『浄 化』

「こんな季節に、焚き火ですか」
くるりと丸められた紙は、うごめく黒い薔薇と化していた。
オレンジ色の熱が縮れた縁をなめ、すべてを覆いつくしていく。
キースの頬を、炎は赤く染めていた。いつのまにか背後に現れた恋人を振り返りもせずに、
「炎は、いつでもごちそうだからな」
料理でも楽しんでいるように、スコップで紙の束を転がしながら答える。
その夕べ、キースは空き地で一人、たき火をしていた。
どちらかというと湿気の少ない土地だ、日が暮れれば夜は涼しいので、火遊びは必ずしも季節はずれとはいえない。
野外で燃える炎は、それ自体が一つの祭りである。どんなに環境保全が叫ばれようと、まるで火をたかないですませる民族はいない。
だが、キースの呟きは、あくまで昏かった。
「炎はすべてを浄化する。再生の象徴だ。それに対して氷は、腐敗をとめることしかできない。しかもそれは、永遠でない」
リチャード・ウォンは腰をかがめ、キースが新たにくべる紙を見つめる。
「それは、どちらが上というものでは、ありませんよ」
「だがそれでも、何もかもどうでもよくなることがある。実際、どうでもいいことだからな」
キースが焼いているのは、大量のビラだった。
氷の総帥がこの町を私物化していると告発し、住民を煽動する内容の。
「例の連中ですか」
「うむ。その中の、主に二人だな」
キースの口唇は苦笑に歪んだ。
「いともたやすく、人は堕ちる。例のテレパシー・スクランブルを導入してから、安心して彼らは醜くなった。心を読まれなければ、正しくある必要はない、ということらしい。だが、もともと卑しい心根でいたとしても、腐るのが早すぎはしないか」
ウォンはいつもの微笑を崩さず、だが声だけは冷酷に、
「それにしても、よりによって《私している》などと書き散らすとは……原始的な手段もそうですが、なんと愚かしいことか。誰がこの町を築き上げたと思っているのでしょうねえ。自分たちではまともに維持すらできないくせに、忘恩にもほどがありますね」
「どう思う、ウォン」
「何がです」
「あえて潰す価値もない連中だ。いいかげん嫌になってきた、私がこの町から手を引く、潮時なのだと思わないか?」
「以前から申し上げているように、貴方がお望みでしたら、いつでも私は従いますが」
「そう、ここから消えるのは簡単なんだ。新しい理想郷をつくることさえ、君がいればそう困難ではないだろう。苦境にある同志のためなら、私は何度でも立つつもりだ。……だが最近、また別の心境になる時があってな」
「別の?」
キースはようやく、ウォンを振り返った。
「徐々に腐っていくものを、最期まで見守っていたい、という気持ちだ。……悪い、趣味だろう?」
アイスブルーの瞳がきらめく。ウォンは肩をすくめ、
「まあ、それはそれで、面白いものではありますが」
「心がくじけて、逃げ出したように思われるのも業腹だ。何が正しいかということを、しらしめておかずにいいのか、と思い悩む時もあるのだ」
「おや、この焚き火は、デモンストレーションではなかったのですか?」
総帥を糾弾するビラを総帥本人が盗みだし、片腕と一緒に町中で堂々と燃しているのだ。たいした連中ではないから、これで萎縮して、しばらくは動けまい。
ウォンは低く囁くように、
「面倒な、ひとおもいに、とは思わないのですか」
「他人を思い通りにするのは、本当は好きではない。誰かの命を、奪うのも」
「なぜそんなに、我慢強くてらっしゃるのです」
「さっきも言ったろう。私には浄化はできない。あくまで時を遅らせるのが仕事だからだ」
「時を操るのは、私の仕事です。それに炎だけが、浄化の手段ではない」
キースは立ち上がった。掌から放たれた冷気が、一瞬にして小さな火を消す。
「だが、それでも炎は暖かいのだ。どんな時も」
「キース・エヴァンズ」
まだ冷たさの残る掌を、ウォンは握りしめる。
「私は貴方より、身も心も熱い人をしりません」
「一人の人間を暖めるぐらいの熱量はもっている。しかも、もう夏だ」
「私はずっと、貴方の情熱で清められてきたのですよ」
「ウォン」
眼鏡の底で、ウォンは目を伏せる。
「……貴方のように優れた人が、ないものねだりをするなんて」
「あるものを、ねだれというのか」
「私では足りませんか」
キースはやっと微笑んだ。
「そういう自信は、好ましいな」
相手の掌を握りかえし、
「このまま手をつないで帰るか? それとも、少し風に洗われていくか」
「手に手をとったまま、飛ぶというのはいかがです」
「ふむ。君が、そんなことがロマンティックだと思うのなら」

そして二人はしばし、夏空を渡る風と星の輝きに洗われて――。

(2006.6脱稿)

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Written by Narihara Akira
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