『まさかの。』


「ああ……」
満潮音純は身を起こし、ベッドの上でため息をついた。
「なんだろう、これ」
幸せな朝――そういう形容しか出てこない。
「君があんなに男らしいなんて、知らなかったよ」


昨夜、つまらないことから知恵蔵と言い争いになった。
二人とも少し、酔っていたのもあったろう。
「君さ、いつも自分の方が僕を好きだっていうけど、なんの根拠があってそういうの。だいたい君って、いつも取り澄ましてて、下心とか全然感じられなくてさあ」
「下心ぐらいある」
「信じられない。じゃあ、僕相手に勃つかい」
「勃つさ。おまえが目の前にいない時は、おまえで抜いてたんだ」
「それって単純な性欲の暴走でしょう? 若い頃だったら普通だよ」
「なんだおまえは。くだらない挑発をするな。まさか私に抱かれたいとでもいうのか」
「君に抱けるもんならね」
「そうか。後悔するなよ、満潮音」
「えっ」
背中に腕を回され、引き寄せられて、顔が重なった時、知恵蔵の本気を感じて、満潮音は主導権を手放した。
知恵蔵は誰も抱いたことなんてないはずだ、どんなみっともないことをしても、途中で駄目になっても、笑ったりしないでやろう、そのことだけを考えて、目を閉じた。


「まさか君が、やればできる子とは、思わなかった……」
もちろん、その動きはぎこちなかった。ためらいも迷いも感じられた。加減がわからないのは当たり前で、触れ方は強すぎたり弱すぎたりもした。
だが知恵蔵は、自分に仕込まれた愛撫を、ずいぶん上手になぞっていた。その瞳を潤ませ、熱い吐息を漏らしながら、満潮音が緊張するたび、それを優しくなだめて先を続けた。このまま最後までされちゃうのか、と他人事のように考えていると、薄い皮膜を指にかぶせて、知恵蔵が入り口を探り始めた。初めてなのを知られたくなくて、息を深くして力を抜いたが、とたん、前にも口づけされて、思わず身もだえた。すっかりほぐされたあと、入ってきた知恵蔵のものは、想像していたよりずっと熱く、そして硬く、満潮音は雄の欲望にすっかり圧倒されてしまった――。
「ごめんよ。疑ったりして」
もちろんそれが何の証明になるわけでもない、性欲と愛情は別のものだ。それでも、全身を愛されたという実感が、満潮音を幸福にしていた。後始末まで気を遣われた。身体を拭かれてベッドへ戻ると、とろけるように眠ってしまった。今まで誰かに甘えようと思ったことなんてないのに、今、君が目の前にいたら、際限なく甘えてしまいそうだ……。
ぼんやりと夜の記憶を反芻しながら、そういえば知恵蔵はどこだろう、と思う。朝食にはまだ早いな、と思っていると、マグカップを二つ持って、寝室に戻ってきた。
「起きたか。大丈夫か」
ベッド脇までやってきたが、顔がまともに見られず、満潮音は目をそらした。
「うん。大丈夫」
「持てるか」
「大丈夫だって言ったろ」
渡された温かいマグカップからは、ほんのりコーヒーの香りがしている。
満潮音は口をつけて、
「ずいぶんとミルクの多いカフェオレだね」
「カフェオレじゃない。コーヒー牛乳だ」
「そんなもの、冷蔵庫になかったはずだけど」
「牛乳に砂糖とネスカフェのフリーズドライを入れて鍋であっためた」
「ふうん。これが門馬家の味?」
「祖父の味だ。酒も甘い物もどっちも好きで、朝はこれで夜は角ハイだった」
「君がサイフォンを使わないのは、そういうわけか」
「私がサイフォンでコーヒーをいれたら、おまえ、必ずいれなおすだろうが。なんで口にあわないものを、わざわざ出してやらなきゃならない」
「ごめん。つい、ね」
知恵蔵は目を伏せて、
「多少、具合が悪くても、これなら飲めるかと思ってもってきたんだが」
「うん。飲める。おいしいよ。ありがとう」
二人はそれから、しばらく黙ってマグカップの中身を飲んだ。
先に口を開いたのは知恵蔵の方だった。
「すまない。誘った方のおまえが、まさか初めてとは思ってなかった」
満潮音がミルクを吹き出しそうになるのをこらえた次の瞬間、
「おまえがあんな妙な声を出すのを、初めてきいた。触ってみて、やっとわかった。いくら遊びなれていても、警戒心の強いおまえが、進んで他人に好きにさせるわけがない。だから、できるだけ優しくしたいと思っていたのに、途中から、なんというか、我を忘れてしまって」
目を上げると、知恵蔵は真っ赤になっていた。
「悪かった。おまえが私に対して、ずいぶんな手間暇をかけてるってこと、自分で触れてみて、よくわかった。一刻も早く欲しいのに、それを抑えて……いつも不機嫌に寝転がってるだけの私の気持ちを疑うのも、当然だと思う」
「欲しかったんだ、君?」
知恵蔵はうなずき、カップを脇に置いて、ベッドに腰を下ろした。
「私の腕の中で、処女の花嫁みたいに震えてるおまえをみてたら、新しい扉が開いたというのか、なんというか」
「気にいっちゃったってこと?」
「いや、何度も味わえるものじゃないだろう、そういう感激は」
「そうかなあ。僕はいつも、君の味に満足してるけど」
「じゃあ、これからもそうしてくれ。腰にきてる」
「そっか。二度目はないのか」
知恵蔵は真顔で、
「良かったのか、おまえは?」
「正直、予想以上だったからね。君は筋がいい」
「教えたおまえが巧いからだろう」
「僕以外の人間が教えてたら、ちょっと殺してきたいぐらいだよ」
「褒め言葉として受け取るが、物騒なことを言うなよ。おまえはシャレにならないからな。まあ、誰もいないから問題ないが」
知恵蔵は満潮音の頬を手挟んだ。そして、チュ、と唇を吸った。
顔が離れると、満潮音はすこし掠れた声で、
「……夢じゃないよね、これ?」
「おまえはこんな朝を夢見てたのか?」
「そういうわけじゃないけどさ」
満潮音は薄く微笑んで、
「君が見かけよりずっときれいな心を持ってることも、すごい情熱を秘めてることも、僕しか知らないって思ってたんだけど、君自身も知っちゃったんだな、と思って」
「見かけよりとはなんだ」
「だって君、見かけはすれっからしだもん」
「悪かったな、悪人面で」
「まあ、悪人面っていうなら、僕の方が悪人だけど」
今度は満潮音から首を引き寄せて、
「ねえ、本当に、君が初めてだったって思ってる?」
「どのみち、私にとっては初めてだったんだから、そうでなくても同じことだ」
「そうだね。僕、君の初めてを、ぜんぶもらっちゃったんだな」
「ついでに最後までくれてやるよ」
「えー、君を看取るのなんて嫌だよ。僕が先に死んで、君の美しい思い出になりたい」
「なにが美しい思い出だ。ろくな死に方をしないで、悪夢になる可能性の方が高いだろうが」
「嫌な予言をするねえ、君も。初恋の人と思いを遂げた翌朝とは思えない、色気のない発言だ」
「なにが初恋の人だ」
「違うの? じゃあ、のろわしい運命の相手?」
知恵蔵はひとつため息をつき、額に額を押し当てた。
「……おまえが人を試すのは、いつも不安だからだ。待ってなくていいよ、というのは、待っていて欲しいからだ。帰ってこない間の、こっちの気持ちも考えられないほど、な」
「そうだよ。いいトシして、甘ったれなんだ。ほんと、のろわしいよね」
「おまえ、忘れてるだろう。私の方がおまえが好きだと証明したかったってことを」
「そうだね。じゃあ、なんでそんなに僕が好きなの」
「おまえがおまえだからだ」
鼻先が触れる距離で、知恵蔵は囁いた。
「だからずっと、そのままでいろ。おまえは、それで、いいんだ……」


それから。


しばらく満潮音は小さく鼻を鳴らしていた。知恵蔵は低い声で、
「どうした?」
「ん、いや、これからは、やってもやっても物足りなかったら、じゃあ君のを頂戴っていう展開ができるんだな、と思って」
「何を言ってる」
「今晩にでも、君をめちゃくちゃにしちゃいそうで」
「ふうん」
知恵蔵は、ほとんど吐息に近い声で、
「今じゃなくて、いいのか」
「一日ぐらい、余韻に浸ってたいよ。君の形を反芻してたい」
「そうか」
「馬鹿、って怒らないんだ?」
「今さら言わない。それに、私は最初、三日三晩、おまえに離してもらえなくて、さすがに死ぬかと思ったんだが」
「だって、最初にこんなもんかって思われたら、それっきり君を抱けなくなっちゃうじゃないか。二度と離れられないと思うぐらい、最初にきっちり仕込まなきゃって、これでも必死だったんだよ」
「私がおまえを、拒否するとでも?」
「うん。君だって、いつもOKじゃないだろうし、それに、あの……」
満潮音は目元をこすった。
「いくら愛してるって囁いたところで、僕が言ったんじゃ説得力がないんだろう? だって実際、君は信じてくれてない」
「泣いているのは、私のせいか」
「泣いてなんか……」
「うん。いい」
知恵蔵は満潮音の背を優しく叩いて、
「わかったから、もう少し横になってろ。支度してくるから、朝飯にしよう」
「君がつくるの」
「ゆうべの残りがあるだろう。あと、卵ぐらいは好きに焼かせてくれ」
「わかった。待ってる」
知恵蔵がカップを持って寝室を出ていくと、満潮音は再び横になった。
「母さんのこと以外で、取り乱したことなんて、ないのに……」
なお溢れてくるものをティッシュでぬぐうと、
「ああ。幸せな、朝だ――」


(2018.2脱稿、美少年興信所・セルフ二次創作)

●注:Privatterで書いた短編に、末尾を少しを足したものです(要らなかったかな?)。なぜ二次創作かというと、基本的に満潮音さんは人前で泣かないからです。本編でも親が死んだ時しか泣いてませんし、その後は泣かなかったことになっていますので、これはあくまで、満潮音さんが弱ってる時の「if」設定と言うことでお読み下さい。

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