『Still in the dark』

「おや」
大きなケージを下げて部屋から出てきたキースを、ウォンは呼び止めた。
「本当に一日きりだったんですね。もう持ち主に返してしまって、よろしいんですか」
昨夜あんなに怒ったことなど忘れたように、微笑を浮かべている。むしろキースの方が不機嫌なまま、
「首輪の性能が確かめられたからな」
「でしたらもう一度、その猫を触らせてくれませんか」
「まだ興味があるのか」
ウォンは肩をすくめた。
「私の超能力を人工的にブロックできるものが増えるのは、ゆゆしい問題ですからね。しかも特定の対象に向けて発信できるなら、ずいぶん便利な代物じゃありませんか。どんな私生活も、のぞけてしまいますよ?」
「本人……猫だが、それだけの資質があるんだろう」
「なら、なおさらです」
キースはしぶしぶケージを開けた。
テレパシーを持つ白いペルシャ猫は、行儀よく出てきてウォンを見上げる。
首輪をそっとはずし、抱き上げた。
「ぁぁ……」
かすかな鳴き声。
だが、抵抗はしない。触れていても、なんの意志も伝わってこない。
己の力だけで、ウォンの接触テレパスをはじいているのだ。
能力の高い個体だ。テレパシー以外の能力がなくとも、爆弾の一つも抱かせれば立派な兵器になる、などと物騒なことを考えたウォンに、一瞬、あるイメージが流れ込んだ。
「……刹那?」
「ほう、名前ぐらいは、教えてくれたか」
ウォンは首を傾げた。
「本当にそんな名前ですか」
「貸してくれた男が教えてくれなかった。こちらの好きに呼んでいいというから」
「あまり、いい趣味とはいえませんね」
「さあ、どうかな」
キースは首輪をはめなおし、猫をケージへ誘導する。これも、当然のように逆らわない。
「今晩は戻らない」
それだけ言い捨てると、キースは長い廊下を歩み去った。
「お気をつけて!」
そう声をかけるウォンにも、振り向きもせず。

激しい雨が、窓を打ちづつけている。
「やれやれ」
車内がすうっと暗くなったのは、夜行列車だからではなかった。
非常用の淡いランプがすぐついたが、止まっているのは時間調整のためとは思われない。
停電だ。
悪天候のせいで、どこかで送電線が切れたのだろう。
それとも、致命的な場所に、雷でも落ちたか。
変装用眼鏡の奥で目を細めながら、猫を返した後で良かった、とキースは思った。
なんの案内もされないので、車内の雰囲気は急激に息苦しいものに変わっている。先を急ぐ者は最初から長距離列車など乗るまいが、家族への電話もつながりにくいようだ。
まあ、ここらへんは低地ではないので、いきなり線路が水没したりもすまいが、だからといってうかつに外へ出る訳にもいかないだろう。豪雨にうたれながらの徒歩旅行は、楽しいどころか危険すぎる。車を拾うのも同じことだ。
「……どうするか」
キースは古い料理本を鞄にしまうと、周囲を見回した。
サイキッカーである自分は、停電そのものに焦る必要はない。だが、このままだと車内がパニック状態になる可能性も高いので、そうのんびり構えてもいられない。停電の原因がわかれば修理を手伝ってもいいかとも思うが、専門外のことだし、目立つことがこの際、いちばん危ない。トイレに立つふりをして車内から脱出し、とりあえず泊まる予定の宿まで飛んでいくか。
そういえば猫が別れ際の一瞬、「気をつけて」という念を送ってきた。予知ができるとはきいていなかったが、あれは動物のカンというやつだろうか。悪天候をあらかじめ知っていたのか、それとも愛猫の能力の高さを、あえて飼い主が隠していたか?
「その可能性も、あるな」
飼い主は一種の天才で、たったひとりであの首輪を開発していた。本人にも微力ながら能力があり、片田舎の、それこそよそ者も泊めてくれないような町にひとり、あの猫と住んでいた。
ささやかな謝礼を渡しながらキースは、「何故こんな、せせこましいところに住む?」と思わず尋ねていた。すると飼い主は「あなたが勝手に訪ねてきただけじゃありませんか」と笑った。確かに、サイキッカーの間で囁かれる、ほんとうに小さな呟きをたよりに見つけたのだが、「ちょっと変わり者の技術者と笑われてきましたが、私は今まで、ここで害されることもなく、ずっと生きてきました。氷の総帥に認められたのは光栄ですが、私は自分の育った場所を愛しています。ですからここを離れたくないし、それをまるまるひとつ消滅させるようなことも、したくないんです」と微笑んだ。
キースは男を技術者として自分の町へ迎えたいと思っていたが、こう言われては切り出すことはできなかった。しっかり咲いている野の花を抜いて、いつまで水をやれるかわからない鉢にうつそうとするのは、傲慢だ。基本的なノウハウと指向性についての情報をくれたし、実験までさせてくれたのだ。それ以上の親切を求める方が間違っている。長距離の移動は、猫にとって人間以上にストレスになることだ。渋々ながらも「可愛い子には旅をさせよ、といいますしね」と愛猫を貸してくれたことに、感謝せねばなるまい。
「もし、私の力が必要な時があったら、いつでも呼んでくれ」
飼い主は首を振った。
「そんな日が来ないことを祈っています。むしろここから百キロ以内の場所で、あなたの強い能力を、使わないでください」
「それは最初に約束した」
「それなら構いません。さあ、お別れを」
飼い主にうながされるまでもなく、別れを惜しむように猫はキースにすり寄ってきた。
日向くさい匂いに目を細めつつ、キースは身をかがめた。
「帰り道に、気をつけて」
キースの意識に直接触れてきたその言葉は、明らかに飼い主の念ではなかった。ありきたりの別れの挨拶でなく、警告だった。
「あらためて、感謝する」
なにごともなかったかのように立ち上がり、その場を後にしたのだが。
実は、表情を変えずにいるのが精一杯だった。
「……濡れて、いくか」
暗い中、いたずらに時間だけが過ぎ、車内の居心地は悪化の一途をたどっている。
キースは鞄から雨具一式をとりだした。そして個室で着替え、テレポートした。

雨足はだいぶ弱まっていた。
しかし、その町も停電で、暗く静まりかえっていた。
「誰か、起きているか?」
なんとか予定の宿を見つけてドアを叩くと、亭主らしい男が顔を出した。
「エヴァンズ様ですか。こんな晩に、よくいらっしゃいました」
「ああ。泊まれるか?」
亭主はランプを掲げて微笑んだ。
「見ての通り、小さな宿です。たいしたおもてなしもできませんが」
「横になれればいい」
「だったら、ストーブのそばで、まず服を乾かしてください」
雨具を脱いだキースを、亭主はストーブにのせたポトフでもてなす。
スープの味を舌先で確かめてから、キースは呟いた。
「電気がなかなか復旧しないと、不安だな」
「いや、それよりも、原発の事故で世界が滅びかけても、発電所をいそいで復旧させようとする人間の方が、恐ろしいですよ」
「嫌なたとえ話をするな。『悪魔のハンマー』か」
昔のSF小説の題名を口にするキースに、亭主は肩をすくめた。
「久しぶりに手回しラジオを使いましたが、雨のせいで送電線の修理が遅れているだけで、重大な事故ではない、といっていましたよ。こんな晩は、眠るに限ります。服もだいぶ乾いたようですね、お部屋にご案内しますよ」

雨は、再び強くなっていた。
ランプのあかりで本を読む気にもなれず、キースはベッドにもぐりこんでいた。
寒い。
身体も服も、すっかり乾かした。
布団も十分な厚みがある。
だのに、どうして震えがくるのか。
風邪でもひいてしまったか、それとも単に、暖房が足りないだけか。
身体を丸めて、布団が暖まるのを待つ。
帰りたい。
清潔にした自分の部屋で、眠りたい。
あたたかなぬくもりを、傍らに感じながら。
「……寒い、訳だ」
キースは急に、重い疲れを感じた。
帰れる場所が、今の自分にはあるのか?
自分がつくりあげた街はすでにこの手を離れつつあり、恋人は別の寝室で眠っている。
他のサイキッカーの脅威になるかもしれない猫を、あっさり返した。
電気がなくても平気な人間が住む土地で、ろくな情報もなしに凍えている。
もしかしたら発電所の事故は重大なもので、うっかり雨に濡れた自分は被爆しているかもしれない。
それが気になるなら、今から身体を洗うという手もあるが、今さら湯など頼めない。
「駄目だ」
思考が定まらない。
もう少し、生産的なことを考えなければ。
「ウォンの具合は、少しでもよくなったのか……」
キースがなんのためにレシピ本など鞄につめてきたかといえば、戻ったらウォンのために、なにか滋養のある食べ物をつくろうと思っていたからだ。むろん、ウォンの方が料理はうまいし、疲労回復用の栄養食なら、専門家につくらせた方がいいのだろう。だがキースは自分のいたわりの気持ちを、行動で示したかった。言葉だけで「本当に心配しているのだ」というのでは、足りない気がして。
ウォンがなぜいつも心の扉を閉ざしているか、キースは知っている。
取り澄ました顔の彼がしまいこんでいるのは、とても激しい感情だからだ。「もう、貴方を傷つけたくない」と静かに抱きしめてくるのは、単に優しいからでなく、自分の醜さを二度とさらけだしたくない、と思っているからだ。
でも、だったら、僕はどこへ帰ればいい?
狂ったように、ウォンが欲しい時がある。
すがりついて「ウォンのでめちゃめちゃにされたい」とか「全身しゃぶり尽くして欲しい」とか、身体の奥からこみ上げてくるままに、淫らにねだりたい夜がある。
だが、そんなことをしたらウォンはため息をついて、「貴方には、そんな台詞は似合いません」と言うのだ。そしていつもより細やかな愛撫で、僕をとろかそうとする。
そうじゃ、ないんだ。
どうしてこんなに愛しあっているのに、いまだ闇の中を手探りするような日がある?
もちろんキースも、「親しき仲にも礼儀あり」という言葉は正しいと思っている。
しかし。
具合の悪い時ぐらい、甘えてもらいたい。
気持ちの高まりのまま、求めてもらいたい。
されたいんだ、僕は。
「……そんなに、欲しい?」
真っ暗な部屋の隅から、雨の匂いが漂ってきた。
「どうして、ここに!」
キースが思わず身を起こすと、濡れた服を脱ぐ音がした。
「暗い中で震えている、貴方が心配で」
「君も刹那に、停電を予告されたのか」
「ああ、貴方も、されたんですね」
リチャード・ウォンはすうっと近づいてきて、キースを抱きしめた。
いつもよりずっと、冷たい肌。
「すみません、途中で少し、濡れてしまって。かえって寒いでしょうか」
キースは思わず、ウォンをきつく抱き返した。
「馬鹿。調子が良くないといっていたのに、こんなところまでついてきて」
「もう、平気です。貴方のそばで眠ることを、許していただけるなら」
「ウォン」
深いため息が、キースの首筋に落ちる。
「私は、ただ暗いことは、恐ろしくありません。私はもともと、日の当たる場所に生まれたのではないし、長じてもそれはあまり、変わりませんでした。もちろん夜明けを願ってはいましたが、貴方に出会うまで、その本当の意味を知らなかった。ですから昨夜は、ほんとうに辛くて……貴方にそうまで信頼されていないと思うと、よく、眠れませんでした」
ウォンの表情が見えないことが、キースの不安をかきたてた。
やはり、暗いことは恐ろしい。
その声も、伝わってくるテレパシーも、絶望に沈んではいなかったが、それでもいつも、己の心をひた隠しにしている男なのだから。
するとウォンは、キースの背をそっと撫でながら、
「でも、今晩も別に、眠らなくともよいのです。貴方がそんなに、欲しがってくださるなら」
「無理をするな」
キースはウォンの胸に、口唇を押し当てた。
「今夜は僕が、暖めてやる……ゆっくり、眠るといい」

(2006.9脱稿)

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Written by Narihara Akira
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