『ほしをかぞえて』
満潮音純は、自分のスマートフォンの画面を、ぼんやり眺めている。
そこに表示されているのは一枚の美しい写真――三角形の大きなガラスが組み合わされたドーム。心地よさそうなダブルベッドが置かれ、暖炉にはあかあかと火が燃えている。低い本棚に分厚い本が並び、ベッド脇には軽食が置かれたテーブル。窓の外は暗く、大きな木のシルエットが覆い被さっている。外は雨で、降っている音さえ聞こえてきそうだ。
パートナーの門馬知恵蔵が、その手元をのぞき込んだ。
「グランピングか」
「ああ。グランピングだね」
生活に必要なものはすべて揃っていて、自分で料理する必要すらない、ただ自然を満喫するための高級キャンプ――が、知恵蔵は首をひねった。
「行きたいわけじゃないんだろう」
満潮音は目を細めた。
「どうしてそう思うの」
「行きたいならすぐに行けるだろう。どこだか知らないが、おまえならすぐに場所を特定して、費用も惜しまず出かけるだろう。おまえにはそれができる。だが、優秀な探偵であるおまえが、調べもしていないのは、行きたいわけじゃないってことだ。グランピングかどうかさえ、気にしてなかったんだろう」
「そうだね」
実は満潮音はこの写真を、折に触れては見ていた。
《誰も知らない清潔なベッドで、星を数えながら、ひとり静かに眠っていたい》
この写真をSNSで見つけてから、半年ぐらい、ずっとそう思っていた。
行きたいわけではない。もし、この写真の施設に泊まるつもりなら、知恵蔵も連れていって一緒に楽しんだろう。拒否でもされない限り。
本当に星を数えたいわけでもない。都会の夜では星は見えないし、田舎の夜は星がありすぎて目印にしにくい。プラネタリウムが好きだったのは何十年も前の話だ。最近のものには興味もない。
ただ寝ていたいだけなら、探偵事務所の看板を下ろして、好きなだけ休めばいい。食料もまとめて買い込んでおけば外出の必要ない。ジャンクフードだろうが冷食だろうが、満潮音はなんでも平気で食べる。自炊歴も長い。
ひとり静かに、というだけなら、留守を頼んでホテルにでも行けばいい。出かけたくなければ、知恵蔵にはもう一つの寝室で寝てもらってもいい。頼めば「かまわない」と応じてくれるだろう。
なのにしない。
《この世で一番の謎は、自分の心だ》
満潮音は立ち上がっ
「さっぱりしないから、すこし早いけど休ませてもらうよ。先にバスルームを使っていいかな」
「ああ。ゆっくり浸かってこい」
満潮音はしばらくバスタブに沈んでいたが、知恵蔵が誰かと話している声に気づいた。家族と電話をしているようだ。浴室を出ると、知恵蔵がすまなそうな顔で、
「二日ほど実家に戻っていいか」
「ご家族に何か?」
「いや、隣の家が工事をするんで、土地の境界線を確認したいんだそうだ。姉が立ち会えばいいだけの話なんだが、私も一応権利者だし、男がいた方がいい雰囲気で」
「君の隣ってそんな面倒な家だったっけ。でもいいと思うよ。久しぶりにお母さんにも会っておいでよ」
「ああ。おまえがいいなら、今から帰る。まだ電車もあるし」
「そう、気をつけて」
知恵蔵は簡単に身なりを整え、鞄ひとつで出ていった。満潮音は事務所の看板をクローズドにして、寝室へ入る。
「え?」
あのわずかな間に、部屋が模様替えされていた。
カーテンは遮光のものに。空気清浄機は、応接室にあった一番性能のいいものに。さらさらしたシーツが敷かれ、枕は通気性の良い涼しいものに。ベッドテーブルにも何かある。ホームプロジェクターだ。自分の部屋でプラネタリウムが見られる機械だ。
「こういうおもちゃに興味があるなんて知らなかったよ」
電気を消してスイッチを入れてみると、光と共に静かな川の音が流れ出した。
「なるほど。星空に雨はそぐわない。でも水の音には違いない。これで僕の憧れはぜんぶ満たされるわけだ」
そして満潮音は眠った。こんこんと眠った。
二日後、知恵蔵が戻ってきた。着替えて浴室から出てきた彼を、満潮音は笑顔で迎えた。
「おかげでよく眠れたよ。疲れてたんだな、僕」
「そんな顔色だったからな。簡単な食事のひとつも用意しておくかとも思ったが、私の料理も怖いだろうし」
「充分だよ。君の心づくしに感激した」
「あるものをひっぱり出してきただけだ。もともと全部おまえの物だぞ」
「でも星のプロジェクターは君が買ったんだろう?」
知恵蔵はうなずいた。
「中学生の頃、一緒にプラネタリウムに行ったことがあるだろう。終わった後、おまえは、ぼんやり星を数えながら眠れたらいいな、と言ったんだ」
「僕、そんなこと言ったかな」
「金持ちのおまえなら、いつだって綺麗な夜空が見られるところに行ける。なのにそんなことを呟くのは、おまえはいつも窮屈で、本当の意味でひとりになれない。だから、せめて薄暗がりの中で、少しだけでもまどろんでいたいんだろう、と思った」
「知恵蔵」
満潮音は、相手の顔をつくづくと眺めた。
「君は昔から、本当に変わらないな」
「むしろ、おまえの方が変わってない」
「いや、さすがにあの頃とは違うよ」
満潮音は知恵蔵を抱きしめた。
「今晩は君と一緒に、星を数えて眠りたい……」
(2024.7脱稿、美少年興信所スピンオフ。ぺらふぇす2024参加作品)
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Narihara Akira
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