『うわごと』


「三週間、いや最低でも二週間ぐらいは、好きに寝かせてあげて下さい。それでたぶん、よくなります」
主治医は知恵蔵にそう告げると、事務所を出て行った。
「……ごめん」
満潮音はパジャマ姿でしおれている。
「本当に悪い病気じゃないのか?」
「ひととおり検査してもらったけど、なんともないって。起きられないのは過労だろうって。あの人は三代にわたってうちの主治医だから、嘘は言わないと思うよ」
知恵蔵は満潮音の脇に腰を下ろした。
「そうか。じゃあ、ゆっくり休め」
「君もだよ。事務所は閉める」
「まあ、おまえを寝かせておいて、一人で仕事をする気もないが」
「仕事もそうだけど、外出もいっさい、しなくていいから」
知恵蔵は首をかしげた。
「そういうわけにもいかないだろう。食事はどうする」
「地下室にストックがある。三ヶ月は楽勝だよ」
「なんだそれは」
「母さんの名義で寄付してる食品の一部。ローリングストックって言葉は、君も知ってるだろ」
「途上国への物資に賞味期限ギリギリの食べ物を送るやつか」
「言い方……まあ、そうだけどさ。半年とか一年とか余裕のあるもの置いてあるから、それで食いつなげる。少しだけど冷食も冷凍庫にあるから。新鮮なものが食べたいっていうならミールキットを送ってもらうし」
「それはそれとして、身体がなまるだろう」
「朝昼晩と体操でもしなよ。あ、いい機会だから、太るのが気になるなら大掃除するとか。けっこう重労働だよ」
「おまえが寝てる脇で掃除をしろと?」
「寝室以外。ドア閉めればそんなにうるさくないし」
「わかった。じゃあ道具を出してくる。風呂あたりからやるか」
知恵蔵が立ち上がろうとすると、
「待って」
「なんだ」
「……添い寝」
「わかった」
知恵蔵はさっと服を脱ぎ、満潮音の脇に滑り込んだ。
「私がいて、眠れそうか」
「ん」
満潮音はそっと頭を知恵蔵の肩に寄せて、
「なんで何にも訊かないの」
「なにを?」
「過労の原因とか」
「だっておまえ、ここ半年ぐらい、あまり寝てないんじゃないか? 私が退院してから、昼も夜もせっせと何かやってたろう」
「そうだけど」
「もう若くないんだ。いくらおまえでも、無理をすれば倒れるさ」
「何をやってたかは訊かないの」
「資産を整理して、海外へ行く準備か? カナダとか」
「なんでわかったの」
「おまえが事務所にいる時は、ずっと英語かフランス語が流れてたし。音楽も映画も語学講座もとなれば、耳を慣らしてるんだろうなと。ついでに私の耳も慣らしておこうとしたのかと」
満潮音は驚いたように顔をあげて、
「君、意外に名探偵だな」
「しょっちゅう出奔する所長を持つと、そっちの方の勘は鋭くなる。私に言わないでいたのは、何か秘密の計画でもあるのかと」
「いや、単純に、この国にいるの、もう無理だなと思って」
「そうか」
「あの子をここへ迎えた頃に、もうこの国は無理だなってわかってたんだけど、あの子達には完全にフラれちゃったし、君がいるからいいやと思ってた。けど、僕も君も狙われるようになっちゃったし、親が死ねば僕はただのボンボンだ。二人で国外に脱出した方がいいと思って、ずっと準備してきたのに、今や世界中、ここを脱出しても安全じゃない状態になっちゃった。馬鹿だな僕は、本当に」
「別に馬鹿とは言わないが、私の英語力だと海外はだいぶキツイんだが」
「じゃあ、事務所を閉めてる間に特訓するよ」
「医者に、三週間寝てろっていわれたのを忘れたのか」
「言われたけどさ」
「おまえ、自分が死ぬと思ってないだろう」
「え」
「これ以上の無理をして、何かあったらどうする。私を一人にする気なのか」
「……ごめん」
知恵蔵は満潮音を抱き寄せた。
「おまえの無事が、いちばん大事だ」
「僕もだよ」
「だったら、外で嵐が吹き荒れてる間、ここで二人でずっと眠っていても、いいんじゃないのか」
「うん」
「後のことは、おまえが元気になってから考えよう。とりあえずは今の貯金で、なんとでもなるだろう?」
「それは、そうだけど」
「満潮音」
「ん」
知恵蔵は満潮音の柔らかい髪を撫でながら、
「添い寝するのはいいが、それだけじゃ私は物足りないんだ。早く元気になってくれ」
「そっちだけ元気になってもいいけど」
「無理するなっていったろう」
「わかった」
満潮音は知恵蔵の胸に顔を押しつけた。
「じゃあしばらく、眠り姫になる。王子様にキスしてもらえるまで、ゆっくり休むよ」
「ああ。だが」
「なに?」
「おまえが本当に回復したかどうかは、見て、わからないから……」
知恵蔵が語尾を濁すと、満潮音は嬉しそうに笑った。
「うん。その時は、僕からキスする。安心して」


(2020.3脱稿、美少年興信所スピンオフ)

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Narihara Akira
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