を浮かべた。
「怖がる必要はありません。ただ時々、貴方に夢中になりすぎてしまうだけですから」
「壊して、しまいたい、ぐらい?」
「こんなに可憐な貴方をですか?」
そっとキースを包み込んで、ウォンは微笑んだ。
「守ってあげたい、といつも思っているのですよ」
「知ってる、だけど」
「大丈夫ですよ、キース」
愛しています、という柔らかい声をききながら、キースはウォンの胸で目を閉じた。
僕はまだ、ウォンを誘惑しようとしてる。
いいのか?
それは結局、僕がウォンを、信じてないからじゃないのか……?
本当に、大丈夫なのか?

(2010.8脱稿)

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Written by Narihara Akira
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