『愛しい』


シャワーの下で髪を洗いながら、知恵蔵はぼんやり、考え事をしている。
「満潮音はもう、寝たろうな」
依頼人への報告に思わぬ時間がかかり、遅くなるから先に休んでいてくれ、と連絡したのは自分だ。なのに、下半身が疼いて、あらぬことを考えている。
《久しぶりに満潮音に、めちゃくちゃにされたい……》
そんなことを思うのは、ここしばらく、自分が抱く側だからだ。
「こんな展開、誰が予想するか」

満潮音は圧倒的な強者で、妄想の中でならともかく、実際に自分が上になることなど考えたこともなかった。売り言葉に買い言葉で抱いてしまったが、酔ったまぎれのこと、一度でおしまいだと思っていた。
なのに。
「知恵蔵」
夜中にパジャマ姿の満潮音が寝室を訪ねてくる。子どものように心細そうな顔で、
「君のこと、どう誘っていいか、よく、わからなくて」
「どうしたんだ」
何の冗談だと思っていると、満潮音は知恵蔵の肩に顔を埋めて、
「あの晩の優しい君は、夢じゃなかったんだよね?」
 あまりのしおらしさに仰天して、抱いて欲しいのか、と理解するまで少し時間がかかった。思わず真顔で、
「満潮音。おまえ、どこか具合の悪いところでもあるんじゃないのか」
「ん? 定期的に検診を受けてるけど、何もないよ」
「それならいいが」
「うん。だから、いやじゃ、なかったら……」
声を掠れさせ、緊張した身体を押しつけてくる。これは本当に何度も開いていい扉なのか、と戸惑いつつ、さりげなくリードされているのを感じつつも、そのままベッドへ押し倒すことになる。
もちろん毎晩ではない、ただ仕事に区切りがついた時や、休みの前の晩など、あまり時間を気にしなくていい夜だったりするので、満潮音の肌に溺れてしまう。初めのうちは優しく丁寧に触れているが、最後には行為に目覚めたばかりの若者のようにむさぼってしまう。自分がこんなに旺盛とは思っていなかった。さすがに生で入れたことはないが、大概のことは試してしまった気がする。いや、知らないことは沢山あるのだろうが、満潮音にされたことの、大部分は――。

「いや、どうしても抱かれたいわけじゃあないが」
身体を拭きながらそう呟いて、知恵蔵は顔を赤くした。
それは嘘だ。
抱かれたい。
自分で抱いてみるようになって、満潮音がどんな手間ひまをかけているのか理解した後では、なおさらだ。
奇妙なほどに美しいあの男は、ただ自分を翻弄しているのではない。相手がよくなるように、常に己をコントロールしている。知恵蔵を快楽にのたうち回らせるために、達しているその瞬間でさえ、おそらく理性の手綱を完全に手放してはいない。
満潮音に抱かれることをどうして拒めないかというと、もちろんだらしないほど惚れているからだが、決定的にひどいことはされないとわかっているからというのもある。焦らされるだけ焦らされても、必ずその先で深い喜びが約束されているから、意識を手放して楽しんでいい。やりたい放題に見えるが、ベッドではこえてはならないラインをまもっているのを、知恵蔵は身体で知っている。
「君を支配できたことなんて一度もないじゃないか」と時に悔しげに言うのは、身も心も陥落させたいからだろうが、こっちはとうの昔に落ちているのに、と不思議な気持ちにもなる。あの腕に抱きとられて、一度も拒否したことはないのに。
「私から誘ってみせればいいのか?」
そうしたら満潮音は喜ぶだろうか。
なんだみっともない、と軽蔑されるかもしれないが――。


「満潮音」
パジャマに着替えて寝室に戻ると、満潮音がちょこんとベッドに座っていた。
「お帰り」
「先に休んでてくれと言ったじゃないか」
「なんだか眠れなくて、さ」
満潮音はオレンジ色のすとんとした寝着を来ていた。男物のネグリジェだ。胸にプレイボーイの縫い取りがある。日本人の男がこんなものを着たら、普通は似合わないはずだが、年齢不詳の満潮音が着ていると、なんとも可愛らしい。海外ドラマだったらこれに、同じ色の三角のナイトキャップでもかぶっているところだろう。
「ずいぶん報告が長引いたね。依頼人、ごねた?」
「いや、そういうことはないんだが、ちょっと泣かれて」
「やっぱりね。君に頼んで良かったよ。僕はそういうのが苦手で」
「私だって得意なわけじゃあない」
「知ってる。でも君の方が上手だよ。僕は人を慰めるのがうまくない。反対に、うまくいきすぎちゃって、こじらせたりするし。ほんと、難しいよね」
知恵蔵はその脇に腰を下ろした。
「無事に終わってるから、安心していい」
「うん」
満潮音は静かに、知恵蔵に身を寄せてきた。目を伏せたまま、
「抱いて……」
知恵蔵はその肩に腕を回して、
「めちゃくちゃにするかも、しれないぞ」
「いいよ。うんと、いやらしいことしても。君の好きにして」
そう言いながら、満潮音は頬を赤くした。
「私の好きにすると、おまえが気持ちよくならないかもしれないぞ」
「いいよ、別に」
「よくないだろう」
「いいんだよ。だって、君に愛されてるって感じが、たまらなく、いいから、欲しい、んだから……」
消え入りそうな声。
たったこれだけのことを言うのが、恥ずかしくてたまらないとでもいう風に。
そんな純情を隠していたのかと思うと、いや、たとえそれが演技であったとしても、それは知恵蔵の下半身にわだかまっていたものを一気に燃え上がらせるには十分だった。
ネグリジェは前開きで、脱がせやすかった。ゆったりしていて脱がせなくてもいいぐらいだったが、知恵蔵は満潮音の肌をあらわにした。
自分と同じ年齢の男のはずなのに、同じ生き物とはとうてい思えない。
もちろん、近くに寄ってよく見てみれば、肌のハリや筋肉は、若い頃より少しずつ衰えてきているが、今でも本当に美しい。
「知恵蔵」
愛撫を期待する視線。
「優しくして、なんて、言わないよ。だって君は、ひどいことなんて、しないから」
無防備な信頼。
「僕の方がよっぽど、怖いこと、君にしてきたよね。されるままだったのは、そういう、ことでしょう?」
年相応の重いため息。
「満潮音」
「ん」
知恵蔵は満潮音に腰を押しつけた。
「これ以上、煽らなくて、いいから」
満潮音はふっと表情を緩ませた。
「ああ、もう、こんなに熱くなってるんだね……嬉しい……」
この美しい生き物に、触れることを許される喜び。
それを知ってしまったら、その誘惑にもやはり、抵抗できないのだ――。

*      *      *

「おはよう、知恵蔵」
目が覚めると、満潮音は知恵蔵のアロハシャツを素肌に羽織っていた。
「なんで、私の」
満潮音は上機嫌で、
「彼シャツの気分を味わってみたくてさ」
「ネグリジェの方が可愛いぞ」
「そうかい? じゃあ誘う時はあれにするよ」
「いや、それはどっちでもいいが、私とおまえじゃ、そんなにサイズも変わらないのに」
知恵蔵も身を起こしたが、満潮音のはだけた胸に鬱血の痕があるのが気になって、つい視線がそこにいく。昨夜、夢中になりすぎてしまった証拠で、恥ずかしい。終わった後、シャワーを浴びて互いの身体を拭いた時には、盛り上がりすぎていて気にならなかった。身体は平気か、といたわってやることすら忘れていた。ベッドに入りなおすと、満潮音が知恵蔵の胸に甘えてきた。愛おしいと思いながら、柔らかい髪を撫でているうち、眠ってしまった。
不思議な気分だ。
いつも通りの満潮音なのに、いつもよりさらに綺麗に見える。
惚れた欲目とはよく言ったものだ、と思っていると、
「君に、ひとつ謝らないとね」
「何をだ」
「どっちかっていうと、君、抱かれたい気分だったろ?」
思わず知恵蔵が喉を鳴らすと、満潮音はふっと笑って、
「君からちっとも誘ってくれないから、そういう見極めは上手になったよ。そろそろだろうなって。なのに僕から甘えちゃって、悪かったね。お詫びに、朝からで申し訳ないけど、君の希望に応えたいなって」
「えっ」
「それとも、スッキリしちゃったから、もういい?」
「あ」
「抱く方が楽しい?」
「いや」
「大丈夫、加減するよ。僕も、今朝の状態じゃ、激しくは無理だし」
「え」
満潮音はシャツをさっと脱ぐと、知恵蔵を押し倒した。
「うんと、優しく、するからね……」


終わった後、しばらく知恵蔵はすすり泣いていた。
「大丈夫?」
清潔なタオルを渡すと、それで顔を覆ってしまう。
「大丈夫じゃない」
「つらいの」
「つらくて泣いてるんじゃない」
「そんなに泣かれると、なんだか、すごく悪いことしたみたいだよ。ねえ、なんで怒ってるの?」
「怒ってない」
「まさか、うれし泣き?」
知恵蔵は答えない。
「そんなに良かった? 君の抱き方をちょっと真似てみただけなんだけど」
「私があんなに巧いわけないだろう」
「そんなことないよ。ああ、愛されてるんだなって実感するよ。そう言ったよね?」
タオルを顔にあてたまま、知恵蔵は満潮音に背を向けた。
「……悔しい」
「なにが?」
「私には、おまえみたいな誘い方もできないし」
「いや、もちろん誘ってくれたら嬉しいけど、無理しなくていいよ。今さら、決死の覚悟でするものじゃないし……いや、僕もなんか緊張してたよね、ハハ」
「知ってる」
「ありがとう、僕の不格好を笑わないでくれて。それでいったい、何が悔しいの」
「自分が」
「なに?」
「おまえのこと、今までどこかで信じきれてなかった」
「僕がこんなだからね。それはまあ、仕方ないと思ってるよ」
「くだらない不満ばかり言って」
「いや、言われるだけのこと、してきたと思うし」
「おまえはそのままでいいんだって、ずっと言ってきたのに、本当は私が望むようにして欲しかったんだってわかった。浅ましい」
満潮音は知恵蔵にぐっと身を寄せて、
「じゃあ、今日のが正解だってこと?」
「……たぶん」
「よかった、これでもう、君のこと、もてあそんでるって思われなくてすむんだね」
知恵蔵はようやくタオルをとった。顔をグイ、と拭くと、
「それは、また」
「違う話?」
知恵蔵は、満潮音の首を抱き寄せた。
「おまえに抱かれて、弄ばれたと思ったことはない。反対に、これからもおまえを信じきれるかどうか、わからない。だが、これからは、なんとか誘うぐらいの努力はする」
「いや、だから、無理しなくていいよ」
「だが、おまえは喜ぶんだろう?」
「君はどうだった? 僕に誘われて、内心、ひいてなかった?」
「いや」
「ならいいけど、らしくないって軽蔑されてたら怖いな、と思ってたから」
「怖いのか? 今さら?」
「だって、こんな僕を知ってるのは、君だけなんだよ?」
「ああ」
「君も、怖くて、誘えないの?」
知恵蔵は目をそらした。
「……おまえが、欲しいと思う時に、抱いて、欲しい、から……」
「嬉しいなあ」
「ん」
「じゃあ申し訳ないけど、二回戦めに入ろうかな」
「え」
「だって、そんな可愛いこと言われたら、さ」
「待て、まだ」
「休ませて欲しい? 大丈夫、無理はさせないよ。安心して」
「お、おまえは……!」
「愛してる」
知恵蔵は抵抗しなかった。
それは満潮音の声が掠れ、仕草も初めてのように緊張していて、この男は本当に自分を愛しているのだと思うと、すべて受け入れたい気持ちになったからで――。


(2018.7脱稿、美少年興信所・セルフ二次創作)

●注:Privatterで書いた短編「まさかの。」の続編です。一度書いてみたのですが、あまり納得がいかなかったので改訂しました。やや満潮音さんが弱ってる時の「if」設定と言うことでお読み下さい。

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