『白面の騎士』


「お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ」
十月終わりの週末、満潮音探偵事務所のドアを叩いたのは、白いシーツのお化け姿の少年だった。背丈や声の感じからして中学生か。渋谷の繁華街が近いので、ハロウィンの時期は安価なコスプレの若者が近所を通ることがあるが、これはどうも違うようだ。満潮音純はため息をついて、
「いい度胸だ。あの家に行ったら、おまえの方がいたずらされるぞって脅かされなかったかい」
少年は声を低くして、
「お目付役がいるから大丈夫だって」
「おやおや、どんなご近所か知らないが、内情までよく知られてるもんだ。ただ、僕の相方は留守だよ。うかうか入って平気かな?」
「平気です、ちゃんと依頼料も持ってきました」
「子どもに払える金額じゃないよ。まあ、玄関で立ち話もなんだ、入っていいよ。あと、マスクははずしてもらっていいかな?」
マスクとシーツをはずし、勧められたソファに座った少年は、なかなか端正な顔立ちで、満潮音はふうん、と首をかしげた。
「見覚えがある気がするな」
「稲荷友人といいます」
「思い出した、氷見山遭難事件の子だ、滑落して脚を骨折したって。ニュースで見たよ」
二年ほど前、ボーイスカウトの引率者が、登山計画書も出さずに氷見山に登り、無謀なルートを選んで遭難した。稲荷友人は、仲間からはぐれて怪我をしていたところを、地元の少年に発見され、それがきっかけで他のメンバーも救出されるに至った。
「珍しい名字だし、うちの子ほどじゃないけど、なかなか美少年だなと思って見てた」
友人は表情を曇らせた。
「お子さんがいるんですか」
「もう少年じゃないけどね。僕がじいさんでも変じゃないぐらいの年齢だ」
「お幾つなんですか」
「いくつに見える」
「二十代?」
満潮音は苦笑した。彼の美貌は年齢不詳だが、二十歳の倍以上だ。
「まあ、覚えてる人はいるんじゃないかな。来年ドラマになるだろう、白面の騎士とかいう。子ども向けの特撮番組で、一年かけて山の危険を教えていくのがコンセプトらしいよ。でも冬山だと白装束って、自殺行為じゃないのかな」
「知りませんでした。あんまりテレビ、見なくて」
「僕も見ないが、話題になってるからね。それで、君の依頼はなんなの」
「あの時、助けてくれた神野田音成くんと友達になりました」
「カミノダくんか、それも珍しい名字だね」
「彼もボーイスカウトに入っていて、心得があったので適切な処置をしてくれました。おかげで僕の脚は無事治って、前より丈夫になったぐらいです。交流できる機会があれば、一緒に山に登ったりもしました。ところが半年ぐらい前から、急に彼と連絡がとれなくなって」
「SNSも電話も手紙もだめってことかな。家とか学校も?」
「全部駄目です。学校は違うから入れなくて。家まで行ったらお父さんに追い返されて」
「追い返された?」
友人は目を伏せた。
「音成くんとあった頃、お父さんの衞さんは日本にいなくて。アメリカの日本大使館に単身赴任してて、それで音成くんは、お母さんの実家がある氷見山近くに仮住まいしてたんです。三年の期限が終わってお父さんが帰ってきてから、一緒に都内で暮らしてるはずなんですが、息子はいない、帰りなさいって」
「ふうん」
「諦めきれなくて家の周りをウロウロしてたら、お母さんが帰ってきて。気の毒そうな顔で《明日からあの人は出張で、しばらく戻らない予定だから、明日の夕方にまた来てください。ただ、あの子が会いたがるかどうか、わからないけど》って言うんだ。それで、翌日もう一度行ったら、離れにいるって言われて。これから夕食を持っていくから、待っていてくださいって。離れといっても庭の隅にあるプレハブで、トイレも外にあって。家に部屋がないわけじゃないだろうに、なんで離れにいるんだろうと思ったら、後ろで気配がして」
友人の声は震え始めた。
「あいつが立ってた。ものすごく痩せてた。顔は真っ白だった。あんなに日焼けしてたのに、嘘みたいに肌が白くなってて。なにも言わずに離れに滑り込んで内側から鍵をかけられた。その後、お母さんが来て、離れに声をかけたけど、《夕食は要らない。稲荷くんに帰ってもらって》って繰り返すばっかりで、結局会えなかった」
満潮音は静かな声で、
「音成くんに嫌われるようなことをした覚えは?」
「まさか!」
「それともお家の事情かな。神野田衞さんは警察官だよね。職業柄、あまり内情を探られたくないかも」
「どうしてわかったんですか」
「日本大使館に三年っていうのは警察官が海外に赴任する時のスタンダードだから。中学生の息子がいる年齢からして、キャリアじゃないだろうけど、それでも海外に行けるっていうのはかなり頑張ってる人だと思う。身内に何かあると出世の妨げになるから、息子の友達を排除する可能性もある」
すっかりうつむいてしまった友人に、
「それで、君はどうしたい?」
「音成くんに会いたい。話がしたい。もし病気なら、お見舞いぐらいさせて欲しい」
「それはとてもよくわかるけど、どうしてそれを僕に言う?」
「あ」
満潮音は美しい笑みを浮かべた。
「いや、わかってるよ。僕に男性のパートナーがいるってわかってて、この事務所に乗り込んできたっていうのは、そういう悩みなんだろうなって。まあ、会ってくれるかどうかは彼次第だと思うけど、病気かどうかはわかると思うし、大人の僕に一緒に行ってくれっていう話ならつきあってもいい。調査料も半額で手を打つよ」
「それはきちんと払います」
「いや、解くほどの謎もなさそうだけど、時間的には拘束されるし、僕以外の人間にも応援を頼むから、半額もらおうかって言ってるだけだ。それでも君の親御さんに叱られちゃいそうだけども」
「あの、親には内緒にしてください」
「わかってるよ。僕は悪い大人だからね。まあ明日は日曜だし、夕食の時間を見計らって行くとしようか。次は会えるといいね」


翌日。
「神野田さん。草野です。ご無沙汰しております」
草野幸治は神野田家のかかりつけ医である。訝しみながらも母親が門扉を開けると、
「音成くんの往診を依頼されて来ました。ひどく顔色が悪いので、健康診断が必要と言われまして」
「健康診断なら、先日すませております」
「どこでです?」
「それは、その」
「ほぼ一年ぶりですから、一度様子を診させてください。痩せたときいて心配で。離れに寝泊まりされているとうかがいましたが、これからの時期にプレハブで大丈夫ですか」
「思春期なので外に部屋をつくってやっただけのことです。本人は一人で集中したいと言ってますし、空調はつけてますから。それにしても、日曜に往診だなんて」
「支払いはご心配なく。依頼者から頂いています」
「依頼者?」
「こちらです」
草野の後ろからおずおずと顔を出した稲荷友人を見て、
「ああ、そういうこと。でも友人さんには会いたがらないと思いますよ。中に入るのは先生だけでかまいませんか」
「はい。元気ならいいんです。それだけ心配で。ここで待ってます」
「わかりました。音成。草野先生がいらしたわよ」
プレハブのドアが少し開いた。草野が入ると素早くドアが閉められ……そうになったところへ、満潮音が飛び込んでこじ開けた。
「失礼。同席させてください」
驚いたのは草野で、
「あんたどこから来た」
「先に裏庭に忍び込んでました。稲荷くんに、同行して欲しいと言われたので」
「なら普通に一緒に入ればいいでしょう。なあ、音成くん」
音成は白い頬を満潮音に向けて、
「あなたは誰です」
「探偵です。大丈夫、あなたが来年の特撮ドラマの主演だということは、誰にも言いませんから」
音成は息をのんだ。
「どうしてそれを」
「メインキャストが発表されているのに、肝心の白面の騎士だけ、正体が謎のままだからです。少年役だから少年がやってもいいはずで、実際の遭難事件で怪我人を救った子がそのまま演じるなんて、最高に話題性があるじゃないですか」
「話題性はありません。依頼を受けた時、最初から最後まで僕だと明かさない約束をしました。特殊メイクしますし、名前も芸名で出ます。演じるのは今回だけです。将来、俳優になりたいわけじゃないし」
「それでは、稲荷くんと連絡を絶ったのは、出演を秘密にするためですか」
「会ったら絶対に話してしまうか、気づかれてしまうだろうと思って。父さんと約束したんだ。出てもいいけど誰にも言うなって。学業に差し障りがない範囲でやれって。でも週末だけでも、撮影は朝四時から丸一日だし、スーツは暑くて死にそうになるし、すごく痩せたから学校でも不思議がられてて、でも行かないわけにいかないし」
「そんなにつらいのによくオファーを受けたね。そんなにあの遭難事件が大事な思い出だったのか。ああ、草野先生、彼の診察を」
「一応診ますが、撮影所の方で健康診断をやっているなら問題はないでしょう。痩せてる原因もはっきりしてるが、血液検査の結果かなにかもってるかな」
「あります」
聴診器をあてだした医者をよそに満潮音はプレハブの外へ顔を出した。
「稲荷くん。病気でもなんでもなかったよ。君もおいで」
「いいんですか」
「悪くてもおいで」
音成が服を整え終えたところで、友人はプレハブに入った。音成は頭を下げた。
「ごめん。わけあって、中学を出るまで会えない」
「その後は」
「全寮制の高校に行こうと思ってる。もし君がいいなら、一緒の高校に行かないか」
「いいの」
「君の気持ちがそれまで変わらないなら。来年の今頃には連絡がとれるようになると思う」
「わかった。待つよ」
「簡単にいうね」
「君との時間ぐらい大切なものはなかった。君が僕との未来を考えてくれるなら、待てるよ」
「わかった。僕もだよ」


門馬知恵蔵はダークスーツに塩をふりかけ、軽く払った。満潮音は上着を受け取って、
「お疲れ。お義兄さんのお葬式、どうだった」
「目立たないようにしてたし何も言われなかったよ」
「お義兄さんが転勤してから音信不通だったんだろう」
「姉さんとは話ができた。まあ今回は向こうから連絡してきたわけだから」
「そうか、うん、うん、よかったよ」
「葬式だからよくはないが、満潮音、なんだか今日は機嫌がいいな?」
「そうかな? 若い子と遊んだからかな。美しい友情とは何かを見せてもらったんだ」
「ふうん。おまえ、本当は子どもが好きなんだな」
「どうかなあ。僕の本命は君だからなあ」
「また馬鹿なことを」
「近所でも噂になってるみたいでさ」
「なにが」
「僕が、お菓子があってもなくても、君にいたずらしてることが、だよ」


(2022.10脱稿、美少年興信所スピンオフ。ペーパーウェル09:テーマ「ハロウィン」サブテーマ「マスク」参加作品)

《BLのページ》へ戻る

copyright 2022.
Narihara Akira
http://www5f.biglobe.ne.jp/~Narisama/