『花が好き』


ブラド・キルステンは、薄あかりの中で目をさました。
「気がついたようだな。気分はどうだ」
「頭がボンヤリしています」
ベッドから身を起こし、ブラドは目の前の銀髪の青年を見つめた。
「その声は……あなたが、キース・エヴァンズ?」
「ああそうだ。無事でよかった。もうしばらく、休んでいるといい」
自分が寝巻き姿であることに気がつき、ブラドは周囲を見回す。
「ここは? 僕は、どうしてここに?」
「サイキッカーの秘密結社、ノアの基地内だ。私は君が呼ぶ声をきいた。だから助けた」
端的に答えて、キースは微笑んだ。
「ブラド・キルステン、君を歓迎する。好きなだけノアに滞在してくれ。ただ、私はゆっくりしていることができない。ソニアを残してゆくから、わからないことは何でも、彼女に訊いてくれ」
「ありがとうございます」
ブラドがぺこりと頭をさげると、キースは部屋をでていった。
目の前に残ったのは、白いボディスーツに身を包んだ、青い髪をポニーテールにまとめた女性だった。少女のように愛らしい顔立ちだが、その表情はキリリと引き締まっている。
「君は……キースの恋人?」
ソニアは苦笑した。
「最初の質問がそれなの?」
「あっ、ごめん」
「違うわ。それに私は、生身の身体ではないの。バイオロイドといって、一種のサイボーグなのよ」
「でも、君もサイキッカーなんじゃないのかい」
「見てわかるの?」
「なんとなく。それにノアは、サイキッカーの理想郷のためにつくられたんだと、繰り返し、キースが、いってたから」
「キース様のテレパシー放送が、そんなによくきこえたの?」
「いや、僕の声をすくいあげてもらったっていう方が、正しいと思うんだけど……」
そう呟きながら、ブラドは額を押さえた。
「僕は、いったい、どこで何をしてたんだっけ」
「どうしたの?」
「よく思い出せない」
ソニアは部屋のクローゼットから、黒レザーの服を取り出した。
「これがあなたが着ていた服よ。汚れは落としておいたけれど、血糊がべったり、ついていたの」
「血……赤い色……僕は……?」
「正当防衛だったんじゃないかしら。身体に打撲の跡があったわ」
「でもこんな、パンクみたいな服を着て? 誰かを挑発したんじゃ?」
ソニアは微笑んだ。
「あなたがハード・ロッカーなのか、ドイツ極右の熱狂的愛国者なのか、それともただのファッションで着ていたのか、それはわからないけれど、似合ってはいるわね」
「似合ってる? ほんとうにそう思う?」
「ええ。悪い意味でなくてね。あなたのほっそりした身体に、ぴったりよ」
「自分がミュージシャンとは、とても思えないけどな……音楽は嫌いじゃないけど、楽器を触ったことは、ない気がする」
「じゃあ、あなたは何が好きなの?」
「花が好き」
即答して、ブラドは頬を染めた。ソニアは真顔で、
「そうすると、ちょっとパンクな花屋さんだったのかしらね」
「そういうのって、テレパシーで調べられないものなのかな」
「キース様に頼んでみる? あなた自身の記憶がないのでは、難しいかもしれないけれど。助けを求めていたのだから、きっと何かあると思うわ」
「ところで君は……ええと、ソニアは、どうしてここに来たの」
「どうしてってどういう意味?」
「生身の身体じゃないっていってたよね。何があったの」
「私は以前、ある研究所に勤めていたのだけど、テロで爆破されて……その時の所長だった、リチャード・ウォンに助けられたの。でも、身体の損傷が激しくて、脳だけを研究中のバイオロイドのボディにうつされて……おかげで、見かけだけ少し、若返ってるの」
ブラドは首を傾げた。
「リチャード・ウォンって誰だい」
「キース様の補佐をしている男よ」
「ふうん。ここでは偉いのか。だけど、君の恋人だったことは、ないんだね」
「どうして?」
「だって、命の恩人なのに、ぜんぜん感謝してないって顔をしてる」
ソニアはため息をついた。
「さっきもいったけれど、私は生身ではないの。だから、恋人もいないわ」
「そうなんだ。そんなに綺麗なのに」
「これはつくられた顔よ」
ブラドはふっと微笑んだ。
「違うよ、君の魂が綺麗なんだよ。優しさが伝わってくる」
そんなことをサラリという。ソニアはブラドの白い頬をじっと見つめて、
「もしかすると、あなたはパンクなホストか、結婚詐欺師だったのかもね。記憶がないのは、二重の人生を生きていたからかも。それで、自分の正体を忘れてしまったのかもしれないわね」
ブラドは一瞬、赤い瞳を瞬かせた。
「本当にそうだったら、どうしよう」
「あら、怖いことをいわないで」
「ごめん、僕は何をいってるんだろう。ところで僕は、何をしたらいいのかな」
「怪我が治ったら、できることをしたらいいわ。基地の中でも、食料用に植物を栽培しているから、手伝ってくれたらいいのじゃないかしら。あなたの好きな花があるなら、それを育ててもいいし」
「それだけでいいの?」
「ここは一種のシェルターなの。まずは心と身体を癒して。もし、ノアがあわないと思ったら、出ていくのも自由よ」
「自由、かあ」
ソニアは枕元にあったカラフからコップに水を注ぎ、
「寝覚めで喉が渇いているでしょう。少しずつ飲んで」
「ありがとう」
「何か飲みたいものはある? コーヒー? それともビール?」
「食堂を教えてくれたら、自分で行くよ」
「なら、簡単な案内図を渡しておくわね。ああ、そういえば、誰か、ゼラニュームの鉢植えをもっていたような気がしたわ。少し、わけてもらいましょうか」
「それより、君が時々、こうやって来てくれた方が嬉しいな」
「私でいいの?」
「どういう意味?」
「あなたはたぶん、キース様の力をまだまだ必要としているから」
「もう、助けてもらったのに?」
「あなたは自分の力を、コントロールできていないようなの。キース様は、その制御に挑戦してみるといっていたわ」
「僕の超能力? たいしたことないのに? せいぜい、宙に浮くことができるぐらいで」
「宙に浮いて、ただ逃げていただけなら、あなたの服に血糊はつかないはずよ」
ブラドは、ああ、と顔を覆った。
「思い出せないんだけれど、君の言うとおりな気がする。僕は、二重の人生を生きてるんだ、たぶん」

ブラドがノアの戦闘要員として出撃するようになるまで、そう時間はかからなかった。
細身ゆえか基本的なパワーはさほど高くないが、重力を操るトリッキーなサイキッカーなので、複数で出る場合には、意外なほど出番があった。ちなみに、超能力を使っている時の記憶は、やはりほとんどないらしい。それを二重人格とよぶべきなのかどうかわからないが、いわゆる「キレた」状態になる。それを放置しておくと、ただの殺戮マシンと化してしまうため、暴走する前に頃合いをみて、キースが働きかける。するとブラドは我に返り、二十四歳の真面目な男に戻る。つまりブラドがキースに求めていたのは、自分の力を制御してもらうことであり、キースが欲しかったのは戦力であり、戦える者の少ないノアにおいては、ギブ&テイクの関係を築けているといえた。
だが。
《利用していることに、かわりはないわ》
それでいいのかしら、とソニアは思う。
非常につつましい青年である。相手の表情をうかがってオドオドしている時も多く、見ていて気の毒になってしまうほどだ。その反動で、凶暴な行動に出てしまうのかもしれないが、果たしてあんな発散のさせ方で、本当にいいのかどうか。
花が好き、などと可愛らしいことをいったわりに、ブラドはソニアの運ぶ花をあまり喜ばなかった。もちろん手入れはしているし、枯らしたりもしないのだが、「ほんとうは、こんな地下の、日の当たらない場所で育てるものじゃ、ないからね」と寂しげに微笑む。本業は花屋でも園芸家でもなかっただろう、不熱心さだ。
「ブラド、すこし話をしたいのだけど、あなたの部屋へいってもいい?」
「君ならいつだって歓迎するよ。今日はタンポポのコーヒーがあるんだ。飲むかい? それとも甘いものがいいかな」
「私は経口摂取ができないから。それに、ブドウ糖は間に合ってるわ」
「ああごめん、すっかり忘れてた」
ブラドはすっかりしょげかえり、背中を丸めてしまった。
「いいのよ。私も時々、忘れてしまうぐらいだから」
「ごめん、本当に」
部屋で二人きりになると、ブラドはコップに、よく煎った香りのする液体をついだ。
「ところでソニア、話って、なんだい?」
「ノアの居心地はどう?」
ブラドはほんのり微笑んだ。
「悪くないよ。キース様のおかげで、ずいぶん楽になったと思う。僕は必要とされてるんだって、思えるようになったし」
「戦うことが、いやではないの」
「嫌かどうかって訊かれても、記憶がほとんどないから」
「そう。なら、いいのだけど」
ソニアはキースの部下という立場である以上、彼の方針に明らかに反対することはできない。喜んで暴力をふるっているようにはみえないが、本人が納得して協力しているのであれば、とめようがない。
「ソニア。僕も君にだけ、話したいことがあるんだ」
「なあに?」
「君、超心理学研究所に勤めていたんじゃなかったかな」
「そこまで詳しく説明したかしら。それとも、私の心を読んだ?」
「いや。僕、その研究所で、君に会ったような気がするんだ」
ソニアは首を傾げた。
「どういう意味?」
「君の身体を傷つけたのは、僕なんじゃないかって……」
ソニアは思わず、白い頬を押さえた。
実は彼女も、記憶がおぼろだ。爆発の激しいショックで、過去がとんでしまっているのだ。研究所に勤めていたということ、妹がいたということぐらいしか、はっきりと憶えていない。本名さえ抜け落ちてしまっている。ソニアという名は、開発中のバイオロイド素体の、愛称だったという。
「あの研究所で、超能力テストっていうのをやってたよね。希望者の、潜在的な超能力を調べるっていう」
ソニアはこめかみを押さえた。何かが思い出せそうな気がする。
「サイキッカー狩りなんていうのが、流行りだしてたよね。それで、僕も、テストを受けに、研究所にいった」
世界的な不況や社会不安から、アメリカでは人と少しでも異なる者を差別し、その命を奪うような過激な連中が増えていた。超能力者もその対象のひとつで、異能者を狩り出すことが愛国につながるなどといって、ひどい暴行を働くのだ。
「その時、僕の相談を受けてくれた、親切な職員さんが、君にすごく似てる気がして……ソニアじゃなくて、クリス・ライアンって名乗ってたけど」
ソニアの中で、なにかが繋がった。
クリス・ライアン。それが私の本当の名前だ。
「それで、研究所で、あなたが暴走したってこと?」
「そうじゃないんだ。だって、研究所は爆破されたんだろ」
「ええ。施設はめちゃくちゃになったわ」
「その爆薬を仕掛けたのが、僕なんじゃないかと思って」
「どういうこと?」
「僕は、本当はテストを受けにいくのが目的じゃなくて、誰かに操られていて、研究所をスパイして、破壊するように命じられてたんじゃないかって」
「ありえないわ。爆発物が持ち込まれていないかどうか、最低限のチェックはしているもの。それに、研究所の性質上、超能力をジャミングする装置が動いている。外部からあなたを操ることなんて、できないわ」
「でも、サイキッカーなら、雷管がなくても、爆薬に点火することができるよ」
「ありえないわ。あなたの能力では無理よ」
「だから誰か、協力者が一緒に、研究所に入り込んでたんだよ。若い男だった気がするな。でも僕は、君がほんとに親身になってくれたものだから、なんか騙してて悪いな、いいのかなって一瞬、迷ったんだ。でも、その後の記憶が、全然、ない……」
「だったらやっぱり、あなたのせいじゃないんじゃない? あなたはそんなことをする人には、とても、見えないわ」
「だと、いいんだけど」
ブラドは自分の細い指を見つめた。
「僕は今も、意識のない時に、人を殺してるんだよね。この自分のからだつきを見て、軍人だったとは思えないけど、なんらかの訓練を受けてると思う。どんな仕事についていたのか思い出せないのは、僕はもともとテロリストで、思い出すような日常が最初から存在してなかったんじゃないのか、って思うんだ。あのパンクな服も、無職の不良の証拠な気がする。それに、僕の意識をキース様が制御することが可能なのは、以前もそうやって、誰かが僕に、条件づけしてたからで……」
「ブラド、やめて」
ソニアに鋭くさえぎられ、ブラドはびくっと身を震わせた。
「それが真実だとしても、あなたは誰かを殺そうとして殺したのではないでしょう」
だが、ブラドは首をふった。
「殺意がなければ、殺してもいいのかい? 今でも僕は、スパイかテロリストかもしれないんだよ。キース様の声に応えたんじゃなくて、ノアを滅ぼすために来たのかも」
「もうやめて」
ソニアはブラドをぎゅっと抱きしめた。
「あなたの過去がどうであろうと、今は今よ。それに未来は変えられるものよ」
「ソニア」
ブラドは、ソニアの背を、ポンポンと優しく叩いた。
「君の身体はあたたかいね。君の心と同じだ」
「ブラド」
「掌を血に濡らす僕に、未来があるかわからないけど、君がこうして生きててくれるのが、僕にとっては救いなんだと思う。ありがとう、ソニア」
ソニアは、流れないはずの涙が、頬をつたうのを感じていた。
「かなしいことを、いわないで」
「研究所の待合室で待ってた時、君が、ゼラニュームの鉢植えをくれたんだよ。《花が好き?》ってきかれて。うん、って適当に返事をしたら《よく日の当たる場所に置いてね。この香りを嗅ぐと、心が落ち着くから》って。僕はそれまで、花になんか、まったく興味がなかったのに」
「もういいのよ、ブラド」
「君は生身の身体じゃないから、って何度もいうけど、今でも、ほんとうに、素敵だから……」
ブラドの口唇をまぶたに感じた時、ソニアは全身の力が抜けてゆく気がして――。

(2012.3脱稿)

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Written by Narihara Akira
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