『君を手に入れるための50の嘘』


「だいぶ遠回しな表現だったけれども、ご相談の内容は、まあ、理解できたと思います」
エイ――アルファベットの大文字一文字でA――と名乗る男は、そう言ってうなずいた。
女のような顔というのは、彼のものをいうのだろう。ゆるく波をうって、肩口へ落ちる長い薄茶の髪。丸く孤を描いて、細く流れる眉。甘いニュアンスのある重たい二重瞼の下に、強い印象を与えるくっきりと大きな瞳。常に微苦笑を浮かべる薄い口唇。均整のとれた卵型の顔は、特にメイクもしていないのに、しっとりと透明に艶めいて白い。海外の女性モデル風とでもいうか、性別を超えた美貌の持ち主だ。年齢も不詳だが、むぞうさに羽織った白いシャツと安物のジーンズでも、グラビアのようにサマになっている。これは若い女性に人気があってもしかたがない。単なる喫茶店のウェイターには過ぎた美人が、店の隅で個人的な相談にのってくれるとあれば、なおさらだ。
ここは【J】という喫茶店で、本店が改装中だということで、期間限定でショッピングモールに出店してきた店なのだが、昼を外した中途半端な時間だというのに、年齢性別を問わない客で今もにぎわっている。
「……で、ここから先は、あくまで僕の個人的な意見としてきいてもらいたいんだけれども」
伏姫海吏は、黙ってその顔を見つめている。エイは静かな声で続けた。
「自分の気持ちがコントロールできないのって、当たり前のことだと思うんだよ。まして、若いうちはね。相手を傷つけるかもしれないからって距離を置いてしまうと、かえって相手を不安にさせて、傷つけてしまうこともあるよ。むしろ、正直に言った方が、お互いに楽なんじゃないのかなあ。自分は今、一言でいいにくい気持ちを抱えているけど、あなたのことは好きだから、安心して見守っていて欲しいって。それでも相手を傷つけてしまうと、思う?」
「それは……」
「だから、それぐらいでいいんだよ。なんでもぜんぶ告白する必要はないでしょう。相手がどれだけ信用できる人だとしても、いっぺんに受け止めきれるかどうかはわからないし。それにね、人は絶対に成長しなきゃいけないわけじゃない。永遠に片思いだって問題ないし、どんな気持ちでも、ずっと持ち続けていて、いいと思う。でも、新しい恋人候補がいるんだったら、気持ちに一区切りをつけておいてもいいんじゃない? 恋愛って、基本的には相手のあることでしょう。気持ちを残したまま次に行くなら、なおさら正直でいた方がいいよ、関係者と納得しあってた方が……」
海吏ににらみつけられて、エイは首を傾げた。
「他人は気楽にいうなあって思ってる?」
「祈吏は何を相談しにきたんですか」
エイは笑った。
「ああ、やっぱりそれが訊きたかったんだ。でもごめん、知りたかったら本人に訊いてね。僕の口からは言えない。守秘義務っていうほどのものじゃないけど、言うのは反則だから。反対に、君からきいたことも、彼女には言わないよ。頭のいい子だから、察してしまいそうだけどね。というか、君の屈託はとっくに見抜かれてると思った方がいいんじゃないかな」
「わかりました」
「相談は、以上でおしまい?」
「あと、無駄に明るくてやたら絡んでくる自称友達と縁が切りたいんだけど、どうしたらいいのかなって。ついてくるなって言ったのに、いまも後ろで待ってるんだけど」
「えーーーー!」
背後の席で、黙って絵を描いていた同世代の友人が驚いて振り返る。
エイは吹き出した。
「別に、むりやり切らなくてもいいんじゃない?」
「そうじゃん、なんでさー!」
「嫌う理由はわかるけどね」
「ちょっ」
エイは目を細めて、
「だって君たち、正反対なように見えて、本質は変わらないと思うから」
「「どこが!」」
「二人とも神経質で、踏み込まれたくない性格でしょう。海吏くんの方は、内心を見せたくなくて、わかりやすい鎧をつけてるけど、忍くんも自分から突っ込んでいくことで、つけいる隙を見せない。それもひとつの見えない鎧だからね。でも、やり方が違うからあわないし、むしろ、同族嫌悪っていうのかな……」
その時、衝立の向こうから、
「エーイ。そろそろ時間よ」
「あ、ごめん、姉さん。所定の時間が終わりましたので、今日はここまでで。なんていうか、期待に添えなくてごめんね。よかったら、次はゆっくりお茶しにきてね。もちろん、二人一緒じゃなくていいから」
海吏はしぶしぶ立ち上がり、オーナーらしい女性に紅茶の代金を払って店を出たが、そこで首を傾げて、
「……変だな」
追いかけて出てきた忍が、
「なにが?」
「落ち着いた夫妻がやってるってきいたんだけど」
誰から、とは言わない海吏に、忍も首を傾げて、
「夫婦でしょ? ふつうに」
「でも、姉さんって呼んでた」
「奥さんが年上なんじゃん。少なくとも双子じゃないよ」
「まさか、そういう……」
その時、二人の前に、白いスーツの男がすうっと現れた。
「伏姫くん」
こちらも人間離れした美貌の持ち主で、年齢もわからない。正体をはかりかねて、海吏が身を強張らせていると、
「今のお店にいたら、ちょっと聞こえちゃったんだけどさ。本当にその子と縁が切りたいなら、僕が話を聞こうか。法律的なことまで含めて相談に乗るよ。方法はいくらでもある。たとえば……」
「おまえはやめろ! そういうのは!」
その後ろから現れた中年男が、スーツの男の袖をひいた。
「子どもをからかうんじゃない」
「からかってなんていないよ。僕は、専門家としてさ」
「何が専門家だ。行くぞ」
強引に腕をひいて去っていく。
「なんだ、今の……?」
二人はきょとんと見送った。

*      *      *

「なんで邪魔するのさ」
角を曲がってしばらく歩いた後、満潮音は知恵蔵の顔をのぞき込んだ。
「邪魔をしたのはおまえの方だろう。追いかけてきてよかった。あの子たちが怖がって、二度とあの店に行かなくなったらどうするんだ」
「だって、いくら期間限定とはいえ、商売敵だよ?」
「なにが商売敵だ。あそこは喫茶店だろう。事務所からだって、ずいぶん離れてる」
「キャラかぶりもあるしさ」
「キャラかぶり?」
「無駄に顔が綺麗で、いい年して甘ったれで、のらくらしててさ。しかも、相談に乗りますって触れ込みなのに、あれじゃ全然、解決になってないじゃないか」
「ストーカー防止法でも持ち出すつもりだったのか」
「相手が子どもだって、必要な時もあるよ。場合によってはね。あと、プラトニックだからこそ、全部伝えた方がいいんだよ。それで相手から「知ってる。それでもあなたが大好き」って言ってもらって、手の一つも握ってもらえば、それですっきりするんだ。憎悪は相手との距離を離せば割と薄まるけど、愛情は離れることで、かえって強まることもある、そのまま次になんて行けるもんか。成長は一人じゃできないんだ。知恵蔵だって知ってるだろう、天主くんとこ見てみなよ、今じゃすっかり落ち着いて」
「満潮音」
知恵蔵はじっと満潮音を見つめ返した。
「みんながみんな、無条件に受け入れてもらえると思うなよ。それに、ヒットすら打ったことのない人間に、おまえもホームランを打てると言ったところで、それでなにが伝わるというんだ。試合の相手が悪すぎる時だってある」
「そりゃそうだけど、あんな手ぬるい」
「おまえよりはマシだろう」
「どこがさ」
「おまえは人を幸せにしない」
満潮音の顔から微笑が消えた。
「わかった。ちょっと頭を冷やしてくる。先に帰っててくれ、知恵蔵」

*      *      *

自分がどんなに空っぽな人間か、満潮音純は自覚している。
保守系議員の一人息子で二世議員になることを期待されているが、自分はリベラルで、そんな地盤は絶対に継ぎたくない。そんなわけで、ろくに働きもせず、ただ親の金を食いつぶす、典型的な頭の悪いボンボンと化した。女を愛せないことは公然の事実なのに、誰も指さしてこない。差別が殺人に直結する海外と違って、言った方が抹殺されるからで、まともにグレることさえできなかった。
若い頃の満潮音は、とにかく飢えていた。
優しい母に甘えたくても、おのれの出生の秘密を知っていると甘えきれない。
自分の欲しかった幻を初対面で見せてくれた、幼なじみの巧多門も、最後まで寄り添ってはくれなかった。思わぬ場所で再会しし、自分の本質を突いた鐘堂房子を、そばに置いてみたりもしたが、彼女も一時、こちらを利用しただけだった。
いや、それは仕方がない。利用されることは、ある程度は仕方ないことだと思っている。自分の顔、財産、人脈目当てで近づいてくる人間は後を絶たない。すべて切り捨てることはできないから、ギブ・アンド・テイクで割り切るしかない。
だいたい自分が、その立ち位置を利用している。
たとえば、クラスメートが脅迫されていたら、脅迫者と二人きりになったところで、相手の目をじっと見て、「僕は、大事な友人に危害を加えようとする人間を許さない」と言えばすむのだ。「いや、心配しなくていい。自分が通っている学校で、人に話せないような事件が発生することを、僕は望まないから」と付け加えれば、相手は震え上がる。丁寧に言ってもわからない愚かな相手であれば、完全に排除することも可能だ。満潮音の家には、それだけの力がある。
「だから君を、僕の世界へ、引き込みたく、なかった、のに」
バーの隅で、満潮音は低く呟く。
門馬知恵蔵は、中学生の頃、一時期一緒にいただけの友人だ。満潮音はすぐに転校したし、高校は別だし、大学で再会するとは思っていなかったが、学部も違うし、サークルでも一定の距離を保てていたと思う。社会人になった知恵蔵が、自分のことを忘れかねて、二丁目のバーなどにやってこなければ、その肌に触れる気など、おこさなかった。
自分に会っていなければ、彼は普通の生活が送れたはずだ。育ちはそう悪くない。普通の学生生活を送り、普通に就職して、普通に結婚していただろう。出世するタイプではないかもしれないが、常識と社会性はある。堅い勤めを続けて、今頃はマイホームのひとつもたてて、そこには愛する妻と、子どもも一人か二人いて……そう、甥っ子とのやりとりを見る限り、きっといい父親になっていたはずだ。そういう幸せを味わっていて欲しかったんだ、君は、僕とは違うから……。
うっすら目が潤んでいるのに気づいて、満潮音は目を瞬いた。
「知ってるよ、そんなことは」
 おまえは人を幸せにしない――そう、知恵蔵は僕のせいで不幸せなんだ。同い年の男に囲われて、人の秘密を探る危険な仕事をさせられて、親戚とも縁が切れた孤独な状態で。それが嬉しいわけがない。
それでも満潮音が知恵蔵を手放さないのは、彼がほかの人間と違うからだ。
「君は、僕を、利用しようと、しないから」
たしかに知恵蔵は、満潮音に与えられた金で生活している。しかしそれは給料だ。与えた事務所に住んでいるが、それは共同経営者として当たり前だ。知恵蔵は過分な金を満潮音に要求しない。満潮音の力を使って、問題を解決させようともしない。むしろそれを嫌がる。抱き寄せて拒まれたことはないが、知恵蔵の方から、すすんで快楽をねだってきたことはない。顔を褒められたことすらない。もしかして、顔なんてついてればいい、ぐらいの気持ちでいるのかもしれない。男の綺麗な顔を嫌う男は、たくさん居る。
「そうさ、僕なんかの、一体、どこがよくて……」
「ここにいたのか、満潮音」
背後から現れた知恵蔵は、静かな声で言うと、満潮音の脇に腰掛けた。
「私にも同じ物をひとつ」
満潮音は目を伏せた。知恵蔵の顔も見ずに、
「どうしてここへ?」
居場所をあてたのはともかくも、わざわざ迎えにくるとはと思っていなかった。
知恵蔵の声は、ぐっと低くなって、
「謝っておこうと思って」
「何を」
「さっきは言い過ぎた。おまえの顔色が変わるまで気づかなかったのは、不覚だった」
「いや。僕みたいな男につきあわせて、悪いと思ってるよ」
「それはいいんだ、満潮音」
「何が?」
「おまえが意図的に、人を不幸にしていないことは知ってる。おまえ自身がどうしようもできないことで責めるのは間違いだ。それは謝る」
「そう」
「だが、私に何かがとめられるなら、できればとめたいし、私のようにつまらない人間がおまえの隣にいることにも、たぶん、意味があるんだろうと思っている」
「君はつまらない人間なんかじゃ、ないけどね」
「満潮音。なんでこっちを見ない。謝らなければいけないのは私の方だといったろう」
「あらためて、僕は悪い男だなと思ってさ」
「ああ、悪いな。だが」
「さっき、僕の独り言をきいてたかどうか知らないけど、君、なんで僕と一緒にいる?」
満潮音がそっと視線を流すと、知恵蔵は眉を寄せていた。運ばれてきたマティーニをあおると、
「おまえ、最初の晩、私に何を言ったか覚えてるか」
「そんなすごい口説き文句を言ったっけ?」
「おまえはな、こう言ったんだ。《何も心配しなくていい。僕はこれから君の完璧な王子様になる。君の望むこと、何でもしてあげるよ。なんでも言って》って。嘘つきめ」

*      *      *

バーから転がり出して、あっという間に連れ込まれた清潔なホテルの一室で、知恵蔵は熱に浮かされたようになっていた。今晩、満潮音のものになる……ものになるってなんだ、満潮音は私がもっているこの熱を鎮めてくれるのか。ひどいことをされるのか。初めての快楽に支配されて、すっかり満潮音のいいなりになってしまうのか。
服を脱がされ、簡単にシャワーを使って、そしてベッドへ誘われて、これは本当に現実なのか、自分が望んでいたのはこれなのか、と思っていると、満潮音が優しい声を出した。
「何も心配しなくていい。僕はこれから君の完璧な王子様になる。君の望むこと、何でもしてあげるよ。約束する。なんでも言って」
知恵蔵は首をふった。
「おまえが私にしたいことを、してくれ」
「それじゃあ泣かせちゃうよ。君、初めてなんだろう」
「初めてだから、どうされたいかがわからないんだ。そこは完璧な王子様にまかせる」
「君は、して欲しいこと、本当にないの?」
「ひとつだけ」
「なに」
「ずっと、おまえの隣にいたい……いて、いいなら……」
満潮音の顔がぱっと輝いた。
「僕もだよ。……うんと、優しく、するね」

*      *      *

「……だいたい思い出した、気がする。君がすごく、いじらしい返事をしたこともね。でも、なんで嘘つきめって怒られなきゃいけないんだい」
「おまえ、私の望むことを何でもしてやるって言ったろう。何が約束するよ、だ。おまえ、何度、私に黙って出て行った。私がやめろといったことを、何度繰り返してきた? 十回じゃきかないぞ、二十回か、いや五十回か? 私を軽く見ている、いい証拠だ。だがな、つまらない人間だからって、何度も騙していいわけじゃないんだぞ。出かける時に声をかけることぐらい、できるだろうが。私以外の人間に夢中になるなとか、浮気をするなとか、そんなこと、私はおまえに要求してこなかったはずだ!」
満潮音は、じっと知恵蔵を見つめた。
「だから君、不幸せなの?」
知恵蔵はまっすぐ見つめ返す。
「不幸せなわけないだろう。私は望んでおまえのところに来たんだ。嫌なら出て行けばいいと言ったのはおまえだ。なんで出て行かないと思ってる」
「……セックス?」
「私の年を考えろ」
「なんだよ、いっつも。同い年じゃないか。僕はまだ枯れてないよ」
「若い頃とは違うだろう」
「そりゃ、多少落ち着いてはきてるけど、僕はいつだって君が欲しいよ」
「嘘つきめ」
「嘘じゃないよ。だって君、ほんとになんにも知らなかったろう。だからベッドの中じゃ、完全に僕好みになるよう、丁寧にしこんだんだ。いいに決まってるだろう」
「思い通りに泣く、いいオモチャということか」
「そんなことないよ。だって君、終わったらもう、僕の言うこと、きかないし」
「きかせたいのか」
「いや。そんなの君じゃない。僕に支配されちゃう君なんて、それこそつまらないよ」
「そうか」
知恵蔵はぐっと顔を近づけて、
「満潮音。大事なことだから、もう一度言っておく。おまえは人を不幸にするが、私は大丈夫だ。そこは心配しなくていい」
「うわー、カッコイイな、君」
「茶化すな」
「そうだね。ありがとう。そろそろ帰ろうか」
「帰ってくる気が、あるならな」
「君が待っててくれるから、飲み終えたら、ちゃんと戻る気だったさ」
「どうだかな」
「まだ言いたりないのかい、嘘つきって」
「おまえは嘘をついてるつもりはないかもしれないが、すっかり本当のことは言わない。それでよく、子どもに全部告白しちゃえとか、軽々しく言おうとするな?」
「ああ、君が怒ってたのは、そこなのか」
「つくなら完璧な嘘でもついたらどうだ。墓場に行くまで私を騙し続けてみろ」
「それまで一緒に、君といてもいいのかい」
「私の身も心も揺さぶるのはおまえだけだ。不幸せにしたくないと思ってるなら、責任をとれ。最初から、最後までだ」
「ありがとう」
満潮音は知恵蔵の掌をとった。自分の掌でぐっと挟むと、
「……ずっと君と一緒にいる。死が二人を分かつまで、ね」


(2018.1脱稿、美少年興信所・番外編)

●注:2017年8月に、午前三時の音楽・高梨來先生からいただいたお題の消化です。「嘘ばかりついてきたから本当の自分を見失ってしまった、とうそぶく男が「君にとって完璧な理想の男になるためのとっておきの嘘をついてみよう」って気取ってみせる大人の策略めいた恋のお話」というテーマでしたが、だいぶズレております。ゲストとして登場しているのは、來先生の代表作『ジェミニとほうき星』『ほどけない体温』のメインキャラクターで、双子のお姉さんに恋してる海吏くんと、ステディがいるのにお節介焼きの忍くんです。Aちゃんと満潮音さんとのクロスオーバー作品として楽しんでいただければ……お二人の口調については、來先生からのご指導を受けています。

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copyright 2018.
Narihara Akira
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